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本語り、35回目です。 山口が誇る画家として、和木康夫という人がいます。
最近ニュースを目にしたんですけども、この和木康夫を描く映画というものを、今、制作中ということらしいんですね。
主演が萩原雅人というわけでね、かなり本格的な、ちゃんとした映画ということでね、どんなものに仕上がるのかなということをね、非常に楽しみにしている状況です。
そもそも私が和木康夫を知ったのは、恥ずかしながら山口に来るまで知らなかったわけなんですけれども、
県立美術館である時、山口に来てからなんですが、代表作のシベリアシリーズの全作展示というものをやっていたんですね。
それで何の予備知識もなく、そちらに足を運んで見たところ、もうとにかく衝撃を受けましてね、言葉を失うと言ったらいいんでしょうかね。
立ちすくんで動けなくなるような状況があったわけなんですね。
見たことがない方は、簡単にネットなどで検索してね、見ていただければと思うんですけれども、
イエローオーカー、オード色ですよね。そういったものにホーカイマスというね、炭酸カルシウムと言いますか、そういったものを混ぜた独特の下地の上にね、木炭を素材にして黒ですよね。
オード色と黒というのが貴重のような形になっているわけなんですけれども、そこに数少ない色として赤とか青がね、これがまた効いてくるわけなんですよね。
油絵とかその手のものは全てそうだと言えるかもしれませんけれどもね、画集でも衝撃は伝わる部分はあると思うんですけれども、やっぱり現物を目にした時のショックと言いますかね、
光の加減によってね、見え方が変わってくるような凹凸とかも含めてですね、ただものではなさっていうものですね。
シベリア浴流をね、モチーフとして描いたものなんですけれども、本当に言葉を失ってしまうような衝撃的な体験でした。
和木康生について色々と気になってくると、元々は三住町というところなんですけれども、合併して長戸市の三住となったわけなんですけれども、そちらに和木康生美術館というものがございますので、
なるほどこんなのがあるんだ、行ってみようという形で行ってみたわけなんですね。
小さいけれども雰囲気のいい美術館ですので、車じゃないと行けないようなところなんですけれどもね、機会があればぜひ足を運んでほしいと思うような素敵な場所なんですけれども、
そちらに行って展示を見てみますと、これまたちょっと驚いたんですけれども、あの驚々しいと言っていいと思いますけれども、
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イエローオーカーと木炭、こういった色調のものの絵というものはやっぱりあるわけなんですけれども、同じ素材で母子、母子ですね、そういったものを非常に温かい作風のものも描いているんですね。
あれ、なんか全部生き死に関わるような絶望とかそういったもののモチーフばっかりに使うことを思ったら、こんな風な描き方もこの素材であるんだというものもびっくりしまして、
さらにまた別の展示室に入ったら、その時の展示だったんですけどね、色の奪われたような世界ばかりを描くかと思っていたら、カラフルな色彩にあふれるヨーロッパの風景ですとか、そういったものを描いているというものですね。
しかもそれが偶像というよりも、かといって完全な抽象画というわけではないんだけどもね、少しデフォルメされたような形のものっていうのがね、これがまた心に響きましてね、こんな絵も描くんだっていうのが一つの驚き。
その驚きを通り越していったらね、しみじみと美しいと言いますか、和木康生の目にした感動というものが私にも新鮮に直接響いてくるような印象がありましてね。
本当に幅広いと言いますか、シビリアシリーズのどこまでも深い、暗い、魂に響いていくような世界。
一方でまたこの色彩の世界というの両面を見ましてね、和木康生に魅了されてしまったというわけなんです。
以来基本的には展示会ごとにね、和木康生美術館には通っているという状況なわけなんです。
ちなみにこの和木康生美術館では和木康生のアトリエがね、そのまんま再現されている場所もありますのでね、和木康生ファンには必見の場所だと思いますので、ぜひぜひ足を運んでほしいところだなというふうに思います。
