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こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
前回は、説明するっていうこと、説明責任ってあったりなかったりするよねっていう話をしたんですけども、
僕が人生の中でやりたいことの一つに、説明するっていうのはあるんですよね。
説明するっていうか、断片的なものの社会学っていう本の中で岸さんっていう人が書いてて、
あの人は文章がとても上手で、僕は好きなんですけども、
彼は社会学のフィールドで、いわゆる歴史に残らない人たちの、民衆の、死生の人たちの語りみたいなものをフィールドワークの対象にしていて、
その中で、隠されてないけど隠れているものみたいな概念というか言い回しをしてて、
僕はそれすごいいいなと思ったんですけど、
やりたいことっていうのは、隠されてはないけど隠れているものの魅力を発見したときに、
それがいいよって言うみたいな。
これすごい良かったよみたいなことを言うっていうのは、自分がやりたいなって思っているコツの一つで、
下北で新聞を作ったりとかラジオをやったりとかってやってるのも、
別にメジャーデビューしてるすごい人っていうわけじゃないけど、
この人考えてること面白いなとかっていうのを世に出すっていうか、
他の人に喋るみたいな語りの連鎖っていうか、ある種の民間伝承というか噂話というか、
そういうものにすごい関心があって、活動しているというかやってるんですけども、
このある種他の人が聞かなかったら喋らなかったものみたいなものを聞き出せたときに、
それを編集にしたりとか、編集して新聞にしたりとかラジオにしたりとかっていうのをやりたいなと思ってるんですけど、
今回は急にラジオっぽくなったけど、
他社によって説明されるっていうことの危うさみたいなのも難しい問題だなと思ったりとかして、
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みたいな話をしようかなと思ったんですけど、別に何かがあるわけでもなく、
実際にその新聞を作るってなったときに、
その新聞って言っても、新聞の説明は全然してないんですけど、
友達がやってるバーがあって、そこは日替わりで店長が交代していって、
いろんな俳優とかミュージシャンとかがぐるぐるぐるぐる、20代、30代くらいの人たちで回してるんですけど、
その人たちの活動とか創作物とか、プロジェクトの経過とかを、
新聞という形で身近な人に手渡しできればいいなと思って、編集長としてやってるんですけど、
その編集をするときに、その人のことを代弁するんですよ。
この人はこういう人間だとか、プロフィールをもらって、
ある意味普段プロフィール分持ってないよっていう人から、
あなたはどういう人ですみたいなのを仮固定したものを外に出したりするんですけど、
それってある種暴力的な行為だなと思うんですよね。
本当は説明責任なんてないって思ってるはずなんだけど、
自分のエゴによって、僕がこの人の活動とかこの人が考えてるもの、
この人の創作物を外に出したいって思ったときに、
それだけだと伝わらないっていうか、
一人ごとの集合みたいな感じになっちゃうから、
ある種パッケージングして、人に届けようとする努力をしたりするんですけど、
人によってその人が規定されてしまうっていうことの、
暴力性っていうのは常に向き合わなきゃいけないものかなとは思いつつ、
とはいえ、自分が何かを発信するとか発言するっていう立場になったときに、
自分の言ってることが曲解されたりとか、
自分はそんなこと言ってないのになみたいなことが広がってしまうみたいなことに関しては、
何か受け入れないといけないのかなっていうのを思ったりしますね。
前の回で話した、ずれとか履適なるものみたいなものと通じる話でもあるんですけど、
やっぱり自分が話してることっていうのは、
誰かから聞いた話だったりとか、どこかで読んだ話だったりとかっていうもの、
言葉っていうものそのものが、
いわゆる真似だし、他の人の言葉で自分ができてるなと思うんですよね。
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どんだけ自分が自分の言葉を喋ってると思ってたとしたって、
言葉そのものが自分の認識を作るものだし、
世界の見方そのものを作るOSみたいなもんだから、
本当の意味での自分の言葉っていうのはないわけですよね。
本当の意味で自分を知ってもらうとかもできない中で、
自分が話してること、自分が書いたことみたいなものは、
当然自分の手を離れて外に出たら別の解釈をされてしまうんですけども、
それは仕方がないと。
あんまり詳しくないけど、作者の詩みたいな言い方もされるけど、
意図から離れ、作者っていうもの、何かを作る人っていうのも
別に作品のことをすべて理解してるわけじゃないし、
話してる内容っていうのも本当に自分の意図の通りだったりしないってことが
往々にしてあって、実際にこうやって話してても、
何か計画立てて話してるわけでもなければ、
当然出現みたいなものだったりとか、
こんなこと言うつもりもなかったのになーみたいなやつが
本当に連続してポンポン出ちゃうと。
そういうものが他の人に伝わるときに曲がってしまうっていうのはね、
これは面白いことだなと僕は思ってて。
麻妻裕樹とか五輩とかっていう言葉を使ったりとかするけど、
麻妻裕樹じゃないのかなあれは。
もともとは誰だろう。
でも五輩、誤って配達されるっていう意味の五輩っていうのはすごい、
擁護すべきものだなと思ったりとかしてて。
これ何の話をしたんだっけな。
説明じゃなくて。
なんだっけ。忘れちゃった。
五輩っていうのはね、一つのキーワード、面白いキーワードだなと思ってます。
柳田邦夫って民族学の創始者がいるんだけど、
その人が岩手県の東野っていう山奥に行って、
民間伝承を色々知ってる佐々木紀善っていう青年と会って、
古い昔話を色々聞くみたいなのを集めた、
東野物語、山の人生っていう本があるんですけど、
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それとか聞いてると、
東野っていう村の周囲に山があって、
そこにまつわる妖怪の話だったりとか、
すごい機械な伝承がたくさん残されてるから、
それを残したっていうやつなんですけど、
妖怪って存在しない生物だけど、
話が伝わって伝わって、
結局、まか不思議なもの、理解できないものを、
妖怪の仕業にしたりだったりとか、
自分たちのコミュニティの外の人間ってやっぱり怖いっていうか、
昔、学生の時とか思い出すと、
隣の学校の人たちって怖いなみたいな、
ってあったりした気がするけど、
そういうのを見て、鬼みたいな顔をしていたみたいな、
そういうのが広がっていって、
実際に鬼が出来上がるというか、天狗が出来上がったりとか、
妖怪が山馬みたいなのが出来上がるとか、
そういう、めちゃくちゃ正確じゃない話で申し訳ないんですけど、
そういう、なんていうんだろうな、
誤配が、要は伝言ゲームがミスにミスって、
なんか、事実がねじ曲げられていくみたいなのがね、
すごい人間っぽくて、
面白いなと思いますね。
本当に何のテーマを元に話そうと思ったか忘れちゃったけども、
こんな感じで、
伝達っていうのは難しいけども、
あっちゃこっちゃ言って、
根も葉もない話が広がっていくっていうのが、
マルチバースな世界な感じがして、
面白いですよねっていうお話でした。
ありがとうございました。