1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 583.心配しているその理由
2025-03-17 27:47

583.心配しているその理由

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時代がおかんに追い付いてきた!

ちゃんみなの「AERA」/お節介ババァ/心配事が絶えない春/心配と信頼の関係/自由のふりしたコントロール欲/子どものファッション拗らせ勢(大反省)


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サマリー

このエピソードでは、ちゃんみなを通じて自分を取り戻す過程と、心配することの意義について語られています。特に、子育てにおける「おかんバイブス」がどのように役立つかが紹介されています。親の心配は、子どもの成長に伴う信頼感やコントロール欲と深く結びついていると考えられています。エピソードでは、心配が時に相手に対して失礼になることや、信頼の重要性についても触れられ、自らのコントロール欲が子育てに与える影響が論じられています。心配することは避けられないものですが、自分自身の人生を楽しむことが大切であることが強調されています。子供との関係を見直し、自分自身を理解することが心配を和らげる手助けになる可能性があるとされています。

ちゃんみなとの出会い
ママが自分を取り戻すラジオ
このラジオでは、3人の子育て真っ最中の私が、自分を見失ったり取り戻したりしながら、得た学びや気づきをシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。
あのちょっと、末っ子がね、YouTubeを見ているんですけど、すごい、その音が、うるさい。
すごいうるさい。入ってるのかな。まあいいや、このままいきますね。
あの最近、私、心の中にちゃんみなを買ってるんです。
ちっちゃなちゃんみなと共に過ごしてるんですね。
まあ厳密に言うと、ちゃんみなとおばあちゃんがいる。
だいぶ話がややこしくなってきたけど。
去年の秋頃から毎週放送されておりました、ノーノーガールズというオーディション番組があったんですね。
去年の秋ぐらいから、今年の1月、2月ぐらいまでしてたのかな。
このノーノーガールズというのは、ガールズグループを誕生させるためのオーディション番組だったんですよね。
そのプロデューサーであり審査員であるのが、ちゃんみなさんだったわけです。
その後ろには、BMSGっていう、ビーファーストとかを配置している事務所がいたりとか、
そのCEOであるスカイハイさんがいたりとか、そこら辺はね、話すと長くなるので割愛するんですが、
ちゃんみなが指揮をとって、新しいガールズグループを作るぞっていう感じで、
いろいろな課題があって、それを何人かがクリアしていって、最後にユニットが誕生するっていうような流れだったんですよね。
それを見ている中で私は、ちゃんみなさんにはまりにはまり、もちろん新しくできたグループも好きなんです。
なんですけど、やっぱりどうしても、おかん目線で見てしまうんですよね。みんな娘みたいな感じ。
みんなが幸せになれみたいな気持ちで、見守ってしまうんですよね。
ほんまにお前誰やねんって感じなんですけど、やっぱりどうしても親目線で見てしまうところがあるんですね。
よくも悪くもね。
ってなると、ちゃんみなさんが本当にさ、人を育てるのがこんなにもうまい人っているんですかっていう感じを、
アメとムチも使いこなして、テレビに映っている部分だけじゃないと思うんです。
