立派な人とは、めちゃくちゃ大変な時にうろたえない人
サマリー
孔子の言葉を基に、立派な人とは困難な時に動揺しない人であるという考えが提起されます。続いて、困難を乗り越える力は自己だけでなく、他者との協力によっても引き出されることが強調され、最終的に自信を持つことの重要性が触れられます。このエピソードでは、困難な状況に直面した際に冷静に対処できる能力が立派な人の特性であることが語られています。また、過去の辛い経験が現在の状況に対する冷静さや受け入れの器を作ることにつながるというメッセージが強調されています。
孔子の教え
はい、今ですね、鷹橋いいかねパレットから福岡市の自宅に向かって車を走らせております。時刻は24時13分ですね。深夜の一人ドライブでございます。意外と好きなんですよね。深夜の一人ドライブ。なんかこう、強制的に頭でぼーっと考え事をする時間になる、
もしくはずっと聴きたくて意外と聴けてなかった音声コンテンツ、ポッドキャストとかyoutubeとかを聴くきっかけになるっていうね。
意外と今基本的に家で仕事をしてるか家族と一緒にいるかみたいな生活なんですけど、なんかこの生活ってちゃんとガッツリ音声コンテンツ聴く時間がなくて、なんかそういった意味では結構なんかいただいた貴重な尊い時間みたいな感じなんですけど、まあいいや。
最近ちょっと高校生の友達と遊びまして、これは知人の息子さんなんですね。高校生今2年かな?なんですけど、知人の息子さんなんですけど、何年の付き合いになるんかな?
まあもう生まれてちょっとしたぐらいから会ってはいるんですけど、まあそんなにもちろん頻繁には会ってないけど、まあ何年かに1回会ってたみたいな。
で、まあ会ったらガッツリ話すみたいなことやってたんですよね。で、ちょっと久々に話したいなと思って。で、知人に連絡して、息子さんちょっと久々に話していいですか?つって。
まあ遊んでやってくれみたいな感じで言われたんで、じゃあ連絡してみますつってLINEしたら、いいですよ飯行きましょうみたいになって。で、昼飯ぐらいに集まって。で、飯食いながらお茶飲んでたらもうめちゃくちゃ盛り上がってですね。
まあいろんな話をしまして、高校生らしく恋愛の話したりとか、遠距離恋愛してるんよみたいな話から。で、そこの悩みとかいろいろ聞いたりとかして。
で、まああとは将来こういうことしたいんよねみたいな。でも高校こういう理由で高校こうだから今お金貯めたいんよねみたいなこと言われて。
あ、したらちょっと面白いなみたいな。高校生が1年間で100万円稼ぐ方法を本気で考えてみようやみたいな。なんかやるかどうか置いといて面白いやんみたいな感じで一緒に考えてみたりして。
あ、こんなんもできるやんみたいな。で、お前何が好きなみたいな。パソコン使ってこんなんやるのが好きみたいな。あ、やったらこれこうやってしたら稼げるんじゃねみたいな。え、そんなできんよみたいな。
いやお前バカかお前。AI使えAIって言って。で、え、AIってあれなんか面白いみたいなこと言われたんで。
もうチャットGPTとかあとカーソル使ってコーディングしてこういうアプリ作ってみたいなことを教えてやったら、もうえええみたいになって。
一回も使ったことなかったけどこれめちゃくちゃやばいやみたいになって。そっからもう興味があることをなんかちょっと待ってこれも聞きたいこれも聞きたいみたいな感じで、ずっと自分のスマホにその場でインストールしたチャットGPTと会話してて。
こんなんも聞いていいとこんなんもうわすごいうわうわうわみたいになって。なんかもうたまんなかったんですけどね。
で、それで結局喫茶店で飯食ってお茶飲んでたら5時ぐらいになって、ちょっとやばい5時間おるやんみたいになって。
じゃあそろそろ帰ろっかとかって言ってたら、いや木曜乗り、木曜乗りじゃないあの樋口オイちゃんと、あのもう帰らない検討って言われて。
いやもう別にもうちょっといいよなんでって言ったら、いやカラオケ行こうやって言われて。え、お前カラオケ今から行くん?2人でみたいな。
