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こんにちは、カナダのトロントから配信をしているOKEです。日本時間で毎週金曜日に配信をしています。
この配信では、カナダの東側、トロントでのライフスタイルの話をメインに、たまにクラフトや旅の話も織り交ぜつつお届けをしています。
今回で297回目の配信となります。
今日は先日開催した脱力幸福論、フィジーのここが気になるという、こんなタイトルをつけたイベントについてお話をしてみたいと思います。
まずこのイベントなんですけども、長崎ゆうまさんという方が書かれた、漫画南の国フィジーの脱力幸福論という本があるんだけど、この本の感想をシェアするというのがメインの目的だったんですね。
この本を書かれたゆうまさん、フィジーにすごい長年住んでいる方で、この本の中でフィジーの生活の中で文化とか生活の違いみたいなのがありますよね。
この中ですごい驚いたことがエピソードにされていて、それがまとめてある。
エピソードの部分で漫画で書かれているという感じで、書くエピソードの後に、今エピソードと関係する考え方の違いとか生活の違いとか文化の違いみたいなところを文章で説明してくれたりするので、漫画半分、文章半分って感じですかね。こういう感じでまとまっている本です。
私、この本に出会うまでフィジーという国に関して、1ミリも知らなかった。1ミリも知らなかったっていうのが正しくて、だからね、先入観みたいなものがほぼほぼなく読んだ本なんですね。
そもそもこの本に出会ったのが、私はクラフトを人に教える仕事をしていて、そこに来てくれていた参加者の人が、いや、えらい面白い本に出会ったと、こういう風に教えてくれて、そんな風に言うんだったらね、読んでみようっていう感じで、すごい軽いノリで読んだのが始まりでした。
読んだら、もう久々に私、本読んで笑ったなっていうくらい笑った。そんな本でして、なんかフィジーの方のこの生活がね、書かれている本だからね、なんか笑ったとか言うと、すごい失礼にあたるかもしれないんだけれども、なんだろう、やっぱり国が違ったら、その文化とか考え方の違いって違うの当たり前じゃないですか。
例えば日本と私がいるカナダでもね、当然違うわけで。なんだけど、なんかその違い方っていうのがその桁外れに違う?桁外れに違うっていうのが正しいかなと思って。そう、なんか自分の頭の中で想像できないレベルなんだよね。
あとはそう、私はこの本を読んで初めて知ったんですけど、フィジーってその幸福度が高い国っていうふうに言われてるみたいなんですね。なんかね、この本読むと、そのことがすごいすっと不倫落ちるっていうか、そんな風な気持ちにさせられる本でもあるかなと思ってます。
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思わずなんか本のことがっつり話しちゃったんだけど、今日の本題はね、イベントのことね。イベントのことなんですけど、このイベントってこの本の著者、ユーマさん、私ユーマさんというふうに呼ばせていただいてるんですけれども、彼が主催をしていた、ちょっと犬がいっぱい鳴いてますかね。
ギブの学校。これ、2022年の末くらいに行われていたもので、その後、今現在進行形の変化の学校というのがあって、この学校のメンバーが主に参加をしてくれてました。で、実はユーマさんもね、このイベントに参加をしてくれて、そんな感じでわきあいあいとイベント開催をさせてもらいました。
皆さんに印象に残ったページっていうのを選んでもらって、どうしてそのページが気になったのかとか、具体的にどの部分がすごい魅力的だったのかとかね、こんなことを交えながらお話し聞いたんですけれども、みんなが語ってくれた中で思ったことがあるんですね。
それはやっぱり幸福度の高いフィギュアにはたくさんあって、やっぱり今自分の周りにないものっていうのをとても意識させられたというか、そこのイベントで皆さんが挙げてくれていたページがね、ベースになるんで、全部のエピソードをたどっているわけではないので、実際にはもっといろんな要素が関係してくるとは思うんですけれども、
このイベント内で聞かせてもらったお話をまとめてね、レポートみたいなのを書いたんですね。で、そこからこう3つのこと見えてくるかなーなんていうふうに思いました。で、その一つ目が、この自分にとって大切なことを大事にするっていうことなんですけど、なんか私たちのこの普段の生活ってね、ありがたいことにすごい情報にあふれてるじゃないですか。
あともっと言っちゃうと、探しに行かなくても、今や欲しい情報が自分のところにやってくる時代だったりするでしょ。それがまず一つあるし、あとアクティビティ。これカナダと日本比べちゃうと、ここカナダは限られてくると思うけれども、それでもやることとかやりたいことっていうのはすごいいっぱいあって、たまにありすぎてね、逆にアップアップになっちゃうみたいな、そういうこともあるわけで。
で、そんな中でこう、自分が今何をこう大切に思って、自分の行動を決めているのかっていうのを考えたことありますかね。やっぱフィジーってね、日本とかカナダとかよりも、情報量的にもそこまで多くないと思うし、あとアクティビティもね、きっと少なめだろうから、
そんな中でね、こう自然と大切なものって見つけやすいっていうのは、やっぱこう選択肢がすごい少ない中でのチョイスになるんで、自然とそうなるかもしれないんですけど、そのフィジーの人たちって、その自分が大切にしてるっていうものをまず気づいて、なんかそれに対するその正直な対応っていうのかな。
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なんか尊徳感情抜きみたいな、綺麗事とかを言うっていう形ではなくて、本当になんか自分がそれを大切だと思ってるからやってるのよ、みたいなことをなんかこう自信を持って言っているっていう感じがあるのかなっていうのを、そこをなんか印象に残ったっていうふうに話してくれている参加者がいてね、思ったことだったんですけど、
そういうなんか自分の生活の中でそこまでこう自信を持って大切だって言い切れること、なんか改めて考えてみるのもいい機会なのかもしれないなっていうのをね、とても感じたポイントだったと思います。
2つ目が困っているので助けるっていうところなんですけど、たぶん聞いている方の中でも何か手助けすることっていうのはね、あると思ってて、家族とかご両親の介護っていうのもあるかもしれないですし、友達がすごい困ってたら助けるかもしれないじゃない?
