00:06
みなさんこんにちは。暮らしと働き方を整える、ととのえラジオ。 今日もお聞きくださりありがとうございます。
このチャンネルでは、忙しい毎日の中で、つい後回しにしがちな自分の気持ちや、本当に大切にしたいものに目を向けながら、暮らしや働き方を整えていく中で、少しずつ私自身も整っていく。
そんな過程を、等身大の言葉でお話ししています。 あなたの日常の片隅で、ゆるくお付き合いいただけたら嬉しいです。
今日はですね、私の3年間の働き方の変化を振り返るシリーズの続きを収録していきたいと思います。
はい、私はですね、フルタイムの会社員として、新卒から入社した会社で17年ほど勤務していました。
間に3級1級を2回いただいて、ずっとですね、管理部門のお仕事をしていました。
勤めていた会社は、一般的に言うと大手企業で、年齢的にも管理職の一歩手前のポジションでお仕事をしていました。
外側から見ていたら、きっと順調なキャリアだったと思います。
でも、私自身の内面はと言うと、ずっと自信がなくて、すごく頑張ってはいるんですけれども、
ずっとこのままでいいのかなっていう気持ちが拭えずにやっていましたね。
はい、業界としても誇りを持って仕事ができるお仕事だったと思っているので、
はい、出会った方にも恵まれましたし、だからこそ17年もの長い間勤めて来れたんだと思うんですけれども、
その17年間をしっかりと振り返ってみると、途中途中で私自身の心が揺れる場面ってたくさんあったなと思うんですね。
まず、本当に昔の話になりますけれども、入社当時も自分がグラグラしていたなって改めて思います。
はい、もう学生時代に遡ってしまいますが、私はいわゆる普通の4代の出身で、
就職活動の時に全職の企業に一目惚れって言ったら大げさかもしれないんですけれども、
この会社で働きたいってすごく憧れの気持ちを抱いて、
ありがたいことにその第一規模の会社に入社することができました。
はい、でも蓋を開けてみたら、
そうですね、日本で有名な名前を聞いたことがない人はいないよねっていう、
03:00
トップクラスの大学の出身の人ばっかりが集まっているような会社だったので、
私なんで採用されたんだろうって最初から自信がなかったですし、
奇跡だなっていう感じで入らせてもらいました。
実際に1年目に最初に配属された部署は、自分のチームが12人ぐらいのチームだったと思うんですけれども、
そうですね、本当にトップのところから担当レベルまで、
皆さん本当に超有名大学出身の優秀な方ばかりで、
大学生の頃まではずっと自分の学力とか、
雰囲気とか興味関心が近い人がいるようなコミュニティにずっといますよね。
高校も大学もそうなんですけれども、
初めて社内に学抜があって、
この大学の人はここで集まったりしてるのかとか、
こことここの大学は仲が悪いんだとか、
ちょっとそういうよくわからない世界観に初めて身を置いて、
自分はそういう仲間にも入れないところにいるわけですよ。
だから学歴コンプレックスっていうのに、
会社に入ってから出会ったかもしれないですね。
実際に大学生の時までは何も考えたことなかったです。
上には上がいるのは分かってたけれども、
別にそこに対して劣等感を感じたりとかはなくて、
すごいですねって終わりだったんですけど、
一緒に働くってなるとですね、
結構そんな環境が特殊だなと思って、
すごく戸惑ったし、落ち込んだ記憶があります。
私なんかがここにいていいんだろうかとか、
ちゃんと女子事についていけるかな、
会話についていけるかな、そんなことばかり考えて、
一生懸命アンテナを張って頑張ってたなって思います。
周りの人の頭の回転が本当に早くて、
ついていけてないわって何度も落ち込んで、
一人涙をこぼしていました。こっそり。
最初はそんな感じだったので、
若干周囲に気遅れしながら仕事をしてたなと思います。
とにかく必死でした。
ただ、自分の担当はこれだよって与えられた業務に関しては、
しっかり覚えてしっかりこなしていく。
プラスアルファンの仕事をしていくっていう姿勢で頑張って、
私は仕事で認めてもらうしかないなって思っていたんですね。
仕事ではちゃんとやれるような気がしていました。
その頭の回転の速さとか有能さみたいなところは、
06:04
周りの人にはかなわないけれども、
きちんと自分の仕事をするっていうことは、
コツコツと努力できるタイプという自負があったので、
