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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
さあ、先日、シャープ1395でもお話ししましたけどもね、
現代はね、情報過多なんですよ。
でね、デジタルの時間がですね、ずっと365日20時間ね、ずっとずっと動いてますからね、
人のリズムやペースが狂っちゃうんですね。
江戸時代の1年分が、現代人が得る1日分の情報量だっていう、そういう説もありますからね。
もし自分という存在がスマホだった場合、今の私はどんな状況なんでしょうね。
例えば今、自分のスマホの中にある写真フォルダをね、開いてみましょうか。
そこには多分、食事とか旅行とか楽しい一時のね、ショットや動画が数多く収められていると思うんですけども、
他にもね、大切な情報のスクショだとか、SNSの画像とか動画とかね、そんなものを保存していたりもするのかなと思うんですよね。
ところがさ、その中にはさ、何枚もさ、同じような写真だとかね、間違えてさ、撮ってるものだとかね、
なんか足元だけ撮っちゃったやつとかね、もう使わないスクショとかね、使わない画像だとかね、
取り損じている何かしらとか、ブサイクに映ったままとかね、動画とかね、不要なもの含まれてませんかってことなんですよ。
で、それらを削除するとスマホってどうなんですかね。
当然ですけども、軽くなるんですよ。
つまり、我々も一緒でですね、情報量が重くしたり軽くしたりするんだよということなんですね。
さて、この情報ですけども、我々が情報、この情報、自分というですね、
各々が自分というとき、それは何を指しているのかということをちょっと考えたいですね。
例えば、正しいと信じるですね、自分のポリシーとか信念とか、こういうものを語るときですね、
そのポリシーや信念は自分なのかなということなんですね。
いつから正しいと信じたのかねと、親や先生とか上司から言われたからかもしれないですね。
それとも尊敬する有名人が言っていたから信じたのかもしれないですね。
そもそも正しいって何なのかなって話なんです。
正しいって信じるとどんな得があるのかな、信じておけば、誰かとうまくやれたりとか、
ワンチャン尊敬してもらえるから、正しいということをやめないで継続しているのかもしれないですよねと、
哲学名言ってきましたけどね。
私がここで言いたいのはね、自分は自らが信じる情報でできているってことだと、それを伝えたいんですね。
世の中には本質と呼ばれるもの、この世の法則って呼ばれるものがあるんですね。
因果の法則とか因用の法則とか、そういうふうに言われているものなんですけども、
この法則は自然の設立ですから、そこにのっとった情報だったら別にいいのかなと思うんですけども、
現在この世界にはそれ以外のものとか、そこにのっとってないものとか、山ほどあるわけですよ。
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それらを自分に取り込んでしまったりとか信じ込んでしまったりとかすると、
自分というスマホにどんどんどんどん貯めていっちゃうんですよということなんですよ。
で、ある種のですよ、そういった情報のゴミとか無駄な動画とか不要な写真さえですね、
それをひっくるめて自分だと認識している可能性が高いんですよ。
だから悩んだりとか、だから苦しかったりするんじゃないかなと思うわけ。
つまり悩む元とか苦しむ原因になる情報がインストールされてしまっているから辛いのよね。
で、それらを自分の一部にしたまんまだから、つまりリレートしてない、消去してないから冒頭の話のようにスマホが重くなるんですね。
我々はここにですね、別々の情報を持つスマホみたいなものなんですよ。
アプリもみんな違うしさ、持っているデータも違うじゃない。
で、それを積み重ねながらですね、自分だと思っているんですよね。
だからアナログのスマホなんです。アナログのスマホ。
だからこそ、この情報の渦とかね、過剰な情報とかは人がバグる原因でもあるんですよ。
ネットにつなげや、自分にとって不要不要も関係なくてさ、情報はどんどん侵入してくるしさ、