それが全てではないし、テレビに出ている本当に一部分だけを私たちは見せてもらっていると思っているんですけど、
それでもやっぱりちゃんみながもうめちゃくちゃ良かったんです。
これを言うのはね、本当に恐れ多いしね、もう本当にちょっと言うか迷うんですけど、
ちゃんみなさんの言葉とか思想とか、言ってることとか、その女の子たちに伝えてることっていうのが、
ちょっと待って一緒なんですけどみたいな、私もそれ思ってたんですけどとか、私もそういうマインドで生きてるんですけどみたいな感じで、
すごい被るんです。本当に恐れ多い。もうちょっと本当にごめんなさい。本当に先に謝る。
本当にごめんなさい。ちゃんみなさんにごめんなさいっていうか、もうごめんなさい。
すごく被るんですよね。というか、ママが自分を取り戻すラジオってそういうコンセプトでやってきたんですけど、みたいな感じ。
ママが自分を取り戻すラジオってもしかしてノーノーガールズだったの?みたいな感じですよ、私からすると。
ちょっと何言ってるかわかんないかもしれないんですけど、ごめんなさい。
しかもこの番組見てなかった人からしたら本当になんのこっちゃって感じだと思うんですけど、ちょっと切らずに聞いてください。今から大事な話するんで。
で、もう私はちゃんみなみたいな感じになりまして、そこからちゃんみなの沼にどんどんどんどんハマっていくわけなんですね。
おかんバイブスの重要性
アエラという雑誌がありまして、これは朝日新聞出版ですね。
表紙がちゃんみなですよということを、ちゃんみなのね、インスタで私は情報入手しておりまして、そんなもん絶対買えますよと思っておりまして、手に入れたんですね。
で、ちょっとこれ表紙からいいのよ、すごく。その写真もいいよ、ちゃんみなの写真もいい。
だけどそのアエラ、ウーマンズデーって書いてある上に、キャリアの差は夫って書いてあるんですよ。
ちょっとさ、これだけでもいけますよね、エピソード10本ぐらい。
で、女性が変わる、男性が変わる、時代が変わるということで、表紙がちゃんみなさん。
めちゃくちゃいい、めちゃくちゃいい、もうめちゃくちゃいい、この時点でめちゃくちゃいい。
で、すごい熱量でね、なんか好きなものを語る時ってやっぱり声もさ、大きくなるし早口になるしさ、もう腹から声が出てる感じがして、嬉しい恥ずかしいっていう感じなんですけど、
嬉しい恥ずかしい藤井隆って感じなんですけど。
ちょっと読んでもいいですか?
ちゃんみなさんのインタビュー。
これはね、ここで伝えなければいけないことが書いてある。
読みますね。
今の社会に必要なのはおかんバイブスだと思っています。
ほら来た。
来たよ。
おかんって、こっちのために怒ってくれている雰囲気を出すのがすごく上手なんです。
今は無関心な方が無難な世の中です。
例えば電車で一人で泣いている高校生ぐらいの女の子に対して声をかける人は今の社会にどれだけいるのか。
ちょっとおせっかいのおかんバイブスを持っている人は、あんたどうしたの?何かあったの?というふうに話しかける。
そういう温かさがもう少しあれば、人っていいなと思える人が増えると思っています。
で、おかんバイブスって、やばくない?
ついにさ、時代が追いついてきた感ありません?
やっとおかん側に時代が追いついてきたっていう感覚があるんですよ。
しかもこれをちゃんみなが言ってくれていることに意味があると私は思っている。本当に。
ちゃんみなさんもね、去年の11月にご出産されたんですね。
だからガールズグループとご自身のお子さんを同時にこの世に生み出す、生み落とすっていうことをされていて、本当にすごいんですけどね。
でもおかんバイブスってあるなぁと思うんですよね。
おかんバイブスなのかな?