その点では信頼して任せてほしいなって思ってたんですよね。
それで私は周りの方々に認めていただけたなと思うし、
すごく頼りにしてもらえて、
最初に感じていた劣等感みたいなのがだんだん薄れてきて、
学歴って関係ないなって。
厳密に言うと社内では関係ないこともなかったんですけれども、
一つの仕事をみんなでやるっていう時に、
そういう劣等感はいらないんだなっていうふうに、
心が晴れていくっていう変化を体験しました。
そういうふうに感じてしまったのって、
やっぱり根底に自分の自信のなさっていうのがあったからだと思うんですね。
私は頑張らなきゃいけないんだ、頑張って頑張って成果を出さなきゃいけないんだって、
どこかでずっと力を入れて頑張ってたなって思います。
例えて言うならば、必死につま先立ちして歩いてるというか、
自分らしくないなって思う瞬間がたくさんありましたね。
でも、本当に当時勝手に劣等感を抱いて、
辛い気持ちになったこともあったんですけれども、
実際はですね、本当にありがたいことに、
私はやっぱり人間関係にずっと恵まれてきて、
先輩方、上司の方々が本当に人柄も素敵な方ばっかりだったんですね。
教えることもとても上手だったし、
仕事の基本だけじゃなくて、
みんなで仕事をする一つのものを作り上げることのやりがいだったり、
楽しさみたいなこともたくさんたくさん教えてもらいました。
苦しい時期も結構あったので、
みんなで支え合ってその問題を解決していったりとかもしましたし、
毎晩のように残業したら飲みに行って、
仕事の話ばーっとして帰る。
金曜日は朝まで飲むみたいなことも結構やってたんですよね。
だからすごく仲が良くて、
当時の同じ部署だった方々とは未だに何人か連絡を取ってますしね、
本当にチームワークの大切さとか、
チームで働くことの面白さ、醍醐味っていうのを
経験させてもらった時期だったなと思います。
本当にあの頃楽しかったですよね。
09:00
今の私の仕事力というか、
人間関係構築力も含めて、
生きていく基盤というか、
あの経験があったから、
あの出会いがあったから羽ばたけたっていう、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
とってもいい会社だったなって、
退職して数年経っても思うんですけれども、
やっぱりですね、
ザ・男社会っていう会社だったんですね。
退職した当時でも、
男性社員と女性社員の比率が、
偏りがすごく大きくて、
女性社員は1割いないんじゃないかなという感じですね。
特に私が出産した15年くらい前、
やっぱですね、
ワーキングマザーへの理解っていうのは正直、
とても乏しいというか、
やめないの?みたいな反応されたこともありましたしね。
それも時代とともに少しずつ、
社内の男性社員、女性社員の価値観は
アップデートされていきましたけれども、
根強い価値観っていうのがあって、
やっぱり働くお母さんは、
なかなか大変だなと思う。
制度だったり、
監修みたいなのも多くてですね。
そういう上でもいっぱい助けていただいて、
なんとかなんとかやってきたんですけれども、
結局ですね、両立は厳しいという最終判断で、
私は退職をしました。
やっぱり働いている中で、
2回私は妊娠、出産、育休といただいたので、
それを時代の流れとともに、
私自身がそういう経験を、
ライフステージの変化をしていく中で、
早いスピードで自分の価値観が変わっていったなって思ってます。
特に1回目の復職の時は、
娘が今13歳なので、12年前ですね。
ちょうど東日本大震災の翌年でした。
あの頃は戻る場所があるっていうことが、
本当にありがたかったなと、
ありがたいことだなって当時も感じていました。
なぜかというと、
私は地方都市で子育てをしていて、
縁もゆかりもない土地に引っ越したっていうこともあって、
周りには友達も全然いなくて、
すごく孤独を感じて育児をしてたんですよね。
やっと出会えたお友達もすぐ引っ越してしまって、
寂しいなって思っていて、
自分のことをよく知っている人たちが待っていてくれる、
12:00
そういう場所があるっていうことだけでもすごく嬉しくて、
大変になることを考える時が重かったけれども、
会社の人に会いたいなって思っていました。
副職後は元職場に戻れたので、
勝手もしてますし、
上司はみんな変わってしまっていましたけれども、
頑張るぞ!と意気込んですごく頑張ってお仕事をしてました。
