ママが自分を取り戻すラジオ
このラジオでは、3人の子育て真っ最中の私が、自分を見失ったり取り戻したりしながら、得た学びや気づきをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。お久しぶりです。ママが自分を取り戻すラジオです。ただいま。
お久しぶりの一人会。冒頭からこんなこと言うのは何なんですけど、本日生理2日目。頭もお腹も腰も激痛。もう体もだるいわ。頭は痛いわ。
もう最悪のコンディションなんです。最悪のコンディションだから許して〜って言いたいわけじゃなくて、
もう1ヶ月の中で一番コンディションが悪い生理2日目だからこそ、一番熱量高く語れる話があるわと思いまして、いろんな意味で重たい腰を引きずってマイクの前に今来ております。
どうも、ごきげんよう。
あのね、ちょっとね、パンツの話がしたい。
パンツってズボンじゃなくてパンツ。パンツパンツ。下着パンツ。
ちょっとここから数分パンツの話になりますので、すいませんがよろしくお願いいたします。
わかってるんです。この番組ね。8割以上は女性の方が聞いてくださっているんですが、2割弱ぐらいは男性の方も聞いてくださっているんですね。
だからそれもわかっていながら、今からパンツの話をします。生理パンツの話です。
前提として、私、生理って別に女性だけの話じゃないよねっていうことを小学5年生の時から思い続けているんですね。
これ歴史は長いんですけど。小学5年生の時に、野外活動の前かな。
クラスの女の子たちが保健室に集められまして、保健室の中川先生からですね、生理のことについて教わるわけなんですね。
生理っていうのはこういう仕組みでこうやって血が出るんだよとか、生理が始まったら子供ができるような体になっていくんだよとか、
ナプキンはこうつけるんだよとか、ナプキンはなるべくハンカチとかポーズで隠してトイレに持っていくんだよみたいなことを学校で習うわけなんですよね。
そういう経験がね、ある方も多いんじゃないかなと思いますけれども。
その時から私は、なんでこれ女の子だけ集められてんのって思ってたんです。
これ別に男の子も聞いた方が良くないって思っていた。
もちろん性教育とか保健の授業とかで、男の子も交えて生理の話を聞いたこともあるのかもしれないんですけど、
でもやっぱりそのナプキンのつけ方とかそういうところは、女の子だけで保健室に集められたあの日のことが今でも思い出されるぐらい、
なんでなんてすごい思ってたんですよね。
それは今も変わらず思っているんです。
やっぱり生理って確かに女性の体の中で起こることではあるけれど、男性に関係ないことはないよねと。
少なくとも我が家は、私の生理があったから子供たちが3人生まれてるわけなんですよね。
ここから4人目の予定はないですけど、
いやちょっとこれ話それるけどさ、辻ちゃんが妊娠したでしょ。
そのニュースを見たり聞いたりするとめちゃくちゃ赤ちゃんが欲しくなっていて、
もうやばいんですよ。
インスタでさ、全然知らんとこの予想の赤ちゃんのショート動画ばっかり見てるから私のオススメ欄赤ちゃんだらけなんです今。
知らんとこの赤ちゃんだらけなんです私。
本当に。
ちょっとそれは置いといて、何の話だったっけ。
生理ってね、女性だけの話ではないと思っている。
だから私は旦那さんにも生理の話するし、息子にも全然生理の話とか普通にするんですよね。
体がしんどすぎて、生理がしんどすぎて、ご飯できひんからご飯炊いといてって息子に頼んだりとかもしたりするんですね。
だからこの番組でも男性が聞いていることは知っているし、男女関わらず生理の話とか聞きたくないよっていう方も一定数いらっしゃるのかなと思いながら、
ごめんけどちょっと生理の話というかパンツの話させてもらいますという感じなんですね。
これはね、普通に商品もおすすめ。
早く商品の話せよって感じなんですけど、商品の話もしたいけど、
この取り組みというか、この会社をすごく応援したいなと思ったので紹介するんですけれども、
OPTアンダーウェアというところのOPT吸収型ボクサーパンツという名前のパンツなんです。
生理パンツですね。ナプキンいらんやつ、吸収してくれるやつ、吸水型のやつ。
最近多いですよね。普通にユニクロとかにも売ってたりとかするし。
