#032 名前だけ知ってるトマス・アクィナスとは/『トマス・アクィナス 理性と神秘』/本語り
2026-06-21 23:56

#032 名前だけ知ってるトマス・アクィナスとは/『トマス・アクィナス 理性と神秘』/本語り

そもそも『神学大全』とは邦訳で全45巻もあり、しかもそれはトマス・アクィナス全著作の7分の1でかないそうな。そんな知られざるトマス・アクィナスとその思想に、わかりやすさのために本質を犠牲にすることなく迫ったのが本書です。

【言及した本】

・山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書、2017)

・加藤喜之『福音派』(中公新書、2025)

・八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』(朝日文庫、2012)

・山本芳久『キリスト教の核心をよむ』(NHK出版、2021)

・山本芳久『三大一神教のつながりをよむ』(NHK出版、2025)

・山本芳久『ローマ教皇:伝統と革新のダイナミズム』(文春新書、2025)

・山本芳久『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書、2021)

感想

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00:10
本語り32回目です。
中古神主の福音派というのが、今、とてもよく売れているそうで、
それはやはり、アメリカのトランプ政権などに代表されるように、
アメリカのキリスト教の信仰というものと、政治の関係ですね。
それが、日本にいても注目されるようになっておりましたので、
そのことをね、解き明かしてくれる本性が売れているというのは、納得できるもので、
私も読んでみましたが、アメリカの政治と文化についてね、
キーマンとなるような人物などをね、紹介してくれている、非常にそうなのかと、
教わるところの多いものでした。
一方で、私のキリスト教の知識というものは、お粗末なものでして、
昔、非常勤講師として、キリスト教系の中学・高校で教えていたこともございますけれども、
その時にね、日本語訳の聖書なんかをもらったこともありますが、
別に読み込むこともなくという形の接し方しかしておりません。
とはいえ、もうちょっとなんか知らないと、西洋文学、文化もそうですけれどもね、
理解できないなという形で、本格的な解説書とか、そういったものは難しいんですけれども、
解説的なものはね、ちらほらと手に取ったりすることがあります。
そんな中で非常によくわかったのが、
八木沢良子さんの、何でもわかるキリスト教大辞典、
サヒ文庫なんですけれども、ライトなタイトルではあるんですけれども、
キリスト教の宗派のことなんかも含めてね、詳しく書いておりまして、
なるほどそうだったのかということがね、こちらもよくわかるものでした。
他にもね、いろいろと手を伸ばしていくと、
山本義久さんというね、東京大学の先生でいらっしゃる方が、
NHK出版から結構たくさんキリスト教関係の本を出していらっしゃいまして、
優しい語り口で、基本のキーというものを教えてくれているわけなんですけれども、
これが当立編のものというよりも、解説の姿勢だと思うんですけど、
省略したり薄める形でわかりやすくするのではなくて、
本質をわかりやすくね、たとえを交えながらね、
丁寧に伝えてくれるような姿勢が、いずれの書にも応一しているわけなんですね。
私も同じことができているとは思わないんですけれども、
原点といいますか、そういったものを伝えるときに、
省略してわかりやすくするのではなくて、
カットしないで何とか伝えようという努力を心がけているものですから、
その姿勢に共感して、またとてもよくわかりやすくって、
山本さんの本というものをいくつか手に取っていくことが多くありました。
最近では文春新書でローマ教皇というものが出ておりまして、
よくわかっていなかったローマ教皇のことなんかがね、
03:03
教わることが多かったんですけれども、その後書きなんかで、
大学生のときにね、カトリック信仰を持ったということも書かれておりますのでね、
ご自身がクリスチャンであることはやはり大事なんだろうなと思いますけれどもね、
