#038 アンガー・マネージメントの反面教師/『ロミオとジュリエット』/本語り
2026-08-02 20:22

#038 アンガー・マネージメントの反面教師/『ロミオとジュリエット』/本語り

かつて小田島雄志訳で読んだシェイクスピア。その孫の小田島創志さんによる新訳で読むと、こちらも年齢を重ねて、これはアンガー・マネージメントの反面教師だな、という思いを抱いてしまいました。

【言及した本】

・シェイクスピア、小田島創志訳『ロミオとジュリエット』(光文社古典新訳文庫、2026)

・シェイクスピア、小田島雄志訳『ロミオとジュリエット』(白水uブックス、1983)

・シェイクスピア、松岡和子訳『ロミオとジュリエット』(ちくま文庫、1996)

・シェークスピア、坪内逍遥訳『ザ・シェークスピア』(第三書館、1989)

・シェイクスピア、小津次郎訳『十二夜』(岩波文庫、1960)

・丸谷才一『合本 挨拶はたいへんだ』(朝日文庫、2013)

感想

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本語り38回目です。直接のきっかけは、もう忘れてしまいましたけれども、私は学部生の時にシェイクスピアの面白さに目覚めまして、全作品を読んでみたいという思いになったわけなんですね。
そして図書館に行きまして、まずその頃目につくのは、白水ユーブックスの織田島裕司役、シェイクスピア役の個人全集というものがありますので、それを片っ端から読んでいくということをしたわけなんです。
何しようシェイクスピアというのが面白いものですから、サクサクと全部を読んで楽しんだということがあるわけです。
そういった意味で、私にとって白水ユーブックスの織田島役というのは、青春の思いが詰まっているというふうなものになるわけなんですけれども、その後様々なね、例えばちくま文庫の松岡和子役、こちらも個人全集になっておりますよね。
あるいは門川文庫の河合松一郎役も続々と出ておりますけれども、多様な形で役が楽しめるようになっておりますけれども、やはり手に入りやすい個人全集という形で残してくれていた織田島裕司役というものは、私にとっても思い入れが深いもので、シェイクスピアを読みたいなと思ったときには、いろいろ選択肢がある中で、やはり織田島役というものを私は選択するということが多い状況です。
ちなみにその学部生の頃なんですけれども、図書館に行きましたら古い役所なんかも入っているわけなんですけれども、そこで坪内松陽役ですね、それもあったわけなんですね。
で、こちらは日本で初めてシェイクスピアの全役をしたというのが坪内松陽ですので、そういった意味で手に取ってみたら、歌舞伎調なんですよね。女性がね、わしはなんとかじゃとかいうふうな話し方をしていたりして、最初はめんくだったりするわけなんですけれどもね、しかしね、とっつきの面白さといいますか、それはあるものの、読んでいったらね、さすが名調子なんですよね。
全然気にならなくなっていくどころか、非常に強が乗っていく感じがありますので、坪内松陽っていうのはさすがだなというふうな形でね、感心した記憶があります。
ちなみにその坪内松陽役として現在は、ザ・シェイクスピアというね、シェイクスピア作品の原文と松陽役、まあこれ著作権が切れてるからですけれども、松陽役を全部一冊に収めたというね、読むためというよりも備えるための本として有用なものがあるんですけれどもね、第三書簡というところから出ているのですかね。
これはこれで非常に面白い企画で役に立つなという形で、今でも私の本棚の傍らにあるという状況になっております。
ついでに言いますと、シェイクスピアの役というのはもちろん岩波文庫なんかでも出ているわけなんですが、私が研究しておりますオズ・ヒサタリという人物がいます。
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ワキンの友人でもあり、江戸時代を代表する気候文作家と言える人なんで、また造書家としても有名な人なんですが、オズ・ヤスジロウの大叔父にあたる人なんですね。
しかしそのオズ・ヒサタリの直系の子孫にあたる人にオズ・ジロウという学者がいまして、この人は東大の教授も勤めた方で、マリア・サイチのエッセイなんかにも登場したのを読んだことがありますけれども、
