岡田さん、自己紹介してください。
そうでしたね。
ポッドキャストを年間300本ぐらい作ってます。クリエイターの相馬です。
次は僕ですね。ピーターです。よろしくお願いします。
デザインしてる人ですね。
デザインとかしてます。ピーターです。
小森さんに来ていただいてます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
過去の経験、インタラクティブ、感覚が多いんですよね。
思考があっちこっちに行くし、
思考があっちこっちに行くってことは、さっきの取り入れる感覚もあっちこっちに移るんですよね。
それを落ち着けるためには、メタで見る必要があるな、みたいな。
必要に駆られて。
何もしてないとメタで認識するのは本来苦手なんだと思うんですよ。
よりグーッと内に入っていくのが、わりと無意識的にできることなんですけど。
でもそれやってると多分感覚型になっちゃうから、頑張って努力してメタに見るみたいな。
ちょっと本来不得意なことをそこはしてるんだと思うんですよね。
だからもしかするとそれ制限してるかもしれないですね、自分を逆にね。
逆に。
だからもっと多分フィジカルだけにしたほうがもっと本当はいいんじゃないですか。
だから多分メタ認知してるのって多分社会性とかコミュニケーションを取るために多分してるだけで、
本当の能力的にはそこじゃないやつでやって、ずっとグーッていくだけしてたほうが、もっとディープにいけるんじゃないですか。
もしかして小染さんが憧れてる1000人の人も喋らず、本当手とかだけでそういうのやっちゃうっていうところなんですか。
全然説明上手ではないんですよ。
いや言いますよねそうやってね。
だから言語化とかやっぱり大したことないんですよ。
再現性を作るためには教育的にはいるかもしれないですけど、
でも別に正直ビジネス的な話とか、人類の英知的なものを誰かに伝えようみたいなこととかを全部取り除いたら、
どうだっていいじゃないですか。
そこで起きてるすごい技術とかそれが一番尊いからですね実際は。
そこに集中するのを止めてメタにするのはどういうブレーキだったんですか。
ブレーキなのかどうかもわかんないんですけど。
でもブレーキ感はありますね。
それこそ起業する前とかに、同い年で起業してたすごい友人がいて、
あの人に言われたのが、リュウ君はアクセルとブレーキ両方ベタ踏みしてる感じだよね。
大変。タイヤが焦げちゃう。
一歩も動いてないみたいな。
って言ってるけど、2センチぐらいしか進んでない車みたいな。
死ぬ死ぬ。
それもうタイヤ焦げますよ。
なんか多分欠けちゃうんでしょうね。
だからリミッター外す練習したら面白いかもしれないですね。
確かに。
外したいんですか。
外したら気持ちいいことも知っているけど、外したら怖いから多分外せないんでしょうね。
じゃあ俺が一つ名言を与えますよ。
本当にしたいことは怖いと思っていることらしいです。
外さなきゃじゃん。
なんかメンタルブロック的なやつっていうか、それはあるらしいですよ、心理的に。
確かにそう思われると、怖いなと思っているやつって、怖いなでもしていいなってもうちょっと小っちゃい子に結構つきません?