さて、今日紹介したいのはこちらなんですけれども、立花隆、シビリア鎮魂歌、和木康生の世界、文芸春秋です。
こちらをね、昔読んでいたわけなんですけれども、映画化されるということもあって、久々に読み返してみましたら、だいぶ忘れていることもありまして、感銘を新たにしたということがあって、今回紹介したいなと思った次第です。
立花隆はね、言わずと知れた存在だと思いますけれども、ただね、立花隆の作品を私は網羅的に追っているわけではないけれども、堀に増えて目にするものというのはやっぱりさすがだなと思うものが多いです。
個人的には特に初期のインタビューに関わるものといいますかね、例えば青春漂流なんていうのはね、大好きなんですけど、インタビューの名手だなということをね、思うわけなんですね。
そしてこのシベリア鎮魂歌、今は文庫化もされているそうですので、手軽にね、手に取ることもできると思うんですが、私はまあ単行本で読んでもっているという状況です。
ともとこの中に収録されている、私のシベリアというね、カズキワスを名義で文芸春秋から出された本が昔あったそうなんですね。
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これは橘隆が29歳の時、まだぺいぺいでルポライターとしても書き出しの頃、当時まだね、東大の大学院生だった頃らしいんですけれども、その頃にゴーストライターとして私のシベリア、カズキワスを名義で書いたこの作品だったそうなんですね。
しかしこれというのは何でも橘隆が最も気に入っている作品であって、かつ実質的な諸著作とも言えるものらしいんですね。
ですので、カズキワスオが亡くなった後、しばらくして遺族の方に許可を得て、ゴーストライターだったけれどもね、実は私が書いたものなんですということも含めてね、本にしたというのがこのシベリア鎮魂家なわけなんですね。
ゴーストライターとして書く時の状況というのも示してくれているから興味深いわけなんですけれども、何でも1969年の夏らしいんですけれども、
10日間ね、三住町に夢温泉というのがあるんですけど、そこの旅館に泊まり込んで連日カズキ家に通ってインタビューを行ったわけなんですね。
カズキワスオはワインが大好きらしくて、山梨からワインを大量に取り寄せているそうなんですけど、ただ健康を考えて奥さんがね、それは管理しているという状況らしいんです。
だけどお客さんが来たらね、大ぴらにお酒を飲むことができるということで歓迎されてね、10日間連日ワインを飲みながらずっと語ったというもの、それを元に起こしたというわけなんですけれども、しかしこちらね、当時それこそ小川隆夫さんのマイルススピークスなんかでも録音なしでね、再現するという離れ技とも思えるようなことをしてましたが、
こちらもね、当時橘隆が書いてますけど、テープレコーダーなんてね、そんなに一般的にね、あるもんじゃなかったという話ですので、メモをね、詳細に10日間取ってね、それから原稿化していたというね、作業を行っているわけなんですね。
ですので、実質的に本当に橘隆の文章なんだなということはね、よくわかるようなもので、思い出もね、強かったんでしょう。で、まあ何しろアーティストですので、話もね、たぶん言ったり来たりなんだろうなということは思いますけれどもね、それをリード整然とと言いますか、しかし、和木康生のコアな部分を失わずにね、文章にしていくっていうのはね、難しい作業だろうなというふうに思いますのでね、思い出もね、さぞかしだったんだろうなと思いますね。
そうやって本が昔出ていて、好評博していたそうなんですね。その後、和木が亡くなった後なんですけれどもね、NHK山口で番組をね、制作するということになったときに、この橘隆が関わったと。それと非常に好評博していたと。
このときもね、今ではちょっと考えられないような形で予算がつけることができて、時間と金をかけてね、ロシアにも取材に行ってね、番組を制作し、テレビには収まりきれなかった素材っていうものを披露するためにね、下関で講演を行い、それもまたね、NHKがその講演の模様もETV特集として全国放送されたという、そんな講演があるわけなんですね。
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その講演録と言いますか、それがこの本にまた収録されているという題材なわけなんですね。