日本シェイクスピア教会の会長も勤めていて、その岩波文庫の中でジュニアはオズ・ジロウ役で、まだ現役で残っておりますので、そういった意味でもね、私にとってはつながりを感じるというものなんです。
さて、その小田島雄司さんですけれども、先日、すなわち2026年の6月8日に、95歳で亡くなったという方が入ってまいりました。
本当に多くの方がね、追悼の文章を寄せられているのを新聞などで目にしてね、大きな功績を残された方がね、亡くなったなというふうな印象を持ちました。
さあ、そんなタイミングなんですけれども、公文社古典新訳文庫からある本が出ました。
すなわちそれは、シェイクスピア小田島雄司役、ロミオとジュリエット、公文社古典新訳文庫なんです。
さあ、この小田島雄司と聞いたら、もちろんこれはあったと思いますよね。
この小田島雄司さんというのは、小田島雄司さんのお孫さんにあたる方らしいんですね。
1991年生まれということですので、今年34後になるわけなんですね。
小田島雄司さんが亡くなったというタイミングも相まって、またまあもともと公文社古典新訳文庫で出たら、そういうことがなくても買って読んだと思うんですけれどもね、これはと思って早速手に入れ読んでみたわけなんです。
さあ、この小田島雄司役というもの、思想感のある素晴らしい役だったわけなんですが、とりわけ私がね、ここはいいなと思ったポイントなんですけれども、ホモソーシャルの関係のテンポの良さっていうものですね。
要するに男同士の仲のいいと言いますか、そういった連れ合いの会話のテンポの良さっていうのは、ちょっと他の役と比べてもね、際立っていいように私は思いました。
それは、例えばそのロミオとベンボーリオとか、ロミオとマーキューシオとかはもちろんなんですけれども、いわゆるモブキャラと言っていいのかな、キャプレット家の獣牧と言いますか、あるいはモンタギュウ家の家臣と言いますか、身分の低い者たちが小連れ合いをするシーンなんかがありますよね。
冒頭のところからあるわけなんですけれども、そのモブキャラたちが同輩同士ですよね。それが話す掛け合いっていうものが非常にテンポがいいんですよね。ここら辺の男同士の関係というものの描き方っていうのは、今までにない良さがあったように個人的には感じました。
そして、小田島裕司さんといえば、ダジャレ王ということで、普段からダジャレが大好きな方らしいんですけれども、必ず白水ユーブックスでも、シェイクスピアにあるシャレの部分をダジャレ、別の言い方したらオヤジギャグということになりますけれどもね、それを入れていくということが特徴でしたけれども、さあ今回この小田島総司さんの役でも、ちゃんとそのダジャレを引き継いでいるわけなんですね。
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あとがきなんかでもね、触れてますけれどもね、こうなってくるとね、もうやっぱ嬉しくって、なんでしょうね、これ伝統芸能と言いますか、もうこれ小田島家の家の芸みたいな形で、ダジャレが出てきたとこをなんか妙に喜んでしまいましたね。
ヒッチコック映画で、映画の中に必ずヒッチコックが登場するというのがありますけれども、今後も小田島総司役になった時にはね、ダジャレを待ってしまうような気がしてしまいます。
ヒッチコック自体はね、自分が映画に出てくるということを観客が期待して、映画のプロット自体を疎かにしてしまうから、後年になったらなるべく早めに出すようにしたということがありますけれども、そういった意味ではダジャレも早めに出したほうが読者の心が落ち着くのかもしれないななんてことを思ったりしました。
さあ、それはそれとして、作品自体なんですけれども、随分と久しぶりにこのロミオとジュリエットは通読したなというふうに思いますけれどもね、比較的若い頃に読んでいた、そして今私は今年50になるわけなんですけれども、その年で読んだらね、若い頃と感想が変わりますね。
ロミオとジュリエットに同化して読むという年ではないというのがやっぱり一番のポイントだと思いますけれどもね、まずやっぱり通して思ったのが、これはアンガーマネージメントの反面教師だなということを思いますよね。
ケンカ早い人たちばっかりですよ。ティボルト、マーキューシオ、そしてね、分別があるように見えてるロミオだってね、かなりケンカ早い。もちろんそのマーキューシオが殺されたということもあって、ティボルトを殺してしまうわけなんですけど、なんかこのロミオとジュリエットぐらいになったら、さすがにネタバレ動向って言わずに展開をね、ばらして話せるのが楽でいいですね。