確かに。怖いなでもやってみたいな、ワンセットですね。
ですよね。それって結構心理だなと思って。
本当っすね。
怖いなって言ってる時点でもう興味ありますもんね。
確かに。
本当に興味ないこと怖がらないかもしれない。
本当っすね。
だからそれを受け入れていくことが、それを聞いて自分は結構怖いなと思ったときにそれを思い出すようになったんですよ。
これはいいソフトウェアですけど、だからこれがあると、この言葉があると守りというかね、
この言葉があると、本当にやりたいことなのかなっていうのをもう一度問えるタイミングがあって、
本当にその怖さが何で出てきてる怖さなのかなっていうのをもう一回反省して、
それでもできないことってあるんですよね。
例えば家族関係に影響があるとか、お金がすごくどうのこうのとか、大事な人が悲しむとかあるじゃないですか。
そういうのでブロックされてることも結構あるんで、それはじゃあやめるかっていうのもちょっと納得できたりとかする気がするんですけど。
これはちょっと今日いいこと聞いたな。
これは俺も聞いた中で結構確かになって、それの後ずっと思ってますねやっぱり。
じゃあ俺はもう長島茂雄監督みたいになろう。
全部擬音で。
ビャーってグラーってやって。
めちゃくちゃいいですね。
分からんかったけど体が軽くなったんでありがとうございましたみたいな。
でもなんかやっぱり仕事柄っていうか、自分も説明がちになってるのってやっぱり説明しないといけない仕事だからっていうのもあるんですよね。
コミュニケーションしないといけない仕事だから。
同じと思うんですけどみんな。
僕たちは多分結構コミュニケーションしないといけない仕事だから3人ともですね。
確かに確かに。
説明しがちな業種ではあるなと思うんですけど。
意外と長島茂雄監督の表現ってめっちゃまとえてたりするんですよ。
スポーツのアスリートの支援とかもやったりするんですけど。
その時ってこの筋肉この関節をこうやってとかって言ったらめちゃめちゃパフォーマンス下がるんですよね。
やっぱりそれこそアスリートは感覚的にやってもう本当にコンマ何秒みたいなそういう世界でやりくりしてるので。
よりオノマトペとかの方が伝わりやすかったりとか。
アスリートじゃなくてもリハビリでもなんかこう例えばわかりやすいところで言うとこう手を上に上げてくださいって言って上に上げるのと。
指先を天井に向かって伸ばしてくださいっていうのだと使う筋肉の活動も結果上がる角度もちょっと違ったりするんですよ。
確かにヨガやった時に第一感じて伸ばしましょうとか言われました?
そうそうそうそうそう。
確かに。
そういうやっぱり感覚的なことでぐーっととか気持ちよくとかじわーっととかそういうオノマトペ大体使うじゃないですか。
はいはいはい。
やっぱそういうこう体の感覚含めて指先が天井にとかもちょっとこう主観ではないですけどもより体の方感覚の方に多分意識が行くんですよね。
肩を腕をこう動かそうじゃなくてその体自体を感じに行くようなそういう表現のほうが結果動きのパフォーマンスはすごく上がりやすいみたいなのがある。
意外と長嶋知恵夫監督のやつはね、結構ちゃんと見直すとよかったりするんですよね。
めっちゃわかるなみたいな。
ほんとそうっすもんね。なんかほら、だから俺も言語化が大したことないって言ってるのは結構そこですもんね。
もうあるじゃないですか感覚がですね。
シューっとか。
もっとこうバキ。
結構ありますよだから僕たちのやつでも。
もうちょっとバキって来させてとか。
バキって来てないとちょっとなんかねーとかいっぱい言ってるけど。
結局そのほらまあなんかじゃあ30パースかねとかっていう話ではないんですよね。
だから微調整するときにパーセンテージで話すことはあるけど。
あとやっと1パーずつ上げてとか。
でもなんかバキってきたねとか結局言ってるのはなんかそんな話ですもんね。
これ結構パキパキっすねみたいな。
もうちょっと柔らかくしよっかみたいなとか。
色がパキって出過ぎじゃないとかなんか。
なんかもうちょっとあと半分ぐらいかなとかね。
なんかなんとなくこうそのもう何ミリとか言わなくてこう。
なんていうんですか様子というかなんかね雰囲気みたいなの作るのって結構そういう言い方。
まあもっと細かいとか何ミリとか言いますけど。
