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サマリー
今回のしゃべ練では、韓国ドラマ「私の夫と結婚して」の日本版リメイクを題材に、「魔族なあなたが悪いのか、チョロい私が悪いのか」というテーマが議論されました。日本版で主人公が「ちょろい」と指摘されるシーンから、フィクションにおける「魔族」のような極悪人の描写が社会に与える影響について考察。悪人が蔓延しているかのような描写は、人々を「やられる前にやれ」という思考に導きかねないと警鐘を鳴らします。最終的に、罪は「魔族」にあるとしつつも、「ちょろい」とされる側も、生命を脅かされるような極限状況では、自己防衛の覚悟が必要であると結論付けました。
ドラマ「私の夫と結婚して」日韓版比較
おはようございます。しゃべ練やります。今回のテーマは、魔族なあなたが悪いのか、チョロい私が悪いのか、です。
私の夫と結婚してというドラマを、韓国ドラマを前話見まして、その勢いで、この韓国ドラマが日本にリメイクという言い方でいいんでしょうか。
されたドラマがあるということを知りまして、それの1話を見ました。
総字で韓国ドラマの方が、私としては好みというか、いいかなと思う部分が多いですね。
日本の方は、私の感覚でいうと、ちょっと残念かなと思う部分が少なくないんですけれども、
ただですね、このリメイクは、その韓国版を完全にコピーして作っているのではないという感じでした。
最近のアニメとか見てると、ほとんどコミックとほぼいじらないみたいな感じを見かけることがあってですね。
ほぼ元の漫画は絵コンテみたいな感じですね。ほぼ100%再現する。
紙の漫画は動かないんで、その紙の漫画を動かすっていうコンセプトで作っているようなアニメも見かける気がしますけれども。
この私のおとと結婚指定の日本語、日本版はそういう感じではなくてですね、物語を再構築、リストラクチャーしているなというふうに思いました。
さらにはですね、韓国ドラマをより良い形に改良することも試みられているんじゃないかなと。
あとは韓国文化と日本文化とか、ベースのところの違いをそこに反映させるということにもチャレンジしているんじゃないかなというふうに感じまして。
それはなかなか興味深いというか、ナイストライというふうに思っています。まだ1話しか見てないですけど。
そもそもですね、韓国ドラマのやつは毎話1時間ちょいぐらいあるみたいなのを16話やるっていう、
なんていうか、かなりお腹いっぱいな感じのボリューミーな感じのドラマでしたけれども。
日本語版は10話ぐらいかな。時間はちょっとあまり見てない。たぶん1話は1時間以上あった気がしますけれどね。
2話以降はちょっとどうかわかんないですけれども。
とりあえず尺が短くなっているということもあって、全く同じには逆にできないという縛りもあるみたいです。
その中で最高にディストラクチャーしたということになるのかなというふうに思うんですね。
演出とか描き方というところも工夫が見られるなというふうに思って、そこはナイストライと思っているんですが。
やっぱりそこは過労死で一死報いている感はありつつも、全体的にはやっぱりだいぶ厳しいかなと思いながら、
最後まで10話までいける気があまりしてないんですけれども、とりあえず1話を見ましたというところです。
「魔族」の定義とドラマの悪役
タイトルに戻っていかないといけないんですけど、魔族ですね。
魔族はこのドラマとは全然関係なくって、これはソウソウのフリーレンという漫画、アニメに出てくる存在なわけですね。
これはいわゆるサイコパス的なパーソナリティを持った、使徒ではない悪魔ということなんですかね、魔族ということで描かれております。
非常に合理的に考え、そして使徒との共感協調性はなく、知能が高くて、その知能で人を騙したりするほどに何の罪の意識も感じない存在みたいな、
人殺しみたいなことに関しても全く抵抗はなく、必要があれば、自分が生きていくために必要があればサクサクと殺していくというような、
無情な、非人道的な、悪いやつという存在として描かれているなと思います。
私と結婚して出てくる悪役キャラみたいな悪役が何かいるんですけれども、その人の全員ではない、主に2,3人くらいいるんですけれども、
2,3人くらいは本当に魔族に近いぐらいの悪いやつという感じの描かれ方をしてまして、
この辺は前回で細かくしゃべりましたが、その人にもいろいろ事情があって、でもやっぱりとんでもなく悪いやつみたいなところをフラフラするんですけれども。
そういうのに対して、主人公の女性は騙されてというか、うまく利用されてしまうという感じの状況でずっと人生を過ごしていて、
そこから巻き返しの復讐劇が始まるわけですけれども、
これもいわゆる良い人的な存在であった主人公に対して、主人公とカップルになるメインカップルの男性の方との会話があるんですね。
日本版ドラマの核心:「ちょろい」という指摘
第1話の日本語版を見て、結構びっくりしたシーンがあるんです。
それは何かというと、男性の方が女性に対して挑発的な、今時の言い方でいうところの煽るという感じで、
