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本語り36回目です。 16回目で、沢木孝太郎のボクシング小説というタイトルで、
春に散るを中心に沢木孝太郎について話しました。 また今回、沢木孝太郎を取り上げることになります。
と言いますのも、今回紹介する本が、 沢木孝太郎
途上の王国 1号線を北上せよ モロッコ天外編
スイッチパブリッシング というのが出たからなんですね。
こちらも想定を見たらすぐにテンションが上がってくるわけなんですが、 例の平野鋼画のフォントですね。
鋼画グロテスクと言われるものだと思いますけれども、 そちらにカッサンドルのポスターアートというもの。
すなわちこれは深夜特急の想定ですよね。 そちらと同じものをね、用いているっていうことがわかって、
これはあの深夜特急と同じ系列の本だなということがわかるように、 そうしてくれているわけなんですね。
そして手に取って読んでみますと、 今回まさにそれは深夜特急の続きと言っていいんでしょうかね。
年を隔てて深夜特急の旅の忘れ物を拾いに行くというような、 そんな印象のある読み味のものでした。
さらに今回のものが深夜特急に加えて魅力的なのは、 スナップショット&トラベローグという形をめぐっておりまして、
写真がついているわけなんですね。 これがもう本当に素晴らしくて、
深夜特急自体も写真がないならないで、 イメージする良さというものもあったわけなんですけれども、
今回のように異国のものを写真を一緒に載せてくれる。 しかもそれが著者ですよね。
サーキュー・コーターの視点で撮った写真というものを載せてくれていると、 一層文章とも相まって魅力が増しているなと思いますのでね。
これはそういった意味でも素晴らしい本作りになっていたなというふうに思うものなんです。
話は変わりますけれども、 立命館アジア太平洋大学の学長を務めた出口春明という人がいますけれども、
この人の座右の目で、 なるほどと思う言葉があるわけなんですが、
それは何かというと、人が学ぶのは、 人、本、旅、この3つなんだということをよく言っているわけなんですね。
なるほどと思います。
そういった意味で教養を身につけるには、 人と本と旅が大事だ。
人は人と本と旅から学ぶんだという言い方をするわけなんですね。
そのことを考えたら、深夜特急というのは、 人、本、旅というものが全部詰まっている本だったなということを感じます。
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あの中で描かれているのは、もちろん旅そのものの魅力というのは当たり前ですが、 書いているわけなんだけど、出会う人ですよね。
しかもそれは有名人に会う同行ではなくて、 当地の接する人々、その魅力というものが満載ですので、 そしてそこで感じたことを書いてくれている。
また、直接的な本の言及というものは必ずしも多くないにしても、 中国の詩人の話ですとかも含めて、何かと文学の話題というものが入ってきておりますけれども、
それが要所要所で聞いているわけなんですよね。
そういった意味で、深夜特急というのは、 人、本、旅がベストミックスされた作品だったんだなということを改めて思ったりするわけなんですね。
そもそも沢木幸太郎というのが、 人、本、旅を大事にしている人だなということを感じるわけで、
だからこそ、本ばっかり読んでいる教養というのではない、 本物の教養というものを感じて引きつけられるというところがあるわけなんです。
さあ、そして今回の土壌の王国なんですけれども、 どういうものかといいますと、
深夜特急が映像化されるという機会があったわけなんですね。
これは大沢高雄が主演と言っていいんでしょうかね、 沢木幸太郎役という、確かにそういうのがあったのを記憶しています。
ただ、私その頃はもうテレビをあまりよく見ていない時期でしたので、 見ていないんですけれども、
大沢高雄が沢木幸太郎の旅を辿るという形の映像化がされていたと。
それにもちろん沢木幸太郎も原作者として許可を出しているということがあったわけなんですけど、
その旅の終わりの時、それロンドンで旅を終える時に、 沢木幸太郎がそれを迎えるということを約束通り言ったそうなんですね。
それが1997年のことだったそうなんです。予定通りそこに行ったと。
その時、沢木幸太郎もロンドンに行った時に、カバン屋を見ていたそうなんですね。
