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2023-12-07 38:58

夜鷹な雑。おふたりの訃報に触れこころ痛む日と感謝の思い。

《雑談のおしながき》
0:00〜
名代 富士そばの正しい読み方ご存知?

6:00〜
音楽プロデューサー佐藤剛さんの訃報を知る

18:00〜
SNSに流れてくるお悔やみの言葉の役割を改める

24:00〜
チバユウスケが亡くなり
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの曲に
初めて触れてみる

29:00〜
自分にとってバウンドサウンドは書籍のよう

35:00〜
邦楽ぬ。にお付き合いいただいた方々に感謝です
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たまに、ご感想、お便り送ってあげてください
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感想

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00:03
こんばんは、こんばんは、こんばんは。
たちぐいそばは、こもろそば派です。
こもろそばの、あの、カリカリコウメ、あれがもう大好きで。
でね、このたちぐいそばでさ、今日衝撃なね、ことがあって、
あの、富士そばってあるでしょ?
富士そばって、どうなんだろう、全国的に富士そばってあるのかどうかわかんないけど、
関東圏、都内とかだと、富士そばってすごい多いんですね。
富士そばか、こもろそばか、あとはゆで太郎か、
この3つが、わりと都内のね、たちぐいそば屋では多くて、
で、今日その富士そばのね、話題が出たんだよね。
スタッフの子がさ、昨日はね、さっきあの、富士そばで済ませてきましたみたいな話をして、
ああ、もう富士そばな、明大富士そばうまいもんな、みたいな話をしたら、
いやあれ、読み方違いますよって言われて、
俺はさ、ずっと明大富士そばって思ってたりしたの。
そしたらね、なんとあれ、なだいって読むんだね。
なだい富士そば、いやたまげたわと思って。
打ち合わせが終わってさ、気になって調べてみると、
確かに富士そばは明大じゃないんだね。
なだい富士そばなんだよね。
このなだいっていう風に書く漢字の読み方って3種類あって、
1つが明大、で、なだい、あとなしろっていうね、この3つの読み方があるんだよ。
でも、若い子たちは、わりと明大っていう風に読んでいる人がアンケートを取ると、
意外に多くね、明大って読んでる人が1位だったりしたんだよね。
もうそれはそもそもちょっと、カルシウムとか取らないとダメなんじゃないかとか思うんだけど、
で、その明大という漢字にさ、3つの意味があるっていうこともね、ちょっと知らなくて。
明大っていうのは、よく誰々の明大でみたいな話が出るときに、
まあ誰々の第二でっていうね、意味でこの明大という読み方で使うんだけど、
なだいっていうのは、その評判の高いこととか、名前をね、多くの人に知られているっていう、
そういうことをなだいって言うんだね。
だから藤そばの場合は、多くの人に知られたいっていう、
そういう思いから、なだい藤そばにしたというね、背景があるんだよね。
03:01
で、もう1つのこのなしろっていうのは、
大化の開始以前の皇族の私有部民、集団の名称というね、ことなんだね。
うーん、これは知らなかったね。
だから藤そばは、なだい藤そばだったというね、ことです。
こんばんは。
いつも立ち食いそば屋では、春菊の天ぷらにちくわの天ぷら、それに卵というね、
もう、かんすけ三天森をね、毎回頼みます。
立ち食いそばでね、おいしいのは、
うーんと、よく言ってたのはね、中野駅、JRであるとか、地下鉄がね、入っている、
中野駅のホームにある立ち食いそば屋と、
あと、うちの方にあるね、西笠駅にある立ち食いそば屋。
地下鉄の東西線のね、そこの立ち食いそば屋がうまいなぁ。
そんなに立ち食いそばマニアというほど食べ歩いているわけではないんだけど、
いろいろ食べた中では、この2つがおいしいね。
あと、品川駅の中にある立ち食いそばも、ほどよくおいしい。