私も持っているんですけど、吸水パンツっていうのは。
だけど、信じてなかったんですよ、その吸水性を。
どうせ漏れるんでしょうとか、やっぱちょっと気持ち悪いなぁみたいな風に思っていたので、
持ってはいるけど、信じてなかったんですね、その吸水性を。
すいませんという感じなんですけれども、企業努力をね、本当に申し訳ないという感じなんですけど。
なんですけど、OPT吸収型ボクサーパンツを購入してからは、すごい快適。
すごい、もうすんごいの、もうなんだこれはっていう感じなんですよね。
だからちょっとその話がしたいんです。
まず、私とこのパンツの出会いの話からさせてもらいますと、
そう、あれは去年の夏頃ですね。
息子がね、去年からバレーボールを習ってまして、
週4回練習に行ったりとか、週末は大会に行ったりとか、合同練習とか合同試合とかがあったりとか、
などなどで、いろいろな会場に送って行っているんです。
その中で、結構大きめの会場、大きめの大会に出場した時に、
受付のところでね、このOPTアンダーウェアが売られてたんですね。
開発者の方がお二人いらっしゃるんですけど、
その方々が直接いろいろお話をしてくださったり、
商品の説明をしてくださったりとかして、直接販売をしてくださってたんですよね。
なので、その時に初めて知りました。
このOPT九州型ボクサーパンツっていう生理パンツのことを。
売り文句としては、アスリートが作ったアスリートのための生理パンツですよっていう感じだったので、
正直私はね、私もスポーツしてへんし、
うちの女子たち、長女と次女なんですけど、
小6と次1年生なんですけど、
二人とも別に本格的にスポーツしてるわけじゃないから、
そんな別に関係ないかな、高いしって思ってたんですね。
だけど、いろいろ話を聞いてパンフレットをもらって、
試合の待ち時間とかを過ごしてたんです。
試合の待ち時間を過ごしながら、そのパンフレットの後ろを読んだ時に、
このね、ミッションが書いてるんですけど、
それにめちゃくちゃ共鳴しまして、
いやちょっとこれは、私は完全にこの商品のターゲットではないけれど、
ミッションに共鳴しすぎて、すごく興味が高まったんですね。
ちょっとこのミッション読みますね。
スポーツを通して、より良い自分でありたいと情熱を燃やし、
成功も失敗も仲間と乗り越えていく楽しさを知り、
一つ一つと真剣に向き合い続けてきた自分自身を誇りに思えるようになりました。
スポーツがあったから、
ありのままイコール我がままであり続けられた自分たちだからこそ、
自分がどうありたいのかわからず孤独を感じている人たちに、
スポーツのあらゆる可能性を通して、性のあり方に関係なく、
全ての人が誇りとワクワクにあふれた日常を過ごせる社会を作ること、
それがOPTの使命です。
というミッションなんですよ。
それに対して、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
自分自身が、
空 climberさんにも挨拶しようとしては、
新しい整理の選択肢となるスポーツギアを作りました」っていうふうに書かれているんですよね。
確かに整理は仕方ないわとか、ピルとかねいろいろありますけど、
まあでももうこれはしんどくって当たり前というか、しんどいけど気持ち悪いけどもうこれは付き合っていくしかない宿命ですわみたいな感じで、
仕方ないで諦めてしまっていたなとすごく思ったんですよ。
だけどこうやってアイテムを使っていくことによって、気持ち悪さみたいなものってすごく軽減できるようなっていう、まあ当たり前のことではあるんですけど、
当たり前のことなんですけど大事なことに気づかせてもらったなとすごく思ってるんですよね。
で、まあこの商品をその大会で買った時にはまだ使ってないので、正直わからなかったんです、この効果が。
ユニクロの給水パンツとかも私、本当に企業努力に対してこんなこと言って申し訳ないんですけど、全然信じてなくって、絶対無理やろって思いながら、
まあでも買ってみるかみたいな感じで買ってみたりとかしてたんですよね。だから全然信じてなかったんです。
でも信じてなくってもユニクロの給水パンツはね、まあ手の届く価格なんですよ。
だから、まあ買ってみたりもしてたんですけども、このパンツなんとね、一つ7,920円するんです。