そしたらそこでね、程よいバックパックというものがあったそうなんですよ。
おっと気になって手に取ってみたら、なかなかやっぱりね、収まりもいいという感じで、つい買っちゃうわけなんですね。
そしてそれを背負ってみたら、ホテルなんかに帰ってね、 そしたらね、自由というものを感じたわけなんですね。
そこで今の自分の予定というものを考えてみたら、時間がある、余裕がある。
そこで行こうというふうに思ったというわけなんですね。
それどこに行こうかと思ったかと言いますと、 深夜特急の中でも描かれておりましたけれども、
スペインまで行った時に、そこでどうしようかと迷っていたシーンがありました。
それはスペインからジブラルタル海峡を渡って、 そしてモロッコですね。
アフリカ北部のモロッコ。
こちらのマラケシュというところですね。
これがヒッピーにおいては聖地と言われているところらしいんですね。
そこがいいぞいいぞと言うから、気になっていたから行こうかなと思っていたけれどもね、
結局そっちに行かずにロンドン目指したという経緯が書かれていたと思いますけど、
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そのことがしかし引っかかっていたということなんですね。
それをこの1997年の、ちょうどやっぱり深夜特急の映像化でロンドンで迎えたというね、
そこも良かったはずなんですけれどもね、
そこからバックパックを手にして、発作的にと言いますかね、
そこで行こうと思ってマラケシュに向かっていくというね、
このワクワクする始まりじゃないですか。
という形で自由にマラケシュに向かっていったわけなんですね。
こんなことができるのはやっぱ沢木孝太郎ですよね。
もちろんね、そういう自由な立場であるということは言えるんだけど、
でもこれは当たり前ですけど、沢木孝太郎が人生をかけて獲得してきた自由でもあるわけなんですね。
いやもっと言えば、本当は誰だってこれはできるはずなんですよ。
そもそも沢木孝太郎自身も最初の深夜特急の旅に出た時っていうのは、
フリーランスのライターとして食べている時に行こうと思い立って、
今抱えている仕事を終わらせて、いろんな人に旅に出ますと言って出たわけなんだけど、
フリーランスでそれをやるというのは、戻ってきた時に仕事がなくなっているという覚悟の上なわけなんですよね。
そういう人生のリスクを自分でとって旅に出たというものでしたよね。
もっと言えば、沢木孝太郎というのは有名な話ですけれども、
横浜国立大学を新卒で出た時に就職が決まっていた。
その就職先に向かおうとしていた時に、
初日にやっぱり違うという形で就職前に退社したということがありますので、
そういう決断ができる人なんですよね。
だから誰だって理屈としては旅に出ることは可能なんですよね。
全てを売っちゃって。
だけどそれをやれない人が多い中でそれをやっているというところがただものではない。
それでいてまた向こうに行きっぱなしなくて帰ってこれるすごさというのもあるわけなんですけれども、
いろんなものを引き受けた上で自由を獲得していく姿というものは憧れるところがあります。
ロンドンでそうやって思いとったわけなんですけど、
やっぱりスペインから向かいたいということになってスペインに向かい、
そしてスペインのアルヘシラスというところからジブラルタ海峡を船で渡って、
そしてタンジールというところに向かっていくわけなんですね。
マラケシにもちろん向かっていくわけなんですけど、
家庭をおろそかにしないといいますか、家庭こそが大事というのがやっぱり沢木小太郎の旅ですよね。
そこに至るまでもやっぱり人の出会いというものがあるわけなんですね。
本当にこれは偶然といいますかね、
予期せぬ出会いというものがたくさんあるわけで、今回も本当に満載ですね。
例えば日本人の旅人と出会ったり、
あるいは今回もと言っていいのかな、客引きの現地の人たちというものですね。
そういった人たちに出会っていくわけなんです。
そんないろんな人との出会いがありながらもやっぱりさすがだなということなんですけど、
街に着いたらやっぱりね、感に任せて歩くということをやるわけなんですね。
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感というのは経験の蓄積による合理的な行動ということが言えますので、
その感って正しいんですよね。
