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舞踏会 前編
2026-09-12 15:51

舞踏会 前編

0206 260912 芥川龍之介 舞踏会 前編 朗読:本田奈也花
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サマリー

明治時代、17歳の令嬢秋子は初めての舞踏会に臨む。六華館の階段を上る途中、彼女は中国人の紳士や日本人の青年からその美しい姿を称賛される。舞踏室では、伯爵夫妻の歓迎を受け、すぐに同年代の少女たちと打ち解ける。やがて、一人のフランス海軍将校が秋子にワルツを申し込み、二人は華やかな音楽と人々の波の中で踊る。将校は秋子の快活な踊りぶりに興味を示し、彼女もまたその視線に誇らしさを感じていた。踊りが終わると、将校は秋子を壁際の花瓶の菊のそばへ連れて行き、丁寧に一礼する。

舞踏会への期待と不安
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おしゃべり本棚。
この時間は、福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
舞踏会
芥川龍之介
前編
明治19年11月3日の夜であった。
当時17歳だった両家の霊嬢秋子は、
頭の剥げた父親と一緒に、
今夜の舞踏会が催さるべき六名間の階段を登って行った。
明るいガスの光に照らされた幅の広い階段の両側には、
ほとんど人工に近い大輪の菊の花が、
実への間垣を作っていた。
菊は、一番奥のが薄紅、
中ほどのが濃い黄色、
一番前のが真っ白な花びらを、
草のごとく乱しているのであった。
そうしてその菊の間垣の尽きるあたり、
階段の上の舞踏室からは、
もう陽気な還元額の音が、
抑えがたい幸福の吐息のように、
休みなく溢れてくるのであった。
秋子は、つとにフランス語と舞踏との教育を受けていた。
が、正式の舞踏会に臨むのは、
今夜がまだ生まれて初めてであった。
だから彼女は馬車の中でも、
折々話しかける父親に、
上の空の返事ばかり与えていた。
それほど彼女の胸の中には、
愉快なる不安とも形容すべき、
一種の落ち着かない心持ちが、
根を張っていたのであった。
彼女は馬車が六名館の前に停まるまで、
何度苛立たしい目を上げて、
窓の外に流れて行く、
東京の街の乏しい灯火を見つめたことだか、
知れなかった。
が、六名館の中へ入ると、
間もなく彼女は、
その不安を忘れるような事件に遭遇した。
注目の的となる秋子
というのは、
階段のちょうど中ほどまで来かかった時、
二人は一足先に上って行く、
中国の大館に追いついた。
すると大館は、
肥満した体を開いて、
二人を先へ通らせながら、
はきれたような視線を秋子へ投げた。
ういういしい薔薇色の舞踏服、
貧欲あごえかけた水色のリボン、
それから濃い髪に匂っている、
たった一輪の薔薇の花。
実際その夜の秋子の姿は、
この長い便髪を垂れた中国の大館の目を驚かすべく、
開花の日本の少女の美を、
遺憾なく備えていたのであった。
と思うとまた、
階段を急ぎ足に降りて来た、
若い塩美服の日本人も、
途中で二人にすれ違いながら、
反射的にちょいっと振り返って、
やはり呆れたような一別を、
秋子の後姿に浴びせかけた。
それからなぜか思いついたように、
白いネクタイへ手をやってみて、
また菊の中をせわしく玄関の方へ降りて行った。
二人が階段を上り切ると、
二階の舞踏室の入り口には、
藩次郎の頬ひげを蓄えた主人役の伯爵が、
胸間にいくつかの勲章を帯びて、
類十五世式の装いを凝らした、
年上の伯爵夫人と一緒に、
応揚に客を迎えていた。
秋子はこの伯爵でさえ、
彼女の姿を見たときには、
その老介らしい顔のどこかに、
一瞬無邪気な京壇の色が巨大したのを、
見逃さなかった。
人のいい秋子の父親は、
舞踏会での出会いとワルツ
嬉しそうな微笑を浮かべながら、
伯爵とその夫人とへ、
手短に娘を紹介した。
彼女は周知と得意とを、
変わる変わる味わった。
が、その伊藤真にも、
賢高な伯爵夫人の顔立ちに、
一点下品な気があるのを感ずくだけの余裕があった。
舞踏室の中にも、