通勤が片道1時間半以上かかっていたので、
一本の電車に乗れていたんですけれども、
通勤時間には勉強をして、
資格を取ったりとか、
本を読んだりとか、
今思ってもよくやってたなと思います。
まだ若かったからっていうのはあると思うんですけどね。
2回目の副職の時は、
コロナ禍ですね。
本当にコロナ禍、真っ只中でした。
東京に初めて緊急事態宣言が出た時ですね。
ちょうどその頃に副職先が東京ですと決まり、
私は地方に住んでいたので、
東京に通勤することへの不安がとても大きかったんですね。
近所の人とか、保育園のお母さん、友達に言えないなと思いました。
当時は東京に行くとか、東京から来るって言うと、
すぐバッシングされちゃうような混沌とした時だったので、
保育園の園長先生にだけ話をして、
副職をしたんですよね。
会社にはこんな状況だから、
コロナウイルスをこっちの地方都市に持って帰るわけにもいかないし、
行く気を延長したいって一度相談したんですね。
まだ行く気を取れる時期が残ってたので。
でも戻ってきてくれないと厳しいよと言われて、
都内への遠距離通勤を再開することになりました。
その頃の私は、上の子と下の子の間5歳離れているので、
自分が子供たちとどんな時間を過ごしたいのか、
どんな環境を与えてあげたいのかっていうのが、
私自身の中ではっきりしていた時期でもあったんですよね。
なので2回目の育休中は、森の幼稚園というところに通っていました。
子供2人連れて通ってたんですね。
そこでは馬に乗ったり、野草を積んだり、
ドローンか遊びしたり、蚊遊びしたり、
自然の中で五感を刺激するような遊びをたくさんしました。
時間もゆっくり流れていて、風を感じるとか、
空を見上げるということを忘れてたなーって、
生きている実感を取り戻すような時間だったんですよね。
大人になってしまうと、五感をフルに使って遊ぶとか、
生きている感覚を味わうということを後回しにするというか、
忘れてしまうというか、目の前のやるべきことに追われて忙しく生きてしまうので、
15:07
本当に心が洗われるような時間を過ごして、
子供のために連れて行ったんですけど、
結局は私がすごく楽しんでたなって、今でも思っています。
2回目の育休中に、そんなとっても素敵な時間を過ごさせてもらったからこそですね、
復職が決まって、コロナも流行り始めてた頃に、
復職前面談というので、東京まで一人で出かけたんですよね。
その時に、東京のビル群がだんだん車窓から見えてきたら、
胸がギャーってなって、何でかわからないけど涙がポロポロポロポロこぼれて止まらなかったんですよ。
私は本当にこっちの世界に戻るんだって思ったらですね、
やっぱり違和感がどうにもこうにも拭えなくて、
その時にはもう自分の中で気づいてたんだと思うんですね。
この生活はやっぱりちょっと自分が求めているものとは違うかもしれないなってことですよね。
気づいてるけど、でもこういうふうに生きていかないと生きていけないから、
私はこの世界に戻らなければならない。
子供たちとたくさん遊べる、ゆっくりむける時間は終わり。
育休はご褒美時間。
復帰したら、バリバリ働くワーキングマザーとして頑張ると。
子供たちに寂しい思いをさせるけど、それはみんな同じだから仕方ない。
今、共働きをするのが当たり前だから、みんな一緒、みんな頑張ってる。
だから私も頑張らなきゃいけないし、子供たちにも頑張ってもらわなきゃいけない。
そんなふうに思って、何とか元の生活に戻ろうと頑張りましたよね。
でも、本当にそういうふうに思う自分が、
思考で頭が凝り固まってるというか、違和感を感じているのに、
じゃあ違う道を選ぶっていうことが選択肢としても出てこなかったですし、
変えることも怖かったし、
あの時はその当時のベストな選択をしたんだと思うんですけれども、
もっと視野を広げて柔軟に別の道を選ぶとか、挑戦してみるとか、
そういうことは考えられない自分だったなというふうに思います。
はい、ということで新入社員で入社した当時の、まだ幼かった私の話からですね、
子供二人出産して復職するっていうところまでの話を駆け足でさせていただきました。
18:05
20分ぐらいにまとめたので、間だいぶはしょってますけれども。
またですね、復職後の変化については、次回の配信で収録してみたいなと思います。
それでは最後まで聞いてくださりありがとうございました。