ちょっと前段でやりづらそうにしてるんで大丈夫ですか?
そうですね。だんだん重くして、こう重くして出てきてもらうっていうのがこのひまじんラジオの嫌なところですからね。
いや、いいっすね。全然全然ありがたいです。
ありがとうございます。いや村田さん、僕たちなんかいつもですね、
ナレッジがないことに対する嫌な感じを持ってるわけですよ。
何を、俺たちは一体何を表現してるんだと。
ナレッジも何もなく、何の話をしてるんだみたいな、すごいふわっとしてて。
そんな中、村田さんたちのラジオはゴリゴリちゃんと聞いたら持って帰れそう感がすごいなって思ってるんですけど、
意識してそういう話を考えられてるんですか?
いやもう、この週のワンオーワンで何を話すかっていうテーマを、結構その場でほぼ決めて話しますね。
そうなんですね。
一応1テーマ決めて話すんですけど、聞いてるとわかってると思いますが、
結構雑談に、って感じになりますが、そんな感じです。
自分たちも雑談系ですけど、雑談だけどめっちゃ持って帰れるやつの話されるから、やっぱり専門性があるからでしょうね。
自分とかほら、すごいやっぱりなるほどだなーとか思って。
フォントの話とかも、結構今日聞いてて、そうそう、あーと思いながら聞いてたんですけど。
でも僕は、ひまじんラジオさんの悩みをそのまま通してる感じが好きですよね。
まんま出してますね。
脳編集。
そうですね。脳編集ですね。
ローガーの戦法。
そうそう。そういうのもいいと思いますけどね。
僕はでも、自分の知識を話したいっていうのがちょっと強すぎて。
あー、そういうことか。
雑学、話したすぎて話してるっていう感じですかね。
あーでも確かに。そうですよね、Xの発信とかも。
単純にためになる話を、僕たちからしたら、見てる人からしたら、めっちゃためになるなーと思って、
ただ見るからありがたいじゃないですか、学校みたいな感じで、めっちゃいいなーみたいな。
でもなんでこんなことしてんだろうなーみたいなこともあると思うわけですよ。
だから結構ほら、よく力学的に宣伝にして何かに引っ張るみたいなことをする人って結構すごい多いですけど、
そういうのともやっぱ違いますし、なんかめっちゃ世のため人のためにしてる感じに見えるけど、何の動機があるんだろうと思ってたんですけど、そういうことだったんですね。
でもあれ全部自分のためですよ、自分のため。自分の学習のために、ただその学習をアウトプットしただけっていう。
ノートも自分の自解を込めて書いてるだけだし、Xのフォントのやつも自分の勉強のために、それをただ出してるだけっていう感じなんで、
それが見られようが見られないがあんまり関係ないけど、すごい見られるのが嬉しい。それもそれで嬉しいんですけど。
そうですよね。いやいやもう全然めっちゃためになるなと思って改めて、自分はですね、結構全部独学なんですよね、僕。
ずっとやってるのが、いろいろ見てるんですけど、体系的にやってるわけとかじゃないんで、散り散りした知識とか、なんか自分が好きなとこだけ結構深くつまんだりとかしたりするんで、
なんかああいうふうにやっぱめちゃくちゃずっと掘っていってらっしゃるのとか、なんかすごい良いですけどね。わーっと思って見てます。
あれ掘ってるっていうか、なんかあれですよね。多分思考の累積って、いろんな視点があったほうが思考って累積されてると思ってて、
だから生物学とかテキストとか理論学とか、いろんな視点を持ってデザインを見るみたいなのは、結構好きでやっちゃってる感覚はあります。
確かに確かに。
視点の数多いですよね。なんかタイトルとか見ても、一瞬デザイナーのラジオなのかなみたいな。情報の非対称性についてとか、ビジョンドライバーについてとか、あれデザインの出の字もないぞみたいな。
確かに確かに。それはそうですね。
でも確かにそうですよね。デザインって結局、わりと広告文脈で語られることが結構多いけど、何にでも応用できるっていうか、幅がすごいあるじゃないですか。
コミュニケーションを作るとかみたいな話になってくると、全然関係ないところで。
自分はあんまり広告文脈っていうよりも、全然違うところで結構やってたりすることもあるんでですね。
こういうときどういうふうに考えたらいいんだろうとか、どういうふうに繋いだら相手がわかりやすくなるんだろうみたいなことに、結構デザインのメソッドを使うみたいなことが結構多いから、すごい村瀬さんのそういうのってワーって思いますね。
いやーすごい嬉しいですね。
いやもう全デザイナーが聞いたほうがいいラジオじゃないですか。
デザイナーじゃなくても聞いたほうがいいと思ってます僕。
そうですね。デザインリテラシーはね。今AIあるからデザインリテラシー欲しい人ってすっげー増えた気がしますね。
確かに。不思議ですよね。そんなに聞いてもらえる。本当に毎月3000再生とかされてて、毎月120人ぐらいフォロワー増えてて。
毎月120人ですか。すごい。
すげー。
なんで何がここまで、でもこれは多分瀧穂さんのツッコミ加減とかヒアリング能力が進んだのかって僕は思ってましたよ。
本当ですか。
相乗効果って感じがしますけどね。
そうですよね。なんかまあいいコンビネーションですもんね。なんかすっごい。
確かに。
なんか2人ともにファンがめっちゃついてる感じです。瀧穂さんのファンも多いというか。
確かに。
真逆なんですよね僕と。もう考え方というか。
はいはいはい。
なんか人間性が多分。
そのコラボレーションが楽しいのかもしれないなって最近思います。
確かに確かに。内容重さながらだからそういう感でもなんかちょっと効いちゃいますもんね。あれみたいなね。やりとり感とかですね。
ファンになりそうだな確かに。いいですよね。そういうところが結構いいんでしょうね。
じゃあそんな村田さんを迎えて、テーマどうしていきましょうかね。
これ僕なんですかっけ?