ただそれであの、信仰を持っているからこそわかるんだという言い方という、
雑な感じではなくて、ちゃんとそのロジックを組み立てて、
それは丁寧に伝えようとしている姿勢というものがね、やはり素晴らしいものだと思います。
そしてこの山本義一さんの一番のご専門というのが、
トマス・ア・クイナスというね、中世の神学者、哲学者ですね、それなんですね。
そこで本文といいますかね、その本丸に分け入っていきたいけれども、
しかし学術書はなかなか、私なんかが片手間に読むのは大変というときに、
手に取って読み応えがあり、かつわかりやすく書いてくれているものとして、
今回取り上げたいと思っておりますのが本書です。
すなわち、山本義一さん、トマス・ア・クイナス、理性と神秘、岩波新書です。
それこそトマス・ア・クイナスなんていうのは世界史の授業でね、
固有名詞を暗記していったものですね。
何の実態もないただの知識として暗記だけしたものとしてはね、
スコラ哲学ですとか、それはアリストテレスとキリスト教を融合したものとかね、
あるいはその神学大全という著書とかね、
ただ覚えただけのもので肉付けされていないものなんですけど、
それについてね、このトマス・ア・クイナスを読みましたら、
非常にね、トマス・ア・クイナスについてそういうものだったのかということをね、
教わるものでした。
それこそ神学大全というのは名前だけね、私も覚えておりましたけれども、
なんでも日本語訳で全45巻にも上るそうなんですよ。
とんでもない長さですね。
しかもなんですけど、それはトマス・ア・クイナスの全著作のたった7分の1でしかないっていうんですね。
どんだけ著作を残したんだっていう人物なんですけども、
もうとにかくすごい書きぶりです。
その書きぶりのすごさっていうのが、
注釈書と言いますかね、中解というものですけどもね、
それなんか結構たくさん残しているそうなんですけれども、
晩年あたりのものを計算してみると、
現代の研究者が読むスピードよりも早いスピードで書いていたとしかね、
考えられない、そんなスピードで書いているんだというもんですね。
考えることと書くことが一致するようなと言いますかね、
そんなとんでもない人物だったということをね、
そんな印象に残るエピソードなんかもね、
いろいろと紹介してくれているものなんです。
そんな中でやはりこの本でもね、
いつものと言ってもいいかもしれませんが、
ヤモンスさんの姿勢が顕著と言いますかね、
明確にお書きになっているわけなんですけれども、
本書の中ではね、天使とか天国とかいうもの、
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コアな話題ですよね。
それをね、避けないということを言うわけなんですね。
要するに一般向けだから、キリスト教のことを伝えようとしたときに、
天使や天国の話題は避けて何とか伝えようという方法も、
なきにしもあらずかもしれないけれどもね、
それじゃあ一番大事な部分をね、
伝えきれていないじゃないかという形で、
そこを逃げないわけなんですね。
そこで、真に分かること、
分かりにくいが分かりうること、
分からないということが分かることに意味があること、
こういったことをね、伝えようという努力をね、
するんだということをね、
銘打ってお書きになっていますのでね、
やっぱりこの姿勢というのはね、
素晴らしいと言いますか、
私もね、ぜひ真似したいなというふうに思うものです。
別のところでは、
現代的意義ということを否定しているわけではないと思うけれどもね、
現代的意義を強調してね、
そこを接点に本を書くということもしないと言いますかね、
やっぱりあくまで、
トマス・ワーク・ウィンナースの本質というものをね、
捉えていこうという姿勢ですね。
でもその本質を分からない奴が悪いじゃなくて、
何とか本質を分かるように分かるようにというね、
心がけたのが本書、
および山本さんの他の著作だと思いますのでね、
こういう姿勢って、
ここでそういう雑な言い方をまたしてはいけないんですけれどもね、
信仰を伝えようというね、
思いが学術的に消化したものというふうにも、
感じられるわけなんです。
というわけで、私も本当はこの著作、
トマス・ワーク・ウィンナースという
岩波新書の本質をね、
頑張って伝えないといけないわけなんですけれども、