これはおかんじゃなくてもおばちゃんバイブスなのかもしれないんですけど、
少し前だったらちょっと恥ずかしくて声をかけられなかったこととかでも、もう全然余裕で声かけられるようになっちゃったりとかしてるんですね、最近。
それをすんごい感じるのよ。
で、私京都に住んでいるんですね。
だから観光客の方が常に町にはいっぱいいらっしゃるんです。
で、駅のところで改札でもたつかれている方とか、切符のところで、あ、なんかわからない、わからない。
ってなってる方とか、そもそも右左がどっち行ったらいいかわからないってなってる方とか、
京都タワーと一緒に写真が撮りたくて、写真を自撮りしようとしてる方とかさ、いっぱいいろんな観光客の方がいらっしゃるんですよね。
てなったらもう私のさ、おかん魂がもう、おばあちゃん、おばあちゃんじゃない、おかん魂なのかおばあちゃん魂なのかわかんないんですけど、すごいそれがもううずきまくるんです。
だから京都駅に行くと本当にね、あのめちゃくちゃいろんなところに手を出してるんですよ。
あ、写真撮りましょかとかって頼まれてないのに写真撮ったりとかさ、あの切符はこここうやってここ入れたらええんやでとかさ、あの行こうかはこれこれしてこうしたらええんやでとかさ、なんかどこに行きたいの道はこっちやでとかさ、
頼まれてないのに本当にもうただのおせっかいおばさんをしてるんですね。
でもなんかこれはなんなんでしょうね。なんないらほっとかれへんみたいな気持ちもあるし、あとはまあ私も海外に行ったときにいろんな人に優しくしてもらっていろんな人に助けてもらって頼んでないのにあちらから声をかけてくれて助けてあげようかって手を差し伸べてもらった経験がいっぱいあるから、
心配することの意義
ご育てしててもそうなんですけどね。
ベビーからひっくり返ったらこう手伝ってもらったりとかさ、駅からこう階段しかなくってどうしようってなってたときにベビーから一緒に運んでくれた人がいたりとかさ、いろんな人に助けてもらってここまで来てるから、だから私も海外から観光で来られた方には日本来てよかったなってちょっとでも思ってほしいなとかさ、日本っていいなとか、日本って優しい人もいるなって思ってほしいなとかさ、
そういう恩気せがましい気持ちもありつつも、おかんバイブスというか、おばちゃんバイブスというかを日々ぶちかましているんですね。その行動について特に意識してなかったっていうか、今日もあの観光の写真撮ってきましたぐらいの感じで思ってたんですけど、このちゃんみなさんがこうやって日本に来てくれて、
本当に大好き。ちゃんみな大好き。
すごいエネルギーがある人がババアだと思っているっていうふうに書かれているんですよね。
ババア精神を持っていると理不尽なことを言われても、こんなことできるわけないじゃない。よく考えてみなさいよって怒ることができると。
エネルギーを持っている人を見ると元気もらえるじゃないですか。だから世の中にもっとババアをと思っていますと。
最高。本当最高。本当最高。
大好き。
そうそうそうそう。私はそうやって生きていきたかったんですよ。みたいなことをノノガールズを見て経て、ちゃんみなさんのこれまでの楽曲とかこういうインタビューとか言葉を聞いて、そうそうそうそうみたいな感じで、なんか改めて自分を取り戻した感がすごくあるのでね。
だから本当に良いものを見せてもらったなぁと思っていますし、ちょっとこれからもちゃんみなを追いかけて、これからの人生楽しんでいきたいなと思っています。
ということで、今日のテーマですが、今日のテーマは心配するということというテーマでお話をしたいと思います。
これはね、そのオカンバイブスとかオセッカイ魂みたいなところにもちょっと共通する話ではあるのかなと思うんですよ。
でも、そのオセッカイでちょっと口出しする、ちょっと手出しするっていうことと心配するっていうのって似て非なるものだなと思ってるんですね。
結局このテーマ、何が伝えたいのか、何が話したいのかというと、自分自身をちゃんと正しく忙しくしながら生きることが大事だってことが結局伝えたいことなのかなと思ったんですよね。
なんでこの心配するっていうことについて考えていたかというと、まさに我が家はこの3月、4月で末っ子が幼稚園を卒業して小学生になります。
長男が小学校を卒業して中学生になりますっていうタイミングなんですね。