ですので、私のシベリアというね、和木康夫の一人型にの題材で橘隆が書いたものと講演録、これがまあ大きく2つのメインとなって収録されているものなんです。
それぞれ大変素晴らしいものなんですけれども、ここでもやはり私の興味を引かれたところを中心にピックアップしつつ、ちょっと語っていきたいと思います。
まずその私のシベリアですね、改めて読んでね、あ、そうだったと感銘を受けたところを拾っていくんですけれども、まずね、和木康夫はね、代々その漢方医の家系だったそうなんですね。
名家と言っていいと思いますけれどもね。しかし和木康夫のお父さんがどうも宝刀息子だったらしくて、それもあってね、祖父母に育てられたという状況らしいんですね。
勉強はさっぱりだったけど、枝木はね、とにかく小さい頃から抜群にうまいということで、何とか枝食っていこうという思いを抱き、ある意味自信満々で東京美術学校、現在の東京芸大ですよね、
こちらを受けたけれどもね、さすがに現役では受からないということで、世の中の川潰という本人が言ってますけど、それを自覚して呼び子みたいなところですね。
そこに行き、二郎して東京美術学校に受かるということになるわけなんですね。まあこれもすごいことではありますけどね。
そんなこんなで過ごしていった時に、力をつけていって、展覧会に出せば通るだけの自信っていうものをね、身につけていったわけなんですね。
ここでね、印象的なエピソードを書いてくれているわけなんですけども、それ何かって言いますと、作品を書きました。
それは2枚の絵をね、用意していたという状況なんですね。
1枚が、いわば安定の、これはもう出せば絶対に入選するだろうなっていう自信があったものなんですね。
それは過去の手法で書いた祖父の絵というものなわけなんですね。まあ安全なものと。
一方でもう1枚書いていたそうなんですが、それは構成的な絵ということを言っておりますけれどもね、兎を書いたものなんですね。
これは当時としては目新しいものだったので、受け入れられる自信がないというものだったわけなんですね。
どうしようかというふうに迷った時に、しかし祖父の絵と兎を見比べていった時にね、自分のこれからの生き方を考えてみたらね、
新しい手法をさらに追求していくのが大事だということを思ってきて、これを出したら下手したら落選するかもしれない。しかし特選になるかもしれないというね。
もう一方の祖父の絵だったらね、安全に入選は絶対するだろう。しかしもう一方の絵はどっちに転ぶかわからないけれどもね、
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いや、こっちを出すしかないという形でね、うさぎの絵に決心して、でも祖父の絵は破ってしまってね、うさぎの絵を出したわけなんですね。
するとね、そのうさぎの絵というのがね、見事特選になり、かつね、梅原隆三郎や福島茂太郎というのがね、大変気に入ったというわけなんですね、その絵をね。
もともとこの両者はね、和木康には目をかけていたということが、橘隆の文章からわかるわけなんですけれども、改めてね、より悲喜になっていくということがあったんで、
それでもう自分の生き方ですよね。新しい絵に挑戦していくという姿勢をね、堅持するようになっていたということをね、非常に印象的なエピソードを語られています。
そしてその後ね、和木康は北海道、あるいはその次には下関ですね、美術教室として食べていくということをしていたわけなんですね。
そんなこんなしているうちに兵器検査を受けていて、兵種合格になっていたわけなんですけれども、5を落つに比べたらね、兵種なんでしばらく大丈夫だろうと思っていたらね、もう選挙も悪化していて、結局兵種合格ながら出生することになり、シベリア翼流という体験を経て、代表作のシベリアシリーズにつながっていくというわけなんですね。
ここでもね、またあの興味深いことを言っているわけなんですけれども、出生する前ですよね、下関時代なんかでも美術教室で食っている時もね、東京に出たい、東京に出たいという思いがあったわけなんですね。
東京に行って仲間と交流して刺激を受けたい、あるいは使徒とした梅原龍三郎とか福島重太郎とか、この2人の教えを受けたいという思いでね、なんとか東京に行けないかということを思っていた時に出生してシベリア翼流ということになって帰ってきたわけなんですけど、ここでもう決定的にね、価値観というものが変わってしまったわけなんですね。