というわけで、プロットに関わるものもどんどん話してまいりますけれどもね、ロミオは結局ティボルトを殺してしまうわけなんですよね。自分のコントロールできなさっていうところがやっぱり目につくと言いますか、光に身を任せすぎやろうという感じがするわけなんです。
しかしね、それは若いものはそれでいいと言いますか、まあ良くない部分もあるんだけど、逆にね、目についてくるのが大人の分別のなさなんですよね。ですので、まあ若いものは仕方がない。しかし大人がそれをやったらいけないだろうというふうに思わせるのが、とりわけジュリエットの父であるキャピレットですよね。
これがなかなかひどいと。まあ昔読んだ時もね、どうかなと思ったけど、いよいよこの年になってくると、大人でその振る舞いはないだろうなというふうなことを思ってしまったりします。
面白いのが、ロミオがキャピレット家のパーティーに忍び込んでくるということがある。それを見つけたティボルトがイキリ立ってね、敵がやってきたという形で言って怒るというシーンがあるわけで、そこにキャピレットが言い合わせて、ティボルトがロミオに向かっていこうとするのをね、このパーティーを台無しにするなという形でね、沈めるシーンがあるわけですね。
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その時の言葉として、このキャピレットはロミオっていうのはなかなか立派で礼儀正しいと評判だという形でね、まあ評判の良い若者だという形で、敵ながら結構評価しているようなところもあるんですね。
だからそういう意味ではね、バランスの良い人なのかなと思わせるセリフもあるんだけれどもね、ティボルトのなだめ方というのが非常によろしくなくって、もう頭ごなしなんですよね。
ここの主人は誰なんだ、俺だろうみたいな形でね、私の言うこと聞かないと許さないぞという形で、ティボルト自体が生きりたっていて、それは冷静さを失っているんだけど、その冷静さを失っているのを抑えつけるのに、さらなる力でもってやるわけなんですよね。
耳を貸さないわけなんですよ。これが結果的に要するに異根を残して、その怒りはティボルトはロミオに向かっていくということになるわけなんですよね。
だからその場を収めているようで、キャプレットは全然それは収めていないというふうなことが言えるわけなんです。
さらにまたね、例のジュリエットとロミオが秘密輪に結婚していたと、ロミオがティボルトを殺してしまったということで大変な状況になるわけなんですけれども、
ジュリエットは身内のティボルトが殺されたということで悲しんでいると誤解したお父さんが、この悲しみを癒すために、そうだ、前々からジュリエットに求婚していたパリスとの結婚話を進めてやろうというね、
本当にこれを良かると思ってやっているのも恐ろしいところなんですけれども、行為の押し付けの極みでね、本当にろくでもない計画を立てるわけなんですよね。
で、それをね、喜びなさいという形でジュリエットに話を持っていったら、もちろんジュリエットはすでにロミオと秘密輪に結婚しているということもありますけれども、もともと好きでもないパリスということも二重な意味でね、
それはできませんという形で拒否をすると。
するとお父さん、まずはお母さん自体にそれを聞いて、そして実際にジュリエットの元に行って確認してみたら、やっぱり結婚できないということになったらもう本当にブチ切れるわけなんですよね。
もううちのことを思うなという形で感動するという形になってくるわけなんですけれどもね、この話の聞かなさですよね。
ここでも事情が当然あるわけなんですけれども、一瞬たりとも話を聞く素振りを見せずに、自分が良かれと思ってやったことを聞かない奴は全部悪いみたいな形でね。
結局、分別があるようで自分の思う通りにならないことに対して腹を立てているというだけのことですので、この大人の振る舞いのみっともなさですよね。
それが際立ってくるなということをこの年になってみると思いますね。
若いうちのそういう怒りというものはある意味面積される部分もあるかもしれないけれどもね、年取ってそれをやったらいけないよということを思ってしまうものでした。