もうちょっとなんか歌いたいんよねって言われて。まあまあいいけどって言って。教えてよみたいなこと言われたんで。
じゃあ1時間だけ行くかって言って。で、2人でちっちゃこちつのカラオケ行ってみたいな。で、お互い歌って。
で、お前ちょっとお前歌の歌い方もうちょっとこうした方がいいぞみたいな感じで。教えてみたいな。
で、1時間歌った後に家まで車で送ってって帰るみたいな。結局解散したのは7時ぐらいだったんで、7時間ぐらい一緒に行ったことになるんですけど。
いやだからもうこれは知り合いのお子さんではなくて、もう高校生の友達って言っていいなって思ったんで、もう僕は高校生の友達って言ってるんですけど。
めちゃくちゃ貴重というかありがたいというか、なんかどう言ったんやろな。やっぱり40越えてるとなかなか年代のギャップがあるなって勝手に思っちゃうじゃないですか。
実際あると思うんですよね。あると思うし考え方も違うし、そもそも前提となるレベル感が違うというか、レベル感っていうのはいいとか悪いとかじゃなくて、ネイティブ○○みたいなものの○○が違いすぎて、そういうのがありすぎて。
本当に異文化の生き物だと思うんですよ。彼らからしたら40越えてるお子さんって。そんな僕とまともに話してくれるっていうのがめちゃくちゃありがたいなという。
最初はちょっと困ってるとか悩んだりしてるっていうのを聞いたんで、なんか助けてやろうかなぐらいの感じで。俺がいろいろ助けてやるわ、教えてやるわみたいなスタンスでちょっと言ったんですけど最初は。
お前なんか悩みとかあるんかみたいな感じで言ったんですけど、なんかよくよく考えたら遊んでくれるって本当に尊いなみたいになって。尊いというかなんかものすごい刺激もらったんですよねっていう。なんか頑張ろうと思いました。
まあそれはいいんですけど、最近めちゃくちゃやっぱり何回も思い出して、毎回やっぱこの言葉すごいなっていう言葉があって、なんかこうこの言葉を知ってからことあるごとに頭にこれが出てくるんですよね。
それ何かっていうと、孔子が言ったとされる言葉なんですけど、これなんかコテンラジオで孔子の回があったんでSpotifyオリジナルで、そこで聞いたやつなんですけど。
死曰くですよね。死って孔子ですからね。死曰く立派な人とはっていう話をしてて、でこれ立派な人とはめちゃくちゃ大変な時にうろたえない人だって言ったとか言わなかったとかっていう話があるらしくて。
困難の克服
で、なんか僕この言葉をコテンラジオで聞いた時に、そうかなみたいな立派ってもっといろいろあるやろと思ったんですね。
いやいやなんかこうそこで何ですかね、頭を使って切り抜けることもやっぱ立派じゃないですか。
そこで根性を出して突破するとかも立派だし、ぐっと耐え抜くとかも立派だし、人を説得するとかも一見立派っぽいじゃないですか。
で、それに対して大変な時にうろたえないって、なんかうろたえないだけだったら何も変わらないやろみたいな、なんかちょっと一瞬思うと思うんですよね。
いやでもね、なんかやっぱりこう大変なことがめちゃくちゃあるし、大変なことがあってる人をいっぱい見るじゃないですか。
ってなった時に、この一言にマジで全部集約されてるんじゃないかっていう気になってきたんですよね。
でもちろん、孔子自身が何を思ってこれを言ったかっていうのは分からないんですけども、僕がなんでこの言葉がやっぱりめちゃくちゃ響いてるし説得力あると思ってるかっていうと、
まず、大変な時に切り抜ける時って自分一人の力でやらないといけないとは限らないっていう前提があるっていうことがまず一個言えると思うんですよね。
例えば、頭を使って切り抜けないといけないんだったら、頭がいいパートナーがいればいいんですよね。
で、力を使って切り抜けないといけなかったら同様に力があるパートナーがあればいいし、
ある人に話をしないと切り抜けられないっていう状況だったら、そのある人っていう人に繋がっている人脈を持っている人が周りにいればいいわけじゃないですか。