なんかそのそういう表現でやりとりしているときって意識ってどこに向いてるのかなと思って。
どこにっていうのはその作ってる作品に向いてるのか。
あるいはその作品を見てる人なのか。
結構とかやっぱりリハビリをこう体で直接やるし。
あとそのいろんなこうプレゼンテーションの資料とかも作ったりっていうのも。
なんかその時ってやっぱりそのスライドで喋っている自分の姿と。
あとはそのスライドと喋りを受けている聴講者受講生みたいなところをイメージしながら気持ちよさを作っていくイメージなんですけど。
どこにこう意識を持っていってるのかなと思って。
これねもう完全に答えがあるんですけど。
自分の違和感を全部取り払うと困るんですね。
もうそれしかわかんないです。
結局結構自分のことしかわかんない。
だからマーケティング的にこういうふうにしたほうがいいとかっていうのはもちろん計画の中に入れますけど。
こういう人が女性が見るとか男性が見るとか。
でも最後詰めるところは自分だけ。
そこがコストなんですけど。
どこのある時間かけれるかとかのコストみたいなことになってきたりもするんだけど。
あーもうこれおかしいなっていうのがちょっとでもあったらもうやっぱおかしいですもんね。
自分がなんですね。
だからそれがアートディレクターの仕事と思ってますからね。
人が作ったものを見て自分が違和感があるのをどこまでするかって。
アートディレクターするときはそういうのが一番大事かな。
結構すごい自分との対話をする仕事ですね。
うん、だと思いますよ。
だからさっき言ったみたいに自分。
でもそこまで極端にはしてなかったんですけど今までは。
今まではっていうか、そういうときもあったんだけど。
結構いろんなほら、自分だけがデザイナーじゃない場合とかも結構増えたんで。
もうこのずっとやってる中で増えてきた。
初めは一人でやってたから自分だけだったんですけどね。
だからほら、人のやってるものを詰めてもらうっていうすごく嫌な言い方ですけど。
たぶんされてるほうはすごい嫌だと思うんですけど、監督業ですよね。
現場監督って建設の。
例えば、現場監督とかもそうだと思いますよ全て。
結局自分で自分の建築っていうか例えば店舗デザインとかするときとかでも、
職人さんが作ってくれるじゃないですか。
自分が大工さんとかできるだけじゃないけど。
でも感覚全然違うんで、めっちゃ修正とかいるんですよ。
これみんな言うんですけど、現場監督さん次第とかで全然変わるんで仕上がりが。
だからデザイナーがいるといないのもそれと違いはすごく出るんですけど。
大体職人さんたちって、これ一般論ですけどね。
別にディスってるわけじゃなくて。
結構やっぱり技術者なんですよすごく。
だからすごいこっちのほうが技術的にいいとか、
例えば使い勝手みたいなところが一番先に来るんですよね。
そういう整合性。
例えばこの分厚いやつの方がぶち壊れるんでしょみたいな素材が。
1ミリだと薄すぎるから、これ5ミリないとすぐ倒れそうですとかすぐ壊れますよとか言うとするじゃないですか。
でもデザイナー的にはすぐ壊れそうなやつを壊してもいいから1ミリにしてくださいとか言うわけですよ。
例えばね。
それはちょっと極端な言い方ですけど。
だから非合理的じゃないですか。
1ミリにするのって。
でも感覚的にはそういう儚さを表現してたりするんですよ。
1ミリで薄くてギリギリ立ってるか立ってないかわからないところが美しいと思って作ってたりするんだけど、
職人さんはそれがわかんないっていうかそういう概念で物は作らないんで物作りなんで単純な。
感覚で。
5ミリないと危ないですよとか5ミリないとすぐ割れるんじゃないですかとかっていうので勝手に5ミリにしましたとか言うんですよね。
だからいやいやってなって1ミリにしてくださいっていうのを何回もやらないと1ミリにならなかったりするんですよ。
これ普通にあるあるなんですけど。
だからすごい変なやつ作るのって結構難しいんですよ。
理解できないから作る人は。
でも再現性のあるとやばいところこそ意外と感覚で作っちゃわないとダメみたいなところって結構ありますよね。
世の中たぶんいっぱいある気がします。
いっぱいある。
だからあるある話で安藤忠夫さんって建築家の人わかります?