そのことをこのカズキはどう表現しているかというと、アルチザン、職人ですよね。アルチザンとしてはもう死んだというわけなんですね。だけどアルチスト、すなわちアーティスト、芸術家ですよね、として蘇ったということをするわけなんですよ。
そしてまたね、これが東京に行きたい、東京に行きたいという思いも全くそれがなくなってしまった。もちろん変遷はあったんでしょうけども、消えてしまっていると。すなわちそれまでの仲間と交流して、師から教えをこうてという、そういったね、外からの刺激によって何かモチーフを得るとかね、そういう形の自流に乗った、そういったものを描きたいということではなくて、自分の中にあるものを見つめていく、それを描き出すという世界に変わっていった。
外部刺激からね、内部を見つめてそれを出していくというふうに、根本的に転換したんだというような物言いをしていて、それがなんかね、改めて読んだらね、感銘を受けるね、書きぶりだったなというふうに思います。
独特の言い方なんですけども、私の地球って言い方をするわけなんですね。すなわち今合併して長年の一部になりましたけども、三住町というね、生まれ故郷ですね。
その後もずっと過ごしていた三住町なんですけど、それをね、私の地球というふうに言うわけなんですよね。言ってみたらわかりますけれどもね、大変な田舎なわけなんですが、いいとこですよ、とってもいいとこだけど、そこに生まれ育ってない人からしたら、どこかと大体可能に思える田舎なわけなんですよね。
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だけど、そこはやっぱり和木康生にとっては地球なんですよね。全てがそこにあるということですよね。要するに東京に行かなければ、なんとかに行かなければ、自分はうまくいかないという外部要因ではなくて、その自分の中、自分のいるところですよね。そこに全てがある地球というものをね、見出すというもの。この生き方というものにね、私は大変な感銘をね、やっぱり受けるわけなんですね。
どこどこに行かなければ、こういう環境になければなんとかできないっていうのは、その場でできるものっていうものをまだやり尽くしてない人間がね、縋りつく思いのような気もするわけなんですね。よく言う言い方ですけれどもね、お金がないとできない、時間がないからできないっていう人は、お金があっても時間があってもできないわけなんですよね。あんまりマッチョな言い方してはいけないわけなんですけどもね、やっぱりそれは一面のね、真実であると思いますのでね。
私は都会というものがもともと好きではないわけなんですけどもね、山口は旧三住町に比べたらまだ発展はしているわけなんですけどもね、それでも比較的田舎なこの山口にいながらね、できることっていうものを追求する。
私の地球とまでは行かないけれどもね、この環境でできることってなんだろうなってことを思うときにね、三住町にいながら世界に名を残すと言っていいと思うんですけども、そういう仕事をしたね、和木康夫というもの、生き方にもね、大変私はね、惹かれるものがあります。
私のシベリアの中ではね、もちろんシベリアの体験というものがね、印象的に書いてあって、かつね、シベリアシリーズの解説としてね、これ以上のものはないという形になってますのでね、シベリアシリーズを見た人はぜひぜひね、この文章、それぞれの作品の背景も含めてよく描かれてますのでね、読んでほしいなと思うようなところです。
それをね、いちいち言っていったら、ちょっと時間が足りないので言わないんですけれども、和木康夫のね、極限状態でもね、絵を描くっていうね、その絵筆を離さないっていう生き方ですよね、そこにやはり関した姿勢にね、感銘を受けるわけなんですね。
例えば、市総和としてシベリア送りでどんどん人が亡くなっていくわけなんですけど、そうするとね、亡くなったら和木康夫はね、デスマスクをね、死に顔を描いてあげるってことをするわけなんですね。
そのスケッチをいずれ帰国したらね、遺族に渡してあげようという思いがあったわけなんですけど、あるときね、ソ連兵にそれ募集されてしまって、燃やされてしまったわけなんですね。非常にやるせないエピソードですけれどもね。