だからさ、正直ちょっと本当に悩みましたし、うちのね、旦那さんとかすごいびっくりしてました。
えっ、マママジで買ったん?みたいな。アスリートでもないのにみたいな。
この会場で一番アスリートで買ったんですよ。
いやでも私はこのミッションにすごく共鳴をしたし、商品の質がいいっていうのはもちろん、そこは求めるところではあるけれど、
このミッション、この思いにお金が払いたいと思って、このパンツをね、その現地で買ったんです。
まあお話ししたいと思います。
私が実際にこのパンツを履いて、本当にいいかっていうのを体験してみないと、やっぱりちょっとなんかこう、無責任にあれ良かったよ、これ良かったよ、みたいな感じでさ、
でも、このミッションにすごく共鳴をしたし、商品の質がいいっていうのはもちろん、そこは求めるところではあるけれど、
このミッション、この思いにお金が払いたいと思って、このパンツをね、その現地で買ったんです。
体験してみないと、やっぱりちょっとなんかこう、無責任にあれ良かったよ、これ良かったよ、みたいな感じでさ、
言うのは違うなと思って、本当にちょっと履いてみました。
去年の夏から、毎月、生理が来る度に履いてみて、いやもう本当にいい、いやめっちゃいいって毎月思ってるんですよ。
だいたい生理の時ってさ、しんどいし、気持ちも落ちてるし、もう顔とかもブツブツやし、今とかもう本当にブツブツなんですけど、
気持ち落ちてるじゃないですか。落ちてる状態で、このパンツいい、めっちゃいいって思うことって、すごくね、マイナスからプラスに上がっていけるんですよね。
だからやっぱり、毎月このパンツを履く度に、やっぱ買って良かったなーってすごく思うし、
まあしんどさはね、そんなに変わらなかったりもしますけど、でもそう思えるアイテムってすごくQOLっていうんですか、クオリティオブライフを上げてくれるなと思うんですよ。
で、どんだけパンツの話するんやって感じなんですけど、どんだけするんやって感じなんですけど、
給水パンツのね、デメリットだと私が思っていたところは、一旦手洗いしないといけないっていうのがめんどくさかったんですよね。
その洗濯機にポンって掘り込めない、なぜかというと血だらけなもんで、脱いだ時には。
だから、それを一旦バシャバシャしないといけないっていうのが正直めんどくさかったんですよね。
そんなんしてる暇ないわっていうのもあるし、あとなんとなくちょっと触りたくないわ、汚いわみたいな風に思ってたから、
いやちょっとその血だらけのパンツを手洗いするのはって思ってたんですよ。
だけど、最近は一緒にお風呂に入って、私が湯船に使ってる間に、洗面器みたいなところでバシャバシャして血を流すんですよね。
これって布ナプキン使われている方と同じ感覚なのかもしれないんですけど、
最初はうわーって感じだったんですけど、でもだんだんパンツ洗いながら、
自分の体から出ているもので、しかも毎月結構こうしんどい思いをしてさ、
お腹痛いな、腰痛いなって思いながら毎週間ぐらい過ごすわけじゃないですか、
パンツぐらい自分のために自分で手洗いしてあげてもいいんちゃうかなと思い始めたんですよ。
なんかめちゃくちゃ自分を大事にしている時間な気がするなって思ってね。
今まで自分が出している血液とかって、だいたいどのぐらいの量かとかさ、どんな色かとかそんなに見てなかったんですよね。
もうもうもう嫌やわーって感じで処理してたんです。
だけど、なんかこうやって自分でバシャバシャすることで、
なんかめっちゃ赤いなとか、当たり前なんですけどね。
なんかめっちゃ血赤いなって思いながらバシャバシャ洗ったりとか、
だんだんだんだん1日目2日目3日目4日目5日目で日が進むごとに、
血の量が少なくなってきてるわっていうのを感じながら、
お風呂で洗ったりとかするんですけど、
この時間って本当に自分の体のことを考える、自分の体のことをちゃんといたわってあげる、
結構大事な時間なのかもしれないなって思い始めたんですよね。
最初はバシャバシャするのめんどくさいし、なんか汚いし触りたくないしと思っていたんですけど、
結構この時間ってすごく変えがたい時間なのかもしれないなっていう、
本当にこうセルフケアの時間なのかもしれないなと思って。
