番組紹介と岡啓輔氏との出会い
本語り40回目です。 もう10年ほど前になると思いますけれども、まだ家にテレビがあった頃、毎週録画してみる番組というものが少ないながらありました。
その一つが、タモリクラブでして、毎週録画して見ていたわけなんですが、ある時なんですけれども、手作りでビルを建てている男というものが出てきまして、
その手作りビルというものに、タモリ他が向くという会がありました。 手作りで作っている人というのが、岡慶介さんという人だったわけなんですが、その経歴でテロップで出た時に、
有明工船、有明工業高等専門学校卒業というふうにあって、おっと思いました。 というのが、ちょうど私がその時有明工船で教えておりましたので、うちの卒業生だというふうに見たわけなんですね。
と言っても、私よりこの岡さんは年上ですので、もちろん重なるような時代は全くないわけです。 そして最近なんですけれども、ある本が目につきました。
それが、 岡慶介
アリマストンビル 自力でビルを建てた男
チクマ文庫です。 もちろんこれは、あの時あっと思ったタモリクラブに出ていた、自力でビルを建てた人の自分で書いた本なわけなんですね。
興味を惹かれまして買ってみたら、これがまた内容が充実したもので、いろいろと全く知らない世界を覗かしてくれた本でした。
岡氏の経歴と有明高専での学び
まずこの岡さんは、旧建築士でもあるわけなんですけれども、型箱大工をはじめとした様々な職人としても働いていたという経歴の持ち主なんですね。
特に本書の中頃ぐらいから、ライフヒストリーが詳しく記されているわけなんですけれども、有明工船の建築学科に入るということになったわけなんですね。
そこで先生が写真などを授業で見せるわけなんですけど、世界の名建築の類を毎回のように見せていくと、するとその建築というものに魅了されていったということがわかってくるわけなんですね。
私も工船に勤めておりましたので、よくわかるわけなんですけれども、工船卒というのは、名だたる大企業にみんな就職していくようなものなんですね。
それは即戦力の人材としての教育を受けている、そして大変優秀な学生が多いですので、組織人としての活躍が期待されているわけなんで、それでそういうふうに入っていくわけなんですが、
その時、私なんかはずっと文系でやってきましたもので、理系というか工業系といいますかね、工船という場に身を置いて初めてそういった世界のことを垣間見たわけなんですけれども、
そこでまずちょっとね、私の認識を改めたのが、理系というと世間一般の類型的なラベリングでいうと、コミュニケーションが苦手な人が多いような印象を持つ場合もあるかもしれません。
実際のものはさておきですね、そんな理系だからコミュニケーションが苦手だ、みたいなそんな印象があるかもしれませんけれども、
しかし実際に理系という世界に身を置いてみると、コミュニケーション苦手どころか大前提がチームプレーなんですね、あっち側はね。
もちろんね、もともと苦手な人もいるでしょうけれどもね、それでもチームプレーができないと話にならないという世界なわけですね。
それは学生も教員もそうでして、ですので文系の方がよっぽどコミュニケーション能力が劣っているといいますか、自分勝手好き勝手やっている印象がありますので、
そういった意味でね、この理系のチームプレーというのはすごいものだなというふうに思いました。
そういった意味でも私はやっぱり文系の良さというものを実感したところがあるわけなんですけれども。
ハウスメーカー退職と建築探求の旅
だからこそよくわかるわけなんですけれども、岡さんが有明高生で着実に力をつけていったわけなんですけれども、
そんな中でこの学校の勉強というものを続けていった先には建築設計士にはなることができる。
しかし建築家というものは育てられないんじゃないかという思いを抱くわけなんですね。
そういった思いを抱いた上でハウスメーカーに就職することになったということで就職したわけなんですが、
初めからもう1年で辞めるつもりで勤めたということなんですね。
そこでの日々というのはなかなか充実したものだったらしいわけなんですけれども、しかし優秀だったんでしょう。
結構上司からも目をかけられて、最初京都に赴任したらしいんですけれども、東京に英天という形で転勤が決まったわけなんですが、
