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2026/04/09 ほくとを前へ
2026-04-11 14:30

2026/04/09 ほくとを前へ

 大和神楽保存会会長 田中さん 毎年秋に北野天神社に神楽を奉納

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サマリー

このエピソードでは、大和神楽保存会の田中隆会長が、北野天神社に奉納される神楽について語ります。秋の霊体祭での五穀豊穣への感謝や、春の五穀豊穣を願う神楽の意味、そして「天の岩戸」や「大蛇舞」といった演目の物語について解説します。また、地元子供たちによる「裏安の舞」や、八ヶ岳開山祭での奉納についても触れられています。明治時代から続く長い歴史を持つ神楽が、地域住民の協力と保存会の工夫により、コロナ禍でも途絶えることなく受け継がれている現状と、その存続に向けた取り組みが紹介されています。

大和神楽保存会と田中会長の紹介
ほくとを前へ。この番組は、絆を紡ぎ、 ほくとを前へを合言葉に、市民の皆さんと一緒に、
イベント情報など、北都市の魅力を発信します。 今回は、大和神楽保存会の会長田中さんにお越しいただいています。
よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 では改めて自己紹介をお願いします。
小淵沢町久保地区の北野天神社で、毎年秋に神楽を奉納している、大和神楽保存会長の田中隆です。
よろしくお願いいたします。
大和神楽の奉納行事
その大和神楽保存会、どのような活動をしているのか教えてください。
多分皆さんもご存知のことと思いますけれども、
一つ目は一番大切な活動で、秋の霊体祭当日、これは毎年10月の第一日曜日に神楽を奉納するということです。
春の神社は、春の神楽は、五穀豊穣などを願って奉納しますが、秋に舞うので、五穀豊穣や無病息祭に感謝するために奉納します。
大和神楽の中心で、必須の演目の天の岩戸の舞も奉納し、全部で26の演目があります。
一人で舞う舞もあれば、4人が一緒になって舞う舞もあります。
神楽というのは、春と秋に奉納される、春か秋かということなんですね。
そうです。春は一年の五穀豊穣をお願いする。秋には感謝するということになります。
それぞれ意味合いが違うということなんですね。
演目「天の岩戸」の物語
そうですね。
天の岩戸の舞というのは、隠れてしまった神様を外に出てきてもらうための舞という認識があるんですけど、そうですか。
はい、その通りです。天照大神が、五穀豊穣の乱暴ぶりに困って、天の岩戸に隠れてしまって、世の中が真っ暗になってしまう。
そして、天照大神に出てきてもらうために、いろいろ神様が舞を舞うという物語です。
文字で書いても、神楽というのは、神が楽しむと書きますけれども、これは神様に奉納する、神様に捧げるための舞ということでよろしいでしょうかね。
はい、その通りです。
裏安の舞保存会との連携
この日は、山戸から保存会だけではないんですよね。
はい、当日は裏安の舞保存会も裏安の舞を奉納します。
この裏安って千葉の裏安ではなくて、地元なんですか。
はい、地元の子供たち、女の子が裏安の舞を奉納します。
裏安の舞という舞があるわけですね。
そうです。
八ヶ岳開山祭での奉納
あと二つ目は何でしょうか。
二つ目は、八ヶ岳の開山祭で神楽を奉納することです。
開山祭は本格的な登山シーズンの幕開けを告げ、そのシーズンの登山者の安全と山の平穏を祈願するための行事で、この時に舞を奉納します。
山を開く時もということなんですね。
そうです。
今年、小淵沢町が担当になっていますので、観音平で開山祭をすると思います。
これは夏になるわけでしょうかね。
そうです。
保存会の会員構成と歴史
総勢、現在何人で活動していらっしゃるんですか。
現在登録しているメンバーは、30歳代から60歳代の男性と女性で、合計31人です。
これまで地元の方々によって、代々その舞が守られ、受け継がれてきました。
ここ数年は、移住してきた方や関心をお持ちの方に参加していただき、新たに男性5人、女性3人が加わりました。
また、大人だけでなく地域の子どもたちにも、神楽に慣れ親しんでもらう活動にも取り組み、子どもたち7人が加入しています。
子どもも一緒に活動しているんですね。
この地で神楽が始まったのは、どういったきっかけだったんでしょうか。
始まったきっかけ自体、調べてみても古いことであり、しかも記録がないので詳しいことは分かりませんが、
よりどころにしているのは、北都市郷土資料館の資料です。
それによると明治時代になってからだということになります。
このことを裏付けるように、実は昨年の霊体祭の神楽の奉納が154回目だったので、154年前に始まったということになります。