すげーうまいかっていうと、すげーまではいかないんだけど、ほどよくおいしいっていう感じだね。
あと、チェーン店系では、やっぱりゆで太郎がおいしいのかなぁ。
なんか、自分のところで売ってるでしょ、一応。
それがあってね、好きですね。
だいたいさ、その食欲が落ちる夏にね、昼とかさ、そば屋に行くと、もうおっさんしかいないよね。
もう胃腸が弱っちゃって、ちょっと肉食えませんみたいな。
そういうおじさまがね、夏のああいうそば屋にはね、めちゃくちゃに多い。
ほんとにおっさん、おっさん集しかしてないんだよ、夏のそば屋って。
だから、まあ俺もね、そういうふうにそば屋に行ってね、食べてるわけだから。
でも俺はそば屋に行っても、単にザルとかね、森とかさ、そこら辺を食べてるわけじゃないよ。
もう必ずセット。
なんか、よく行ってたところはね、親子丼セットがあるんだよ。
親子丼にザルがね、セットのやつがあって、それを食べてた。
そばはいいよね。
まあまたこうやってさ、話したいことを避けるようにさ、そばの話をしていくと、そばの話で終わってしまうから。
今日もね、いろいろ話したいんだけど。
あの、ほうがくぬのツイッターのアカウントにさ、通知があってね、まる1みたいな。
06:04
そんなふうにさ、表示されていたから、久しぶりにログインしたんでね。
で、いろいろね、フォローさせていただいてる方のタイムラインをね、眺めていて。
あーなんかみんな元気だなみたいな。
なんか生存確認をするかのようにさ、タイムラインをね、眺めていたりしたんだけど。
でも以前ログインしたときにはね、タイムラインでよく見ていた方の名前が、こうたどっていってもね、なかなかないからさ、どうされてるのかなと思って。
フォローのね、リストのほうからさ、そのちょっと気になる人のツイートをさ、見ていく中で、
以前山下達郎のね、トークをあげたときに、それを聞いていただいて、
ツイッターでいい話を聞かせてもらっていますということで、ツイートしてくれた方がいたんだね。
その方が佐藤豪さんという方で、この方は音楽のプロデューサーで、有名なところだと海バンドのね、
マネージャーをされていたりとか、その後もいろんな音楽のプロデューサーをされたり、
最近だと星野源のね、NHKの言い手でだったかな、音楽番組があって、
星野源が自分が影響を受けた音楽を紹介するっていうね、そういうコンセプトの番組があるんだけど、
そこの中で人形が出てくるんだよね。音楽の解説員として人形が出てくるんだけど、
その一人の声を演じているのが佐藤豪さんだったりもね、したんだよね。
で、佐藤豪さんがそんな風に共有していただいて、
お礼のリツイートさせていただいたらありがとうございますということで、
仲間が増えた気がしていますのでよろしくお願いしますという風に返事をいただいたりしたんだよね。
こういう音楽業界の方と、こういう俺自身が音楽の話をしていながら、
こういう風に繋がるっていうことはたまにあって、そのために嬉しい思いになるんだけども、
こういう音楽プロデューサーの方が聴いていただいたっていう風にツイートをしていただくのは初めてでさ、
すごい記憶に残っていてね、その後もフォローしていただいて、
佐藤さんのツイートというものはログイン頻繁にしていたときはよく目にしていたりはしたんだけど、
今回久しぶりにログインして、佐藤さんのツイッターを眺めていると、
今年の6月の20日、亡くなられていたんだよね。大腸がずっと患われていて、
09:04
それで今年の6月にという、そういうご家族からのツイートを見て、
そうかという残念な思いと、やっぱり痛みだな、同じように痛みがあったね。
で、佐藤さんと俺が繋がるっていうのはこの一点だけでしかないんだよ。
たまたま俺が話しているものを佐藤さんが聞いて、それでいい話を聞かせてもらっているという風にツイートしていただいて、
それに気づいて返事をしてお礼をもらってという、本当に通りすがりで一言二言言葉を交わした、
それだけでしかないのかもしれないんだけど、でも俺にとってはものすごい嬉しい出来事で、
何気にやっぱり時々自慢したりはするんだね、自分の知り合いとかにね。
俺の自分自身の知り合いには自分がこういう風に音声配信をやっているっていうのは話していないんだけど、
