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パートナーと制作をすること、二重関係について
2026-03-29 21:02

パートナーと制作をすること、二重関係について

二重関係
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00:07
こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
本業は、アートのディレクションなどをしているんですけども、
七戸北沢を拠点に、コミュニティ運営などもしています。
御元社や創作をする人と一緒に新聞を作ったりしています。
悩みっていうのはね、好きなんですよね。
まあ悩むのは割と好きなんですけれども、
友達の話でね、
友達が一緒にパートナーと制作していると。
何かを制作しているらしいんですけど、
制作をしているときの二重の関係と、
恋人同士での二重の関係がないまぜになっちゃうのはね、
大変だみたいな感じで、
そのお友達の人はね、男の人なんですけども、
そのパートナーの方から困ったよっていうね、
どっちなんだいっていうことを言われちゃったっていう話をしてて、
悲しいねって思いましたね。
これはね、僕からアドバイスできることがあるとしたら、
二重関係っていうのはね、下げたほうがいいっていうことを言われていて、
例えば一緒に制作をしますよっていう関係性と、
パートナーの関係性っていうのはね、質が違うんですよね。
その質が違う関係っていうのを、
同じ空間に、同じ場所っていうか、
両者にね、二重に持ち合っちゃうと、
まあ難しいことが多いですよっていうねことは、
一般論として言わせていただきたいなと思うんですけれども、
まあこれは難しい問題でね、
僕がね、下北沢拠点に、
割と顔見知りの人たちが多いコミュニティというか、
ある種の共同体みたいなね、
ちょっと大げさな言葉を使うと、みたいなのがあって、
03:01
まあそれは、一つはバーっていう場所があったりとか、
あとコワーキングスペース兼イベントスペースみたいなのが、
下北沢に二つあって、
で、どっちにも関わったりとかするんで、
そこで音楽のイベントをしたり、
一緒に、オープンマイクっていうね、
それについてはちょっと後で、後というかいずれ話しますけれども、
イベントをしたりとか、
毎日日替わりで店番が変わるバーっていうのがあったりとかするんで、
だいたい顔なじみになってきて、
そこでいろんな表現者がいて、
俳優やってる人もいれば、映画撮ってる人もいれば、
コメディーやってる人もいれば、
音楽やってる人もいるみたいな感じで、
まあ当然、男女も入り乱れて、
なんかそんな君図ほぶれつという意味じゃなくて、
いっぱいいますよという話なんですけれども、
みたいな感じになると、
どうしてもやっぱり人が集まると、
関係性っていうのはダブってきたりとかしちゃって、
あれみたいな、この人たちお友達だったはずなのに、
いろいろあったりとかして、
まあめんどくさいんですけど、
大学生とかだとね、よく会ったりとかすると思うんですけど、
お世話になってもそれやんのかよみたいな、
まあそういうのはね、
職場とかでも絶対あるっていうか、
大きい会社だったりとかするとあるとは思うんですけれども、
応援にして言われてるのが、
応援にして言われてる?