めっちゃいいから本当に。
洗いがいのためにね、あと3つぐらい欲しいなって思ってます。
7920円なんですけど、
でも7920円出して買う価値あるって本当に思うこれは。
なのでね、ちょっと追加で買いたいなと思っているところです。
すごい、こんなにパンツに対して熱く語ったの人生で初めてなんですけど、
というかパンツに思い入れなかったからね、そこまで今まで。
パンツにこだわるって大事だなって。
身につけるじゃないと思うんですよ、パンツって。
身を守るものだと思うんですよね。
身を守るものをこだわるって結構大事だなって思ってますね。
びっくりするセリフ掴むとは思えへん熱量で話した。
一応これ前置きというか。
ここからが本題なんですけれども、パンツの話も本題でしたけどね。
テーマもありますよ、今日。
今日のテーマは、ヘラヘラしながら強く生きるというテーマでお話をしたいと思います。
これちょっとタイトル迷ってるんですけど、
嫌いな自分と生きていくっていう話ですね。
嫌いな自分と生きていくしかないまであるかもしれない。
もっとポジティブな言い方をすると、
嫌いな自分の部分も受け入れてあげてね。
愛おしく受け入れてあげて、でもなりたい自分を諦めないっていう話かなと思います。
めちゃくちゃ漠然としている、今自分で言いながらびっくりした、すべての文字が漠然としているんですけど。
自分自身の嫌いな部分ってあるんじゃないかなと思うんですよ。
自分自身の嫌いなところがないっていう人って存在するのかな、この世に。
いなくはないですよね、きっとね。
私そんな自分の嫌いな部分なんて一個もないわっていう方はいると思うけど、
少なくとも私は嫌いなところも好きなところも自分の中にあるんですよ。
強みも弱みもあると思っているんですね。
強みと弱みと自分の好きなところと嫌いなところが必ずしも一致するかどうかはわからないですけれども、
今回は好き嫌いの話ね。
私自分自身の嫌いなところって並べると結構あって、
例えば、ヘラヘラしていることとか、必要以上にヘラヘラしたりとか、
必要以上に弱い自分を演じるじゃないんですけど、
本当はそんなに弱くないのにさ、めちゃくちゃきついのにさ、私本当は。
なのに、そんなにありがとうございますみたいな感じで、すごい弱々しい雰囲気を醸し出しちゃうこととか、
あと考えていること、思っていること、感じていることとかがあるのに、その場の雰囲気に流されてっていうのかな、
今私の反対意見言わんでいいかなみたいな感じで、
ちょっと相手に忖度しちゃったりとか、
そうですよねって適当に話し合わせちゃったりとかするのとかもすごい嫌なんです。自分自身でね。よくやっちゃうんですけど。
あとは必要以上に自分自身を小さく見せたりとかヘリクだったりとか、
あとなんとなく笑いが取れるんじゃないかと思って変な字逆を入れちゃったりとか、
自分を落とすような行為をしてしまう自分がすごく嫌なんですよね。
でも本当によくしてしまうんですよ。気を抜いたらよくしてしまう。
もう意識して意識してやらないようにしないと、本当によくするな私っていうのを未だに思っているんですね。
反対に自分自身の好きなところとか、あとはこういう人に憧れているなっていうところで言うと、
もう完全にさ強い女性に憧れているわけです私は。
強い女性って定義はいろいろだと思いますけど、
私が思う強い女性っていうのはきちんと自分の思いとか意見とか考えを持っていて、
それを攻撃的に主張するんじゃなくて賢くしなやかに、
良きタイミングでそれを主張するっていう感じにそんな人になりたいなと思っているんですよね。難しいんですけど。
なんかここ最近本当に自分自身のことがすごく嫌になっていて、
この嫌になってるのって何でなのかなと思ってたんですよねずっと。
でもそんなことを立ち止まって考えている暇もなくバタバタと日々が過ぎていって、
もうとにかくいつも送り迎えしているっていう日々だったので、
とにかく立ち止まって考えるということをしてなかったんです。
なんですけど、今ちょっといろいろ振り返って立ち止まって考えた時に、
その自分自身の嫌いだな嫌だなって思う部分をすごく頻繁に出してたなって思うんですよね。
だからまあ嫌いな部分ですよ。一部分ですよ。そのヘラヘラしているっていう部分は。私の中の一部分。