情けないことにね、私が一致反戒の解説をしてしまったら、
間違えて伝えそうになりますので、
ちょっとここはあくまでも断っておきますけれども、
私が面白いと思ったところを語るというスタイルにさせてもらいますのでね、
興味のある人は本当に私が嘘を言ってないか確認する意味でもね、
ちゃんと本書を読んでいただければと思いますけれども、
そんないい加減な読者である私にとってもね、
やはり得るものが多いものでしたので、
そこら辺を伝えていきたいなというふうに思っております。
スコラ哲学と言われるものなんですけれどもね、
トマス・ワーク・ウィンナースがそれこそ大成したと言われている人物なんですけれどもね、
それどういうものかと言いますと、
先ほども言いましたが、
私も世界史で暗記しただけの知識で知っていた
アリストテレス哲学とキリスト教神学を総合したということなんですが、
これどういうことかというと、
当時それまでキリスト教神学は連綿と受け継がれているとしても、
アリストテレス哲学というものが、
キリスト教世界では一旦途絶えてしまっていたわけなんですね。
それがイスラーム世界から逆輸入される形で伝わってきた。
それを元にキリスト教を融合していくと言いますかね。
これは都合よく使うというよりも、
本当にロジックとして融合していくという風な姿勢だと思うんですけれども、
それをした人物がトマス・ワーク・ウィンナースなんですね。
だからアリストテレス哲学を引きながらキリスト教の進学と言いますかね、
それを解釈を加えていくということも大いにあるということなんですね。
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当時としては非常に最先端の知識。
キリスト教よりも古いのに、
アリストテレス哲学という最先端の知識でもって、
キリスト教を解釈したという非常に面白い状況になっているわけなんですね。
トマス・ワーク・ウィンナースはヘブライ語もギリシア語も読めないそうなんですね。
ですので聖書はラテン語訳というね、
原書じゃない形、訳書ですよね。
訳書で理解していたわけなんです。
そしてそのラテン語訳に対して中解ですね、
を加えていくという著作が大量に残されているわけなんですけれどもね、
そこにはねやっぱり非常に深い洞察というものが含まれているという指摘をされているわけなんですね。
そこからさらにこの山本さんは、
じゃあ読解力って何なんだろうみたいな疑問も呈されていて、
やっぱり専門家っていうのは一時資料に当たる、
訳書で満足したらいけないということは当然そうしているわけですし、
中世でどれくらいそのヘブライ語、ギリシア語を学ぶのが難しかったかというのはわからないわけなんですけれども、
例えば私がね、シェイクスピアをね専門的に論じろって、
まあそんな機会ないんだけど、
言われた時に英語の原文も読まずにね、
訳書だけで何かやったらね、
そりゃあんたちょっとって言われるのが当然のことですよね。
で、我々が例えば本国だけではなくて、
屑子で書かれている資料に当たらなかったらね、
ちょっと手抜きなんじゃないの?って思われる。
というのは当然のツッコミなわけなんですけれども、
専門家ってのは一時資料をちゃんと見るということなんですが、
しかしこのトマス・アクイナスは、
訳書で聖書を読んでいたのに、
そこの洞察っていうものがものすごいということなんですね。
つまりやっぱり、
言語の壁というものが仮にあるとしても、
それでね、一時資料アクセスできるのは絶対した方がいいわけなんですけれども、
じゃあアクセスできなかったら全部その研究っていうのは無理で、
意味がないかっていうと、
そうでもないよっていうことを何か教えてくれるようでしたね。
それはやっぱりトマス・アクイナスの方法論というのが、
解説なりを加えるっていうときに、
要約的に解説、
ここで書いてあることはこうですねってまとめる形じゃなくて、
一文一文を非常に分析的に書いているそうなんですね。
そういう細部というものを見ていくっていう姿勢は、
こういうね、仮に訳書であったとしてもね、
深い洞察を得られるというものは希望があると言いますかね。
本当に全ての言語に通じることができませんので、
訳書であってもね、考察することができるのは、
前提としてどうせ私は何々語は読めないからってね、