じゃあその怒りというものを若者も年取った者も抱えているわけなんですけれども、その怒りを克服するといいますか、こういった諍いのもとというものをどうやって克服するかというときに、
強い愛というものですかね、それによって克服できるのかということを、すなわちロミオとジリエットは敵同士で結びついたわけですから、
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克服できるのかということなんですけれどもね、結末が示すように、あるいは家庭の段階から示しているように、強い愛というのは結局最後は2人死んでしまうという悲劇になってしまうわけなんですけれどもね、
その結末が仮になかったとしてもね、強い愛ということによって怒りを克服できるんだろうかということをちょっと思ってしまいましたね。
はっきり強い愛と怒りって裏表であって、どっちも劇場なんですよね、劇する心ですので、それは何か実は強いものにより強いもので克服しようというものは何か違うような気がするなと思いましたね。
何ならそのロミオの強い愛っていうのは、ジュリエットに出会う前まではね、ずっとロザライン、ロザラインと言ってたやつですから、こいつの愛っていうのも本当に信用できるかっていうのはちょっと疑問がつくところではありますけれども、
まあまあそれはしかし、ジュリエットと出会ってからは一途とも言えますから、それはかわいそうかもしれませんけれどもね。
ただやっぱりこの劇場ではちょっとダメかなという気もする。
じゃあこの登場人物の中で比較的、まあ若いのではベンボーリオが落ち着いていると思いますけれども、大人世代でじゃあちゃんとした分別を持ったのは誰かといったらロレンス神父ということになってくるかもしれないんですけれどもね、
たしなめるようなシーンも多いですからそうなんですけど、ただこのロレンスのやることがね結局小細工なんですよね。
正面から対話をして情報公開して自分がつなぎ役になって、何かとねこのね秘密裏に結婚ですとか薬を使うですとかね、なんかねやることがせこいんですよね。
もうちょっと正面から矢表に立ってやればいいし、また最後のシーンでは逃げていきますからね。
だからねこの比較的劇場に身を任せないロレンスですら結局小細工ということによってうまくいかないということが見えてきますので、
アンガーマネジメントの反面教師としてこの作品をこの年になって読んでしまったときに、まずその若いまま仕方がない、しかしいい年をした大人は劇場に身を任せないと、
そして小細工で乗り越えないとちゃんと大人の分別でもって堂々と正面から対話をしていくというところではないとそんなことうまくいかないんじゃないかなということをね考えさせられてしまったというわけなんですね。
まあこんな分別臭い読み方を別にしなくていいわけなんですけれども、この年になって読んだときに昔と全然違う感情が湧いてきたっていうのも面白くて、
そんな教訓めいたことを感じてしまったというわけなんです。
じゃあね、例えばそのロレンスがちゃんとした分別を持っていたらとかね、あるいはみんなが分別を持って行動していたらこんな劇になりませんので、
これはこれでね素晴らしい作品だという印象は全く変わらず、今回も楽しく読めたなというような気がします。
さあ、古文社古典新約文庫は解説がたっぷりありますので、今回の解説も非常に読みごたえがあって、なるほどそうなのかということが多かったです。
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最新の研究状況を踏まえた上でなんですけれども、まずこれはもともと有名な話ですけれども、ロミオとジルエットの元ネタというものがあり、
それは9ヶ月の話として描かれているわけなんですが、シェイクスピアはそれを約5日間に縮めてしまったというわけなんですね。
それでこの疾走感のある展開になっていったということは有名ですけれども、そのことにも言及されているわけなんですが、
それにプラスして原作と比較してみると、マキュシオの役割が増しているんだということを触れているということなんですね。
またウバの役割なんかにも触れていますけれども、確かにこのマキュシオとウバというのは、
ひっかき漫術面でも物語を広げていったり推進したりする意味でも非常に重要だと思いますし、
フランク・ゼフィレディの映画でもそうでしたけれども、ロミオとジュリエットというのは綺麗なお人形を据えていても成り立つ部分はあるわけなんですよね。
