はじめに:本茶本茶と『感情労働の未来』
こんにちは。本茶本茶へようこそ。毎回一つのお茶を味わいながら一冊の本をきっかけに、生き方の問いを一つ持ち帰る時間です。静けさのデザインとケアを通して創造性の器を育む、スタジオステルネスのFuyutoがお送りします。毎週水曜日19時に更新しています。
本日ご紹介するのは、恩蔵絢子さんの感情労働の未来、脳はなぜ他者の見えない心を推しはかるのかという一冊になります。
書者の恩蔵さんは、脳科学者ということで、東高大の理工学部、理工研究科の知能システム科学専攻というところで博士を取られて、現在は東大の大学院の特任研究員だったりもされている方です。専門が自意識と感情ということを出そうです。
いくつか書籍も出されているんですけれども、以前の著書ですね、脳科学者の母が認知症になるという書籍は、とても大きな反響があったということだそうです。
僕自身はまだその本は読めてないんですが、この感情労働の本で初めて恩蔵さんの本に出会いました。
この本との出会いはですね、確かSNSで初め見たんだと思うんですよね。結構話題になっていて、特にこれはSNSとかAIとか、現在の社会において感情労働というものを再定義というか、再構築していくような本だと思うんですけれども、
もともと僕自身がホスピタリティ業界で働いていたこともあって、この感情労働ということ自身にはかなりもともと興味を持っていたというところで読み始めたら、意外とそういう働く業界とかにとどまらず、今どんな人に対してもこの感情労働というものが深く関わっているという発見があった、そんな本になっています。
本日のお茶:丸久小山園「和光」
今日紹介したいポイントは3つあって、1つ目が2つの感情労働。2つ目が全てを明示的にする現代の感情労働。そして最後に、冒険に出るための安全基地。今日もその前に、まずは一緒に楽しむお茶から。
本日は久しぶりに抹茶に戻ってきてみました。お茶は丸丘小山園さんの和紅という抹茶をたててみました。
この丸丘小山園というのは京都ですね。宇治でお茶をもう長いこと、1600年代ぐらいからお茶作りをされている老舗中の老舗ということで、お茶の稽古をやられている方であったり、抹茶をお好きな方はよくご存知のお詰めかなというふうに思います。
この和紅という名前がついているんですけれども、これはおそらく老子の和紅童人という言葉がありまして、和紅は平和の和に光ですね。童人は同じに塵と書く、そういう言葉があるんだそうです。
これは光を和らげる、その自分の知恵の光というものを奥深くに秘める、そして童人ですね、外に出さない、表には見えないようにしておくと、そんな意味を持っているんだそうです。
今日、抹茶を選んだのはですね、シンプルに先日買ったお茶碗を使いたかったというのがありまして、福村隆太さんという荒々しい銀材が得意な作家さんがいらっしゃるんですが、その作家さんの抹茶碗を先日購入したので、今日初卸しということで使ってみました。
あとはですね、茶道には始中の三挙という言葉がありまして、その茶筆が始中にありながらも、何か山の中の静けさみたいなことに自分を浸せるという言葉がありまして、そういう自分の避難所みたいなことがこの後のテーマにもつながってくるかなということで選んでみました。
ではここから本の紹介に戻ろうと思いますので、皆様もお気に入りの飲み物と一緒にお楽しみください。
感情労働の概念:二つの感情労働
この感情労働の未来という本なんですけれども、そもそも感情労働という概念から少しお話をできればと思うんですが、これはもう40年以上前ですかね、1983年に社会学者のホックシールドさんという方が提唱した概念になります。
もともとはそれこそ飛行機の客室乗務員さんとかサービス業の方がお客さんと接する中で自分の本当の感情を押し殺して、本当は自分が怒っていても悲しくても笑顔でお客さんには接客をしなきゃいけないというその矛盾というかその問題を指摘した言葉ということになっています。
ただ冒頭でも少し話したように、この本はそのサービス業の人だけの感情労働ということではなくて、温蔵さんが専門の脳科学というところから捉え直しながら、今の現代において人間はみんなこの感情労働をしているのではないか、感情労働にとらわれているのではないかと、そんなような問いかけをしている本だというふうに僕は理解をしています。
一つ目の切り口から参りますと、二つの感情労働ということが一つ目になります。
繰り返しになりますが、この感情労働というのは、自分が本当に感じていることとは違う感情表質を求められるということを指した言葉なんですけれども、定義したホックシールドさんはこれに二つのパターンがあるという話をしているんですね。