自分の全然知らない人だったらどうかなって考えた時にどうですかね。あとはこう目の前で何かこう起こったことがあって、すごい困ったことが起こっていて、それを手伝うっていうことはできるかもしれないんだけど、遠く離れている場合にましてやそれをやり続けるみたいなね、助け続けるみたいなのができるかとか、
あと大金ではなくても100円とかだから200円とかちょっと想像してもらいたいんですけれども、こういう金額でお金が絡んできたらどうか、できるかなみたいなところとか、あと知り合いの子どもたちに対してだったらできるかもしれないけど、全然知らない子どもたちだったらどうでしょうかみたいな、どこまで介入できるかなみたいな、もちろんなんか国によってその安全面みたいなところってあるじゃないですか。
だから一概に言えないと思うんだけれども、その意識のあり方みたいなところを考えた時に、本当に自分でそれ手伝いたいって思えるかなみたいなことを考えちゃったんだよね。
そのさっき言ってたレポートにまとめたって言ったんですけども、そこには困っているので助けるっていうふうに私は文字を書いたんですけれども、なんか本に載っているエピソードを改めて思い起こしたりとか、そのイベントでみんなが話してくれたことを改めて考えてみると、なんかフィジーの人たちの助け方って、
もしかしたらその困っているからっていうその枕言葉なく助けちゃうみたいなところがあるのかもしれないなっていうのをここですごい感じたかもしれませんね。なんかついついついつ手伝っちゃうみたいな。
無意識レベルの手伝いみたいなところが多いんでしょうね。あとは手助けされる方ですよね。この助けてもらうのにも慣れているんじゃないかっていうのはあるんだと思います。
で、実はそのイベントの中で言っていたのが、そういうのを助けたり助けてもらったりっていうその光景を常日頃見ている、そういう状況が生活の中にあるんじゃないかっていう話が出てたんで、まあそうだよね。それはあり得るだろうなとは思いました。
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あとはあの、やっぱフィジー人の人たちってその共同体感覚があると思うんだよねって話も出ていて、その感覚があるとやっぱ手助けしないっていう選択肢存在しなくなりますよね。
そう、なんか手助けする方も手助けされる方もなんか賢かった感じではなく、さっきもね、無意識っていう話をしましたと、その思う前にやってるっていう感覚がどちらかというと強いんじゃないかなと思って、それもやっぱやりたいと思ってやってると思うので、
なんかその辺がこう、お互いいい状態で助ける方も助けられる方もいい状態でできているのかもしれないよねっていうのはすごく感じるところだと思います。で、3つ目なんですけど、これ聞かないでやってみるという、こんな言葉で。
要はね、このフィジー人の人たちって共有することがすごい生活に根付いていたりするんですよ。だから、なんかいい意味で自分のものはみんなのものだし、みんなのものは自分のものっていう感覚があるみたいで、この本の中からちょっと一つだけエピソードを紹介すると、これ私が一番印象に残ったところでもあるんですけども、
自分の文房具を誰かが勝手に使っちゃうと、しかもそれが戻ってこないっていう、そういう困った話だったんですね。例えば、ペンを勝手に借りられちゃって、それが返ってこないっていうこういう状況ですよね。
このエピソードの中では、ユーマさんがフィジーの方にペンを貸して返ってこないっていうことに関して、いろいろ質問をするっていう、そういうエピソードが載っていて、なんで勝手にペン使っちゃうの?みたいな話を聞くと、フィジーの人から、ペンって借りたら怒る人いるかな?みたいな、こんな回答が返ってくるわけですよ。
ペン借りるの、そんな重大なことじゃないから、怒らないかな?っていうふうには思いました。じゃあなんでね、貸してくれるってわかってるのに聞く必要があるの?っていうふうに逆に問われるっていうね、なるほどなっていうふうに思いながら読んだんだけど。
100本譲って、勝手に借りるのをよしとしましょうか。でも、それが返ってこないわけですよね。じゃあなんで返さないの?っていうふうに聞くとね、その借りたペンをまた別の人が勝手に借りていくわけですね。