テーマは?
特に決めてないです。
このぐだぐだの暇じらいの。
確かに確かに。
一応表現とはっていうのを持ってきてるんですけど。
はいはい。
いやでもこれ、僕最近生きるための表現手引きっていう、タクラムの渡辺孝太郎さんが書いた本があるんですよ。
最近書かれた。
押してましたね最近。
あの本読んでめちゃめちゃよくて。
へー。
なんかもう表現って言うだけで表現になってるみたいなのが言われてて。
僕結構脳筋ラジオで、ライブとかあんまり行かないって言ったんですけど。
視聴者とかを見に行かないみたいな。
でも例えばそういうライブとかも、やっぱり観客がいるからこそ、舞台にいる人たちの緊張感とかを持ち、そういう風に応援されてパフォーマンスが上がっていくから、ある意味それはもう観客と舞台者の表現なんだみたいな話もあるじゃないですか普通に。
そういうのもありますよね。
いるだけで表現なんだっていうのはすごいいい視点だなっていうのを持って、とっても学びになりましたね。
昔の音楽してたんですけど、ライブしてる時のことをこの間ちょっと思い出したんですよ。
なんかねやってて、テクノっぽいダンスミュージックのユニットみたいなのをしてた時があって、でこうわーってDJみたいにするじゃないですか。
で、普通バンドのライブって結構なんかコール&レスポンス的な感じで、言ったのに返ってくるみたいな感じがあるんだけど、ダンスミュージックとかってすごい好きだったらなんか共有感があるんですよ。めちゃくちゃ。
場を一緒に踊るみたいなとか。で、一応コントロールはしてるわけじゃないですか。音を出してるんでブーって。自分がこうしようって。でなんかね、自分がこうして今から上げていくよっていうのにみんなが上がっていくわけですよブーって。
で、なんか一緒に、自分もやっぱり盛り上がるんですよね。で、お客さんもわーって盛り上がって。一緒になるんですよ。おけるっていうか。
すごい、そこまでいってるんですね。すごいですね。
そしたらすごくおっしゃったみたいにみんなで表現してる。なんかお祭りみたいな感じがあって、なんかあれがすごい好きだったんですよね。僕なんかその音楽してる時の。
それは気持ちいいでしょうね。
めちゃくちゃやっぱ気持ちいいですね。なんかね、もう誰とか言いとか関係なくて、その鳴ってるリズムが中にいる自分たちがこう、空気が主役みたいな感じっていうか。
すごい思い出しました。今なんか弾いてて。全員なんか表現してるんですよ。自分の多分こうなんかノリとかあるから、かっこいいとかかっこ悪いとか別で、リズムの乗り方ってなんか独特にみんなあるからですね。表現をしてるんですよね。
なんか表現も有形と無形があって、無形の表現って感じがしました。聞いてて。
そうですね、そうかもしれない。
確かに。ポッドキャストは有形だけど、なんかちょっと無形な感じもしますよね。
確かに。なんかよく言われるのが、なんかこういう話をしてるじゃないですか。そしたら自分もそこの横にいて聞いてるみたいな感じがするっていう人が結構いるんですよね。
はいはいはい。
伸びたいって感じがします。
そう。
ポッドキャストはすごいこう自分の内面に出ちゃうから、なんか聞いててこの人と多分合わないんだろうなとか、そういうのも分かっちゃうんですよね。なんか聞きに来てそうだなとかが分かったりとか、なんかすごい分かるんですよね、なんかその人の内面というか。
声室?