諦めてしまわないっていうのも大事なことだなっていうことを感じさせられました。
これはまた有名な話らしいんですけど、私は知らなかったんですが、
進学大全っていうのは晩年ね、
ほんのちょっとで完成するっていうところまで行っていたそうなんですけれどもね、
その完成直前にミサの時にね、
宗教的洞察を得てね、もう筆を捨ててしまったっていうんですね。
もう今までこうやって書いてきたものは、
無意味とは言ってないんでしょうけれどもね、
完成させることに意義を感じないという形でね、
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もう完成させなかったそうなの。本当にあとちょっとだったそうなんですけれどもね。
それをしてね、こんな未完成の本を読むっていうのはどうなんだっていう風に
思ってしまう向きもあるかもしれないけどっていうところでね、
ヤンモスさんがここで非常にそうか、そういう見方もあるなっていう風な
視点を与えてくれているわけなんですけれども、
進学大全の執筆をこれは予選、
今までやったことが無駄だったんだっていうことではなくて、
進学大全をこうずっとね執筆してきて、
それを成功したからこそね、ミサで宗教的洞察を得ることができて、
新たなビジョンを獲得した。そのビジョンによったら、
進学大全完成によって新たなビジョンを提示できないから、
もう筆を置いてしまったわけなんだけど、
そのビジョンというものは、進学大全の執筆によって
得られたものだっても言えるっていうね、指摘をさせて、
まあ確かにそうだよなという風に思いますね。
私なんかは非常に至近な例に落とし込んでしまって恐縮ですけれども、
昔の話なんですけど、音楽番組なんかをね、テレビを見ていたら、
あるアイドルの人がね、昔の映像化なんかを見せられるわけなんですね。
そしたらね、多くの人たちは、こんな昔は恥ずかしいって形で流行がありますからね。
そんな若い頃の姿っていうものを否定的に見ているんだけども、
ある人はね、その当時となってはもうかっこ悪いと見られるような服装とかね、
素振りをしている映像が流れてきた時にもね、それを見て、
この頃があったから今の僕があるんですねみたいなコメントをしててね、
ほう、なるほど、やるなという風に思った記憶があります。
いきなり完成するわけじゃないので、仮定があるわけですよね。
それは到達した気持ちからしたら、幼い途中経過のように思えるかもしれないけれども、
やっぱりそれは否定すべきものじゃなくて、それがあったから今があるっていう視点ですよね。
そういうことがありますので、山本さんのね、進学大全未完成に対する見解っていうものも、
私の非常に至近な例えが思い浮かんで、納得できるなという風に思ったりしました。
その後ね、たっぷりとトマス・アクリナスに対してガップリオスで取り組んでいるんですけどもね、
そこは先ほど言いましたように、嘘を教えちゃいけませんので、
私が理解できて、ちゃんと伝えられる範囲でね、こんなことあったよってことを言っていきたいんですけど、
一つ加えて紹介しておきたいのが、新朝鮮書で世界は善に満ちているっていうね、
本をやはり山本さんがお書きになっているわけなんですけれども、
こちらは学生と哲学者の画風対談という形の形式をとっているんですね。
そこで、いわばこの岩波新書のトマス・アクリナスをより優しい形で示していた本になっていますので、
この岩波新書のね、複読本みたいな形で読めると思いますのでね、
興味のある人はそちらも読んでもらえるといいんじゃないかと思ったりします。
特にこの山本さんが研究者としてと言いますか、本人の志向としてと言うべきでしょうか、
特徴的な姿勢というのが、感情論というものに着目されているわけなんですね。
倫理とかもそうなんでしょうけれどもね。
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それはある別の研究者の人からしたら、トマス・アクリナスの一面であって、
もっとね、確信を出す話題と言いますか、それがあるんじゃないかみたいなツッコミもあるそうなんだけど、
いや、そうじゃないんじゃないですかっていうのがね、山本さんの姿勢なんですね。
一部によって全体がやっぱり現れている。
それこそ神は細部に宿るという俗に言われる言葉がありますけれどもね、