生活リズムもガラッと変わるし、毎日お弁当が始まるし、さあもう本当にそれが私はもう本当にはーっていう感じなんですけど。
生活がガラッと変わるんですね。
小6が中1になるって、そこも未知の世界でどうなるのかな、大丈夫かなという気持ちはあるんですが、私はね、幼稚園年長さんが1年生に上がるっていうことの方がちょっと心配しているところではあるんです。
我が家は大体グラデーションではあるけれども、1人で公園に遊びに行っていいよ、1人でお友達と遊びに行っていいよっていうタイミングって結構1年生のタイミングなんですよね。
これは別に1年生って決めているわけではなくて、なんとなく様子を見ながら、最初は公園にも見に行っていたけど、だんだんだんだん公園についていかなくなって、
心配の意味
だんだん何時までぐらいには帰っておいでよっていう約束をしながら、見に行ったり見に行かなかったり様子を気にしながら、こちらはこちらで過ごしてっていうような感じで、
言い方悪いかもしれないけど、リードを持ちながら長くしたり短くしたり、長くしたり短くしたりっていう時期なのかなと思ってるんですよね。
だから今までどこに行くにも一緒に行っててね、スーパーも一緒に行くし、送り迎えも私が行くし、公園に行くのも一緒に行くし、ちょっと外で縄跳びするのとかも絶対に1人では行ったらあかんでっていうことを言ってたんですよ。
これを1個ずつ1人でも行けるかもしれない、1人で行けるよね、1人で大丈夫だよねっていう風にしていくのってね、本人よりもこっちの気合がいるんですよね。
お兄ちゃんお姉ちゃん経験してきているんですけど、経験あることなんだけど、やっぱりどうしてもね、たぶん末っ子はずっと赤ちゃんっていう気持ちがあるのかな。
これは末っ子からしたら知らんがなっていうことやし、もうそんなん別にいらんねんて、なんでニーニとネーネはちっちゃい頃から一人で遊びに行ってんのに私はずっと赤のやっていう気持ちがあるかもしれないんですよ。
余計なお世話だと思うんですよ。
やっぱりなんか心配みたいな気持ちがあるということに気づいたんですよね。
でも冷静に考えて私は、心配するっていうことって結構相手に失礼なことなんじゃないかなと思ってるんですよね。
時と場合によると思いますし、関係性にもよると思うんですけど、でも結構失礼なことかもしれないなと思うんですね。
ちなみに私は心配されるっていうことがあんまり好きじゃないんです。
これは親からもそうだし、おじいちゃんおばあちゃんからとかもそうだし、その他の方からもそうなんですけど、なんか心配してくれていることはありがとうございます。
気にかけてくださってありがとうございます。
でもなんとなくムズムズするんですよね。心配されているってことに対して。
なんでなのかなって考えたときに、心配するイコール、信頼してもらっていないという感覚になるのかもしれないということに気づいたんですね。
コントロール欲と子育て
そもそも信頼って、信用と信頼があると思ってるんですね。
これは多分過去の回でも話してると思うんですけれども、信用っていうのは条件付きのことだと思うんです。
どっちかというと過去を見ていて、過去にこうこうこういうことをしたから、だからあなたは信用できますね。
6時に帰ってきてって言って、過去に毎日6時までには帰ってきたっていう実績があります。
だからあなたのことは信用できますっていうのが信用ですよね。
でも信頼っていうのは、過去じゃなくて未来を見据えている感覚があると思うんです。
条件なしであなたのことを信頼しますよっていう感じ。
あなたの未来に賭けますよじゃないけど、信頼してますよあなたという人を、あなたという存在をみたいな感じ。
子供って未知の世界に飛び込んでいく中で、そもそも実績とか何もないんですよ。過去に何もないんですよ。
この末っ子に関しては、一人でまだ遊びに行ったこともないから、一人で遊びに行ったらどうなるかっていう過去がないわけなんですよね。
だからその末っ子の未来を見据えて、あなたなら大丈夫みたいな感じで、こちらが先に信頼してあげる必要があると思うんですよね。
だけど信頼できなくて、心配して、あれもあかん、これもあかん、あれもあかん、これもあかん、みたいな感じで言ってるのって、すごい失礼やなって思った。