応援にして、上司・部下の関係の中に恋愛関係が入ったりとか、
友達の関係の中に仕事っていう関係が入ったりとかするっていうのはね、
集団っていうものを作る上ではね、
ちょっとこう、どうしようもなく発生してしまうもので、
で、いわゆる会社とか仕事とかだと、
そこのプライベートと、
要は社会人っていうのはね、
社会人の生活っていうのは切り分けて考えるべきだっていうのが、
割とマジョリティというか、
まあまあそういうことを言う人も多いのかなとは思うんですけど、
とはいえ、
ノミュニケーションみたいなのがあるように、
それこそZoomとかオンラインリモート会議って、
生産性、結局落ちるよねみたいなことが、
一周回って言われてるように、
なんかこう、もっとパーソナルな部分を握った方が、
人間としてね、
接しやすいっていうのがあるんですよ。
でも、
その定義関係があったりとかする中で、
友達には、
なるのは難しい。
それは一種の二重関係で、
難しいっていうのは一般的に言われてて、
そこをね、どうするのかっていうのはね、
06:02
結構大きな課題だと僕は思ってるんですよね。
だから、
パートナーと一緒に制作する、
で、生活もある、
仕事もあるみたいなのっていうのはね、
僕の友達の例で言うと、
それは彼と彼女が対処しなきゃいけない問題だなとは思うんですけれども、
僕個人で言うとね、
今、下北で一緒になんかやろうって言ってる人たちは、
みんな友達なわけです。
友達とかね、
年下の子だったら後輩っていうか、
後輩っていう感じでも、
個人的にはないけど、
とはいえ相手からしたら、
年齢が上だと先輩ってなるわけだし、
自分より年上の人はどうやって先輩になったりとかすると。
って中で、仕事も違うし、
食能も違うし、
昼も、経歴も違う人たちが、
一緒に何かをしようっていうのはまあ難しくて、
それも会社っていうよりは、
もっと有志で集まっている団体みたいなところがあるんで、
どうしてもね、
そこはね、悩みの種ですね。
で、表現とか創作をする人がたくさんいるんで、
NPO法人を作ろうっていう話が去年になって、
で、実際にいろんな人の尽力でNPO法人ができたんですけども、
それもね、運営するってなると、
コミットメントが必要なわけで、
そこには仕事と同じように責任がつきまといわけですよ。
でも、まあ友達だからっていう感じのノリでやってると、
なんか、こんなんじゃうまくいかねえよって言って、
出てっちゃう人がいたりとか、
まあまあまあ、いろんな問題がありましてね。
二重関係っていうのにこれは帰結すると思っていて、
役割の違うものっていうのを関係者の中に持ち込むっていうのは、
問題がつきまとうと。
さっきからちょっとこれを繰り返してるんですけど、
二重関係って言葉は結構大事で、
人と、
人っていうのはね、前にもちょっと言ったけど、
アイデンティティがあって、
この人はこういう人みたいなのを切り取って、
接してるっていうか見てるわけだけど、
実際その人が家に帰ってどういう振る舞いをしてるかとか、
パートナーの前でどういう振る舞いをしてるかって分かんないじゃないですか。
そういうのは平野圭一郎っていう作家が文人主義って言ってて、
人間はいろんな文人を持ってると。
これ分ける人って書いて。
09:01
だから自分らしさとかっていう一つのアイデンティティを
探そうとするんじゃなくて、
その人といる時に立ち上がる自分っていうのを
見つめていけばいいと。
で、この人といる時の自分は自分らしくないなって思うんだったら、
そういう人といる時間を減らしたりとかして、
自分の中の文人のパーセンテージをコントロールして、
家族といる時の自分が月に一回出てくるけど、
この自分は好きだなみたいなのだったら、
なんか大事にするしみたいなのをこう、
ある種ポートフォリオみたいに抱えていくっていう生き方みたいなのを
提唱してるんですけど、
この文人っていうのもね、
もうちょっと
勧めるのは難しくて、
例えば、
パートナーと一緒にいる時の自分みたいなのがあって、
それが例えば第三者というパートナーと一緒にいる時みたいになると、
また様相が変わってきたりとかするじゃないですか。
それで、