感情論というものの正確に、それこそトマス・アクリナスへの一文一文分析的に読み解いていったら、
そこにはね、やっぱりトマス・アクリナスの思想の全体に通じる何かがあるというふうな感覚はきっとあるでしょうし、
それはそうだろうなと思いますのでね。
山本さんのアプローチというもの、この感情論を軸にせたアプローチというものもね、
トマス・アクリナスの思想の革新に迫っていくんだろうなというふうに思わされます。
そんな中、私なんかが分かりよかったものとして、2つほどちょっと紹介したいわけなんですけれども、
1つはね、この本の副題には理性と神秘と書いてますので、
山本さんのこの本の革新にも触れる部分だと思うんですけど、
信じることと知ることの関係というもの、信仰と理性と言いますかね、
その関係についての言及で、非常に分かりいい例えを述べてくれていたわけなんですね。
トマス・アクリナスの原文を引いた上で解説した中で、山本さんが分かりやすい例えを出しているわけなんですけど、
誰か、友人か何かが、裏山にクマがいると言ったと言いますね。
すると、その時に、え、そんなんだ、クマがいるんだ、怖いなとかいうふうなことを思いますけれども、
この時に、クマがいるっていうのを信じたということは、誰かの言ったことを信じているわけで、
自分がクマを見たわけじゃないわけですよね。
だけど、え、クマいるの怖いねっていうふうな反応をしたとすれば、
それは信じているわけですね。自分が見たものじゃない。
それはやっぱりね、正確な知識を得るっていうことは、どこかで信じるっていうことが必要になってくると言いますか、
その機能があるわけなんです。だから、まあ、こんなに雑な言い方じゃないんだけど、
方向性として敷衍しているならば、信仰と知というものは相反するものじゃなくて、
どこかで関わってくるものなんだっていう言い方をされているわけなんですね。
いや、クマがいるなんて信じられない。自分は裏山に行って確かめるとか言って、クマに加えたらしょうもないですので、
結局、物事の全てを自分の目で見ることって無理なんですよね。
どこかで誰かの言っていることを信じないといけないということになってくると。
そうなってくると、全部自分で見ることができないから、信頼たるシステムという形で、いわゆる科学と言いますかね、
あるいはアカデミズムという形はね、誰かの言ったこれは本当ですかっていうのを本当らしさを確認していく手続きということで、
さどくとかいろんな形で信頼性を高めていくわけなんですけれども、
こういう構造をね、知と信の関係について言及しているのは面白かったですね。
有言被誤なんかのメカニズムもそうかもしれないけどもね、今本当にクマが出るっていうのをニュースでよく目にしますよね。
18:03
だからこそオールドメディアがなんだと言ってね、批判的なことがあるけど、
でもまあテレビでね、クマが出たとか言ったらみんな大騒ぎすると思うんですけどもね、
そこは信じるんだとね、SNSばっかり信じてるわけじゃなくて、そこは信じるんだなとか思ったりしますよね。
で、結局何を信じるかっていうことと知識の関係っていうもの、
もちろんこれは要するに神を信じるかどうかっていうことに関わってくるわけですよね。
神を実際に見たことがある人なんていうのは、私はいるっていう人いるかもしれませんけど、そんなにいないと思いますけれどもね、
その見たことがある人というもの、それを信じるかどうかっていうところですよね。
全部自分が経験しないとその存在っていうものを認めないっていうものではないわけなんですよね。
この関係性っていうものをね、見事な例えから導いてくれてるなっていうことを思ったりしました。
またもう一つとして、アリストテレスのニコマコスリン理学というものの中に抱えている、
例えを沿用したトマス・アクイナスのロジックというものとして紹介してくれているところなんですけれども、
まずこれはアリストテレスなんですけれどもね、難病にかかったけれどもね、それを治せる医者がいると。
しかしその医者っていうのは、コネのある人しか見てあげないという医者だった。どうしようもない。
しかし幸いなことにと言いますか、その難病にかかった人が、コネのある人しか見ない医者との知り合いの友人ですね。
コネのある友人を持っていたという状況があったとします。