コンクリートの建物とか建てる人がいるんですけどめっちゃ有名な日本でももうすごいトップの建築家。
名古屋島に美術館ありませんでしたっけ?
そうそうそうそうですですあの人。
他のやつとかを工事した人とかはみんな言うけどなんかもうクソみたいに言ってますね。
何をですか?
だからそのなんか性能とか性能っていうか使いやすさとか全然考えてないからクソだっていう人がいるんですよ。
でねこれなんか物議を醸す建物があってその初期の作品でなんかこう長屋があるんですよね。
あの安藤忠夫さんの。
でこれあの何だったかな名前。
えっと住吉の長屋っていう家なんですけどこれなんかあのすごい物議を醸してるのが部屋を渡るときになんか天井がないところを通らないといけないんですよ。
でえっとそれっていうのはあのなんて言うんでしょうね。
こう今ちょっと絵を見せると空いてるわけですよこの通路が。
なんかこうなんて言うんですかね。
2つブロックみたいのがあって左右にその真ん中のブロックがなんか空いてるんですよね天井が。
だから左のブロックから右のブロックに移動するときに濡れるわけです雨降ってると。
確かに確かに。
これを欠陥っていうかこういう情緒がある家っていうかみたいなところがあって。
だから結局クレームはなんか出ないんですよね住んだ人はこれを良しとして買うっていうか作ってもらってて出てないらしいんですけどその見た人がいやこんな家ないやろっていうわけですよ濡れるやんって。
確かに。
これも捉え方次第なんですけどね。
なんかそういうこう不完全さだったりとか異合理的な美しさって結構解釈むずいなと思うんですよ。
先は正方形とかめちゃくちゃシンメトリーなこうなんか図柄みたいなんとかってなんかこう気持ちいいな綺麗だなっていうのもあるんですけど。
例えば日本の盆栽みたいなめちゃくちゃ複雑で全く対照的ではないけども美しく感じるみたいな。
明らかになんか機能的じゃないけど美しいみたいな感覚だったのかなと思って。
アスリートとかのなんか機能美みたいな美しさは確かにある。
なんかそれ今の話聞きながらなんだろうなと思いながら考えてて一個思いついたのが、
人の体の部位で美しいなと思うところって結構不完全な部位多いんじゃないかと思って。
体で不完全な部位ってどこですか?
例えば股関節。
股関節。
股関節って結構構造的に不完全なんですよ。
そうなんですね。
動物ってもともと四足方向だったじゃないですか。
そこから人間は二足方向になって体を起こしていったんですけど。
それをやっていった過程で骨盤と足の骨の付け根の股関節なんですけど。
普通まっすぐ立つっていうことだけ考えたら骨盤側の受け皿って真下でいいじゃないですか。
そうですね。
でも人間の体って結構な角度で前を向いてるんですね。
前にはたくさん曲がるけど後ろにはあんま曲がんないじゃないですか。股関節って。
後ろに伸ばせるんですよね。
確かに。
で、それって前に歩くからっていう解釈ももちろんできるんですけど。
単純にその四足方向から二足方向になっていく過程でだんだん前から真下になっていくまだ途中なんじゃないかみたいな。
結構股関節って変形もしやすかったりとか痛みやすかったり。
先天性で股関節が浅くてみたいなのも股関節起きやすいんですよね。
っていう股関節周りの例えばお尻とかってお尻綺麗だな可愛いなとかって男性でも女性でもあったりするじゃないですか。
セクシャリティ的な意味ではお尻って別に何にも性器としての機能はないじゃないですか。