これを計算してみると、廃藩地権や郵便制度、貨幣制度改革など、日本の近代化に向けた重要な改革が進められた明治4年にあたります。
ずいぶん歴史のあることだと思います。
神楽のお囃子「ヒャーロー」
ちょっとここで一息ついていただこうと思いますけれども、やはり皆さんに聴いていただきたい曲とすれば、神楽の林ですよね。
そうですね。ぜひ皆さんにも聴いていただき、それを味わってもらえればいいなと思います。
何という曲ですか?
ヒャーローという曲です。
ではお聴きください。
神楽の歴史と存続の要因
それにしても本当に歴史のある、長い歴史のある神楽なんですね。
はい、そうですね。しかし明治時代に急に神楽が始まったかというと、そうでもなさそうです。
調べてみると、北野天神社の神楽は江戸時代中期から後期にかけて始まり、約250年以上の歴史があると言い伝えられていることがわかりました。
そうなんですね。それが今まで、今日まで、途絶えることなく続いてきた歴史ということなんですね。
はい、そうなりますね。
それはやはりなみなみならぬ努力、それから大変なご苦労もあったんじゃないですか。
はい。まず第一に言えるのは、間違いなく地域の方々の理解や協力があり、保存会員の熱意があったからだと思っています。
最近のことで言えるのは、保存会ができることを考えてきたということです。
例えば、今から6年前の2020年、初めてコロナ感染が確認され、県内各地でいろいろ行事等が中止になりました。
しかし私たちの保存会は中止をせず、通常の奉納とは違い、規模を縮小したコロナ時期バージョンで奉納しました。
2人や4人が同時に舞う神楽は全て止めて、1人だけで舞う神楽を選び、しかも奉納する数をできるだけ少なくしました。
当時は、できないから止めるという考えではなくて、できないのなら何ができるのかを考えてみるという発想で取り組み、
コロナ禍であっても神楽奉納を土台させませんでした。
確かに、止めてしまったらそこで終わってしまうこともありますもんね。
そうですね。それはよく言われることですね。止めてしまうとそれを復活させるのは大変難しいということがよく言われております。
形は変えても続けていった。ここがすごく重要なポイントだったということですね。
そうですね。次につなげていくためには、たとえ細々であってもやり続けるということが大事だと思っております。
それと、会員を確保するのもなかなか大変なことだと思いますが。
会員の確保に努めることが、今日まで途絶えることなく続いてきたということにつながっていると思います。
保存会の組織体制と意思決定
現在、県内各地で人口減少や少子高齢化を背景に神楽の維持が課題になっています。
私たちの保存会も例外ではありません。
しかし、冒頭で触れたように、ここ数年で40代、50代の男性5人、女性3人、合計8人の新加入者がありました。
保存会の会員がそれなりに確保できていることも存続できている理由です。
組織の形としてはどういう形になっているのですか。体制ですね。
やはりこれも途絶えることがないということにつながっていくと思います。
過去の体制は会長と副会長の2人体制でした。
これを変更して、会長、副会長、そして4つの専門部、例えば総務担当、祭り担当、研修担当、育成担当などを設けて合議制を取り、役員は複数年勤めるようにしました。
これにより役員会では特定の視点に偏ることなく、全体的な状況を考慮した意思決定に基づいて長期的な取り組みが行われるので、奉納が続けられてきていると思います。
数々の努力と工夫があるということですよね。そして、演目はたくさんあるとお伺いしていますけれども、その中で特に大切にされているものはありますか。
はい。漢字で書くと大きな蛇と書きますが、大蛇舞という演目です。これは、スサノオの御事がヤマタノオロチ大事を表現した舞です。
お面は残っていたのですが、ここ数十年舞は受け継がれてきていませんでした。そこで4年前に復活させようとしましたが、とても苦労しました。
そこで舞は以前舞ったことがある人の記憶を頼りにしました。また衣装が全くなかったので、ヤマタノオロチをイメージして、会員などが手作りで何日間もかけてやっと完成させました。
今のように動画で残っていたりとか、文字で残っていたりとか、そういったものはなかったわけですよね。
演目「大蛇舞」の復活
そうですね。やはり当時を思い出してもらい、先輩の方々からアドバイスを受けたりして復活することができました。
今はもうしっかり大蛇舞というものを皆様の前で奉納できる形になっているということなんですね。
見事な舞だと思っております。
では、この続きはまた次週お伺いしたいと思いますので、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
北東前へ
この番組は北都市の提供でお送りしました。
14:30

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