すると幸いその友人の知ってから、その医者に見てもらうことができて治療することができたという状況があったとします。
この時に面白い言い方なんですけれどもね、難病が治ったのは誰のおかげかというのは、もちろん医者のおかげでもあるでしょうし、
だけどコネのある友人のおかげかというと、もちろんそのおかげでもありますよね。
じゃあ本人、難病にかかった本人は何の能力も持っていないのかというとね、そうじゃないという。
それはコネのある友人を持っていたという力を持っていたという言い方をするわけなんですよね。
これは面白い言い方だし、でもそうだよなというふうに思いますね。
それもやっぱり一つの何かを成し遂げたということと言えると思いますね。
ここでまた引きになれを私なんか思い浮かべてしまったわけなんですけれども、江戸時代の文献なんかを読んでいくわけなんですけれども、
手紙の資料なんかになってくると、とっても読みにくい字が出てくるわけなんですね。
頑張って頑張って辞書を引き引き読むわけなんですけど、どうしても1字か2字、読めない字が残ってしまうということがあるわけなんですね。
そんな時に私なんかは、よく読める先輩ですとか先生ですか、そういった方にすいません、この字が読めないんですが、どうでしょうかって聞くことがあるわけなんですね。
そしたらやっぱそれはさすが見事なもので、これはこうじゃないですかって言ったら、
あ、確かに言われてみたらそうとしか思えなくなってしまうけど、自分ではたどり着けなかったっていうことが大変あるわけなんですね。
ありがとうございますって言ってね。
それを埋める形で好評するっていうこともあるわけなんですけれども、
さあこの時、結局私はその字が読めませんでした。
21:04
ですので私に読む力はもちろんなかったわけなんだけど、しかし思うのが、もちろん全部読めたのはその先生なり、友人なり、先輩なりのおかげなわけなんですけれども、
一般の人は先生なり、友人なり、先輩なりへのアクセス権がないんですよね。
私は聞くことができるという力を持っているって大変ですけれどもね。
やっぱりそれは今までこの業界で頑張ってきて、お互いに切磋琢磨してきた云々があるからこそね、こうやって教えてくれませんかっていう関係性があるわけで、
それはやっぱり一つの力なんですよね。
だからなんだお前が実際自分で読んだんじゃないかっていうのは簡単なんだけど、
ああそうですよ、じゃああなた何々先生に直接聞きに行ったらいかがですかと、そんな言い方絶対僕しませんけどね。
言ったらね、いやそんなおこねがないのに聞けないですよっていうことになりますよね。
もちろんいろんな方々優しいから、実際聞いたら教えてくれると思うんですけれども。
でも結局その人の力っていうのは、その人が本当に持っていると言ったら変ですけれども、
実際の自分の能力だけが全てじゃなくて、自分よりもっとできる人につながることのできる力っていうのも実はその人の力なんだということもね、
確かにこれは言えるなっていうことを引きになれるとして思ったわけなんですね。
さあこれももちろんですけれどもね、人間と神の関係というものに関係してくるわけなんですよね。
人間だけだとたどり着けない境地で、善なるものというものがあるとしてもね、
それは人間だけだったらだめだけど、神とつながることによってたどり着けるものがあるっていうね、ロジックにつながっていくわけでね。
なかなかやっぱりこのたとえとかロジックとかトマス・アクイナス張りなのかどうかっていうのは、
私トマス・アクイナスを山本さん経由でしか読んでないからわかんないんですけれどもね、
巧みですよね。ただ信じればいいんだ、信じない奴がわかんないんだって世界じゃなくって、
ロジックによって解き明かそうっていう姿勢が応一してますのでね。
そういった意味でも非常に読むのがね、面白いと言いますか、読んでいて、
私の一知半解の理解ではあるけれども、自分に当てはめて演用できるというね、
ああなるほどそうかと思えることが多い、刺激的な本ではありました。
さて、本語は毎週日曜日更新です。
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以上で第32回目を終わります。
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