場所に関する感というものもあるんだけど、
人を見る目というね、こちらもやっぱり感が働くわけなんですよね。
普通だったらそっち行ったら危ないという感じを覚えていても、
えいっとやっぱり越えていくわけなんです。
それやっぱりギリギリの感も働いているんだろうけれどもね、
沢木小太郎の中には、名人は危うきに遊ぶと言いますけれどもね、
ガイドに乗っ取って、安全安全、ここだけ抑えてという旅なんか、
はなから沢木小太郎するつもりはないですから、
その中にね、ギリギリの自分の命が危うくなるようなところは避けつつ、
あるいはね、危うくなる危険があっても、
そのリスクは自分で取りながらそこに向かっていくというね、
常人ではなし得ないところだなというふうに思いますね。
それは万有じゃないですよね、やっぱりね。
人生を本気で楽しんでいるというふうに思います。
本の中にそういうフレーズがあるんですけど、
もしかしたら、私の唯一信仰する神かもしれない偶然というフレーズがあるんだけど、
偶然に身を委ねるということ、それが信仰とまで言えるということですね。
もともと持っていた感覚かもしれないけれども、
それを楽しめる、そしてそれを積極的に取りに行くというところですね。
そこから開けてくる世界というものですよね。
それを疑似体験させてくれると言いますかね。
偶然に必ずしも身を委ねられない身として、
それをやってきて開けてくる世界を見せてくれる魅力というものですね。
それは十二分に今回も感じさせてくれるものです。
人との出会いという面で言ったら、現地の人々なんですけれどもね、
例の観光客を見えた人に声をかけてきて、
そしていろいろと案内を買って出る。
それは無償の行為ではもちろんなくて、
お土産物屋とかに連れて行って、そこでギャランティーをもらうと言いますかね。
そういった意図があってやることも多いわけなんですね。
そんなことはもうさっき言った100も承知なわけなんですよね。
ですから突然警戒もしてね、断固たる言葉で、
私は買わないよとかね、そういったことをあらかじめ言って、
そしてついていってやっぱり買わないということがね、繰り返されていくわけなんですけどもね、
これをね、繰り返していったらすれてしまいそうじゃないですか。
なんぼ向こうが言ってきたところでね、もう心を閉ざして切ってしまうというね、
いやいやそんなこと絶対買わないからって形でね、
何の心の痛みも感じずにそれをやりそうなもんなんだけど、
まあ行為としては沢木小太郎も親しく接してきて、
何か純粋な行為でやっているのかなということを思っていたら、
やっぱりお土産物屋に連れて行かれたっていうね、
そこでやっぱり買わなかったらね、向こうがしつこく食い下がってくるところでね、
失望するということがあったりするわけなんですけどもね、
ここでもう旅慣れていたらね、まあそういうもんだと思って、
心としてもね、切り捨ててしまいそうなもんじゃないですか。
で、まあ実際行為としては断固たる思いで買わないということをやるわけなんだけど、
その時にね、後でやっぱりね、沢木小太郎引きずるんですよね。
いや待てよってね、あれでよかったんだろうか、あれが正しかったんだろうかということを思うわけなんですね。
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なんならね、向こうからカタカナでそう書いてるんですけど、
You are stupid, stupidじゃなくてね、stupidって形でこっちに行ってくる。
買ってくると思ったのに買わなかったっていうことで非常に責められるっていうことがあって、
それに対して断固たる思いで、いや買わないって形で振り切ってくるんだけど、
やっぱりね、それに対してあれでよかったかなってことを思うんですね。
ここですよね、やっぱり沢木小太郎。
旅慣れてるし、そういったことへの対処の仕方っていうのは完全に身についているんだけれども、
そこですれてないで、心の新鮮さといいますかね、そこを失ってないんですよね。
失ってないっていうことは、じくじたる思いといいますか、傷つくといいますか、そういうことがあるんだけど、
だから旅に対して痛みを伴ってしまうわけなんだけどね、
そういう感覚を持てる人なんですよね。
そこまで思うのかと思うんですけど、あれは自分かもしれないということまで思うんですよね。
その場で生まれて、そういう立場でいたらね、自分も同じようなことをしていたかもしれない。
