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歩くことについて語るときに僕の語ること
2026-03-27 12:17

歩くことについて語るときに僕の語ること

歩くことについて。歩くのは楽しいよね。人生だよねー🚶
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00:07
こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
こういうのはね、何回か連続でやらないと、感覚がつかめないと思うんで、
早速、しゃべってみたいなと思うんですけど、
しゃべってみたいっていうほどね、
言いたいことがあるぞっていう感じじゃないんですけど、
とにかく、やっぱこのコンセプトは歩くみたいなことを徘徊するみたいなところがあって、
ほかひびとっていうのが漂泊するみたいな感じなんで、
一旦そんな感じのテンションでいいかなと思うんですけども、
歩くのがね、僕は好きなんですけど、
それが何でだろうって思ったときに、
思ったのが、小学校の時から一番、
学区ってあるじゃないですか、
校区、校区内みたいな、校区外みたいな言い方あったんですけど、
僕の宮崎の地元は、
その学校で一番家が遠くて、
登校班とかその当時はあって、
みんな近くの人たちと一緒に歩いていくんですけど、
僕はその班が途中から組めないっていうか、
帰るときもみんながバーって、
それぞれチリチリに家に帰っていくときに、
バイバイって言って最終一人になるみたいな、
そっからがさらに長いみたいな感じだったんで、
なんか一人で歩くのがね、すごい好きだったんですよね。
あれ?敬語で喋ってたっけ?
いや、一旦敬語にしましょう。
みたいな、そんな言ってもね、
幼少期から歩くのが好きだったなぐらいの話なんですけども、
夜中に一人で歩くっていうのは本当によくてね、
これだけは欠かさず続けているっていう感じがあって、
ほとんどなんか病気ぐらいな感じでやっちゃうんで、
多分好きなんだろうなぁと思ってます。
歩き方もいろいろあって、
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昔だったらあの電柱から電柱まで、
息を止めながら歩くとか、
白線の上を歩くとかベタなこともしてたし、
目をつぶりながら歩くとかね、
自分目悪いんですけど、
今のコンタクトを外して歩くとめっちゃ綺麗っていうのがあったりとかして、
本当に視力が0.01ぐらいなんで、
しかも乱視なんで、
夜中に一人で歩いてると信号の光とかバーってでっかい花火みたいに見えるのがすごい楽しくて、
完全に不審者なんですけども、
相手から見られてることもこっちは見えないからまあいいだろうっていう感じで、
大人になってからもよく歩きますね。
歩くタイプの人って分かるっていうか、
こいつ歩き人だな、お買い人だなみたいな感じの人って分かるんですけど、
まあ人によっては巡礼的なね、
どこかに向かって歩くみたいなトレッキングとか、
アメリカの西海岸で縦断するみたいなタイプの人は目的地が決まっててそこに向かってずっと歩くみたいな、
それはそれでトランス状態になっていくような甲骨みたいなのもあって、
自分もフルマラソンとか走ってたことあるから、
どこかに向かって歩くっていう単純な行為の中で醸成されていく、
ある種のハイみたいな感覚っていうのはすごい分かるんですけども、
個人的には行ったり来たりっていうのは前回と同じ状態っていうのはあって、
仲良い友達とは一緒に歩いたりとかするっていうのもあって、
これは島田信介が言ってたんですけど、
会話のペースみたいなの、漫才で会話のペースみたいなのを掴むには歩きながら練習しろみたいなことを言ってて、
その感じすごい分かるなっていうのを思いましたね。
泊まって喋るっていうよりは、どちらかというとちょっと散歩しないって言って、
話し始めると会話が同期してくるというか、
お幅も合わせないと一緒に歩けないから、
どこかでテンションっていうのもシンクロしていく感じが、
人と歩くのは好きですね。
僕が大学がニューヨークで美術史を勉強してて、
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大学自体は全然北の方にあったから、