失礼やなっていうか、完全にこっちの問題やなと思ったんですよね。
これは私が子供の時にすごく思っていたことなんですけど、あれもあかん、これもあかん、そんなんしたらあかん、ないなにあかん、あかんとかって言われると、
それに対して、いや私できるし、みたいな反発心みたいな気持ちが湧き出てくるなっていうことをうっすら覚えてるんですよね。
私は一人娘の一人孫で、大人が周りに両親と祖父母、4人もいたんですよ。
4人もいたらやっぱりそれぞれの考え方が違うから、母はどっちかというと、何でもいいよ、何でもOKみたいな感じの、すごい能天気な感じのポジティブ人間なんですけど、
祖父母が結構保守派というか、守りに入る感じ。
まあでもそうですよね、一人孫でね、そりゃ守るよねって今になったら思うんですけど、守って守って、それはあかん、これはあかん、
もうちょっと遅くなったら、中学校で私が友達と帰ったりとか、好きな人と帰ったりとかしてんのに、おじいちゃんが自転車で迎えに来るみたいな、
もう本当にやめてっていう、もうマジでやめてっていうこととかがいっぱいあったんですよ。
帰れるから私一人で、しかも携帯も持ってるし、大丈夫やし、お母さんには遅くなるって言ってあるし、頼むから自転車で迎えに来るのやめてって何回も思ってたんですけど。
ちょっと話取れましたが、信頼されているなっていうのって、言葉で言われてなくっても、多分信頼されてる方ってわかるんですよね、きっと。
これは私の経験上もそうなんですけど、反対に信頼されてないな、心配されてるなってこともわかるんだろうなと思うんですね。
それを私は頭ではわかっているのに、それでもなお心配するっていうのはどういうことなんだろうかっていう、心配の沼に自ら入りに行ったんです。
そこで考えていたのが、心配し続けることで子供をずっとずっと弱い立場でいさせたいんじゃないかなっていうことに気づいてしまって、もう自分のことが恐ろしくて恐ろしくてたまらなくなっちゃったんですね。
どういうことかというと、結局人って、人って言ってまた思考が大きいんですけどね、コントロールできるもんならコントロールしたいんだと思うんですよ、人って何でもかんでも。
というか一人で生きてたらさ、自分のコントロール下で手も動くしさ、頭も動くしさ、体が動いたりとかするわけじゃないですか。
でも子供と共にってなった時に、子供って別人格だってわかっているんだけど、どうしても小さい存在だったりとか弱い存在となると、なんとなくさ、コントロールできそうに勘違いしてしまうことってあると思うんですよ。
これも無意識なんですけど、例えばいろんなコントロールがあると思いますけど、私だったら表向きね、額面上ね、額面上は好きな服着ていいよ、自分で好きに選んでいいよ、好きなようにしていいよって言ってるんだけど、
結果子供がとんでもない格好をしてきたりとか、ドロッドロの服とかを選んできたりとかしたら、ちょっとそれはやめときとか言うんですよね。
こんな子供からしたらさ、いや何でもいいって言ったやんみたいな、自分で選んでいいって言ったやんって、選んでいいって言っときながら、最終的にそんなんしてその服やめときって言われるぐらいなら、最初からこの服はやめてとか、この服を着なさいとか言われといた方がいいわって長男に言われたことがあるんですね。
本当に痛いとこついてきますよね、本当にね。だから私長男に関しては本当にもうごめんなさいっていう気持ちでいっぱいなんですけど、
結局自分で選ばせてるように見せかけて、選択肢があるように見せかけて、私の思い通りの着地になるように誘導してるみたいなことがいろんな場面であるんです。
本当にさ、見たくないし気づきたくないんですけどさ、自分のコントロール欲が本当に怖くなるときがある。それを目の当たりにしたときにマジで自分のどす黒さというかさ、なんかもうね、本当に嫌になるんですけど。
ただここで思うのは、まあそもそもコントロール欲っていうのはありますよねと。だって今までコントロールできてきたんだもの、自分の体は。
子供のこともコントロールしたくなりますよねと。だけどコントロールした先に何があるかっていうと、結局その相手の子供のね、成長の機会を奪ってることになるわけですよね。
こう守って守ってさ、あなたは弱いから何もできないでしょみたいな感じで、ママが決めるからみたいな感じでこっちが決めちゃって誘導して、結局私が決めてしまった先に何が待ってんのっていう感じなんですよ。