あれは自分かもっていうね。
所詮は旅人で経過していく人間なんだけれどもね、
それは特権的な立場に自分を置かないで、
当地の人に対するね、敬意というとはちょっと言葉が違うのかな、
思いやる心というものをね、どこまで旅慣れていても失わないっていうところ。
これがみずみずしさ、そしてヒリヒリする気持ちといいますかね、
それを失わない最大のポイントなんじゃないかなということをね、思ったりします。
そしてあの約束の地といいますか、沢木孝太郎にとって、
そのマラケシュですね。
カサブランカなんかも行って、そしてマラケシュに行くわけなんだけど、
ここがやっぱりこの魅力的ですね。
特にお当地グルメと言ったらいいのか分かりませんけれどもね、
観光客が行かないような、当地の人しか食べないようなバザールの屋台なんか行って、
そして骨付き羊肉のボイルというものですね。
そしてまた雑物というものを描写なんかしてて、
それがもうとにかく美味しそうでね。
こういう描写って多いですよ、深夜時でも多かったけれどもね、
それがやみつきになって毎日のように通うということをするわけなんですよね。
もちろんね、高いホテルで気持ちよく過ごすということもいいんだけれども、
こういった旅の魅力というものもね、伝えてくれているなということを思うわけなんです。
しかし、この沢木幸太郎ですらと言ったらいいのかな。
やっぱりマラケシ良かったというふうに思っているんだけど、
一方で今回もまた自由に旅をしている沢木幸太郎ですら、
しかし若い時に来ていたらという思いに駆られているわけなんですね。
そんなもんかと思いますね。
実際それっていうのは動かせないもの。
やっぱり若い歓声のうちに旅をした、
もう私なんかはそれができなかったわけなんですけどもね、
その時しかできないことっていうのはやっぱりあるんだなと思いますね。
また印象的なのが、
ドイツ人の中年の旅人にも出会うわけなんですよね。
その人は機械を見つけて、割と長期間旅をしているわけなんだけれどもね、
沢木幸太郎と出会い、沢木幸太郎が若い頃に1年間ほどね、
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フォローするような旅をしたっていうことを聞いたら、
目を輝かしてね、それをしたかったんだっていうことを言うわけなんですね。
沢木幸太郎が今それやってるじゃないかっていうことを言ったらね、
いやもう遅いんだっていうことを伝えているわけなんですね。
そうかと思ってしまいますね。
私も若い頃にそういう旅したかったなと思っていて、
じゃあ今もね、それこそやろうと思ったら、
まあやらないんですけど、
やろうと思ったらいろんなものを投げ撃ってできないことはないんだろうけど、
きっとやっぱりいろんなものが引っかかるし、
満喫できないような気がもう私もしますね。
自分の人生がどっちにでも転ぶ可能性があると、
そういう時に旅をする必要っていうものが、
その時じゃないと得られないものっていうのは、
確かにあるんだろうなっていうことを思いますのでね。
とはいえ、私は若いうちにそういう本を読めたから、
それはそれで良かったかなと思いますね。
いけなかったけどね。
それがまた読書の功用ということもあると思いますので、
出口春明のいう、人・本・旅ですよね。
旅ではなかったけれども、
本としてはそれを得ることができたから、
まあ良しとしましょうというふうに私は思っております。
その後もね、
さはら砂漠に隣接するところなんかに行くところもね、
素晴らしい書きぶり。
そして人ともね、場所との出会いっていうのもあってね、
スナップショットも素晴らしくてね、
読み応えがあっていい形で、
大満足の本で、
このサブタイトルとして、
モロッコ天外編っていう書き方が、
あれ?続きじゃないけど、
なんか他のも出てくれないのかなっていうのを期待してしまうところがあります。
感銘を受けたところばかりなんですけどもね、
改めてここで思うのが、
時間の使い方ですよね。
いくら比較的自由な立場とはいえ、
気に入ったらやっぱりね、
この歳をとっても、
1週間ぐらいザラにね、
何も目的禁物に滞在しちゃうわけなんですよね。
それこそね、
さはら砂漠の砂丘ですよね。
そこを、
連日夜になったらね、
登っていくみたいな、
そんな使い方をして、
日々ただ、
あとは食事して、
うんぬんして、
みたいなそんなことなんですよね。
こんな時間の使い方って、
したことあるかな?