自分がそんな不幸になっているのは自業自得だみたいな、そういうニュアンスのことを言うんですね。
この展開は韓国バージョン、オリジナルバージョンにはなかったんじゃないかなと思って、
そこがちょっと興味深く、非常に興味深くなっちゃいました。
韓国語のオリジナル版は結構男性、女性に対してだいたいほぼ全肯定はちょっと言い過ぎかもわからないですけど、
おおよそ全肯定ぐらいはいるぐらい、女性に対して否定的なことはなかったんじゃないかなと思うんですけども。
この日本語版ですね、佐藤なんとかさんという人が男性の役を演じていらっしゃいますけれども、
その人がなんて言ったかですね、正確にメモっているわけじゃないので、
私の中での解釈が混じってしまうかもしれない、ちょっと正確じゃない可能性もあるんですけれども、
一応私なりの理解を踏まえて、主人公の女性は周りの悪人たちに、
うまく都合よくやられてしまって、すごい辛い気持ちになっているわけですね。
不幸マックスという感じなんですけれども、その不幸マックスなところの女性に対して、
男性が、あなたがなぜそんなに辛いのか、あなたの周りになぜそんなゴミみたいな人間が集まってきて、
あなたがそんなに苦しめるのか、教えてやろうみたいな。
それはあなたがいい人だからとか、人がいいとか優しいからとかじゃないと。
そうじゃなくて、あなたがちょろいからだと。
普通だったら、なんかヤバそうな人とか、悪人みたいな人が寄ってきたりとか近づいてきてきたら、
そこで拒否反応、拒絶、距離を置くみたいな、そういうふうにするのに、
そこを鈍すぎて気づかない、もしくは気づかないように自分を無理やり納得させているみたいな感じで、
自分を悲劇の主人公みたいに思ってる。
なぜこんなに辛いんだろう、なぜこんなにこの人たちは自分に酷いことをするんだろうというふうに嘆いているということを、
かなり挑発的な言い方で言ってくるというシーンがありまして、なかなか興味深いなというふうに思いました。
フィクションにおける「魔族」描写の社会への影響
というわけで、今回のテーマの回収になりますが、
そういう魔族というか、悪い人、悪人の問題が悪い問題というか、
ちょろい方に問題がある、ちょろい方にも問題があるのかみたいな、そういう問いなわけですけれども、
みなさんはここでどう思われますでしょうか、
ノートブックLMのような問いを投げかけてみてもいいんですけれども、
見る視点とか立場とか、どの立場で考えるかとか、
言い方とか、優先順位とか、温度感とか、変わってくる部分かなと思うんですけれども、
今回僕が言いたいことがありまして、
それは何かというと、魔族みたいなのをドラマとか小説とか漫画とかで出しすぎっていうね、
そういうことが言いたいですね。
そういうとんでもない悪人を出すと、世の中にゴロゴロゴロゴロそういうのがいるんじゃないかみたいな、
全部作り話ですよって言ってもそういうのがいるんじゃないかというふうに、
そういうのを想定して前提として考えるっていう思考がつながりやすくなると思うんですね。
そうするとね、やられる前にやらねばみたいな感じの考え方とか、
力がなければ何も守れないみたいな感じの力を持とうみたいな、
力を持つためにお互いに武装していこうみたいな、
そういうお互いにしていこうじゃないけど、
あっちが武装するからこっち側が武装せない、やられてしまうみたいな感じで、
武装合戦が始まるみたいなことですね。
何でしたっけ、抑止力が、力を持てば抑止力になるからね。
平和のためには力を持つ。
平和のためにはいっぱい武力を持つっていう、
圧倒的にナンバーワンで武力を持てば世界は平和になるっていう、
そういう理屈ですけれども、今これ国の話にどんどんなってきましたけども、
個人レベルの話で言うと、
自分が舐められないように色々やっていくと、
服装とか髪型とか剣道とかそういうのを含めてね、
やっていくっていうことが必要ってことになると思うんですけど、
それをみんながやっていると大変だなと思うわけです。
「フォールアウト」の例と悪役描写のバランス
ここでちょっとフォールアウトの話をします。
これはちょっとしたエピソードですね。
ネタバレといえばネタバレなのかもしれないんですけども、
そんなストーリーのメインの部分には全然影響しない部分の描写でしたけれども、
ちょっと興味深かったのが、
主人公の一人である俳優の人がいるんですけども、
その俳優の人が映画を撮影しているシーンというのがあります。
ここで悪役の人を主人公が倒して、
命漕いをするんですね。
助けてくれ、命だけは、みたいな。
命漕いをするシーンがあって、
その命漕いをしている悪人を主人公が撃ち殺すというシーンがあるんですね。
その後、その主人公の一人は、
こんなことするのは、このキャラはこんなことするキャラじゃないみたいな、
こういうのは良くないみたいな感じで言うんですけども、
今はそういうのが求められる時代だみたいな、
そういう感じだというような気がするんですけど、
ちょっと細かい流れを合わせましたけども、
そういうシーンがあってですね。
悪い奴はもう悪い奴だと、だからもうどうしようもないと。
優しさを見せても、魔族とかね、不倫で繰り返し描かれますけれども、
