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2023-06-01 21:50

双極性感情障害の母の話


#harumamaメンタルの話
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こんにちは、はるままです。5歳の、あれ?また間違えた。6歳の男の子と小学校3年生の女の子を育てています。
今日は、2023年5月13日土曜日の朝を撮っています。
今日は、双極性感情障害を持っている、うちのお母さんのことについて、ちょっとお話ししたいなったんですけども。
ここ最近、年齢的なものなのか、何なのかわからないんですけど、
昨年末コロナにかかった後から息苦しさが続いていたりとか、
すごい不安に駆られることとか、
夫が忙しいからっていうのもあると思うんですけど、
大体は夫と意見が勝負している感じですかね。
それで家族になっちゃったりとか、
そういうことが続いているので、何とかしたいなと思って、
情報収集を一生懸命頑張ってやっているところなんですよ。
YouTubeで静心科の先生の動画を見てみたりとか、
それっぽい本を読んでみたりとか、
自分のことを知るための何かツールを使ってみたりとか、
いろいろ自分ってどうしたいのとか、
自分が好きなのって何だろうとか、
自分がやりたいことって何だろうとか、
そんな感じでいろいろ自分のことを深掘ることが多いんですよね。
多いっていうか、そういうことにちょっと勤めている人なんです。
その話からのお母さんの話ですが、
うちのお母さんの送局性感情障害って何かっていうと、
鬱とハイテンションを繰り返す精神病なんですよね。
圧倒的に鬱の期間がすごく長くて、
入る期間はちょっとだけ。
例えば鬱が半年あったら、6ヶ月あったら、
ハイテンションの時期が1ヶ月だけ。
それぞれ合わないですね。1年が合わない。
鬱が5ヶ月、ハイテンションが1ヶ月、残りの5ヶ月。
あれ?合ってる?1ヶ月足りないや。
計算ができない。
ハイテンションが1ヶ月ぐらいで、残りはずっと鬱みたいな。
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お母さんの場合はそういう感じだったんですよ。
発症したのが、
徐々に徐々に症状が重くなっていったんじゃないかなと思うんですけど、
お父さんが癌だって分かった後ぐらいから、
だんだんお母さんの鬱がおかしくなってきて、
お父さん亡くなった後すごく沈んでいたりとかして、
まだ私も一緒に住んでたし、
ドライブ行ったりとか、お母さんのお尻叩くようなことがあったりとか、
仕事を始めたってこともあって、
そこまで落ち込むことはなかったんですけど、
いつぐらいから悪くなってきたのかな。
私がお姉ちゃんが生まれたあたりから、
結婚して家を出た頃はまだそこまでひどくなかったけど、
お姉ちゃんを産んだあたりからちょっとずつ怪しくなってきて、
ガツッとひどくなったのは春君が生まれてからですね。
春君が生まれてからガツッとひどくなったからですね。
春君はヒルスの手術をしなきゃいけなかったので、
生まれてから3ヶ月ぐらいずっと入院してたんですよ。
最初の1ヶ月はNICUに行ったんですけど、
残りの2ヶ月は月替入院。
私が月替入院してたんですよね。
手術があるので。
月替入院中って秋田の大学病院の場合は、
入浴してる時間、今は違うのかもしれないんですけど、
私の時は教育士さんが1人しかいなかったので、
あんまり長時間入浴中に見せてくださいってことはできなかったんですよね。
入浴の時間は30分って決められてるんですけど、
ちょっと私論議したいというか、丁寧にやられたいと思ってるからなのか、
30分だと終われなくて、
お母さんにその間見ててほしかったりするわけで、
自分の食材買いに行ったりとかもしたかったので、
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自分のご飯を調達しに、
売店とか行きたかったりしたので、
そういう時に見ててほしいなと思ってたんですけど、
最初は来てくれてたんですけど、
だんだん今日ちょっと無理みたいな感じになってきて、
後半は全然来れなくなっちゃったんですよね。
だから、春君が寝てるのを見計らって、
お風呂に行ったりとか、
でも、乗ってきたらギャンガキーしててどうしよう、
緊張こそ起こしたらどうしようとか、