そこから得られるものって何なの?最終的な目的としては何を目指しているのかっていうと、私自身は子供が子供たち本人が思う幸せっていうものを追求して、心身ともに健やかに過ごしていってほしいなっていうことと、
精神的にも経済的にもきちんと自立をして、ご飯が食べれるようになっていてほしいなっていう気持ちがあるんですよね。
そこが目的にあるのに、私のこの変な汚いコントロール欲にまみれたこの気持ちで接していった子供の成長の機会をこっちが奪っちゃって、でも奪ってることにも気づかなくって、
え、だって選ばせてあげてるでしょ?好きなようにしなさいって言ったでしょ?みたいなさ、あたかもこう自由にさせてますせみたいな顔してさ、もう本当に嫌なんですけど。
ほんで、成長の機会奪うでしょ?さらには、もうね、モチベーションまで下げちゃうと思うんですよ。子供たちの。結局ママが決めるんやろ?みたいな。
自己反省と成長
それだったら別に最初からそう言ってくれたらいいし、選んだところで全部ダメ出しされるんやったら、もう最初から言ってもらった方がいいし、みたいな感じで、モチベーション下がる無気力になるっていうことがさ、起きるよなと思うんですよね。
いろんなところで。これは本当に私はね、長男にはやらかしてしまっているなと思うので、長男今、服とか本当に興味ないんですよ。
あんだけいろんな服着せてたのに、私がなんですけどね。
カラフルな帽子かぶせたりとかさ、本当にカラフルなシャツとか着せたりとかさ、ヴィンテージのデニム履かせたりとかさ、ヴィンテージのスニーカー履かせたりとかさ、本当にめちゃくちゃデコラティブな感じで、おしゃれボーイだったんですよ、彼は。
今本当に全身真っ黒。毎日同じ服しか着ない。
2着ぐらいをね、ずっと上も下も2着ぐらい、しかも同じようなやつをずっと着回してるんですよね。
で、冒険もしないし、というかまあ、そもそも服に興味がない。だからこれはまあ、私がこうやって自由を与えたふりしてコントロールしてたから、ここに対しての気力もモチベーションも興味もなくなってしまったんだろうな、みたいな風に思うんですよね。
むしろ嫌いまであるかもしれない。本当大反省してます、これは。これは服だけじゃなくて、いろいろなところで出てくるんだろうなと思うんですよ。
結構、自分が好きなカテゴリーとかに出てきやすいのかな、こだわりのあるカテゴリーとかね、だから私はまあ、服のところが結構こじらせてしまってるんですけど、
心配するっていうテーマからちょっとこう、離れてしまったかもしれないんですけど、心配っていうところをどんどんどんどんどんどんどん掘っていくと、私の場合はコントロール欲みたいなものが、なんかちょっと顔を出しているなっていう、すごい恐ろしいことに気がついてしまったんですよね。
本当に怖い。本当に怖い。自分が怖い。でも、だからといって、じゃあもう心配するんやめましょう。もうじゃあ信頼していきましょうとかって言って、できればいいんですけど、そんな簡単なもんじゃないと思うんですよ、子供のことを心配することとかさ、信頼したいけどできないっていうこととか、私めちゃくちゃあったんですよね。
だからそんな、よしやりましょう、決めましょうとかって言ったって、もう無理なんですよ、きっと。だからじゃあどうするんだろうか、じゃあどうやってそのリードをね、ちょっとずつ伸ばしていくことができるんだろうかって思ったときに、心配するっていうのはやめられないと思うんですよね。だって大事だもん。もう大事だもの、普通に考えて。そりゃ心配するよ。
心配するのをやめずに、自分は自分の人生を楽しむしかないっていうところに私は行き着いたんですよね。楽しむというかね、ちゃんと正しく忙しく生きるっていうことがすごく大事なのかなと思うんですよね。
やっぱり子供に全てを捧げて、子供のことで今まで忙しくしていてってなると、どうしてもそこに自分のアイデンティティーとか、自分の生き甲斐とか、自分の存在価値みたいなものを子供に寄りかからせてしまうこともあると思うんです。で、それって悪いことじゃないと思うんですよ。それだけ子育て頑張ってきたってことなので。