ないですね。
でもそういうのに美しさみたいなのをなんか感じるのってそういう不完全さがゆえの部分で感じてたりするのかみたいなちょっと今思ったような。
でも不完全の美っていうのはやっぱりみんなもうすでに美学の中で定義化されてますからね。
定義化されてるんだ。
ワビとかサビとかもそうですよだから口果てるところに儚さを感じてサビっていう要はヴィンテージとか古着とかその枯れ感みたいな。
だからイケオジとかイケオジ感とかもそうですよね多分サビでしょうね。
でワビは寂しい状態なのかな。
だからさっきポツンとなんかあるみたいな。
なんかすごい広大なところにポツンとなんかその部屋の中にポツンと一輪だけの花があるみたいな。
あの感じ。
とか美しさみたいなとかだから不完全さとかそういう儚さみたいなものが持つものを尊いと思う感覚があるってことですよね。
もともと人間には多分。
それだけで定義されてる中で不完全だけど美しくないものと不完全で美しいもののどこにあるんですか。
これは面白いんですよ。
これはやっぱりそこ操作するっていうのが結構面白さであって。
なんかそういう僕すごいそのなんか一時こうファッションなんですかね自撮りみたいなやつで遊んでたりかしてたんですけど。
ファッションとかでよくするんですけどいろんなものでできるんですけどね。
そういう遊びというかそのなんていうかそういう感覚の遊びというかをするんだけど。
それがなんかこうファッションっていうのはこう知的ゲームみたいな風に思うところの一部なんですけどね。
例えばその全部ピシャってこうなんていうんですかスーツを着るとかした時のかっこよさってあるじゃないですか。
だけどそこになんかこうなんだろうなスニーカーを履いてみますとか。
普通だと革靴履くんだけど。
でそれがちょっとダサくなることによってなんか抜け感が出てちょっと柔らしくなりましたとかね。
でそのどんな靴だどんなスニーカーだったらギリギリいい感じに見えるかとか。
じゃあアディダスのこれだったらいけるのかとか。
このコンバースだったらちょっとかっこいいんじゃないかわかんないですけど。
それがなんかいろんな要素で多分かっこよく見えるんですよ。
それが分かる人分からない人もいるんですけど。
例えばこういう合わせ方をしたらロックミュージシャンのこの人みたいな感じになるからとかね。
なんかやっぱいろいろあってそこのイメージをちょっと遊ぶんですよね。
だからなんかこれは普通ダサいと思われてる服を例えば着ますと変なTシャツとかね。
それをどれだけかっこいいやつを他に合わせていったらダサく見えなくなるとか。
なんかそれってこう不完全でこういう要素が揃っちゃうとダサくなってこういう要素が揃うと不完全だけど美しくなるみたいな。
見えるとか。
共通項とかってあったりしないですか?
何でしょうね。
だから共通項っていうのはなんかバランスだと思うんですよね単純に。
要は関係性でしかないんですよそれって多分。
今これがイケてるみたいなものがあって今これがイケてないみたいな。
これちょっとセンスみたいな話かもしれないですけどなんかあるんですよねやっぱり世の中ってなんか今これ流行ってるみたいなこととかもあるじゃないですか。
それは分かりますよね。
これはなんかダサいよねっていうのもなんかあるじゃないですか。
今これはもうさすがにせんよねみたいなとか。
これの組み合わせなんですけどこれをだからどっちに持っていくかみたいな。
分かります?