でも前にね、そのツイッターでこういう方にっていうさ、そういう話は時々するんだよね。
だからそれほど俺にとっては嬉しい出来事で、そんな一瞬とはいえね、
言葉を交わさせていただいてた方がこうして亡くなったということ、
それを約半年ぐらい経ってさ、こういう風に知ったという、
自分に対しての残念さというのかな、そういうことさえも気づけずに過ごしていたという、
なんか自分のこの愚かさというのかな、そういう大事なことに気づけないままにというのが、
なかなか自分自身が残念なことなんだなっていう風に思うのと、
俺のその配信を聞いてくれた日というのは、去年の9月なんだよね。
だから去年の9月で亡くなられたのが今年の6月だから、
もう多分去年の時点では大腸がんと戦っていた、そういう時間だと思うんだよね。
12:02
その時に、この俺のどうしようもない話を聞いていただいていたっていう、
その方がいなくなってしまったという、やっぱり痛みなんだね。
だからそこで思うのが、こういう風に何かを発信していれば、
どこかの誰かにたどり着くことがあって、
それがそんな風にツイートしていただいたりして、
言葉を届けてくれたりすると素直に嬉しいし、
こういう自分自身は自分の好き勝手に配信をしているだけにも関わらずさ、
こうやって聞いてくれている人がいるということに、
ものすごい嬉しいとか喜びを感じるんだよね。
だからこういうほんの一瞬のツイッターという場所でもあるんだけども、
わずかに一言二言声をかけていただいたり交わしただけで、
その方がこの世の中からいなくなってしまうというのって、
やっぱり痛いよね。
それぐらいの短いつながりであったとしても、
やっぱり痛みを感じるわけだからさ、
俺が本当に長きに渡ってつながっている人が亡くなったときの痛みって、
やっぱりそれ以上の痛みがあるんだよね。
だからなんだなという風に思うことがあって、
自分自身があんまり積極的にネットの中で人とのつながりを持たない、
構築しないっていうのは、そういうことであるからなんだなと思ったのが、
誰かが人とつながって、そこでまた深い縁ができていくでしょう。
その深い縁ができていけばいくほどさ、かけがえのない存在になっていくわけだよね。
でもそういうかけがえのない存在っていう人もさ、
必ず別れが来るし、終わりが来るわけだよね。
それは疎遠になっていくということもあるし、
もう一つは佐藤豪さんのように亡くなられて別れが来るということもあってさ、
この別れであるとか終わりが来るっていうね、
それが必ず来るっていうことが、それがなんかね、やっぱり怖いんだよね。
15:02
だから自分があまりにもその関係に入り込んでいくと、
その関係がやがて終わるものだから、だから深入りするのが怖いから、
距離を近づけない、詰めないっていう、
そういうことが振り返ると昔からあるなっていうことなんだよね。
だから自分自身が一人暮らしを始めたきっかけもそこにあってさ、
一つは同僚のやつがさ、一人立ちして仕事をバリバリやっている姿を見て、
いや俺は実家暮らしでね、甘えた官業でこの程度しかできないのかっていうそういう思いがあって、
一人暮らしを始めたのと、もう一つはやっぱりこのままずっと親のそばで暮らしていて、
親が死んだときにかなり立ち上がれないほどの状況に自分がなってしまうだろうなっていうものがあったんだよね。
だから親から一人立ちをすることで将来自分の親が亡くなっても一人で生きていけるっていう、
ある種のそういう旅行練習をするために一人暮らしを始めたっていう、この二つがあったりしたんだよね。
だからその時もやっぱりいつか必ず親は先に死ぬ、別れが来るっていうね。
それが怖いから前から準備をしておくっていうね、そういう思いがあったんだよね。
だからね、自分自身の中にはこういうふうに人と出会う喜びとか楽しさ、それ以上に深い関係を持つほど別れが来るし終わりが来るっていうね、
そっちの恐怖にずっと怯えてるんだなっていうね、それを持ったかな。
ただ今回ね、だいぶ時間が経過して佐藤豪さんが亡くなったという不法を知って、寂しいし痛いな。
ただずっとね、佐藤豪さんが触れた言葉で仲間が増えた気がしていますっていうね。