でもそれを定期的に何回も何回も何回も何回も出してたらさ、
一部分なのに自分が錯覚しちゃって、自分自身が嫌い、自分自身が嫌いみたいな風に、
だんだんだんだんなってきてしまってたってことに気がついたんですよね。
これはちょっとやめなあかんなと思って。
人からね、どれだけ嫌われたとしても、自分自身が自分のことを好きでいれたら結構無敵だと思っているんですよ私。
だけど、人から誰からも嫌われていなくても、自分自身が自分のことを嫌いになってしまった時点で、すごくきついなと思うんですね。
私、長男長女、今小6、小5、もうすぐね、中1、小6になりますけど、の二人が赤ちゃんだった頃、まだまだちっちゃかった頃は、
本当に私何が辛かったって、そりゃ子育てもしんどい、ワンオペでしんどい、自分の時間なくてしんどいっていうのもあったけれど、
一番しんどかったのは、自分自身のことがすっごく嫌いになっていて、自分に自信もなくしていて、そのことが一番しんどかったんですよね。
だから、結構その頃にどうしたらいいかわからなかったし、その状態からどうやって出したらいいかわからなかったんですけど、
でも少なくとも、この子たちだけは自信が持てる子に育てたいっていう気持ちで、ずっと暗闇の子育てね、生き地獄時代を過ごしてたんですよね。
その当時ほどの真っ暗闇の中にいるっていう感覚はなかったんですけど、なんかね、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ちょっとずつ、かすり傷が体中についていくみたいな感覚かな。
で、一個一個はさ、傷がちっちゃいから気づいてないんですよ、その傷がついているときに。
だけど、かすり傷だってさ、体中にできたら、そんなもんヒリヒリしてしゃーないっていう感じじゃないですか。
そのかすり傷がついているのは、誰かにつけられたとこじゃなくて、私自身が必要以上にヘラヘラしちゃったりとか、必要以上に減り下っちゃったりとか、なんか本当に自分のことを小さく小さく見積もりすぎていた。
だから、その度に自分で自分をこうなんか傷つけちゃっていたな、ということに気がついたんですよね。
で、本当になんか申し訳ないことをしているなと思って、自分自身に。
で、なんで私ってこんなにヘラヘラしてしまうんだろうか、自分自身のことをこんなにも小さく見せてしまうんだろうかってことを、ここずっと結構考えてたんですね。
で、旦那にも言われて、なんかママって本当は、その自分の中にめちゃくちゃ熱いものとか、熱い気持ちとか、すごく強い思いを持っているのに、全然出さへんよなって言われたんですよ。
まあ、あの旦那には出してるんですよ。すごいいろんな意味で熱いものを投げまくってるんですけど、よくも悪くも。
なんですけど、なんか全然出さへんよなみたいな。
ポッドキャストであんだけ喋ってんのに、日常生活とか相手によってはね、全然出さへんくて、本当に自分のことを小さく見積もるような、めちゃくちゃもったいないでって言われたんですよね。
で、私結構その言葉が胸に刺さっていて、なんでかっていうと、もうまさにその通りだと私も思ってたからなんですね。
なんでなん?って言われて、私もそれを聞かれるまでなんでかっていうのを深く考えたことがなかったので、なんでなんやろってそこから考えたんですよ。
考えた時に思い出したのが、就活の時の話と、父親のこともそうかな、父親との関係とか、あとアメリカで過ごしていたことがあるので、アメリカの話とかも思い出したんですね。
就活の時に、私本当に就職活動というものが結構楽しくて、しんどうくもあったんですけど、結構就活楽しんでたんですよね。
だってさ、あんないろんな企業のいろんな人と話せる機会なんて、就活以外に全然ないと思うんですよ。
社会に出たら、一緒にお仕事をするっていう立場でお話ができるかもしれないけど、でもその学生と社会人っていうすごく特殊な関係性で、
OB訪問行けますとかさ、その企業の中の人と話せますって、なんかこれ体験としてめちゃくちゃ面白いなと思ってたので、結構本当にいろんな説明会に行ったりとか、面接に行ったりとか、いろいろやってたんですよね。
その中で、その時って私、高校でアメリカの交換留学をして帰ってきて、本当に人生一番調子乗ってた時期なんですけど、調子乗ったまま就活が始まって、