こっちに振りすぎてたらこっちを足すとこっちに真ん中に戻ってくるじゃないですか。
これをちょっといい感じの方に持っていくんですよだから。
その分量を足して変えてっていうか。
あくまでなんかそのテレゼとアンチテゼみたいな流行りとその真逆があってその関係性の中のどこらへんに位置するのかみたいな。
それが一個だけだともうここになるわけじゃないですか。
こことここって悲しみになるじゃないですか。
一個だけだとね。
だから関係性なんでどのぐらいのパーセンテージで引っ張るかでこの綱引き変わるんですよ。
真ん中の点の綱がどっちに行くかが。
結局綱引き関係性か。
だから全部そうだと思います。
言うとなんかすごい分解して言うとなんかそういうのって多分関係性だけかなみたいな気がしますけどね。
関係性っていう話ですごいなんか腑に落ちたんですけど。
例えば子どものお遊戯会とかあとピアノ発表会あると思うんですけど。
それが下手ですよね。
下手だと思うんですけど。
でもやっぱそのすごいプロのピアニストに比べたらやっぱ絶対下手だと思うんですが。
絶対的に感情を動かすのって子どものピアノの発表会だと思うんですよね。
それやっぱこの関係性っていうところが答えてくるとガンってきてるというか。
そうですね。もうまさにそうだと思います。
センスは結局関係性か。なるほど。
まあ全部じゃないとは思いますけどそれだけでは要素としては。
でもなんかそれは結構なんかある気がしますね。
センスというか今のはなんかこう何でしょうね。
なんかこう目に見えないなんかこうなんだろうな。
センスって言っていいのかなそれはなんか難しいですけどね。
でもすごくこう体の考え方でめちゃくちゃこう自軸にしてるのはその動的平衡っていう考え方があるんですよ。
ものとして安定するのってそこが広くって。
そうですね。
重心低くってとかって言ったらもうどしっと安定して倒れない。絶対倒れない。
でも僕ら人間ってこう足の裏っていうめちゃくちゃ狭いところでひょっと縦長くって。
しかも肺臓とか脳みそとかこう上の方が重くってっていう。
物理的にはスーパー不安定なんですよね。
アンバランス。
アンバランスでも倒れないっていうのでずっと動き続けてるから倒れない。
なるほどね。言ってましたね。
昔こうねホウキとかカサとかを手のひらに乗っけてオトトトトってバランスして掃除の時間とかにあって怒られるやつですね。
あれもオトトトトってやってる手を止めた瞬間にホウキって倒れてくるじゃないですか。
このホウキが立った状態を保つためには動き続けてることが命題なんですよね。
なるほど。
っていう中で要はバランス関係性って結構そういうところでこっちに傾いたからこっちに動かすし
それがバランスの中で調整し続けていること自体が立っているみたいな。
その関係性の中で調整し続けていることが美しさにもつながるのかなと思ったり。
いやーそういうことですよね。だから和とか調和とか。
俺は結構調和を重んじる人ですけどそこだと思ってますよ。だから美しさってある種のね。
調整しようとしているその心意気に美しさを感じてるんですかね。
でも違うか。
美しさ?でもそれもありますよ。だからそういう美しさも感じることもあるけど、
常に引力的にあるような気がしてて。だからこの場にもそれを感じますし、
俺は結構だからコミュニケーション、デザインがコミュニケーションを作ることっていうことでもあるけど、
そもそもが対人関係においてのバランスというか。
今こっちが聞いてる。今あっちが喋ってる。それが終わったらこっちが喋ろうとか。
そういうのって常に駆け引きというかあるわけじゃないですか。状況がですね。
それを俺はずっと見ながら、じゃあ今足りてないからここ入れておこうとかっていう感じで喋ったりとかするのもあるし、
そういうのはずっと気になってるんですよね。だから無視しちゃうときもありますけどもちろん。
気づかないときとか。だからもう全部そういうような気がしますけどね。
俺はそれがすごいずっとやってることですからそういうふうに思ってるんですけど、
何事につけても戻しますね。今バランスが悪いなと思ってじゃあこうしようとか。
結構だからさっき言ったみたいにこう立ってる状況みたいなやつを何にでも俺は思ってたから、
さっきおっしゃってた話とかもめっちゃ結構ピンときてますもんね。
でもさっきの何にじゃあそれが美しさとしてどうかって考えたときに、
調整しようとしている心意気というかそれを美しいと感じてるって自分で言ったんですけど、
でも明らかに狙ってるなって分かったりするじゃないですか。
狙う?