本当にフランクにコミュニケーションを取って
いつも通り変わんないっていう人もいれば、
なんかこう、グッて、
なんだろうな、また身構えちゃうとかね。
年齢差があったりとかすると、
年齢差。
例えば3人、4人とかって、
ある種ソーシャルな場が生まれていく中で、
人見知りするなみたいになると、
当然自分らしくはいられなくなるみたいな、
微妙な起伏があったりとかして、
文人っていうのは、
かなりこの人といる時は楽しいけど、
この人と、
Aさんといる時は楽しいけど、
AさんとBさんとCさんが一緒にいる時は、
微妙みたいなのって全然あって、
前に、
一人一人とはめっちゃ仲いい友達同士で、
なんか麻雀に行ったんですよ。
Aさんは好き、Bさんは好き、
Cさんのことも好きなはずなのに、
Aさん、Bさん、Cさんが同時に集まっている中に、
僕がいると、
なんか微妙みたいな、
不思議な現象が起きて、
なんかね、
不思議とそういうのってあるじゃないですか。
会社とかで、
上司と商談に行くみたいな時に、
なんか自分が言ったことがこう、
なんか、
空回りする感じに回収されたりとかして、
うわぁ、みたいな、
なることがあったりとか、
この人って生き生きしてるけど、
あの人と一緒にいる時はなんか、
自分信者業でみたいなのがあったりとか、
結構難しいバランスで成り立ってるんですよ。
これなんで文人の話をし始めたかというと、
結局この二重関係っていうのは、
これまとまってない中で話してるから、
12:00
なんともあれなんですけど、
僕が今日本当に思ったんですよ。
二重関係っていうのは、
起こってしまうと。
一般的には二重関係を避けろって言うんだけれども、
共同性とか、
ある種、
肩書きで切り分けたりとかしない、
この人は、
なんかこういうところもあるけど、
いい奴だからみたいなね。
江戸時代っぽい、
情のある社会みたいなのを作るためには、
絶対にその二重関係と浮き上がらなきゃいけないと。
ましてや、
もっと言うと、
二重関係どころか、
多重関係みたいなね。
この人は恋人でもあり、
違うな。
この人とこの人は恋人で、
この人とこの人は友達で、
仕事の関係でもあってみたいなのが、
密に繋がっているっていうものが、
言ったら昔の村社会みたいなもんだと思ってて、
そういうものが、
めちゃくちゃ面倒くさいから、
都市は、
都市っていうのは、
もっと切り離されていくわけですよね。
すごい思想的なゾーンに入ってしまってるけど、
僕が向き合いたいものでもあって、
ある種の分断みたいなものだったりとか、
向き合うとか、
関係が違う人、
関係が違うじゃない、
立場が違う人と同居するたびには、
やっぱり肩書きとはまた別のところで、
関係性を築いていかなきゃいけないみたいな、
感覚があって、
ってなると絶対に、
課題になっていくのが二重関係。
っていうこと、
やばい、まとめようとして、
全然まとまってないんですけど、
やめたくなってますね。
どうしようかな。
でも文人、
文人っていうのも、
ものすごい繊細なグラデーションがあると、
なんなら昨日と今日の自分は違う、
ぐらいのレベルで、
グラデーションがある中で、
二重関係を避けろだけ言うのは、
あまりにも投げありっていうか、
本当に分かんないけど、
すごい対処療法的だなと思ってて、
っていうよりは、
二重関係大前提、
多重関係大前提な上で、
上でどれぐらいそのバランス、
今は仕事として頼んでいるとか、
今は友達として喋っているとか、
お互いの中で、
客観的に言語化するでも、
無意識にコンセンサスを得ているでも、
15:03
擦り合わせていくっていうのが必要だと思うんですよね。
やっと結論が出そうだ。
その上で大事なのが、
儀式を持ち込むっていうことだなと思ってて、
言ってみれば、
自分が他の人と話す時に、
今は上司として喋っています。
今は友達として喋っています。
今は恋人として喋っています。
みたいなのをパッパッパッパって切り替えるのって、
結構難しいと思うし、
自分が切り替えたからといって、
相手も同じように、
そのタイミングで切り替えてくれるかって、
難しいと思うんですよ。
ってなったら、
例えば、恋人と一緒にいる時間っていうのを、