小学生の頃の夏休みなら、
予定も決めずに、
ただ遊んだだけっていうのは、
記憶があるけれどもね、
隣になってから、
こんな時間の使い方を
したことがありませんよね。
でも、これは何度も言うように、
人はやろうと思ったら、
できるわけなんですよね。
だけど、
自分で自分を縛っても、
そういう時間の使い方を、
できなくしているということが、
あるわけなんですよね。
ですので、
こんな目的も決めずに、
本当に、
わけもなく心の思うまま、
1日とか、
あるいは何時間とか、
せこい感じじゃなくて、
何日、
あるいは1ヶ月単位とか、
そういうふうな、
無目的の時間の使い方っていうものが、
できる人間と、
できない人間いるんだろうな、
ということを思ったりしますね。
沢木小太郎はもちろんね、
自分でそこに楽しみを見出して、
いける人ですから、
できるんでしょうね。
よく、
ファイヤーした人間が、
すぐに退屈になって、
仕事に戻りたくなる、
ことを言いますけど、
沢木小太郎は、
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ファイヤーなんかしないでしょうけれどもね、
それでもね、
沢木小太郎ぐらいの人だったらね、
自由な時間があったら、
いくらでもね、
そこで費やせると言いますか、
自分で楽しみを見出せるんだろうな、
ということを思いますね。
やっぱりそれは、
自分だけじゃ無理で、
今ある何かを脱出して、
何かに行こうという、
立場じゃないと思うんですよ、
沢木小太郎の旅の出方って。
出会いを求めていっているので、
今を逃げるじゃないような気がしますね。
だから、行った先でね、
いろんな人と仲良くなって、
そこでの交流に、
楽しみを見出していく、
ということができるんだろうな、
ということを思います。
全然話が違うことを、
言ってしまうわけなんですけれども、
比較的最近、
学生が、
この漫画面白いですよ、
読んでください、
という形で貸してくれたんだけど、
ソウソウのフリーレンというね、
漫画を貸してくれたんですね。
私全く知らなかったんですが、
非常に人気の漫画らしいですね。
読んだら、
確かにすごく面白い、
これ面白いなと思ってね、
楽しんだわけなんだけど、
いろいろ面白いポイントあったんだけど、
一番私が感心したのは、
主人公がエルフというね、
存在、
人間ではないわけなんですけど、
そのエルフというのは、
人よりも寿命が、
めちゃくちゃ長いわけなんですよね。
そうすると、
時間感覚が全然違っていると。
人というのは、
まあ短いんだけど、
エルフは何百年も生きるという、
時間感覚なんで、
だから、
ある町について、
何とかを調べないといけない、
となった時に、
じゃあ今から1年とか、
あるいは何年か、
じゃあここに滞在しようか、
みたいな、
感覚が違うわけなんですよね。
さりげなく何度も、
そういうシーンが出てくるんですけれどもね、
うわぁ、
このちょっと5年とかね、
ちょっと10年とかね、
こういうね、
時間の使い方って素晴らしいな、
というふうに思うわけなんですね。
だから、
私も人間ですので、
時間限られているから、
短く短くスパンを切って、
思えばね、
どんどんどんどんね、
取り組む時間というのは、
短くなってしまうけれどもね、
いかんいかんと思わされましたよ。
本当はやっぱりね、
この年単位ですよね。
少なくとも、
何ヶ月単位というものでね、
物事を見ないといけないのに、
何かね、
何日でとか、
あるいはもう、
何時間でという形でしかね、
物事を見られなくなっているので、
それは良くないな、
ということをね、
漫画からね、
教わるものがありました。
同じ感覚がね、
やっぱ沢木小太郎ですよね。
時間の使い方というものを、
今だとね、
切り詰めて、
切り詰めて、
ということをね、
知ってしまいがちですけれどもね、
本当に気が向いたらね、
何日でも同じことを続けるというね、
こういうことが大事だよな、
人の生き方においてはね、
一番大事なことなんじゃないかな、
ということをね、
思ったりしました。
今、
タイパとかね、
コスパとかいう言い方がありますけれどもね、
今のね、
大学生あたりの世代っていうのはね、
そういう物言いをするのがね、
やっぱり多くなってきてますけれどもね、