一つ目は表層演技、表の層の演技というもの。
二つ目は深層演技、深い層の演技。
この二つのパターンがあると言っていました。
温蔵さんもこのホックシールドの二つの定義を引用するところから始めているのですが、この二つが結構面白かったので、初めにご紹介したいなと思います。
一つ目の表層演技というのは、言葉にあるように表層、表面は企業だったりとかお客さんに合わせて取り繕うけれど、自分の感情は自分のものとして別に持つ、感情を抑制しながら対応するというのが表層演技だそうです。
例えば、何かイライラするようなことを言ってくるお客さんがいたときに、内心はイライラしたり怒っているんだけれども、お客さんに対しては顔の表面だけは笑顔に取り繕いながら接客する。
自分の中に少し矛盾を抱えながら対応するというのが表層演技。
そしてもう一つのが、真相演技。
これはですね、言い方を変えると、認知的再評価ということをするんだそうなんですが、状況とか自分の考え、事態を見直すことで感情そのものを書き換えるということなんだそうです。
先ほどの何かイライラしてくることを言ってくるお客さんに出会ったときに、無理な要求をしてくる人とかイライラするような話をしてくるお客さんにも、きっとこの人も何か大変な事情があるんだろうと。
そういうその自分の中の状況とか前提を自分でこう説得、納得して、あ、それだったらこういうふうにとですね、心から笑顔で対応すると。
先ほどの表層演技が内心イラッとしながら表面だけ取り繕うというものだったのに対して、真相演技は本当に自分の気持ちから変えてしまうと。
この二つですね、一見真相演技の方が辛そう、自分の感情自体を書き換えてしまうということで大変そうに思えるんですが、
実は逆だそうで、この表層演技の方が疲労が激しいという研究もあるみたいですね。
その場だけ取り繕って本質的な問題解決になっていないということだったり、毎日毎日自分の気持ちと違う感情を出し続けるということで消耗する、そんなようなことがこれまでの研究でわかっているんだそうです。
ここまではですね、その40年以上前にホクシルドさんが定義をした感情労働というところの話、特にその企業の中で働くという文脈でこういう感情労働をしなきゃいけないよねという話でした。
ただ、音頭さんというのはもう一つ本質的な問いを投げかけるんですよね。
一文を引用すると、企業に求められた規則がある条件では、いかに正解に自分が合わせられるかが問題になるが、私たちはそもそも正解がない中で人を理解しようとしているのであり、本当はそのことに普遍的に苦しんでいるのではないか、こんなような問いを立てています。
つまり、接客業とかその企業によって、企業の規則によって感情労働を強いられている人だけではなくて、対人関係、人と関わる全ての人が実はこの感情労働というものをしているのではないか。
相手の見えない心というものを押し量ること自体が、脳にとっては大きな負荷のかかる作業なんだ、そんなことをおっしゃっていました。
少しですね、この切り口の2つの感情労働というところから脇道にそれるんですが、面白かったのが、共感した上で切り離すという話もここで出てくるんですね。
この人と関わる全ての人が感情労働をしている世の中において、もう一文引用すると、人間の人間理解の根本はやはり共感にあるからだ。
相手に共感をした上で切り離すという二段階構造が人間理解なのであるという話を温存さんはされています。
これはですね、共感というものの良し悪しを語っているところで、まあ共感というのはその相手と同じような気持ちになること、もちろん人間関係の根本にこれはあるんですけれども、
一方で共感したままずっと切り離せないと、それはそれで依存関係になる。
なので実は共感だけではこの人間関係というものはうまくいかなくて、その後にですね、あえて切り離すということを必要とするそうです。
自分からですね、この待つとか欲しいというものの痛みを取る。
自分と相手の間に共感はしているんだけれども、ある程度の空間を作る、クッションスペースを作る、そんなことが大事なんだそうです。
現代の感情労働:全てを明示的にする時代
少し脇道に逸れていましたが、ここから二つ目の切り口につながっていきます。
全てを明示的にする現代の感情労働という切り口です。
先ほどのホックシルドにある表層演技、真相演技みたいなところから、実は現代人は誰もがこの感情労働をしているんじゃないかというように論が展開されている中で、
温蔵さんはさらにですね、SNSとかAIが台頭してきている今、現代の新しい感情労働というものについて語っています。