その言葉はね、ずっと自分の中に残り続けていくし、檻に触れてね、佐藤さんのことを思い出すんだろうなって思ったな。
本当に見つけていただいてありがとうございましたという思いしかないな。
18:08
毎回ね、自分が通ってきたミュージシャンであるとか、有名人であるとか、そういう方たちが亡くなると、
SNSを見るとさ、いろんなファンの人たちの思いの言葉がツイートされたり、またテレビとかああいうものでもツイートを番組っていうものがあってさ。
今回、佐藤さんの亡くなったというご家族からのツイートを見て、どうしようかなって思ったんだよね。
それは、そこに言葉を残したらいいのかなとかね。
また、自分のフォローしていただいている方に、もしかしたら佐藤さんが亡くなったということを知らない人がいるかもしれないから、
そのツイートをリツイートしてとかね、思ったりして、どうするのがいいのかなと思って、
俺は何もコメントも残さずに、リツイートとかそういうこともせずに、ハートマークをつけたんだね。
でもさ、気持ち的にはハートマークではないんだよ、全然。
だからやっぱりあれって、所詮さ、そのツイッターという仕組みの一つでしかなくて、
あのハート一つに込めている思いって、人それぞれにきっと違うんだろうなって思ったりもしてね。
本当にいいなっていう、ハートマークもあれば頑張れよっていうハートマークもあるし、読みましたっていうハートマークもあるしさ。
コメントや言葉を残さなかったとしても悲しいっていうさ、今回の俺みたいな思いでハートマークを残していくっていう人もいてね。
所詮さ、こんなネットのプログラムされたもので、人の感情がマーク一つで表せないよなっていうね。
そのジレンマみたいなものも感じるんだよね。
ツイートしたりね、お悔やみ申し上げますとかご冥福をお祈りしますっていう。
ああいうツイートもさ、前もこれは話したんだけど、一体誰に向けてのものなんだって俺は毎回思うんだよね。
本来その言葉って亡くなった本人に向けて言う言葉じゃないかなって思ってるから、
21:09
こういう誰が読むかわからないネットの海にさ、そういう言葉を流したとしても、そこに何の意味があるのかなっていう俺は思いがあるからね。
そういうものはほとんど発信しないんだよね。
でも今回佐藤さんのアカウントを眺めていると、やっぱり佐藤さんに影響を受けたファンの人たちのコメントがもっとすごいたくさん残されているんだよね。
きっとそれって佐藤さんに送っている言葉ではあるんだけども。
でももう一つは、その残された家族の方に届いているんだなっていう、それを思ったんだよね。
だからああいうファンの人たちがネットにいろんなコメントや言葉を残すっていうのは、
本人に送り届けたいという思いがある一方で、残された家族の人たちに届けられている、そういう言葉でもあるんだなって思うとね、
俺自身はそこにあまり意味を見出せなかったりはしたんだけど、
でも今回、この佐藤さんのアカウントに残されたものを見ていると、そういうファンの人たちの言葉にはそういう意味を持つっていう音があるしね。
もう一つはやっぱり、ああいうしんどいとか悲しい時って、同じようにその悲しみを境界したりとかさ、
その悲しみを少しばかり分散していくと心が軽くなるっていう効果があるんだよね。
同じように自分の寂しい思い、つらい思いを語り合えることで、本当に心が少し救われるっていう、そういう経験は自分自身もしてるからさ。
だからね、ツイッターやネットに溢れるああいうツイートの言葉とかね、
寂しい思いや心残りのああいう言葉というものは、ちゃんとした役目というか、そういうものがあるんだなって思ったな。
ただ、あまりにも不法が続きすぎるよね。
今回もやっぱり邦楽部のタイムラインを眺めていると、
千葉雄介さんの不法でものすごい寂しい思いとかね、ずっと若い頃に聞いてましたっていうね、ああいう言葉に溢れていたりもしてさ。
24:10
本当に彼のね、聞いてきた人たちからすると、
俺が今こうして感じているような思いと同じかそれ以上の寂しさとかね、痛さをね、きっと感じているんだろうなって思ったりもしてね。
まあ、若すぎるよな。55っていうのはちょっと若いよね。
で、今日昼間にミッシェルの曲を聞いてたりしたんだよ。