声室とか確かにそうですよね。
確かに。
喋り方とかですね。
そうそうそうそう。
うんうんうん、いや分かる。
いや確かになんかそのデザインとかですよ、そのデザインの話になると、その人って出るけど作り込めたりするじゃないですか。
うんうんうん。
結構遠くなるじゃないですか、その本人こんな人作ってたんだっていうのとですね、村瀬さんのデザイン見て村瀬さんが想像できるかって分かんないじゃないですか、結構なんか。
うんうんうん。
すごい頼んでるって言ったらもう、なんかめちゃくちゃ神経質そうな人がやってるかなと。
だから実は緩かったみたいだとか。
はいはい。
だけど喋りのほうがなんか出ますよね、そういうのってなんか。
そう、いや多分デザインも、僕ノート書いて、ノートも多分全然個人、多分もう整形されてるから、なんか多分ノート読んだらすごい厳しそうだみたいな感じの。
そうそうそうそう、見えますよね。
ノートめっちゃ怖い人に見えますよね。
見えますよね。
竹男さんも言ってましたよね。
そう、なんか研究、研究者みたいな雰囲気があるし。
そうそうそうそう、ならぬみたいな。
全然あれはもうほんとそういう、そういう性、なんかもうそういう人なんですよね、あれはもうそういう感じで書いてます。
確かに確かに。
もう全然違うみたいなのがあって、それはポッドキャストだともう全部出ちゃうから怖いなみたいな、逆に怖いなっていう。
確かに確かに、いやほんとっすね。
確かに、なんかアウトプット物でもなんかプロセスのアウトプットに近いかもしんないですね。
あー確かに。
あーそうですね。
なんかデザインしているところ、書いてるところそのまま見せてるみたいな。
うんうんうん、あー確かに、そうですよね。
うーん、なんかやっぱりそれでさっきのラジオの話に戻りますけど、やっぱりファン化してるわけじゃないですか、それでもですね。
だからなんか両方を言った方がグッと入っていける感じはしますよね。
ポッドキャストはなんかファン化してもらいやすい。
なんて言うんですか、ファン化するっていうか。
そうですよね。
うーん。
森さん僕ちょっとあの村田さんが考える表現とはっていうところをちょっと聞いてみたいなって思ったんですけど、なんか村田さんは表現ってどう感じてますか。
あー確かに。
これ、僕この本に今引っ張られてるんですけど、なんかあらゆる表現、これ創作だって言ってるんですけど、あらゆる表現が模倣の失敗であるって言われてるんですよ。
うーん。
この本では。
すごい。
マジでそうだなって思ってる。
へー。
はいはいはい。
例えば絵画とかあるじゃないですか、普通に絵画とかって。
うんうん。
でもあれも自然の模倣なんですよ。
なるほど。
確かにそうですよね。
で、その絵画を見て、例えば写真を撮ったりとか、演劇したりとかデザインしたりって言っても、全部何かしらの模倣が、その人が模倣してる限りは、もうその個人が模倣してる限り、その個人の手癖とか、何を選んだのかとか、その辺を全部含めちゃうんで、絶対模倣しても完璧に模倣できないですよね、みたいなのがあって。
確かに。
そうですね。
変にオリジナリティをするというよりも、自分が一回入力して出力した限りは、それがオリジナリティというか表現なんだろうなっていう感じがしてて。
うんうん。
なんか全ての表現は模倣であるっていうのは、めちゃくちゃ今、僕の中でテーマになってますね。
うーん。
へー。
これでも僕のデザインメンターっていうスクールを、スクール?メンター時期はやってるんですけど、あれでもめちゃくちゃ模写をしてもらってて。
100サイトぐらい最初作ってくださいっていうやつですかね。
100サイトぐらい模写して、400パターンぐらい作るんですけど、あれもやっぱり半端ない数模写して半端ない数パターン化すれば、やっぱり自分のオリジナリティになるし、それぞれ全然違うのが生まれてくるんですよね、やっぱりコメンティーさんによって。
なので、作るって結構、模倣が基本なんだなっていうふうにすごい最近思ってて。
確かに。
じゃあ表現とは、模倣の失敗っていうのはそういうことなんですか。
模倣の失敗、そうなんですよ。
まあ失敗というか、どうしても異なってきるみたいな。
まあ、カンコピしようとして全然カンコピができないっていうことですね。
むしろ。
できない。
できない。
姿勢が出ちゃうっていうかね。
ただ、今のこの時代デジタル使っちゃうとカンコピできちゃうんですけど。
確かに。
そこには倫理観が多分必要なんですが、でもそこをまず模写というか模倣するっていうのは、多分結構模倣ってあんまり良くないって言われてたりするんですけど、
その個性を探すんじゃなくて、その模倣の途上で自分の姿が体現するみたいなのが表現なのかなって思ってます。