しかしそれがシベリアシリーズの一人一人の顔というものですね。あれはあれで個性を奪われた顔なんだけど、しかしその中にこのデスマスクがね、溶け込んでいるっていう言い方もされていてね、そういう強い思いっていうのが載ってるっていうものはね、見るものにもね、感じさせるものがあります。
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橘隆の講演のところもね、これもさすが橘隆というね、和木康夫のライフヒストリーを追っていくっていうところもね、先行研究なんかもバッチリ踏まえながら見事なんですけどもね、外迫な知識の抑え方ですよね。
結局シベリア浴流あるいは当時の戦争状況というものまでしっかりと抑えてくる。点や線だけでなくて面で抑えていくこの知識の抑え方っていうものはさすが橘隆だなというふうに感心しますね。
そもそも橘隆っていうのも自身もね、北京からの引き上げだったということもあって、共感する部分もあったんでしょう。
興味深いのがね、三住町で旅館に泊まりながらインタビューをしていたときに、しかし午前中のね、和木康夫がアトリエで仕事している間はね、遠慮してそこにはインタビューに行かずに、午後ぐらいからそこに行くと、午前中なんかに時間があるわけなんですね。
そこで千崎港がなんかにね、遊びに行ったりしてみたら、あれ、なんかここ見たことあるなって思いにね、橘隆が襲われたそうなんですね。
もしやと思って母親にね、電話で確認してみると、やっぱりね、北京から引き上げてきたときに辿り着いた港が千崎だったらしいんですね。
そういった因縁なんかも明らかになったりしているわけなんです。
シベリア抑留というのは、本当にひどい話で気取りをね、禁じ得ないところがありますけれどもね、さらにまたやるせないのがですね、この橘隆が明らかにしていくのが、
抑留して労働力産むって言うんだけど、それも許せない所業なんだけど、役に立っていたって言うならほんの少しだけでもね、報われることもないけど、それなりの意義はあったようなこともしないではないんだけど、
収容所とかね、そういうのは大赤字だったそうなんですよ。収容所レベルでも国家レベルでも大赤字で、つまりあんなことやる意義なんかどこにもないっていうことがね、わかるわけなんですね。
大赤字の理由っていうのが、ピンハネがすごいっていうことでね、結局そこの腐敗した官僚主義ということもあってね、単純にもね意味のない行為ということが明らかになってくるわけなんですね。
ここら辺の抑え方っていうものは関心するところがあるんだけど、その中でも一つね、大きいのが、シベリア抑留というのを考えたときに、
当然ね、日本人ですので、日本人が抑留されたということにフォーカスするわけなんですけど、これをシベリア送り、それ全体を見てみると、スターリン時代にシベリア送りになった囚人と言いますか、それは1000万人と言われているわけなんですね。
その中で、ソ連人がなんと700万人なわけなんですよ。ドイツ兵が240万人、日本人が60万人。もちろんそれを聞いたからといって、日本人に対して行ったシベリア抑留が罪が軽くなると言いますかね、そういったことは全くないわけなんですけども、
ソ連人の何百万ってとんでもない数じゃないですか。どんな人が送られたかっていうのは、もちろん犯罪者っていうのもあるかもしれないけど、そうじゃなくて、ドイツ軍に捕虜になっていたソ連兵ですよね。
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それが喜んでソ連に帰ってきたら、お前ら裏切り者のせいで最初の頃は負けてしまったんだっていう言いがかりをつけられて、それで戦争捕虜で帰ってきたと思ったら、さらにシベリアに送られるという状況ですよね。
あるいはもう本当にないような理由をつけられてシベリアを送りになるという、ろくでもない諸行だったというわけなんですね。
スターリンのとんでもなさと言いますかね、よく人類はあんな人物を生み出してしまったなと思うような諸行というものが語られていて、ちょっと戦慄を禁じないと言いますかね、そういう状況まで冷静な筆地で書いてくれているわけなんですね。
大きな背景も含めて非常に読みごたえがある本ですけれどもね、もう一個ちょっとね、最後にシベリア鎮魂家、カズキ夫婦に関することで紹介しておきましょう。
それは福島茂太郎との関わりなわけなんですね。