一文引用すると、私たちは今、自分から積極的に感じることよりも見せかけることにエネルギーを注いでいるのではないか。
以前のホックシルドの時代の感情労働というのはですね、何かその対人関係とかサービス業をする中で、
たとえ何か自分でこういうふうに感じるというものがあっても、それに対する応答として笑顔で返しなさいとか、何かその演技をして返しなさいと求められるようなものだったんですよね。
でも、現代は自分から進んで見せかける、何か受け取る前から見せかけるというようなことをしているんじゃないか、そんなことがこのテーマになります。
もう一文お借りすると、言語と身体をかつてなく切り離した現代人は、見にくい人の心を理解するという方向で苦労する代わりに、見えにくい心を誰からも見えやすいように加工するという苦労を選んでいるのかもしれない。
まさに、人の心を感じるということではなくて、自分の心を見えやすく加工して提示する、すべてを明示的にするという方向に社会が向かっているんじゃないか。
一方で、その分かりやすさを求めるあまりに感じることであったり、身体で受け取ることが省略されていく。
人間が人ではなく物化していく。そんなことを温蔵さんはおっしゃっています。
では、一体この現代の中でどのようにその人を理解し、人との関係を築き、現代のあるいは未来の感情労働をしていくのかということに対しては、
最後の章で、まさに未来の感情労働という章で、さまざまな能科学の知識であったり、あるいは感情的知性というものを取り上げながら論じているので、ぜひそこは本書の方でお読みいただければと思います。
冒険のための安全基地
そして最後の切り口が、冒険に出るための安全基地というものになります。
これはもしかしたら少し脇道的なことかもしれないですが、個人的にはとてもおぐっときた部分なのでご紹介をさせていただきます。
これはですね、この本の中でボールビーという発達心理学者の研究の話が紹介されています。
引用すると、いつも一緒にいられるわけではないけれど、自分が本当に窮地に陥ったときに必ず自分を見てくれて、その人のところに戻れば大丈夫という存在、これを安全基地、セキュアベースと呼ぶ、を持っている人は好奇心を持って新しいことに挑戦できる。
そんなようなことが書かれています。
これは何か挑戦をしていくとか、あるいは冒険に出るということは、その前提として、安全基地、いつもそばにいる存在ではないんだけれども、最終そこに戻れれば大丈夫という信頼できる何かがあるからこそ、外の世界に冒険、挑戦に出ていけるんだというような、そんな話になります。
ボルビーはですね、母と子のアタッチメント、心の安全基地というふうに和訳された本を書いていて、確かどこかの本で戸畑海斗さんもこの本を引用していたので、我が家にも一冊あるんですけれども、もう少し深掘ってみたいなというふうに思います。
ともにですね、冒頭のお茶の話と無理矢理接続をするわけではないですけれども、何か市中の産居と呼ばれた茶室のようなものも、騒がしい日常の中、あるいは冒険探索をし続けなければいけない日常の中の、ふと静かな、あるいは自分に戻れる安全基地としての役割というものがあったのではないかななんていうことも考えながら、
この現代においてそれがどういうものであるのか、もちろんその施設ということに限らないと思うんですが、現代におけるセキュアベースみたいなものを、スタジオスティーヌネスでも探求していきたいなと、そんなようなことを考えておりますし、
もしかしたらこのほん茶ほん茶の時間も聞いてくださる方にとって、そういう場所の一つになれたらいいなというふうに思っているところであります。
まとめと本書の紹介
だいぶ時間も長く話してしまったので、そろそろ終わりにしていこうと思いますが、この温蔵さんの本ですね、感情労働というものが、もはやサービス業とかそういった企業で働く人の抱えるだけの課題ではなくて、
AIとかSNSが対等した世の中で、誰もがこの他者の見えない心を押しはかったり、関係性を作っていくというとても大きな感情労働をせざるを得なくなっているというような中、これをどういうふうに脳科学の立場から語られているかということは、ぜひ本書を読んでいただきたいなというふうに思っております。
ということで、今日はマルキュー小山園さんの和行という抹茶をいただきながら、温蔵彩子さんの書かれた感情労働の未来、脳はなぜ他者の見えない心を押しはかるのかという一冊をご紹介しました。
ノートでも記事を書いていますので、よろしければご覧ください。また、ぜひフォローをどうぞよろしくお願いいたします。では、また。