ということで、能力でできることってある程度外注可能なんじゃないかなってまず思ったんですよね。
会社とかでよく言われてることですよね。社長は何もできなくてもスタッフとか取引先とかに優秀な人がいれば会社って十分に回るみたいな。
じゃあ、そういう時に一番まずいことって何かっていうと、そういう優秀な能力を持っている人たちがまとまらなかったり、何人かいた時にね、まとまらなかったりとか、
こいつはダメだと思って離れていったりとか、そっちの方がよっぽどヤバいんですよね。
自信を持つことの重要性
で、それを一番やっぱりその状況を作り出しちゃうのって、あたふたしている姿を見せるっていうことなんじゃないかなって思ったんですよね。
まあ、これが一番大事だと思うんですけど、
まあ、これはわかると思うんですよね。
何かどんな時でも、はいはい、来たなーみたいな。おおおお、面白いじゃねえかみたいな感じで言ってるのを想像すると、
あら、こいつちょっとただものじゃないなって思わせるのに十分だと思うんですよね。結構。
何かそれだけで、張ったりあったとしても、何かあったりあったとしても、
普通の人ここで張ったりするのすらむずいと思うんですよ。めちゃくちゃ大変な時って。
でも何か、張ったりでもいいから落ち着いてもらうだけじゃないんですよ。
あ、ちょっと待って。
はい。
ハッタリするのすらむずいと思うんですよ
めちゃくちゃ大変な時って
なんか
うん
でもなんか
ハッタリでもいいから落ち着いてられるって
それだけでもハッタリかませる力があるじゃないですか
そこで
もうワンランクすげえなってやっぱり思うんですよね
その時点で
なんか凡人だったらハッタリもかませないと思うんで
うん
ってことは
めちゃくちゃ大変な時に
嘘か本当か置いといて
うろたえてねえって
やっぱりすごいと思うんですよね
じゃあ
どうしたらうろたえずに済むか
なんですけど
あの
何個かある中で
やっぱり1個はどうにかなると思ってるっていうのが普通にありますよね
うん
だから
普通
一般的に見るとめちゃくちゃこれやばいなと思ってる状況でも
俺の力さえあれば切り抜けられるって
普通に能力でねじ伏せられると思ってるっていうのがありますよね
うん
これ結構ね
僕
自身なんか
思うことがあって
例えば金銭的に
僕が大変になったとするじゃないですか
なんかじゃあ今の
いかねパレットつぶれかけました
ブックがつぶれかけましたってなった時に
困難な時の対応
最悪一人になっても一人で
なんとかして
泥水すすってでも
稼いでやるぞっていう気になったら
なんでもいいから稼げると思うんですよね
選ばなければいろいろ
なんかそこの能力的な自信が結構あるから
会社ぶっつぶれかけてもなんとかなるって思ってるところはちょっとあって
なんかこのだから
これ能力でねじ伏せられると思ってるっていうことですよね
っていうのは1個ですよね
もう1個は
あのそれぐらいめちゃくちゃ辛い経験を1回してるっていうのもでかいと思う
あのつまりだからこれ能力関係なくて
1回それ経験してるから知ってるっていうので落ち着いてられるっていう
これはねあのちょうどこないだ泥棒会議っていうね
安倍県有形の泥棒会議っていうのがあるんですけどそこでも言ったんですけど
僕めちゃくちゃ好きな漫画のセリフがあって
それはグラップラーバキーのしばちはるっていうキャラなんですけど
これは暴走族のキャラで
でその暴走族が地下闘技場っていうところでプロのボクサーと戦うっていう
そういうシーンがあるんですね
でボクサーからパンチかまされるんですよ
ストレートパンチバーンってかまされるんですよね
その時にぐにゃーって揺れるんですけど
その暴走族の総長のしばちはるっていうのが
うわーってなってあの時と同じだって言うんですよ
暴走族の争いで750ccのバイクをぶちかまされた時と同じぐらいの衝撃だって言って
なら行けるぜって言って
そっからポロポロの体で相手ボコボコにして勝つんですよね
なんかこれって7半ぶちかまされた経験があるっていうので