そういうのがあったりとかしたんですけど、
まあ、ひどくなってきたのが、
春君が生まれてくるという感じですね。
そっちとそうと繰り返して、
そうの時はどんな感じになるかっていうと、
テンションが上がるから、
まあ、バンバン外に遊びに行くし、
友達と会いたくなったり、
連絡取り合ったりとかして、
ほぼ本人は楽しそうに過ごしてる。
昭は突き抜けてしまった時は、
本当にひどく、
相手の都合はお構いなしに、
バンバン連絡してくるし、
メールの返信も文章がめちゃくちゃだし、
こっちの都合はお構いなしに、
ガンガン家に遊びに行くし、
そんな感じで、
ちょっと対応するこっちが疲れた、
みたいな感じだったんですけどね。
最終的に昭は突き抜けてしまって、
自分でもおかしいと思ったんでしょうね。
入院させてくれって、
おかしい、死にたいとか言い始めて、
これは大変だと思って、
入院できるような施設を探して、
入院してもらったっていう経緯があったんですよね。
本当にひどかったから、
最終的には陰つきな部屋に入って、
怖い!カラスが見つめられましたね。
最終的には陰つきな部屋に入って、
すごく本当に思ったんですけれども、
何が言いたいかというと、
お母さんが送局性感情障害を、
初めて発症したのが春子の生まれたときだから、
春子は今6年ぐらい経っているんですよね。
現状はどうなのかというと、
私から見て、
平常ではない。
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ちょっと鬱気味。
なぜならば、
お風呂に入るのは週1回。
髪の毛、筋肉の運営のお使いから流しっぱなし。
掃除はしないから、
掃除をしてもらうのはヘルパーに。
食事も作らないから、
食事も作らない。
買い出しにも行かない。
私や妹が都合が悪くて、
病院につき添えないから一人で行ってくれるって、
お願いしたときは何とか車を運転して、
それでも自宅から実家から病院まで遠いんですよ。
私の職場の近くの病院を選んだので、
病院は10分ぐらいかかるんですよね。
普段全然運転しない車を運転して、
行くわけですよ。
自分で車を運転して行けたときは、
帰りがけにコンビニに寄って、
食材を買ったりは帰ってきてるみたいなんですけど、
自分で自分のことができてないから、
自立はできてない感じなんですよね。
何が言いたいかというと、
肺になったとき、
先生とか訪問看護師さんたちとか、
周りの医療スタッフさんたちは気にしてるのは、
肺炎症に入ってしまうことを気にしてるんですよね。
肺に入って突き抜けてしまうと、
本当に手がつけられない状態になってしまうので、
なるべく肺にはならないようにということで、
薬とかでコントロールしてるんですよ。
病院に退院した後、ちょっと肺に入りかけたときに、
お母さん、ベッドが欲しいっていう話をしてたんですよね。
ベッドもいろんな種類があるじゃないですか。
値段も金切りじゃない。
わざわざ高めのいいベッドを買おうとしてたから、
ちょっとそれはって言って、
ストップかけてたんですよね、私たちも。
訪問看護師さんたちも。
高い買い物しようとしてたから、
危なかったねっていうふうに、
こないだ訪問看護師さんと相談したときも、
そういう話になったんですけど、
ここ最近いろんな本を読んだり、
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いろんな方の音声配信を聞いたりして、
ふと思ったんですけど、
もうちょっと本人の希望に寄り添って、
深掘ってあげればよかったなっていうふうに思いました。
お母さんはベッドが欲しいって言ったわけじゃないですか。
じゃあどうしてベッドが欲しいのか。
腰が痛いから。
じゃあ今の布団が合わないから腰が痛いから、
嫌なんだね。
じゃあ、
なんて言ったらいいのかな。
お母さんは高いベッドを買いたい、
っていうふうに言いました。
じゃあ、腰が痛いのを解消するために高いベッドを買いましょうってなる前に、
まず資産の把握をしないといけないじゃないですか。
お母さんがどのくらいの資産を持っているのか。
お母さんがベッドを買ってもこの先暮らしていけるのかとか、
そういうところを計算しつつ買い物しないと、
なんか蓋を開けてみたらあれ生活できないぐらいの資産状況になってたっていうことになってしまうと思うんで、
そこまで深掘ってあげる必要があったなとは思うんですけど、
いかんせん、
私は春君とお姉さんと自分の家庭のことで忙しいし、