ただその岡さんはもう辞めるつもりだったので、事象を持って上司に相談していったということがあると。
なんだかんだあって結局1年8ヶ月で辞めるということになったわけなんですね。
そしてここからがまた独特といいますか、パーソナリティがよく現れているわけなんですけれども、
辞めて東京から福岡の実家まで自転車で向かっていったというわけなんですね。
そして実家に着いてからはどうしたかといいますと、母校、すなわち有明高専の図書館に日々通って図書館ごもりをした。
こもって何をしたかといいますと、建築雑誌の何十年分かのバックナンバーをずっと見て、
そして見ておくべき建築物リストというものを自分で作ったそうなんですね。
そしてそのリストをもとに自転車で巡る旅というのに出たわけなんですね。
基本の塾で、あんまり疲労がたまったら郵送船に泊まるという形でずっと巡っていったというわけなんです。
ここでとっても感心するわけなんですけれども、その有名建築物といいますか、そこに行ったときに、
お母さんが心がけているのが、ちゃんと見るということなんですね。
普通にざっと見るだけだったら、5分後見たら飽きてしまう。
私なんかまさに、さすがにそこまで短くはないかもしれないけど、ずっと集中してみるということはなかなか難しいと思いますけれどもね、
お母さんは最低1時間か数時間はとにかく建築物をじっとよく見るという、
いろんな形で近くから遠くからも含めて、中に入れるなら中に入ってという形でずっと見る、何時間か見る。
その後でまたじっくりとスケッチをして、6時間くらい同じ建築物にいることもあったわけなんですね。
それどころか、条件が許せば、その建築物の横にテントを建てて、建築と添い寝をするということをしたというわけなんで、
なかなかこれは本物と言いますかね、ご自身描いてますけれども、建築オタクぶりというものがちょっと並み外れた感じがあるわけなんですね。
そんなスケッチも一部本書に収録されてますけれどもね、こんな言葉が適当かどうかわかりませんけど、めちゃくちゃうまいですよね、すごいなと思います。
また文章でも詳細なメモを残していることが、そのスケッチなどから伺えるわけなんで、
そんな建築武者修行と言いましょうか、建築の旅をずっと続けていたというわけなんですね。
舞踏との出会いと即興建築への着想
そして高山建築学校という、夏だけ開催される私塾のようなものがあるそうなんですけれども、
そこに行くと、毎年のように通っていって、そして非常に有益な体験を重ねていったことがあるそうなんですけど、
3年目に当たった時、その後恩師と慕う倉田康夫さんという建築家の方がいらっしゃるわけなんですけれども、
その方にお母さんが課題を出して、非常にそれはそれで認められていたところがあるわけなんですけれども、
しかしそのお母さんが最も慕う倉田先生からは、もうお前は建築禁止だと、1年間建築をするなってね、図面なんか引いたら破門だみたいなことを言われてしまうわけなんですね。
というのが、オタクぶりが道に入りすぎて、建築のことだけ考えている、建築というのはそういうことじゃできないんだという形で建築禁止を命じられてしまったわけなんですね。
そこでそれを真面目に引きまして、どうしたかと言いますと、
その人の弟子である和栗幸男という人と縁がありまして、その人の下で舞踏を踊るということになったわけなんですね。
全くダンス経験がないわけなんですけれども、いわゆる一般的なダンスというのとはまた違うメソッドと言いますか、
それで初心者だけれどもそこの世界に踏み込んでいくということになったわけなんですね。
そこでいろいろと訓導を受けて続けていったときに感じるものがあったわけなんですね。
即興というものを、あるいは感性というものを大変重視する。
踊りのスキルを身につけるというよりも、もっと感性とか自分の思ったことを、その場で思いついたことを表現していくというのが、
肘形氏、和栗氏の舞踏というものは重視しているということもあって、そのことを吸収していったわけなんですけれども、
そこから回り回って踊るように作る即興の建築というものに思いが至っていくわけなんですね。
そして、頭ではなく手で考えるということですね。
そういったことも候補論として重視していくわけなんですけれども、そのままずっと無職というわけにもいきませんので、
現場仕事と化学物質過敏症
仕事をするときに、もともとはハウスメーカーでいろんな設計をしていたわけなんですけれども、