俺は何度となく話してるんだけど、本当にこういうバンドのミュージシャンって通ってこなかったんだよね。
だからミッシェルの名前は知っているけれど、あんまりちゃんと聞いたことがなかったんだよね。
ただ、俺の周りにもミッシェルが好きっていうね、友人とかもたくさんいたしさ。
で、サブスクで聞ける彼らのメジャーデビューアルバムになるのかな。
カルドグラス・スターズ。これをね、聞いてたりしたんだよね。
で、他に何て言うんだろうな。すげえ仕事をね、しながら聞いてたんだけど、いい歌だなと思ったのが、
世界の終わりっていう曲があって、すげえこの曲いいなと思って。
で、調べてみると、やっぱりミッシェルを代表する1曲になってるんだよね。
で、なんかそれがちょっと嬉しかったというか、ミッシェルを代表する曲を聞いて、素直に俺もその曲がね、
すげえいい曲だなっていう思えたその不幸にね、ちょっと嬉しかったりもしたし、
やっぱりそれだけ影響を残すボーカルだなっていうこともすごい感じたりもしたね。
だから音楽ってね、改めて思うのが、何でも早くからその曲をね、聞いていればいい、知ればいいということではなくて、
その知るとかね、聞くっていうタイミングはいつであっても良くてさ、
それ以上にその曲に触れるか触れないかっていうね、そのことの方がものすごく大きいんだよなっていうことなんだよね。
27:03
自分自身はさ、ほんとにバンド系とかの曲って、もうずっと通り過ぎてきたからさ、
バンドに関してはもう疎いんだよね。
でもこうやって千葉雄介という人が亡くなって、こういうふうにね、ミッシェルの一番初期のアルバムを聞いて、
この世界の終わりという曲を知ってさ、いやすげえいい曲に巡り合えたなっていう、
この出会いだっていうことがね、俺にとってはものすごい価値があるし意味があるなって。
思ったら、だから改めてね、ちょっとミッシェルの曲は初期のアルバムから順番に聞いていこうかなって思ったら、
その細かな生き様とかはね、知らないんだけど、でも彼のああいう歌っている姿とか、
内部での姿とかね、ああいうものを見ると、まあやっぱりかっこいいよね。色気があるしさ。ただね、速い。あまりにもね、速い。
あとね、なんかミッシェルのそのアルバムを聞いてて思ったのが、
俺にとってはこういうバンドのサウンドとかね、バンドの人たちが歌うものって、俺にとってはね、書籍なんだなって思った。
その、やっぱり俺はポップスが好きで、で一方でバンドの音というものがあって、
ポップスってさ、アニメなんでね、色んなそのファンタジーの世界をカラフルに描いて、飛び跳ねてみたいなね、そういうものがある一方で、
バンドサウンドって、その本に似たものがあってね、ものすごい音がシンプルなんでね、
エレキの音があり、ベースの音があり、ドラムの音があり、でボーカルの歌声があるっていうものでシンプル。
で一方でポップスってもっと色んな音がいっぱいあるじゃん。でアレンジがあったり、変調があったりとかね、色んなその過剰な演出ができるんだけど、
バンドサウンドってさ、それがないんだなぁと思った。だからものすごいシンプルな音で構成されているね、ものがバンドサウンドであって、
それが俺にはね、書籍に近いものを感じたんだよね。書籍もさ、演出がないじゃん。文字と対峙するしかないから、文字からそのイメージを広げてね、
30:03
自分が好きなように空想を広げていけるし、またその行間を読まないとならないっていうね、ものが本にあって、
このバンドサウンドにもね、それと同じようなものを感じるんだよね。ちょうど今日眺めていたタイムラインの中でも、この歌声に関してのね、追悼があって、
そういうところで歌声を聴いたり楽しんでいるんだなっていうね、ものを見るとさ、やっぱりこういうシンプルな音で構成されているバンドサウンドっていうものは、
歌声とかね、また他の楽器の演奏との間にある音というのかな、そういうものを読んでいく楽しみがある音楽というのかな。
だから本と同じようにシンプルでありながらその行間を読む余白がいっぱいあって、そこを楽しめるのがバンドサウンドにあるんだなって思ったりしたな。
一方、VOXはアニメだから、いろんな過剰なまでの演出ができるし、いろんな見せ方ができるし、何でも取り込んでいくというね、ある種の動揺さがある音楽でもあるからさ。