妹も子供が生まれたばっかりでまだまだ小さいし、
私は娘たちが自分の家庭のことで手いっぱいなわけですよ。
そこまで手が回らなかったんですよね。
何が言いたいかっていうと、
お母さんがやりたいって言ったことに対して、
それは行き過ぎな行為だよって抑えつけてしまってる状態なんじゃないかなっていうふうに感じていて、
それが元のお母さんの状態に戻れてない要因の一つなのではないか。
やりたいことはあるけど、これをやってしまうと肺に入ってしまうんじゃないかしらっていうことが、
ブレーキになってずっと打つ状態を維持してるんじゃないかなとかちょっと思っちゃったりするんですよね。
本人に聞いてないのでわからないんですけど、そこがちょっとなんかむやむやしちゃったなって思ったのでお話ししてみました。
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自分自身が送局性感情障害になったわけじゃないっていうか、本当はどうなのかもわからないんですけど、
お母さんの考え・思考はお母さんにしかわからないから、
一概に何とも言えないんですけど、
もうちょっと深く掘り下げて一緒に考えれる人が近くにいるといいのになぁとはちょっとうっすらぼんやり考えましたね。
なんか一番最初にかかってた病、精神科の先生も送局性感情障害だってことでお薬処方してくださってたんですけど、
実はその時に出してもらったお薬の量がお母さんに対して適切じゃなかったってことが後から入院して、
先生が変わってからわかったことなんですよね。お母さん薬剤師だから、あれこれ先生に注文してたんですって。
飲みたくないとか、量が多いとか少ないとかなんかわかんないし、あれこれ薬剤師として注文して、
一番最初にかかってた先生が薬剤師だからそういう風に言われるからと遠慮しちゃって、その言われるままに処方しちゃってて、
お母さんに合わない量のお薬を飲んでたんじゃないかっていうのを入院先の先生に指摘されたんです。
僕はそういうところ厳しいですから適切な量出しますよって言って、お薬のコントロールをしてくださってたんですけど、
お薬だけじゃなくて、本質的なところをちゃんと見れる人ってそんなにたくさんいないような印象を受けていて、恥ずかしいなって思いますね。
でもお母さんに振り込みとすると、春君とかお姉ちゃんが手薄になっちゃうし、じゃあお母さんは自分で自分のことやってねってなってもしても、
なかなか現状としては回復できてない、6年たって回復してないっていうのが事実あるわけで、
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お母さんが70歳過ぎて、先どのくらい生きれるかわからないので、お父さんの分も楽しんで生きてほしいなって思うんですけど、
それは私の願望であって、外にも出ないでぐたら家で過ごしてるのがお母さんの幸せなのかもしれないし、よくわかんないなって思いつつ、
でもなるべく自立してほしいんだけどなーって思っちゃったりしてるんですよね。なかなか難しい。
たぶんずっと人を頼って生きてきたんですよ、このお母さん。幼少期はきっとお姉さんがしっかりしてるってことだから、
お姉さんにいろいろ面倒を見てもらったりしてたんだし、大学時代も一人暮らしじゃなくて、お姉さんと一緒に住んでたっていう話だったし、
大学卒業してからは一旦実家に帰って、実家から通って仕事してたみたいだし、そこからお父さんと結婚して沖縄に来て、
子供が生まれたけど、おばあちゃんはすごく世話焼いてくれたから面倒を見てくれたりしてて、
お父さんは責任感の強い人だったから、わりとお母さんをコントロールしてたのかな、どうなんだろうな。
お父さんが亡くなってからは、おじいちゃんに助けを求めたりとか、私に助けを求めたりとか、
何が言いたかったんでしょうね。何が言いたかったのかな。
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もうちょっとお母さんのやりたいっていう気持ちを深掘って、範囲に行かないようにコントロールしつつ、
なんとか本人の希望を叶えるみたいなことをして、
うちでもない、そうでもない、普通の状態に戻してあげたいんだけどなーって思ったっていうお話でした。
長々お付き合い下さいました。ありがとうございました。それではまた。
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