現場仕事というものに飛び込んでいくわけなんですね。
飛び職もやり、型枠大工、型枠大工というのはコンクリを流し込む型枠を作ったり外したりする大工ですけれども、
いわばコンクリート建築にはもう絶対に欠かせないものですよね。
その型枠大工もやりという形で仕事を覚えていったわけなんですね。
しかしそのときにいろんな副産物があって、一つは化学物質過敏症というものになってしまったということなんです。
また仕事をしていくと、現在の手抜きだらけの住宅建築というものを見てしまうわけなんですね。
例えばもともとの設計にあるとおりに釘を打たないで、少し釘をまびいて打つような、
そんな類のものを現場で横行していることを見てしまったわけなんですね。
こういった現場仕事というのは、1年ぐらいの細工で勤めてはやめというものを意図的に繰り返し、
そしてお金を貯めたら夏の高山建築学校には必ず行けるような形にしたりというふうな、
かなり目的を持って仕事を点々としていろんなものを身につけていくということをしていたわけなんですね。
そんな中でアーティストの人たちとも出会い、また一方で奥さんとも出会うということがあったそうなんです。
土地の取得と建設業界の壁
そんな困難をしていて、30代に入った頃だったと思いますけれども、奥さんから、
あなた一級建築士なんだから、家は建てられるんでしょう?という話になったそうなんですね。
建てられるよ、みたいなことを言ってしまったそうなんですね。
心の中では結構虚勢じゃないけど、そんな感じだけども言ってしまったということで、
引っ込みつかなくなったそうなんですけれども、そこで家を建てるという話が進んでいくわけなんですが、
まず土地を探すということになったそうなんですね。
そこで本書のタイトルでもあるアリマストンビルというものですね。
それが例の自力で建てたビルの名前なんですけれども、
このネーミングはその友人のアーティストに付けてもらったそうなんですけど、
アリマスというね。アリマス、アリマセンのアリマスですね。
アリマスにヒルトンとか、なんとかトンって付いたら格好いい、格があるように感じるかということで、
アリマストンというふうに付けたと。
ですのでアリマストンビルなんですが、それにプラス漢字を当てて、
アリとマスとトンビというものに漢字を当てて、
残ったルはルコルビジエのルなんだということを言っておりますけれどもね、
それを作る話がここから進んでいくわけなんですね。
そしてまずはね、土地を探さないといけないということになるわけなんですけれどもね、
結果的にこのミタに作っているわけなんですが、
あんな港区のものすごい良いところにね、
どうしてそんなところに土地を手に入れることができたんだということなんですけれども、
まず当初その土地に行ったら良さそうな場所だということで、
果たして値段聞いたら6500万ということなんですね。
とても手が出る金額じゃないわけなんですけれども、
しかしさすがここら辺は専門知識ある人は違うなと思うわけなんですけれどもね、
土地の等規模というものを見たそうなんですね。
そうするとバブル期に審判会社が1億円で買った土地だったということがわかるわけなんですけれども、
しかし実際にその場所を見てみたら裏に崖が迫っていたりしてね、
これはとても売れないなということを見て取ったそうなんですね。
1億円で買ったものを6500万円で売っているけれども、
それでもとてもこれは売れんだろうと見込んだんですね。
そこで不動産屋に買いたいんですけどという話をしたら、
いいですよと言った時に、
1400万円でどうですかと言ったら、
いや馬鹿言っちゃいけないよと、6500万円なんだからと言ったけれどもね、
そうですかと言ったらその場は終わった。
しかしこの岡山商産がありますので、
半年後に行ってみたらどうです売れましたかと言ったら、
いや売れてないんだと話になったみたいなんですね。
そこでじゃあまた私買いますよと言ってね、
じゃあ1550万円でどうですかと言ったら、
また馬鹿なこと言っちゃいけないということをやりとりがありつつも、
結果的にずっと売れない土地を放っておいてもいけないと思ったのかどうか分かりませんけれどもね、
その値段で買うことができた。
5000万円近くディスカウントして買ったというすごい話ですね。
その土地を手に入れたわけなんですね。