まあ、みんながみんなそうじゃないんだけれども、
そういう学生の物言いをね、
聞いてて、
本人も結構悩んでいるといいますか、
話をよく聞いたら、
悩みがあるように思うんだけど、
切り詰めて、
切り詰めて、
言って、
何倍速とか、
あるいは、
いろんな形で、
カットして、
カットして、
という形でね、
時間を切り詰めて、
いろんなコンテンツを短めに、
あるいは経験ですらね、
21:00
短めに体験する、
ということをしていくと。
で、
そうやってじゃあね、
切り詰めた時間を、
何に使っているのか、
ということをね、
よく話を聞いてみると、
YouTubeを見たりとか、
ショート動画を見てるんですよね。
いや、
その切り詰めて、
切り詰めて、
何か、
まとまった何かをするっていうのは、
分かるんだけど、
切り詰めた時間を使って、
私から見たらね、
あまり価値のないように、
思えることに使っている、
ということだったら、
そんなもの、
切り詰めないで、
じっくり、
味わえばいいじゃないか、
というふうにね、
思ってしまうんだけど、
それは私にも、
やっぱり返ってくるわけで、
サーキコトロみたいな、
時間の使い方ができる人からしたらね、
私も、
まだまだね、
大事なものを、
ちゃんと味わえてない時間を、
使っていると言いますかね、
なんでそんな切り詰めて、
やってんの?
そんな切り詰めて、
やってたら、
ちゃんとしたものが、
味わえないじゃないか、
ということで、
サイパー、
コスパとか言っている、
若者のことを、
僕全然笑えないと言いますか、
もっと時間の使い方が、
分かっている人からしたらね、
私も、
しょうもない時間の使い方を、
しているな、
ということをね、
感じてしまいました。
それが、
一つやっぱり、
象徴的なのが、
この本の旅というのが、
そもそも、
1997年の旅じゃないですか。
しかもその経験を、
写真と文章という形で、
雑誌に連載したそうなんですね。
その連載は、
その翌年、
1998年に、
していたそうなんですよ。
今、
2026年ですから、
30年近い間、
寝かしていたわけなんですよね、
この文章をね。
それが、
こんなに素晴らしく、
古びない、
みずみずしい文章として、
今読めるのがね、
やっぱり、
ちょっと衝撃もあって、
考えてみたら、
比較的最近の作品の、
天路の旅人というのも、
あれも、
若い頃の仕事を、
ようやく今成就した、
みたいな形なんで、
ああ、やっぱ仕事というのは、
こういう、
やるべきだよな、
というね、
そんな拙速に、
成果成果とかね、
表に出すとかいうね、
そういうガツガツした、
生き方というものをね、
反省させられるところも、
ありましたんでね、
我が身を変えりみてね、
自分は、
このような旅にはね、
今となっては、
多分出ることは、
もうないだろうな、
と思うわけなんですけどもね、
しかし、
本を読むことで、
得るものは多かったな、
と思いますね。
外国には、
おそらくもう、
そんなに積極的には、
行き来というのは、
ないかなと思うんだけど、
日本のをね、
旅するっていうことは、
興味がある。
特に私の研究している、
おづひさたりの、
足跡を追うっていうことはね、
すると思いますのでね、
それに絡めて、
もうちょっと、
今だと割とは目的をね、
ガチッと決めて、
行っているところがありますので、
もう少し緩やかな形で、
旅をしても、
面白いのかな、
なんてことをね、
思ったりします。
よく考えたらね、
おづひさたりもね、
何ヶ月も旅に出たりしますのでね、
ああいう時間間隔って、
ものからね、
得るものって大きいよな、
そういう時間間隔で、
書いてくれている記号文から、
私はいろんな感銘を受けているからね、
もうちょっとね、
長いスパンの旅っていうものを、
検討するべきかな、
っていうことをね、
思わされた、
読書経験でした。
さあ、この本、
続編のようなものって、
出るんでしょうかね、
また10年後とか、
そんな世界かもしれませんけど、
あるんならば、
ぜひ出していただきたいな、
24:00
というふうに思いました。
やっぱり沢木小太郎、
好きですね。
本語は、
毎週日曜日更新です。
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以上で、
36回目を終わります。