もう他の関係性とは切り離した状態で、
儀式的に行うっていうのを、
例えば月に一回ご飯食べに行こうとか、
毎週電話しようとか、
そういうことなのかもしれないし、
友達だとしても、
仕事関係だとしても、
2週間に一回は飲みに行こうよとか、
そういうものが必要だなと思って、
これ何でそう思うかっていうと、
そもそも、
要は、
関係性とか、
仕事みたいな、
ものっていうのは、
やっぱり目的っていうものとか、
家族、
子孫を反映させるとか、
っていう、
一つの契約のもとに成り立ってるわけですよ。
本来は別に、
友達は友達とかっていう契約って必要ないし、
人は本当に一人で生きて一人で死ぬ、
みたいなことなのに、
そこにあえて、
関係性の契約を持ち込むっていうのは、
目的があると。
その目的みたいなものは、
窮屈な関係なんですよ、
本来の人間の、あれからしたら。
だから、
古代から人間っていうのは、
祭りっていう、
奮励行の場っていうのを設けることによって、
一旦、
全ての関係性を剥ぎ取るっていう、
ものすごく、
カオスな時間っていうのが、
人間の中に、
根本みたいなものにあるよっていう、
カオスなものがあるよっていうのを、
確認する時間っていうのをね、
定期的に取ってたと思うんですよ。
そういう、
共同性っていうものには必ず、
その、
その共同体の息苦しさを解放させる祭りっていうのが必要で、
祝祭だったりとか、
儀礼が必要なんですよね、儀礼。
それは、
年に1回の何かでもいいし、
月に1回の何かみたいなのでもいいし、
ある種の、
18:01
儀式的に確認する時間みたいな。
基本的には、
人間、コミュニケーションっていうのを、
ある種の演技性っていうか、
演劇性で成り立っているものを、
自分自身でやってる部分があるんで、
この人は友達と接してしようと、
ショートコントサラリーマンつって、
会社行くみたいな。
そういう、
なんか無意識の演劇、
役になりきるみたいな、
ところでやってるものを、
はい、恋人、はい、友達、はい、上司、はい、恋人、
みたいな、戻したりとかするのって、
結構難しい。
それを、その、
お互いの間でやんなきゃいけないっていうことが、
難しいので、
その都度に、客観的に、
今このモードねっていうお話をするんじゃなくて、
時間とか、
なんか行事とかで区切って、
ある種メモリアルなものとして、
儀式を持ち込むっていうのが、
その、
なんか関係の、
二重関係っていうものを、
克服していく、
方法論なのかなっていうのは、
思いますね。
これは、
なんかちょっと熱くなっちゃったっていうか、
あれだな、
あの、熱苦しくなっちゃったかな。
けど、
まあまあ別にいいんですけどね、
その、要は、
Uber Eatsで来た人と友達になったりとかするのがいいっていう、
そういう社会でも別にないし、
別にいいんですけど、その、
けど、
まあ、個人的にはね、
家の、
まあまあまあ、なんかそういう、
なんていうんだろうな、
お互い顔を見つけて、
みたいなやつも、
まあノスタルジーなのかもしれないけど、
憧れはあると。
まあでもそういう共同性みたいなものを、
培っていく度には、
まあ心理学的には避けなければならないという、
二重関係っていうのが必ず持ち込まれてしまうと。
それは、恋人だろうが、
友達だろうが、仕事だろうが、
NPOのやつだろうが、
必ず関わってくるんですよ。
でも、
その、克服するためには、
儀礼っていうのを、
設ける必要があって、
祭りっていうのは設ける必要があって、
その関係性が、
本来は、
虚構のものですよっていうものを、
確認する時間が必要で、
まああるいは、
その関係性っていうのは、
もともとこういうものでしたよねとか、
こっちの関係性もありましたよねっていうのを
確認する時間が必要だっていう、
あって、
みたいなね。
なんか、これラジオじゃないな。
何なんだこれは。
ちょっと誰か教えてください。
でもちょっと、
まあ割と生活の中からね、
気になって考えたことなんで、
ちょっと喋ってみました。
ありがとうございました。
21:02

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