至るところに菊の花が美しく咲き乱れていた。
そうしてまた至るところに、
相手を待っている夫人たちの、
レースや花や造毛の扇が、
爽やかな香水の匂いの中に、
音のない波のごとく動いていた。
秋子はすぐに父親と別れて、
そのきらびやかな夫人たちの、
ある一壇と一緒になった。
それは皆同じような、
水色や薔薇色の舞踏服を着た、
同年配らしい少女であった。
彼らは彼女を迎えると、
小鳥のようにさざめきたって、
口々に、
今夜の彼女の姿が、
美しいことを褒め立てたりした。
が、彼女がその仲間へ入るや否や、
見知らないフランスの海軍将校が、
どこからか静かに歩み寄った。
そうして両腕を垂れたまま、
丁寧に日本風の営釈をした。
秋子はかすかながら血の色が、
頬に昇ってくるのを意識した。
しかしその営釈が何を意味するかは、
問うまでもなく明らかだった。
だから彼女は手にしていた扇を、
預かってもらうべく、
隣に立っている水色の舞踏服の、
礼状を振り返った。
と同時に意外にも、
そのフランスの海軍将校は、
ちらりと頬に微笑の影を浮かべながら、
異様なアクセントを帯びた日本語で、
はっきりと彼女にこう言った。
一緒に踊ってはくださいませんか。
まもなく秋子は、
そのフランスの海軍将校と、
美しく青きダニウムのワルツを踊っていた。
相手の将校は頬の日に明けた、
目鼻立ちの鮮やかな、
濃い口ひげのある男であった。
彼女はその相手の軍服の左の肩に、
長い手袋をはめた手を預くべく、
あまりに背が低かった。
が、離れている海軍将校は、
巧みに彼女をあしらって、
軽々と群衆の中を舞い歩いた。
そうして時々、彼女の耳に、
愛想のいいフランス語のお世辞さえもささやいた。
彼女はその優しい言葉に、
恥ずかしそうな微笑をむくいながら、
時々彼らが踊っている舞踏室の周囲へ目を投げた。
異文化への興味と踊りの終わり
校室の御紋章を染めぬいた、
紫チリメンのまんまくや、
爪を張った僧侶が身をうねらせている、
中国の国旗の下には、
花びん花びんの菊の花が、
あるいは軽快な銀色を、
あるいは隠密な金色を、
人波の間にちらつかせていた。
しかもその人波は、
シャンパーニュのように沸き立ってくる、
花々しいドイツ還元楽の旋律の風にあおられて、
しばらくも目まぐるしい動揺を止めなかった。
秋子はやはり踊っている友達の一人と目を合わすと、
互いに愉快そうなうなずきを、
せわしい中に送り合った。
が、その瞬間には、
もう違った踊り手が、
まるで大きな輪が狂うように、
どこからかそこへ現れていた。
しかし秋子はその間にも、
相手のフランスの海軍将校の目が、
彼女の一挙一動に注意しているのを知っていた。
それは全くこの日本に慣れない外国人が、
いかに彼女の快活な舞踏振りに
興味があったかを語るものであった。
こんな美しい礼状も、
やはり紙と竹との家の中に、
人形のごとく住んでいるのであろうか。
そうして細い金属の箸で、
青い花の描いてある手のひらほどの茶碗から、
米粒を挟んで食べているのであろうか。
彼の目の中にはこういう疑問が、
何度も人懐かしい微笑とともに往来するようであった。
秋子にはそれがおかしくもあれば、
同時にまた誇らしくもあった。
だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、
もの珍しそうな相手の視線が
折々足元へ落ちるたびに、
いっそうみがるく、
なめらかな床の上を滑っていくのであった。
がやがて相手の商工は、
この子猫のような礼状の疲れたらしいのに気がついたとみえて、
いたわるように顔をのぞき込みながら、
もっと続けて踊りましょうか。
ノンメルシー。
秋子は息をはずませながら、
今度ははっきりこう答えた。
するとそのフランスの海軍商工は、
まだワルツの歩みを続けながら、
前後左右に動いているレースや花の波をぬって、
壁際の花瓶の菊の方へ、
悠々と彼女を連れて行った。
そうして最後の一回転の後、
そこにあった椅子の上へ、
鮮やかに彼女をかけさせると、
自分は一旦軍服の胸を張って、
それからまた前のようにうやうやしく、
日本風のえしゃくをした。
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