優しさを見せたら、それを預け入れられてやられちゃうというところで、
それは根絶しなければならないと。
それはもうやるしかないと。
やらなければやられると。
だからやっていいんだという感じなわけですよね。
これもフィクションですけれども、
そういう作り物、映画の中でそういうことをするかどうかということは、
ちなみにフォローアウトというのは、
1950年代の空気感をベースにしたSF作品という感じの、
ポストアポカリプスの作品、
ゲームだったり、映画だったり、
映画じゃない、ドラマだったりですけれども、
こういうのもあんまり言い過ぎると、
ポリコレが過ぎるということになるかなとも思うので、
バランスではあると思うんですが、
そのバランスとして、最近目にするものとして、
魔族的な存在というものがいっぱいうじゃうじゃいるみたいな、
その辺を近所を散歩してたら出会うみたいな、
犬も歩けば棒に当たるみたいな、
違うか、ですけれども、
ゼロじゃないというところはあるかなと思いつつも、
そんなゴロゴロいませんよということのバランス感覚は、
「ちょろい」人へのメッセージ:自己防衛の覚悟
結構大事なことなんじゃないかなと思ったりしておりまして、
というわけで、さっきのタイトルのテーマの問いとしては、
ちょろい人に罪はない、
罪があるのは魔族のことだよということですね。
魔族も魔族的な存在を、
そんなに安全にやっちゃうことでもないんじゃないのということと、
ちょろい人にもお伝えしたいこと、
ちょっと上からの他人目線で一言ではない気もしなくはないんですけれども、
ちょろい人、この言い方がすごい心を傷つける言い方のような気がしますけれども、
自分の生命を脅かされるような状況においては、
その状況に応じた制限を解除するということが、
その覚悟は必要かなと思いますね。
私がよく例えに出すのは、ソウという映画がありますけれども、
私は第1作ぐらいしか見てないですけれども、
バスルームに2人だけで閉じ込められて、2人で繋がれて、
もう一方を殺さなければ、2人とも殺されるという、
ゲーム的なトロップ問題的な感じかもしれませんが、
極限の究極の状況になったとしたら、
それは、そこでそれ以外の選択肢がないとなれば、
殺人者になるしかないっていうね。
殺人者になるっていう言い方は、すごい積極的な感じですけれども、
自分が殺されることを、殺されてもしょうがないかとはならないっていうことは、
すごい大事だと思うしね。
もう一個言いたいこととしては、
暴力の種類と対処法:物理的 vs 精神的
本当に殺されるほどの状況かどうかっていうことの見極めですかね。
例えばいじめとか、そういうのがあったとして、
それは本当に物理的に殴られ、そして命を奪われるほどの暴力であれば、
またなしっていう感じですけれども、
そこに至るまでには相当なステップがあると思うんですよね。
例えばメンタル攻撃みたいな、
さっきのひどいことを言うっていうか、カップルなんで、
IRがゆえのひどいことなのかもしれないですけれども、
そういう言葉での攻撃とか、別に殴られてるわけじゃないから、
それで物理的に死ぬことはないんですよね。
でも言葉の暴力とか、メンタル攻撃とかっていうのは、
決して馬鹿にできないという面もあるとは思ってて、
よく日常的に電車で人身事故とか言ったりしているのは、
いろんなケースがあるとは思いつつも、
電車に飛び込んで自殺する人とかいるようなんですけれども、
そういう人が間接的に何かからダメージを受けて、
そこで飛び込むしかないみたいな状況に追い込まれてるんじゃないかな。
そんな人もね、人それぞれでいろんなパターンがあるんで、
一発人からげにこうだみたいな話はなかなか難しいんですけれども。
言葉とかメンタルとかで人をやってしまうみたいな、
そういうのも良くないよっていう話なんですけれども、
そういうのが来たときに馬鹿にできないですけれども、
受け側へのメッセージとしては、
本当に物理的に殴られるに比べれば、
まだ対処する余地、対処できる道っていうのが、
まだ残されているんじゃないかなと思うんですよね。
本当に精神的に追い詰められると、
非常に難しい状況っていうのはあるかなと思うんで、
それをどうやって回避するのかはすごく難しいんですよね。
難しいんですよねというか、難しいと思うんですけれども、
メンタルは、
考え方一つっていう面があったりとか、
一層のことを物理に変換して、
暴力沙汰みたいな感じにするとか、
こんなアドバイス、完全にダメ、アウトかもわからないですけど、
さっきのそうのシーンなんですけど、
やるかやられるかみたいな極限状態がきて、
さっきのしょろい発言なんですけど、
おとなしくやられてる場合じゃないですよというところですよね。
そういうのはあるかなと思います。
ということで、なかなか一筋縄ではいかないテーマを選んでしまったので、
歯切れの悪い終わりになりましたが、
多分一通り喋ったんで終わります。
今回のしゃべ練は以上です。ではまた次回。
27:38
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