だけど、やっぱりその寄りかかられた子供の方はちょっとしんどくなったりとか、子供自身が子供の人生を生きるというよりも、子供自身が親の人生を生きる、親のために生きるみたいな風になりかねないなと思うんですよね。結構私もそういう節あったんですけど。
それってお互いのためにとって本当にいいのかなって思うから、子供は子供の人生を歩みます。じゃあ私も自分の人生を歩ませてもらいますっていうことが大事なのかなと思いますよね。
ってなったら、じゃあどうやって自分を忙しくするんですかっていう話ですね。正しく忙しくするって何ですかっていうことですよね。これが結局自分が大事にしたいものとか、好きなこととか夢中になれることとか、そういうことを模索していくっていうところにつながるんだろうなと思うんです。
結局、いろんな意味で自分を知るってことに尽きる気がするんですよね。本当にそれに尽きる気がする。
はい、ということで今日は心配するということについてお話をしました。
自分を知る重要性
まあこのね、3月4月生活が変わっていくこのタイミングでいろんな心配があるんです。制服も取りに行かなあかんし、末っ子のカバンも取りに行かなあかんし、小学校準備もまだちょっと終わってないし、中学校準備なんて終わってんのか終わってないのかもわからへんし。
っていうか今卒園式を間際に末っ子本人は発熱しているし、そもそも卒園式に出られるかわからないし、卒園式の前の日は私は東京に行かないといけないしとか、もう本当に心配事しかないんですけども。
まあそんなタイミングでちょっとこう焦る気持ちを落ち着かせるためにも、心配って何なのかなって考えてみた結果のご報告でした。
はい、最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます。心配をするということを私は掘ってみると、そこにはコントロールしたいっていう欲が隠れていそうな気がして恐ろしくなりましたが、これは聞いてくださっている方はいかがでしょうか。心配をしているときに、そこを掘ってみたときには何が渦巻っているでしょうか。
恐ろしいですね。自分を知るっていうのは恐ろしいこともあるんですけど、やっぱり恐ろしい現実と直面していかないと、より良くなっていかないのかなと思うんですよね。自分のこの今いる場所を知らないと、結局自分の行きたい方向に向かっていけないっていうかさ。
自分が京都にいるって思ってたけど、それは勘違いで、本当は福岡にいる可能性もあるじゃないですか。何の話。で、東京に行きたいってなったときにさ、京都から東京行くのと福岡から東京行くのってまたちょっと話が変わってきません。京都からやったら絶対新幹線なんですよ。新幹線で2時間ちょいで行けるんですね。
でも福岡やったらさ、新幹線もあるけど飛行機の方が良くないみたいな話とかも出てくるでしょ。そっちの方が安かったり早かったりするわけでしょ。多分知らんけど。とか、結局自分が今どこにいて何が課題で何と向き合わないといけないのかってことが分かってないと自分の行きたい方向に進んでいかないんじゃないかなっていうのを思っているので。
このタイミングでね、考えられてよかったなぁなんて思っております。はい、ということで最後にお知らせがございます。お知らせの特別音源がありますのでそちらをお聞きください。
関西周辺を拠点に活動するポッドキャスターが集まります。 4月12日土曜日夜の開催です。会場チケットと配信チケットは好評発売中です。
詳細はポッドキャストシンポジウムイベント公式ページをチェックしてください。 イベントでぜひお会いしましょう。
27:47

コメント

心にちゃんみながいる、Twitterの大海原に立ち向かおうとするべーさん、ステキ😌 コントロールしたい欲、たまにすぎべさんからそのお話聴くし、お母さんって、子どもが自分の腹からでてきたしホルモン的にも自分のものだ!って感覚は強いんだと思いますねぇ。 反対にパパはホルモン的に自分のものだ感は薄れると思いますね。どちらかというと対象として見てる側面は強いかも。 でもこれから人口が減って当たり前にできることができなくなってくるのでみんなが必然的に弱くなり助け合っていかなくちゃならないので、それぞれの人生を歩んでいく中で、オカンというかお節介マインドは多少は必要なんだろうなぁとは思います😌

すぎべ すぎべ
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