スマホみたいに消去ボタンがあれば簡単に領域を開くんですけども、我々はアナログのスマホだからそれもないんですよ。
だから鼻とかさ、鼻を押したりとか耳を引っ張ったらさ、余計な情報がコンコンと消えていけば便利なんだけどね。
そうもならないわけですよ。
なのでね、現代を生きる人間の心得とすると、やっぱね、不要な情報にアクセスしない、入れない。
あとはですね、自分の中に入ってですね、自分を縛っている無用不要な情報を消すと、
これがですね、やっぱりスマホを軽くする上でですね、とっても大事なポイントかなと思いますね。
現代人はついですね、入れることとか足すこととか、得ることっていうのが良いことってなりがちですよね。
なんか健康って言ってもすぐさ、サプリ飲んだりとかいろんなものを取ったりだとかさ、
取ること、足すこと、入れること、こういうことを考えがちなんですけども、
それってやっぱり執着の一因なんですよね。
なんかね、得ればいい、出すことが先なんだけどね。
でも得ることっていうね、そちら行っちゃうわけですね。
まあブッダは執着するから、得られなかった時に苦しむんだよと。
だから執着が苦しむ原因だよと、そういう風に説いてますね。
自己成長はね、確かに必要だなと思うんですね。
しかしそれが誰かに認められるためとか、お金を多く得るためとか、そういうんだとしたら苦しむ原因になりますよね。
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人の精神の話をする際ですね、そこには成長っていう言葉ではなくて、未熟か成熟かというですね、こういうワードが使われるわけですね。
みかんは未熟だと酸っぱいけども、完熟すると甘いですよね。
精神も同様で成長ではないんですね。成熟が求められるんですね。
でもそれって自然の説理に基づくと、大人になれば成るほど成熟していなければおかしいじゃないですか。
ところが現代人必ずしもそうなっていかないんですよ。
その理由としてですね、先に挙げたですね、自分ではないものになろうとする自己成長への執着・渇望とかね、
これからそのスマホを目がけてどんどんどんどん入り込むですね、
自分に不要な情報の渦というところがあるのかなと強く思うわけですよ。
結局、自己成長、自己成長って言ったって、人に認められてるのが自己成長って思ってたらさ、
そんなの多軸的なわけだしさ、他人軸の人生を生きてるだけなわけですから、
こんなの何回も言ってるけどね、なわけですからね。
そうすると、人としての成長って自分が信じてることでさえも、
それは他者から承認をいただくためのもの、みたいなふうになってる可能性もあるわけですね。
だからね、自分を成熟させるっていうことはですね、それと真逆の話なのでだいぶ異なってくるんですね。
この人としての成長って言うと、この中には社会性なども含まれますので、
だけど自分の成熟と言えばですね、そこは本来の姿、その自分のままゆっくり、
自分の人生の道、その延長線上で進んでいくという感じなんですね。
そうは言ってもですね、自分という存在は、その社会性も含めてですね、
その双方で成立しているのも事実なわけですよ。
ところが、その自分は全て情報でできてるから、
潜在的なもの、顕在的なものを含めてですね、自分という認識、自己認識なんつーのはですね、
これはね、怪しいもんなんですよ。
ってことはよ、辛い、きついとかね、嫌いとか苦手とか、そういう負の感情とか認知も情報なわけですね。
だから感覚を伴っている情報が作動して自分を苦しめてるだけなんですよ。
実はこれが自分を本来の姿に戻す邪魔をしたりとか、本来の道をですね、曲げていく要因なんですね。
しかも我々は生まれたその瞬間から情報が入ってくる土壌とか仕組みとか、こういったものもあるわけですね。
だから明日はですね、個々のスマホを形成するこの情報についてですね、
もう少しですね、深く話をしようかなというふうに思っております。
ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
我々はですね、一台一台ね、スマホみんな違うように、我々もまたアナログのスマホでした。
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というですね、そういうお話です。また明日お会いしましょう。バイバイ。