グランドセントラルっていう42ストリートから、
チャイナタウンの方まで、
言っても分からない人には分からないと思いますけど、
結構な距離を歩いたりするときに、
ニューヨークって5番の目上に街が広く整理されてるから、
それを網田くじみたいにくねくねしながら歩くのが好きで、
この道だったら、このストリート、縦がアベニューで横がストリートなんですけど、
アベニューを南に下っていくときに、
ここは5番街、5th Avenueを歩くのが気持ちくて、
ここは曲がって別のアベニューを歩くと気持ちくて、
双方の辺りでは別の場所に、全然名前を思い出さなくなっちゃったけど、
行くと気持ちくて、下の方に下がっていくとうねうねしていくみたいなのを、
ガーッとなんかするのがすごい好きでしたね。
個人的にはニューヨークみたいな、グリッド状になってる街っていうのも、
嫌いじゃないっていうか、もともと前東京の東の方、
いわゆる大江戸って言われる両木とか錦糸町とかあの辺り住んでましたけど、
あの辺は長屋があるから、結構長屋があった場所。
だから区画がね、グリッド状になってて、
なんとなく思考、頭の考え心地とかが進んでいくときに、
土地がメモリーになる感じで、
これぐらい思考が進んだなみたいな感覚が面白かったりとかして、
それも好きなんですけど、今僕が住んでるあたりは下北沢のあたりで、
この辺は多分空襲の影響とか受けてないから、
もともとの古い曲がりくねった路地とかが残ってて、
ウネウネしてる感じで、それはそれで好きなんですよね。
友達と一緒に歩いてるときに楽しいのは、
こう、なんていうか、記憶ってその場所にひも付いたりとかするから、
この話を捨てたときにここ歩いたなみたいなのを思い出したりとかするんですよ。
そういうときに、要は話の切り替わり、
友達との話の話題が一回ふーって一息ついて切り替わったタイミングで、
こう、ぬるっと道を曲がってみるみたいなことをして、
また新しい会話が始まって、ある程度一段落したなみたいな、
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段落が変わったなみたいな、章が変わったなみたいなタイミングで、
ちょっと思い切って曲がってみるみたいなことをすると、
都市の空間の中に、なんかこう、話、いわゆる対話のログ、
いわゆる、言葉のつけ方かしら、対話のログがマッピングされるんですよね。
これは僕は個人的に、誰も言ってないけど、面白いなと思ってて、
語りっていうもの、対話っていうものが直線上に進んでいくしかない。
言葉ってそういうもんですけども、
そういえばメッセージって、SFの映画ではそういう感じじゃなかったな。
言葉がリニアで進むっていうか、今の人間からしたらそうですけど、
それを平面空間にマッピングすることができるっていうのが、
この歩行法で、友達と一緒に歩きながら話題が変わったらヒュッと曲がって、
で、なんとなくどこで何を話したかっていうのが地図上で可視化される。
頭の中のマップ上で、後で振り返った時に、
ここ歩いた時ってこんな話してたなみたいなのを思い返すっていうのがオツで、
僕の楽しみなんですよね。
当然、同じ場所をぐるぐるぐるぐるぐる歩く友達とかがいたら、
街の記憶っていうのは塗り替えられていくんだけど、
そういうのが作装して、しゃべりながらポッと、
前ここで話してたのって思い出したんだけど、みたいなアイディアが生まれたりとかして。
結局、歩くっていうこととかっていうのは、
常に自分の位置が切り替わっていくっていうか、現在が進行しているっていうのを肌で感じる行為だから、
会話っていうものとすごい似てるなって感じがあって、
それは多分人間関係とも似てるんだろうけど。
大丈夫か、こんな話できない姿勢でよく分かんないな。
ダメだ、最初に言われた教えは守れてない。
2分とかでいいって言われてたんですけど、もう急遽ここで終わります。
歩くことに関する話でした。
実際今歩きながらしゃべってるからね。
ちょっと息が上がっちゃったりとかして。
この肯定さがある街を歩くっていうのもね、いろいろ話したいことはあるんですけども。
一旦、意味のない切断っていうのが人間には必要だと思うので、ここでやめます。
12:10
じゃあね。
12:17

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