バンドサウンドとは違って、その行間を読む余白の楽しみ方っていうのがあんまりできない音楽ジャンルでもあるんだなと思ったね。
その流れで言うとね、ジャズは俺にとってはサイレント映画に近いものがあるかな。
新しいジャズもあるんだけども、やっぱり古い音楽ジャンルであるジャズというイメージがあって。
あのサイレント映画ってさ、映像からその音を想像するじゃん。
ジャズってもちろん出ている音を楽しむっていうことがあるんだけど、でもそのジャズのいろんなセッションで想像しない音がいっぱい出てくるんだよね。
だから同じ曲をライブでやったとしても、必ず違う組み合わせによって音が入ってくるんだよね。
っていうことはさ、ああいうサイレント映画みたいに毎回見るたびに自分が自由にそこで鳴っている音を空想するっていうものと似たものがあって。
33:07
ジャズの音も、ほんとね、ああいうライブ音源に関してはさ、一つ足りとて一回足りとて同じアレンジで曲が演奏されるものがないっていう。
この何て言うんだろうな。毎回違う形の音を楽しめるっていう。
そういう意味ではなんかジャズはサイレント映画だなって思ったりしたね。
で、ロックはね、ドキュメンタリー映画だね。ロックにはファンタジーが俺はあんまり感じれないんだよね。
本当にドキュメンタリーでノンフィクションでっていう、そういうものがロックだし、まあ生き様がロックだよねっていう風に使われるぐらいさ。
やっぱりロックにはね、そういうファンタジーが俺はあんまり感じれないんだよね。
だからドキュメンタリーな映画、そんな感じがするな。
まあ今日はちょっとね、続けての不幸を知って、やっぱりちょっと痛むな、心が痛む、そんな日だったりしましたね。
でもなんかそれもこう生きているんだなっていうことを実感できるということもあって。
昨日オフチャーの方でさ、この方角の今年一番聞きましたっていう、そのスポーティファイのまとめを貼ってくれた方が2人もいて。
で、それがなんかね、すごい嬉しくてさ。
で、またツイッターでね、今年一年聞いた曲でどの曲が一番良かったかみたいな、そんな企画をやったときに参加していただいた、
俺のiPodさんというね、あの方もノートの方にこのスポーティファイのね、まとめの記事をまとめられていて。
そこに今年ね、聞いた中でということで方角のね、ものもあったりもして。
なんかこういうふうにね、聞いていただいてる方がいて、それをね、こういうふうに言葉にしてくれる方がいて、嬉しいんだよね。
そういう言葉に対して、自分自身は何も返せていないというのかな、それがあったりもするんだね。
36:11
この間も話した、申し訳ないというね、思いもあったりもするしさ。
だから昨日はね、そんな嬉しい思いで一日を終えることができたりしたんだけど、目を覚まして今日になると、立て続けの不法でいろいろ思うことがあって。
痛い思いで一日を過ごすっていう、こういう日もあってさ。
浮き沈みがあるというのかな、そういうことが、つまりは生きているということでもあるよなって、それを体感する昨日、今日だったりしたね。
またね、明日は元気に過ごせる、そんな気になるといいし、
おすからがらずこの方角にたどり着いたり、また繋がりを感じさせていただいている方は、ひたすらに元気にいてほしいなって思うな。
本当に死なないでほしいね。
諦めないでほしいよね。
頑張ってほしい。
その生きることに頑張ってほしいし、諦めないでほしいなって思う。
だってそれは必ずさ、人であれ、生き物であれ、必ず死が訪れるっていうね、それは誰しにも訪れるものだからさ。
もうゴールが決まっているわけだからね。
ならばそのゴールになってしまうまでっていうのはさ、いいだろう。
頑張ったり、諦めないっていう思いで過ごして。
あーちょっとね、閉めっぽいな、話が。
仕方ないか。
ということで、今日はね、ここら辺にしましょう。
ちゃんとね、血圧測ってください。
糖尿の人は血糖値測ってください。
メタボの人は体重計に乗ってください。
嫌がらないで、積極的に現実をね、受け入れてください。
おやすみなさい。
38:58

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