そこで自力で自分で建てようと思ったわけなんですけれどもね、
とはいえ地下を作るためにちょっと地面を掘ったりしないといけないので、
重機が使える会社に相談なんかしてもね、
あなたじゃあどこの会社を通してるんですかと言ったらね、
いやいや自分で自力で建てようとしてるんだったら、
誰も相手にしてくれないというわけなんですね。
いやあの2倍のお金出しますからと言ってもね、
全く相手をしてくれないというわけなんですね。
しょうがないからもう自分で穴を掘っていくということをね、
自力で友人とかにもたまに手伝ってもらいながら、
自分で掘っていくということをせざるを得ないということなんですね。
かつ建築資材というものも買おうと思ったら、
専門の建築資材屋に行ったところ売ってくれないそうなんですね。
さらにちょっとお願いしますよという形で言ったらね、
非常に質の悪いものを桁が1つぐらいふっかけたぐらいの形でね、
これじゃあ買うかみたいなのを言ってきてね、
いやそれはとてもちょっと買えないという形で引っ込むということがあった。
つまりもうがっちりその建築業界というものが、
よそ者が入れないような仕組みにしてるわけなんですね。
そもそも自分一人で建てようという人間がいるわけないという前提なのかもしれませんけれどもね、
そういった意味でも本当に自力でやるしかないという状況になってきたわけなんです。
コンクリート建築の秘密と安藤忠雄
そこでホームセンターで建材を自分で買ってくるということにしたわけなんですね。
そうやって本書の中で試行錯誤の結果の工夫も書かれていて、
興味深いわけなんですけれども、
ここでそういうことなんだと思って教わるのが、
まずコンクリートというのは水とセメントの比率というものがあるわけなんですけれども、
普通のコンクリートの中の水の比率というのは、
セメントが40%に対して水が60%ぐらいが普通なんだそうですね。
しかしこの岡さんは水の比率を37%までにしているわけなんですよ。
というのが本当はコンクリートの強度を考えたら、
水の比率は低ければ低いほど強度が増すわけなんですけれども、
商売としてやっていく時、採算とかを考えたら60%がギリギリというのがラインなんでしょうね。
しかし例の現場仕事もしたことのある岡さんからすれば、
コンクリートミキサー車に入っている段階ではちゃんとした比率であっても、
現場で勝手に水を入れて薄めたりとか、あるいは雨が降ったりとか、
いろんな不確定な要素であって、
本当の計算通りの強度というものが確保されていないということがわかるわけなんですね。
また型枠も何メートルもあるような型枠に一気に流し込んだりしますので、
そういった意味でもちょっと強度的に怪しい部分が出ているということがわかっていますので、
そこで岡さんはそういった水の比率が37%という、
そういったコンクリートを自力で打っていくわけなんですね。
そのことを確認しに来た専門家というものが、
これはすごいと、200年もつ強度だということをびっくりするわけなんですね。
それが例の東日本大震災にも遭遇したわけなんですけれども、
ひび一つ入らなかったということで、それは証明されたという形になったわけなんです。
ここでまた非常に興味深い指摘があったわけなんですけど、
やっぱりコンクリート建築といったら安藤忠夫というものが有名ですけれども、
ここで岡さんも安藤忠夫の大ファンなわけなんですが、
そういった意味でよく知っているわけなんですね。
その上で言っている発言なんですけれども、
安藤忠夫はご承知のようにもっとプロボクサーだった人が、
独学で日本を代表して世界に通用する建築家になっていたということは、
よく知られていると思いますけれども、
岡さんが言うには、あれはやっぱりコンクリートだからできたんだということなんですね。
高専とかハウスメーカーで学んだとはいえ、
いわば独学、独立で建てようと思ったときの選択肢として、
コンクリートが一番いいんだみたいな感じなんです。
というのが、木造とか鉄骨作りというのは、
さまざまな技術の複合体らしいんですね。
だから一人でやろうと思ったら、
本当にいろんな技術を身につけないといけないわけなんですけれども、
コンクリートというのは言ってみれば、
一つの技術でいけるというわけなんですね。
そういった意味で、安藤建築の独学でできた理由というものも言っていて、