そうっすね。分かる分かる。
確かに。
むずいなと思って。
むずいっすねなんかね。いやだからこれは本当なんか何て言うんですか。
いろんなところで起きてるじゃないですか。だからやっぱ話しててとかなんか良かれと思ってしてるけどその余計なおせっかいなんだよみたいになるときとか。
なんかあるじゃないですかやっぱりそういうのって。
なんかその調整をとってるバランス度合いの一貫性がその人って感じがしますけどね。
それもなんかセンスかもしれないですよね。その人の確かに。
だから結構やっぱり無視するセンスの人もいますもんね。センスっていうかそのいるじゃないですか。
なんか自分のことが一番正義ですって言ってね。
合わせてもらうことをなんかやる人とかもいますしね。
もう全く気づいてない人とかもいるじゃないですか。そんなの気にもしてない人とかもいるじゃないですか。
それが自然な人はいますね。
いますよね。
それが幽霊の美しさというかすごさみたいなカリスマ性みたいな人もいますしね。
あるかもしれないですね。
ジョブスさんとかそんな感じですよね。
ありますよね。これはなんかだからなんでしょうね。その人の特性もあるし、なんかここに関しては結構家庭環境とかトラウマみたいなものとかも結構あるから、
もしかするとその育った環境、お家庭とかとかに結構寄るものが大きかったりするのかもしれないですね。
とかまぁその成長していく中で社会の中で揉まれて、何を良いとした価値観になっていくかみたいなことで結構変わりそうっていうか。
何かに突き動かされてるんじゃない?自分の感情で。
動かされてるか確かに。
さっきの動的平衡のお話、実は続きがあって。
いいですね。
割と分かりやすいところで言うとそのバランス倒れないっていうことなんですけど、もっと言うとそもそも生き物が生きていること自体がスーパー動的平衡なんですよ。
それこそ儚さの美とかにもつながりそうな気がするんですけど。
相棒って日々生まれ変わってるじゃないですか。
そうですね。
髪の毛とか皮膚とかも、体って何年か経つともう全て変わってるみたいな。
そうですね、確かに。
物質としては全部変わってるはずなのにまだ自分みたいな。
面白いですね。
変わり続けているのに、変わり続けているからこそ自分みたいな。変わり続けているからこそ命が継続するみたいな。
ずっと矛盾とともにあるみたいなのが命で、そういうのが動的平衡だったりするんですよね。
どう自分を保つかと同時にどう自分じゃなくなるかが同時進行してるみたいな。
なるほど。
自分でありながらも自分じゃなくなるってことはやっぱり止まったら終了なんですよね。それはもう絶対同じで。
止まらないためにどういう情報を得たらいいかみたいなのを脳も細胞もずっと多分気にしてるんだと思うんですよ。
気にしてるんですね。
自分がどういう情報を得たらいいのかっていうので、自分の細胞とか自分の脳に都合のいいものを気持ちよく感じてるんじゃないかなと思ったりして。
確かに。それはあるかもですね。さっきの感じとかもそうですもんね。
確かに。
確かに過去を思い出したりとか、いい感じに自分に持ってないものを感じた時にすごい気持ちになったかな、すごいなって思ったりとか。
自分をアップデートっていうと浅くも深くも捉えられますけど、細胞とかそういう自分という命とかその存在が変わるために必要な情報は何かみたいな。
生命科学的にですね。そういうのにもしかしたら美しさあるのかなっていうのをちょっとふと思いまして。
なるほどね。
とりあえずコゾネさんがアクセル踏んでブレーキ踏んでる状態もそれなのかもしれないですね。
なるほど。
動的平衡をマックスでやってるのかもしれない。
忙しいこの人。
忙しいな。
そもそも性を一番マックスで謳歌してるのかもしれない。
でもなんか行ったり来てるしてる感じよりもちょっとしか進んでない感じがいいっすよね。
確かに両方してるからバランスはずっと立ってますよね。
意外と一番安定してるのかもしれない。
本当ですよ。
確かにそれ言い出したら俺はもうちょっと極端かもしれないですね。
確かにそうですね。
でもその感覚もなんかよくわかりますよすごく。
本当ですか?
