1. 74才 薬膳&料理研究家
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2023-05-24 10:32

#38 唐揚げ フライドチキン 天麩羅

唐揚げとフライドチキンの違いは?
日本人を天ぷら好きにした三つの理由とは?
などについて音声を収録しました。
#江戸の健康食 著者:小泉武夫
#空揚げ
#唐揚げ
#竜田揚げ
#フライドチキン
#薩摩揚げ
#上方文化圏
#江戸文化圏
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こんばんは、73才 薬膳&料理研究家の木下 賀律子です。
今日は、小泉武雄町、江戸の健康食から、天ぷらを取り揚げ、音声を収録していきます。
揚げ物調理といえば、鶏の唐揚げ大人気ですね。
近頃では、唐揚げの専門店も目にするようになりました。
その唐揚げ、昔は唐という字は、そら揚げと書いて唐揚げと読みました。
これは、天ぷらとは違って、衣をつけずに、あるいは食材、肉や魚の表面の水分を抑える程度の、もう少しの量の片栗粉などをまぶして揚げたもので、衣が少ないことから、唐という名がついたのでしょうね。
空を唐と読むのは、空手なども空という字を唐と読んでおります。
そしてもう一つの唐揚げは、中国の唐という字を書く唐揚げです。
材料に醤油や酒、生姜などを染み込ませて、粉をつけて揚げたものです。
これに似た料理で、立田揚げという日本の料理があります。奈良県を流れる立田川にちなんだ料理です。
立田川といえば、私は行ったことがないですけれども、もみじの名所として有名です。
着物の世界では、もみじ柄のことを立田の柄と呼んだりするそうです。
つまり、赤いもみじに例えて、醤油のたれに魚や肉をしっかりつけ込んだ茶色い揚げ物を立田揚げと呼んでいます。
似てますよね、唐揚げ立田揚げ。
時代が進んで、フライドチキンが我が国に登場しました。
創業50周年をもう過ぎたそうです。
それでは、先ほどの唐揚げ立田揚げとフライドチキンの違いは何かというと、
食材に味をつけて揚げるのが唐揚げ立田揚げで、衣の方に味をつけるのがフライドチキンのようです。
ジューシーでスパイシーなフライドチキン、いくつでもいけそうですね。
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でも、薬膳的視点から見ると、鶏肉もホットなスパイスもともに体を熱くするものです。
ですから、これから迎える夏、夏バテ気味の時や、
高年期でホットフラッシュなどをお持ちの方は、ちょっと気をつけていただいた方がいいと思います。
それでは、今日の天ぷらに入っていきたいと思います。
江戸時代、天ぷらは実体を意味する二つの食べ物であった。
その一つは上方文化圏の天ぷら、他方は江戸文化圏の天ぷらである。
前者は魚のすり身をまんじゅう型や餅型にして油で酢揚げしたもので、今でいうさつま揚げ。
後者の江戸は、イカやエビ、芋、ごぼう、れんこんなどに溶いた小麦粉を絡めて油で揚げた衣揚げである。
ここで述べるのは後者の衣揚げの天ぷらのことである。
天ぷらの名の由来は様々だ。
スペイン語の天ぺろ説のほか、天は揚げるという意味、
ふは小麦粉の意味、らは薄ぎぬの意味といった説など、
その天ぷらの説の代表であるけれども、
それらを説明するに足りる文献的証明は見当たらず、明確には何もわかっていない。
文献上初めての天ぷらの名が登場するのは、江戸時代の漢文9年、1669年の本、食堂記である
コトリタタキテとあるから、これはどちらかというとすり身揚げのことのようだ。
江戸流の衣揚げの初見は、関英元年、1748年の料理河川の組糸という本で、
ここには魚や菊の葉、ごぼう、れんこん、長芋をうどん粉にまぶして油にて揚げるなり、と見える。
天明年間、1781年から89年には天ぷらの屋台が登場し、庶民の味として人気を博し、
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関英年間、1848年から54年頃から江戸の街には天ぷらの看板を揚げた専門店が現れ、
そして著名な料亭にも手工を凝らした天ぷらを高級料理として出すところが出てきた。
今日、日本人をこれほどまでに天ぷら好きにしたのには理由がある。
その第一は、ご飯という主食に、副食としてこの惣菜はぴったりと合うことにあった。
ご飯の風味に天ぷらの食味は実に相性が良く、
それでなくとも質素で脂気の不足な日本の素朴食にあって一際一切を放つ副食なのだ。
第二は醤油の存在である。
天ぷらは初めは塩を振って食べたらしいが、油のしつこさを醤油はいい塩梅に馴染ませてくれるから、
この麗しいほどの惣菜を一層日本人の心に焼き付けた。
そして醤油は日本酒やだし、卸し大根と一体となった天つゆにも変身して、
さらに日本人を憧れさせた。
日本人を天ぷら好きにした第三の理由は、
この国には天ぷらの種にする材料が常に豊富にあったことだ。
海老、キス、穴子、イカ、シラウオ、アジのような魚から、
さつまいも、ごぼう、れんこん、かぼちゃ、なす、菊の葉、椎茸のような野菜まで、
春夏秋冬、いつでも新鮮な種が周りにあるから、
春そのものを存分に味わえる。
さて、天ぷらが江戸で人気を博したのはなぜかといえば、
その始まりが屋台の食べ物として庶民に歓迎されたからである。
江戸中期の天明年間、すでに江戸市中には天ぷらの屋台が登場しているのは、
当時描かれた絵によってわかる。
それらの層画をよく見ると、材料が串刺しにされて油で揚げられていて、
今の串揚げに似たものだったようだ。
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このように、当初はもっぱら屋台で串揚げというあまり高級感のある食べ物ではなかったのが、
幕末の家営年間頃から、家付きの店で天ぷらを専業にして客を取る、
いわゆる天ぷら屋が江戸市中にどんどん登場してきた。
こうして天ぷらの人気はいよいよ高まり、
明治時代に入ると著名な寮邸の中にも天ぷらを看板にする店も現れてくる。
明治時代、銀座の天金、新橋の橋全は東京の名物店とされた。
その後、大正時代ですね、関東大震災で東京の天ぷら職人たちが関西に移住したことで、
阪神地区の天ぷらの技術は向上したと言われる。
以上です。
今日は唐揚げや天ぷらなど揚げ物について音声を収録しました。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
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