調子乗った状態でね、そこらの子娘がね、いろいろ聞くわけですよ、その会社の偉いさんの方々にね。
これは本当に私の偏見もあると思うんです。本当に私の偏見もあると思うんですけど、たまたまだったのかもしれないんだけれども、
同じ質問を同じ年の男の子がすると、きちんと返してくれるんだけど、私がすると、鼻で笑われるみたいなこととかが、1回や2回じゃなくて、結構何回もあったんですよね。
私もさ、私なりにね、調子に乗ってましたけれども、あの当時は。
私なりに、これはちょっと聞き方を考えなあかんなと思って、強めの感じで、私バリバリ行きたいです、みたいな感じで質問しても、そもそも話聞いてもらえないんだなっていうことを、だんだんだんだん学習していきまして、
ちょっとこうなんかヘラヘラしながら、というのかな、別に女を使うわけじゃないんですけど、愛嬌振りまいて可愛がられる感じの手法を使うようになったんですよ、途中から。
で、それの方が話を聞いてもらえたりとか、普通に会話をしてくれたりとかするっていうことに途中から気づき出したわけなんですよ。
多分ね、このあたりから、このヘラヘラするっていう技をね、必要以上に身につけちゃった気がするんですよね。
で、父親との関係は、話し出すと本当にね、あの5年ぐらいかかるんで、あれなんですけど、
基本的に私、今はないですけどね、本当に父親は私のことは分かってくれないっていうような思い込みがあったんです。
結局父親は別には、私のことは絶対分かってくれへんなっていう。
ていうか、そもそも話しても分かってもらわれへんから、父親もよく分からんこともいろいろ言ってくるから、もうそれはなんか、はいはい、みたいな感じで流しといた方がいいわと。
で、ここに真正面からぶつかっていこうとしたら、もうエネルギー消耗してイライラするだけやから、もうわけわからん、いらんこととか、もう腹立つこととか言われてても、もうはいはい、で終わらせようっていうふうに、
まあ思春期ぐらいからかな、思ってたんですよね。
また言うてるわ、お父さんがよく分からんこと言うてます、はいはいって感じで、ちょっとあの、やらせてもらってたんです。
意見をずばずば言っても、ストレートに言っても、主張しても、けむたがられない感じがあって。
だから、アメリカでいろいろ言いたいことを言いたい放題言っている自分が好きだったのかなと思ったんですよね。
アメリカが好きなんじゃなくて、アメリカで過ごしている自分が好きだったのかなとかさ、いろいろ考えて沼にはまってたんですけども。
何が言いたいのかというと、このヘラヘラしている、自分自身の私が今嫌いだな、こんな自分の部分あんまり好きじゃないなって思っているのって、
結局、諸星術だったのかなと思ったんですよね。
この就活を経て、父親との関係もそうですけど、真正面から強く言ったら話を聞いてもらえないから、
攻撃されないために、自分のことも守るためにヘラヘラして、自分自身のことを必要以上にへり下ったりとか自虐をしたりして、小さく見せて、
私は攻撃しませんよ。大丈夫ですよ。あなたが嫌がるような強い意見は言いませんよ。
だから、大丈夫ですよみたいな感じで、会話してもらえるような位置まで自分を持っていくためにヘラヘラしてたのかなって思ったんですよね。
そう思うと、自分で自分のこと守ってたんやんと思って、そんなつもりはなかったし、無意識だったんですけど、
自分が周りの人とコミュニケーションをとっていく、傷つかないようにしながら、自分で自分を守りながらコミュニケーションをとっていく方法を、
自分なりに考えて、女性術として身につけたのがヘラヘラするっていうことだったのかなって思ったら、
私、すごい自分自身のことを不器用ながらに大事にしようとしてるんだなと思ったんですよね。
そこから身についた技なんだなと思ったんですよ。
きっと他の自分の嫌いな部分っていうのも、そういうところがあるんだろうなと思うんですよね。
生きていく上で、自分を守るためについた技みたいな感じ。
私、他にもいっぱいあるんです。自分のほんまに、ほんまやめてくれっていうところいっぱいあるんですけど、片付けられないとかさ。
他人に会わせるとかもそうですけど。
片付けられないのは何の諸性術なのかと考えたところ、片付けられないんじゃなくって、