この福島茂太郎というのは大変なパトロンなんですけれども、もともと親が株式で大儲けしてその遺産を譲り受けることになった時も、本当に巨満の富を譲り受けたわけなんですね。
譲り受けた半分のお金を一生分の生活に困らない部分として取っておいて、残り半分、これを好き勝手使うというふうに決めたそうなんですね。
数がちゃんとした人が好き勝手使ったら芸術に投資していくわけなんですね。
そこでヨーロッパに行き、絵を買ったりということをするわけなんですけれども、そんな見識のあるこの福島茂太郎がカズキ夫婦の23歳のデビューの時にも実は関係してそうなんですね。
カズキ夫婦が若い時にね、雪降りの山陰風景というものを出展したそうなんですね。
すると最初は落選していたそうなんですよ。
だけどちょっと遅れてやってきた福島がたまたま作品名をして、お、これいいじゃないかという形で行ったそうなんですね。
さらに遅れてやってきた梅原隆三郎が、お、これなかなかいいよという形で口を揃えていって、それで落選していた作品が逆転入選するという形になったそうなわけなんですね。
もともと梅原と福島とカズキというものが波長が合うようなところがあったんでしょうね。
以来、地域にしてもらっていて、それが例のウサギの特選というものに対しても補助戦になっていたのかなということを感じられるものなんです。
出生中なんかもかなり福島から手紙をもらって、それを心を支えにしたということも絵が描いていたりするわけなんですけれども、
カズキにとってはかなり福島の存在というもの、あるいは交流というものが絵に対しても大きな影響を与えていることは感じます。
それは心どころ、肝心なところでやっぱりこの福島が顔を出してくるわけなんですけれどもね、
お前はね、どこにいても描ける人間だから東京に出る必要はないと、お前の前全部俺が買ってやるって形で、実際そんな感じでね、
湖にいながら絵を描くことができたっていうのも、この福島のおかげっていうのも結構あるんじゃないかなというふうに感じさせます。
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新たな境地というものを開いていくのが契機になったのが、東京に来なくていいって言ってるわけなんだけど、
ヨーロッパには一回行っておくべきだっていうことを言うんですね。
だけど結構腰の重いカズキはね、のらいくらいと交わしていかなかったわけなんですけど、
全部おでんだてしてくれるんだったらいきますよなんてことを言ったらね、本当にこの福島がね、
全部おでんだてして、さらにねピカソとも合うような場も設定するようなね、
本当にバッチリおでんだてして、これ行かざるを得ないっていう形で行ったらね、新たな境地。
私がカズキ康生美術館で見た色彩にあふれる作風ですとか、あるいはそのヨーロッパで見たキリスト像というものですよね。
ジュナンズと言いますか、そういったものもね、やっぱりシビリアシリーズの顔にもね、
生かされているという指摘もあって、シビリアシリーズおよび他の作風においてもね、
このヨーロッパ域というものはかなり大きな影響を与えている。
それもそもそもは福島のおかげだとわかってくるわけなんです。
そんな福島がなくなってしまったって大変カズキにとってはショックを受けて落ち込んでしまうわけなんですけども、
その後に生まれたシビリアシリーズの一つの作品がネハンというもので、
これはまたシビリアシリーズの中でも評価の高いものですけれどもね、
思いというものが投影されていると。
これは当たり前の話なんですけれどもね、シビリアヨクリルの状況を描いているとしてもね、
その描いている時点の心境というものがね、投影されていくということはあるもので、
それはもう文章にしろ、絵にしろ、音楽にしろ、ある時代設定をしたときにそれを描こうとしても、
描いている本人の状況が投影されているわけなんですね。
それが色濃く滲んでいるなということを感じさせるエピソードだったなというふうに思うわけなんです。
というわけでね、どんな映画に仕上がるのかなということを楽しみにしておりますし、
また、和木康生の作品、何度見ても発見のある絵ですのでね、
山口にいる喜びとともにね、これからも鑑賞を続けていこうと思っている次第です。
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