なんかこう全然慌てないというか知ってるっていうことで
うろたえずに住んでるってことだと思うんですよね
なんかこれも人生経験積むとこうなっていくじゃないですか
なんか例えばなんやろうなぁ
こう子供の頃って1万円なくしたとかがめっちゃやばいじゃないですか
でも大人になって1万円なくしたってうわ最悪だって落ち込みますけど
まぁちょっとその分頑張って稼ごうぐらいでなんとかなるじゃないですか
なんかもう絶望的に落ち込むってことないじゃないですか
なんかねあとなんかそんなあると思うんですよね
だからどれだけやばいことを経験してきたかみたいなことも繋がると思うんですよね
なんかそのうろたえなさに対して
ここまでは許容できるぞみたいなことだと思うんですけど
冷静さの重要性
これってまさになんか本当に言えてみようだと思うんですけど
器だと思うんですよね
あーもうなんかこれぐらいドンとこいやっていう感じとか
最悪俺が何とかすらいいんやろうみたいなやつって
なんか許容範囲とかキャパシティというか
能力的に受け入れられるプラスなんて言うんですかね
これってでも能力がなくてもできることだと思うんですよね
なんかこう気にしないっていう大変さをなんて言うんですかね
大変だなあというまま受け取らないみたいなことで
実は能力じゃなくて認識でできるじゃないですか
でもその認識を心から大変だと思わないっていう風に思うのって
実は能力じゃないんやけど能力と経験がいるっていう
だから能力と経験がなくてもできるけど
そう本気で思うためには結局能力や経験がいるっていう
なんかこの辺のなんか絶妙やなって思ったんですよね
うるたえないってやっぱり相当経験しとかないと
そのリミット外せないですもんねとか思ったんですよね
なんかそれで言うと
いやまあなんかまあ僕はうるたえないようにしてるし
うるたえなくなってきてるなと思ったんで
だから立派な人に近づいてるんじゃないかなと思ってるんですけどね
なんか結構もうなんやろうなあ
特に会社でなんかあっても多分うるたえるとか
ほとんどないような気がするんですよね
なんかいろんなシミュレーションするんですけど
まあだからもちろんそううるたえる時って想定外のことだから
うるたえないなだろうなと思ってても
マジでその時が来たらうるたえるってことがあると思うんですけどね
あとはあれですね
最悪のシミュレーションをしとくかどうかみたいなのも
一個うるたえなさに関係あると思っていて
なんかこれよく言うんですけど
地面すれすれまで落ちるって地面につきかけるっていう状況の時に
地面につきそうで怖いって思うか
ギリギリ地面につかないやん大丈夫やんって思うのかって
これも認識で実は選べると思っていて
これ1回会社潰れかけた時に
支払いがキャッシュギリギリになった時があって
諸々支払いがやらないといけないけど
払えるか払えないかやばいってなった時に
いつのくらいまで全部計算したんですね
今月支払わないといけないだろうお金っていうのは
電気代はこんくらいネット代はこんくらい
外注先に支払いがこんくらいでそれが期日がここまでで
でも一応入ってくるお金がここでいくら入るから
これギリギリいけるわみたいな計算をしたことがあるんですけど
もしこれしてなかったらうろたえていってると思うんですよ
やべぇやべぇって不安やなぁ大丈夫かなぁみたいな
でも僕が自分でその時経理やってたから
一のくらいまで計算することができたんですよ
もうすでに来ている請求書とかで計算できたので
全ての支出を把握していたので
僕がこれなんか解像度高く想像できて
そこの見積もりに自信があるっていう状況も
うろたえなさにつながってると思うんですよね
とか考えるとやっぱうろたえなさっていうのは
立派な人っていうところに
結局なんか集約されてるんじゃないかな
みたいなものを最近思ったっていう
そんな話です
22:57
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