もちろんだからといって安藤忠夫の凄さというものは、
少しも厳じないわけなんですけれどもね、
その理由というものを、お母さんならではの視点で指摘してくれているというものが、
興味深いものでした。
ちなみに安藤忠夫の建築というのは、見てかっこいいものなんですけれども、
何かのインタビューのときに安藤忠夫は言っていましたけど、
自分の建てたものには住んでいないんですね。
普通のマンションに住んでいて、
やっぱり普通のこういったマンションというのは快適だねとか言って、
安藤忠夫の作るものというのは、
住吉の長屋を代表的なように、
自分の家の中庭が雨が降っていたら傘をさして通らないといけないみたいな、
住吉さから言ったら、ちょっと疑問符が残るようなものがあるわけで、
快適さという面でもね、
どうかなというものがあるんでしょうけれども、
安藤忠夫自身は普通のマンションに快適に暮らしているというのを見てね、
なかなか面白いものだなと思ったことがあります。
さあそれはさておき、
20年かけたビル完成とその後
このお母さんは、なんと20年もかかって、
有馬ストーンビルがついに完成したわけなんですね。
しかし本書の終盤あたりなんですけれども、
なんでもこの本自体は、
もともとバベルというね、
単行本から文庫化されたものらしく、
で、文庫化された段階で、
さらに加筆なんかもされていて、
そこでね、現在地と言いますか、
前の単行本からのアップデートの部分というのも書かれているわけなんですけれども、
ここの部分がそんな微談で終わらないと言いますかね、
いろいろと考えさせるものがありました。
一つは再開発というものがあって、
結局立ち向き要求にさらされているわけなんですね。
ずっとそれと戦ってきたということが書かれているわけなんですね。
あともう一つが、
一緒に暮らすための家を建てるというつもりでやっていたものが、
奥さんといろいろ会って、
結局離婚するということになったそうなんですね。
そういったこともね、最後あたり書かれていて、
いろいろな思いにさらされますが、
個人としてはミッドライフクライシスと言いますか、
そういったものも感じるし、
そしてもともとの奥さんの生き方ですよね。
それはハウスメーカーを辞めたときから、
もうこれはある意味、いつかはこれが直面するということは、
もしかしたら宿命づけられていたのかなということも思うわけなんですけれども、
結局その組織とか秩序とか、もっと言えば権威とか、
そういったものに背を向ける生き方を選んだときに、
ほっといてくれればいいんだけれども、
組織側、秩序側、権威側のものというものがね、
目障りなんですよね、この奥さんの存在というものが。
それで何か必要以上に排除というものをしてくるような仕組みも伺えるような気がして、
それは日本社会だからとも言えないような、
人類においてはやっぱりこの組織と秩序に歯向かったら、
何か目にものを見せてやるという、
必要以上の何かが起きるような疑問させられるような、
ちょっと悲しいけれども、
そんな現実というものもあるのかなということを感じてしまいました。
特にこの建築というのがやっぱり人との共同作業とか秩序とかをね、
組織とか秩序にのっとって建てられるものですか、
特にビルレベルの大きな建築物というのはそうですから、
そこにお母さんが独立で立ち向かっていくというもの、
それは圧力を生むということは必然だったのかなということをね、
悲しいながら感じてしまいましたけれどもね、
しかしそんなことがありながらも、
全うしてくださったことで一石を投じることができた。
そしてこういった本にまとめて知らしめることで、
ただ単に自分でビルを作りましただけではなくて、
この現在の日本社会あるいは人類社会を構成している基盤というものを、
何か垣間見させてくれたなということを感じました。
というわけで興味本位から手に取った本なんですけれども、
建築業界の全く知らない世界なんかも覗かしてくれて、
そこにまた風穴を開けるような、
この岡さんの生き様というものもなかなか読み応えのあるものでした。
番組告知
本語は毎週日曜日更新です。
Spotify、Apple Podcast、Audibleなど各プラットフォームで聞くことができます。
継続してお聞きくださる方は是非フォローをお願いします。
以上で40回目を終わります。