変にオリジナリティを探そうとするんじゃなくて、模倣を続ける中で何か出てきちゃうものが多分オリジナリティみたいなイメージがあって。
なるほど。
それが表現なんだなっていう。自分の体、男性女性、日本にいるいないとか、あらゆるカルチャーとか状況の中で自分の個性が出てくるから、たぶん滲み出るものが表現なんだなっていう感覚は今ありますね。
じゃあ何か作るものっていうか出ちゃうものって感じがしますね。
出ちゃうんだと思います。
なんかそのプロセス全体が表現ってことですよね。
そうそう。たぶん今後この生成AIが出てきて、結構アウトプットまでは全部一緒だが、そのプロセスが評価されるというか、そのプロセスを楽しむかどうかっていうのがやってきてて、
ここをたぶん重視する世界に変わっていくんだろうなっていうのも思いもあり、そうなってくると、これこそプロセスを発表してポッドキャストとかはすごい価値出るんじゃないかと思ったりしますね。
そっか。だからプロセスの表現自体がどんどん価値になるってことですか。
確かに確かに。
どんな人がどんな思いでどう作ったかみたいな。
確かに確かに。
だからどっちかっていうとアウトプットっていうよりはビーングみたいな。
そうですね。
在り方みたいなね。
在り方。
なんか最近結構昨日もそういう話をしてたんですけど、昨日新しい住宅会社みたいなやつを作る、立ち上げのデザインみたいなやつをやってて、
建築家の方とかと話してたんですけど、どういうふうに違いを見せようかみたいな話とかをしてたんですよ。
例えば、今こういう定型の形があって、こういうものが家だっていう概念があるんだけど、
じゃあどこまででも逸脱できるんだけど、でも逸脱しすぎずに違和感を持たせてとかっていう話とかをしてたときに、
でもなんかその違和感って、いい違和感ってあるじゃないですか。聞いたときにめっちゃこれ知らなかったけどめっちゃいいやんみたいな違和感っていうか気づきみたいなやつ。
なんかあれをやっぱり出したいなって話をしてたんだけど、気づけるか気づけないかとかいろいろあるじゃないですか、気づき方とか。
それをときに作ってる最中を見せるってすごくいいよねって話に同じようになって、
こんな風になって作られていくんだっていうのを見ていく中で、何これみたいな。こんなのってできるんだっていうのを追体験していくことで途中で気づくみたいなこととか。
あともう一個が、最近その偽物本物わかんない説みたいなやつがあって、本物じゃないから本物でわかったら買うみたいな感覚っていうか。
あれも作ってるとこ見てると結構本物ってわかるから、最終アウトプットがどうかよりも本物かどうかわかったら買うみたいなのが結構見方が変わってきてるなみたいな。
信用できる感みたいなやつがプロセスによって判断するようになってきてるっていうか。そういうのも感じますよね。最終の表現ってよりも表現途中で判断みたいな。
プロセスがありようを確認するための手段になってるのかもしれない。
なんかもう、生成AIで表現ってすごい一瞬でできちゃう世界において、すごい長期間での表現が多分重要性という価値を増していく。
一瞬じゃないですか、5秒でちょっと動画を見るとか、面白い動画一瞬で見るみたいな。一瞬で終わっちゃうのはもうあんま価値なくて、どんどんその表現のもの自体を長期化していくってなってくると、
ずっと続けることが必要。ずっと続けることに価値が出てくるみたいな。
だから結構毎週僕ノート出してたりとか毎週音出してたりとか、毎日Xやってたりするんですけど、あれも続けるのがすごい大事なんですよね。
積み上げみたいなですね。
積み上げていくことの量が価値になってくから、一発当てやろうつって一個やっても全然一気にしてまでって意味がないんですよ。
そうですね。
だからそんなプロセスがすごい重要性があって自在になってくる。
積み上げですよね、本当に。
でも確かにそうですよね。歴史を見る。
ショート動画とかの消費が早すぎて、たまっていたときに全部で全体で認識することによってようやく表現になるみたいな。
300個ぐらいでようやく1個の表現みたいになってるみたいな。
あと時間とか歴史もそうなんですけど、歴史を一緒に経験するとか体験するみたいなのもすごい重要な気がしてて。
毎週聴いてますっていう体験自体がすごく意味があるというか、同じ時代を一緒に歩んでる感覚みたいな。
共有体験みたいなのもすごい大事そうだなと聞いてて思いますね。
確かに。共有体験大事ですよね。
いろんな媒体があって、この過小分所得というか、その時間をどう切り寄り取るかって結構言われてますけど、
その時間を少しでも一緒にいられたら、これだけでファンになってくれる人増えそうだから。