うん。とこわかって感じで。
とこわかっていう概念とかとすごく似てますし。
僕はだから結構身体性が欠損してるから、
岡田さんじゃないけど、あんまりスポーツとかできなかったんで、
あんまり身体感覚の、なんていうかたぶん鈍いんですよね人よりもおそらく。
そんな感じなんだけど、
だから結構精神性みたいなやつの方が多分身体性を補って発達してて、
体は別にしょうがないと。
俺の体はもうこんなもんだと。
だけども精神性は永遠ですみたいなことを結構信じてるんで。
だからアップデートなんていうんだろうな。
肉体は割と限界値みたいなやつはなんとなくわかんないけどあるかなみたいな気がするけど、
年取ったりとかして劣化していくしですね。
精神性が高まっていったりとか、そっちは多分もう永遠に成長するんだろうなって思ってるんで。
確かに。
精神性、身体性でいった時に、昔映画でマトリックスってあったじゃないですか。
キアヌリーブスもありましたね。
あれって人間が脳みそだけで描いてる世界なんですよね。
宇宙人みたいなやつとかに培養されてというか。
機械の中で脳みそだけでやっているみたいな。
映画とかで脳みそだけ取り出して生き続けるみたいな。
でも脳の精神性だけってあり得るのかって思った時に、
僕はちょっとあり得ない派なんですよ。
まあまあそうでしょうね。
よく腸は第二の脳だとかって言ったりするじゃないですか。
腸内フローラーみたいな筋の反対とかによって、幸福感とかイライラ感とか結構変わってきます。
そういうイライラしがちな人とかってちょっと皮膚が痒かったりとかするんですよね。
乾燥しがちだったりとか。
その人の精神性って思われるものってめちゃくちゃ身体から来てるみたいなことが。
確かに。不可分ですね。
そうなんですよ。もう不可分なんですよね。分けられない。
確かに確かに。
そうなった時に精神性と身体性ってどう切り分けるかって言ったら切り分けられないなと。
じゃあどう成長していくかみたいな。
そもそもそうなると身体は老化していく一方だけど、精神性が成長するってあり得るのか?
なんかね、自分はそれを年取って思ったんですよ。
年取って、確かにちょっと目が老眼ですとかね。
めちゃくちゃ密に見えなくなりましたとか、近くが。
遠くは見えるんだけど、いろいろあるんですよね。
けど感覚とか経験値みたいなやつは、それは身体を通じて溜まってるんでしょうけど、増えてるんですよ。
感覚が増えてる。
感覚とかは増えてるんですよね。だから成長してる感じするんですよね、ずっと。
だから成長をどこで捉えるかみたいな話なのかもしれないですけど、
背が伸びるとか、声が割りするとか、そういうのを成長として捉えて、
それを成長と思ってたらだんだん絞んでいくから、老化して死んでいくみたいな感じでみんな捉えてるんだけど、
俺は成長してるような感じがします。
それを精神がって言った話ですけど、もしかしたら言い方がちょっと悪かったかもしれないですけど、
自分自身はずっと成長してる感じがします。
確かに。さっきの、それこそ感じたことある感覚を思い出して美しいと感じるみたいな。
経験してる感覚はずっと増え続けてるから。
そうなんですよ。
だからずっと成長し続けてるのか。
成長っていう表現がもしかしたら良くないのかもしれないですけど、
更新?
アップデート?
バージョンアップ?
パソコンで言うとボロくなってるはずなのにバージョンアップしてる感じがします。
ソフトのバージョンアップすればするほど使いやすくなりますもんね。
もしかしたらついていかなくなっていくっていうのが、パソコンが古いけど防衛性が上がってるみたいな感じなのかもしれないですけど、
もしかすると今まだギリギリ大丈夫なんだけど、あとこれ10年ぐらいしたらすいませんってやっぱOS上がってもダメでしたって俺言ってるかもしれないですよね。
だから最近老人興味あるんですけど、老人というか高齢の方とかに。