片付けられないというよりも、片付けたくないんだなってことに気がついたんです、最近。
致命傷なんですけど、片付けたくない、むしろ片付けたくないって思ってることに気づいちゃったわけ。
なんで片付けたくないのかというと、これまで何度も何度も何度も頑張って片付けてきたのに、
結局それを子供だったりとか旦那さんとか、自分以外の人にぐっちゃぐちゃにされるっていう。
自分の頑張りを結局無駄にされる。
努力が水の泡になるっていうことが、あまりにも悲しすぎて。
悲しいから、その悲しい気持ちを味わいたくないから、それやったら片付けたくないわっていうところに行ってるってことにも気がついたんですよね。
これはだいぶこじれてるんですけど。
他人に会わせちゃうっていうのも、結局自分を出したところで攻撃されて傷つくっていうのが怖いし、
傷つくぐらいなら自分を出さなくてもいいわみたいな感じになってるんですよね。
だから、なんとなく他人に会わせときましょうみたいな感じになってるのかなと思うんですよ。
だから結局自分の嫌いなところって、あえて言いますけど、
こんな世の中で今まで頑張って生きていくために仕方なく身につけたものなんじゃないかなと思うんですよね。
自分で自分を必死に守ろうとした結果、身についたものなんじゃないかなと思う。
それは意識的なものなのか無意識的なものなのかわかんないけどね。
それってめちゃくちゃ愛おしくないと思うんですよ。
自分で自分を不器用ながらも守ろうとしている、その姿ってすごい可愛いと思うんですよね。
人間って可愛いなって思うんですよ。
私自身がすごく思っているのは、何か進んでいこう、動いていこう、一歩踏み出していこう、変わりたいから変わっていこうって思うときって、
一旦自分を受け入れるっていうことをしないと、その自分の嫌な部分も含めて、
一旦受け入れるっていうことをしないと、一歩先に進めないって思ってるんですよね。
だから、自分自身の嫌な部分とか嫌いな部分とか、ほんまにヘラヘラしちゃって、
自分を強い強い強い実績しちゃって、ほんまに嫌なんですけど、みたいなところも、
これまで頑張ってきて、ほんまにいろんな山越えてきて、
なんか、理不尽なこととかもありました。
いろんなことがありました。腹立つこともありました。許せないこともいっぱいありました。
やけど、そんな山を越えてきたからこそ、その山を越えるときに、自分で自分のことを守ってきたからこそ、身についたものなんだな。
それは愛おしいことだな。可愛らしいことだなって思ったら、一旦受け入れられる気がするんですよ。その自分の嫌なところが。
受け入れつつ、でも、自分の好きな生き方とか、理想の生き方っていうのがあると思うんですよね。
私は、やっぱり自分の考えてることとか、感じてることとか、思ってることを、やっぱり主張していきたいなと思うし、
もっと言うと、自分の信じてることを、ちゃんと信じてあげることが、すっごく大事だと私は思ってるんですよね。
結局、自分の信じてることを、ちゃんと信じてあげることが、自信につながると思ってるんですよ。
自信って、自分を信じるって書いて自信じゃないですか。それをもっともっと細分化していくとさ、
自分の信じていること、大事にしたいこと、大事にしていきたいこととも言い換えられるかもしれないけど、
自分の大事にしたいことを、ちゃんと大事にしてあげるっていうことをしていくと、だんだん自信がついていくんじゃないかなと思っているんですよね。
だから、自分の大事にしたいものを、ちゃんと大事にするっていうのを、心に留めていきたい。
本当に本当に本当に本当に。
でもここでね、自分の大事にしたいものって何ですかっていう、何ですかまたその漠然としたものは何ですかっていう話になってくると思うんですね。
ちょっとこれは改めて、ちょっと別の回でやりたいなと思います。
自分の大切にしたいものを探すポイントとしては、心のザワザワとか違和感みたいなもの。
ちょっとこう、不快な感情に敏感になることがすごい大事だと思うんですよね。
そこに敏感になると、自分の大事にしたいものっていうのが浮かび上がってくるなっていうのはすごく思っているので、
ちょっとこれ匂わせ、匂わせながら次回に続くみたいな感じになってしまって本当に申し訳ないんですけれども、
こんなことを思うなどしておりました。