だって、その社会ではそういうふうになっているわけだから。だから、それはなくなりますわな、ペンは。そういうことが起こっていると。最後に、もし自分のペンだったら、返ってこなかったら困るでしょ?っていうふうに質問するんだけど、そうすると、フィジーの方は、でもまたなくなったら、誰かに借りればよくない?みたいな、そういう答えが返ってくると。
で、私最初にも言いました。その考え方の違いが桁外れに違っているっていうふうに言ったんですけど、このエピソードを話すと少しだけこう感じてもらえるんじゃないかなと思って、実はこの本の中でその共有と関係する部分のエピソードってたくさん載っているんですよね。
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で、同時にじゃあ何でかって考えた時に、やっぱりそういうことが起こり得るんだと思います。たくさん。その共有という言葉がこの軸になっているエピソードを読んでいると、なんか逆にその私たちの生活の中でね、自分のものと誰かのものとの境界線をいかにこうきちっと引いて生きているのかっていうふうに気がついて、
だからこそこの誰かがですね、自分のものを使うってなるとすごく腹が立つ。それは家族とかでも起こり得るよね。自分の子供さんとか自分のパートナーが勝手に何かものを使っちゃうみたいな。で、それでも腹が立つってことはそこにも境界線を引いているということなので、
で、やっぱりこのフィジーの人たちってその貸し借りっていうのが一般化されていて、それがまあ普通になっているからこそ、そのペン借りるのに聞く必要あるっていうふうに答えが返ってくるんじゃないかなというふうに思いますし、そのものを独占しないっていう考え方がね、すごい染み付いているんだなーっていうことをみんなでこう話をしていて思ったことですかね。
この貸し借りに関しては、まあ私の周りでもね、さっきも言ったけど普通にありえそうなことだし、もちろんだからフィジーマインドでやろうとしちゃうと当たり前ですけど問題たくさん勃発すると思うので、聞かないで借りちゃうとかね、返さないとかね、それは問題起こると思うんだけど、
さっき触れたみたいにそのクリアーな境界線を少しだけぼやっとさせることはできるかもしれないなーっていうのを感じていて、自分でその無断で借りるっていうことはしないかもしれないけど、万が一なんか他の人がそれをやったときになんか怒り浸透みたいなことは避けられるかもしれないよね。
さっきイベント後に簡単なまとめを書いてみんなとシェアしたよって言ったんですけれども、その中に共有することの楽しさって何だろうみたいな、そんな質問を私入れてました。
これに対してね、素敵な回答をしてくれた方がいて、それはフィジーの人たちに染み付いている共有っていうエッセンスに、やっぱり日本って物を大切にする、こういう文化があるでしょ。だからこれを両方掛け合わせることができたらどうだろうっていう、こういう提案だったんですね。
ちょっと想像してみると、この共有の楽しさ膨らみそうな感じがしませんか。あと特別な道具とかいらないでね、世界中で使えそうな気もしますしね。なるほどなーってすごい唸った部分だったんです。
今日お話ししているそのユーマさんの本のリンクはですね、概要欄のところに貼っておきたいと思います。気になったなーっていう方がいたら読んでいただけると、この今日私が今お話ししている、語っていることがよりわかりやすくなるんじゃないかなって思ってます。
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あとですね、イベントに参加された方で子どもさんと一緒に読んだよっていう方がいたのね。すごい漫画とかも入っているからわかりやすいので、だから子どもさんと一緒に読んで家族でシェアしたっていうふうに言ってたんで、こういう読み方もできるんじゃないかなっていうふうに思ってます。
ただですね、本を読む時のこの注意点があります。これは爆笑する可能性が高いかもしれないので、あんまり公の場で読むのはお勧めしないかもしれないですね。そこだけはね、ちょっと注意してみてください。
297回目の配信は、脱力幸福論。フィジーのここが気になるというイベントから気づいた。フィジーでは当たり前にあって、自分の周りには少ないかなっていうふうに感じたことをお話しさせていただきました。
最後まで聞いていただきどうもありがとうございます。また次回の配信でお会いしましょう。
カナダ・トロントからOKでした。