逆に花さえあればいい、花がある二人をバンと据える、そういう花のある二人を支えるためにマキュシオとウバの役割というのがやっぱり大事になってくるんだということですよね。
ゼフィレディの映画でもマキュシオ役、ウバ役っていうのはうまかったですよね、本当に。
あの二人がいるから引き締まっているということがありましたので、この作品の中でマキュシオ、ウバの果たす役割というのは大きいなということを改めて思ったりもしました。
なるほどと思ったのが、近年の演出ではマキュシオというのはゲイなんだというふうな解釈で演出されることも多いそうなんですね。
恋愛対象となるのがロミオであったりベンボーリオであったりどっちか解釈が言えているそうなんですけれどもね、そういう意味で見たことはありませんでしたけれどもね、なるほど一つの説得力があるものだなというふうに思ったりします。
また教わったんですけれども、バルコニーでロミオとジュリエットが愛を語り合う誰でも知っている有名なシーンがありますけれども、この作品の中でバルコニーという単語は全く記載されていないわけなんですね。
もっと言うならばシェイクスピオ自身はバルコニーという単語自体を知らなかった可能性がある、概念がなかったという可能性があるので、
あのシーンはただの2階であって、要するにバルコニーじゃなかったって言われたら、そうかもうこっちは完全にバルコニーで擦り込まれてますので、そうなのかというふうに思ったりしますね。
これは本当に2019年に明らかになったということなんで、最新の研究成果だと思うんですけれども、シェイクスピア死後の全集としてフォーリオ、2つ折り番ですね、そのフォーリオ初版本というものがあるわけなんですけど、
そのフォーリオ初版を持っているアメリカのフィラデルフィア公共図書館というのが、貴重なその本を持っているそうなんですね。
そこには読者、読んだ人のメモ、式語と言われるものだと思いますけれども、それが書かれているわけなんですね。
誰が書いたのかっていうことは分かってなかったけど、近年になって、あの失落園で有名なミルトンのメモなんだということがね、分かったそうで驚きですよね。
びっくりしますけれどもね、そのメモの書きぶりからすると、ミルトンはどうもこのロミオとジュリエットを大変お気に入りだったということが分かってくるということでね、すごいですね。
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元の論の詳細を知りませんけれどもね、そんなことが明らかになってくる過程っていうのはワクワクしますね。
2019年の話ですから、まだまだこういうのって進展していくんだなと思ったりします。
これはね、カツラ・ブンチンなんかが小ネタとして落語の間に挟んでくることで、日本だとこういう恋愛悲劇っていうのは、
オソメ・ヒサマツとかね、オハン・チョウエモンっていう形で、女性男性とね、女性の方が先に出て、男性が後っていう風な形になるけど、
ロミオとジュリエットだと男が前だなっていう風な形をね、カツラ・ブンチンが言及してて、
その流れの中でね、大好き花子はというね、くすぐりがあったりするわけなんですけれども、
それはそれとして、ロミオとジュリエットなんですが、それに関連してね、面白い言い方してました。
この作品のラスト、本当に最後のところは、こう終わってるわけなんですね。
これほど悲しい物語は未だかつて存在しない。ジュリエットと彼女のロミオの物語。
なんかジュリエットが主人公、そんな風な書きぶりにも聞こえる終わり方をしているわけなんですよね。
ですので、誰の物語なんだっていうことに関してもね、解説で言及してくれてますのでね、そこら辺もとても読み応えがありました。
しかしやっぱりシェイクスピアっていうのは、作品数の多さっていうのもさることながら、時代時代ごとに役が生まれてきてね、
そしてその度に何か発見があってね、素晴らしい存在ですし、本当に古典を読む醍醐味っていうものが集まっているな。
年齢ごとに発見があるなっていうことを思わされる新役だったなというふうに思います。
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以上で38回目を終わります。
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