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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願い致します。 他軸的ですね。他軸的ってのは、他人の他軸は、自分軸だとか、他人軸の軸的な人。
自分の価値観や判断基準を外部、他者に依存しがちなんですよね。 外で起こる事柄、事象や他人の影響に振り回されちゃってですね。
まるで奴隷のように、自由を失ってるんですよ。 なぜかと言ったら、自らの価値観とか信念を持たない、あるいはもう忘れちゃってる。
なので、自分以外の他者の意見や外部の状況に判断を委ねちゃうんですね。 これは、いわゆる多席思考ですね。自分の問題を他者に丸投げしちゃうだとか、あるいは利己性ですね。
これは自己中心的な利益追求ですね。自分のことしか考えない。 こういうものと密接に結びついちゃうわけですよ。
どういう状態になっていくかというと、感情有意ですね。 自分の感情にも振り回されちゃう。こういう状態を助長しちゃうということなんですね。
多軸的な人は、他にも原子の変動体なんですけども、この影響を大きく受けるので、結局安全欲求からの恐れや不安、こういったものが主体になって、それに基づく評価や言動が強くもなっていくわけですね。
これによって、外部の刺激に過剰反応しちゃうわけですね。
どうなるかというと、自らの精神性、これ自分自身の軸になってくるような大事な部分なんですけども、理性とか論理的思考だとか知性だとか、長期間かけて私はこうなっていくよ、こういうふうにありたいんだ、こんなもんですね。
こういったものがどんどん低くなって、感情がどんどん有意になって、心のバランスが崩れていくわけですね。
この時点で本人気づいてません。気づいてませんよ。感情の方向性というのが他者にどんどん依存してますから、感覚の質、これクオリダって言うんですけども、これもどんどん浅くなっていくので、何をやっても夢中になれない、楽しくない、面白いと思えない、笑えることがわからない、何なんだろう、こういった感覚的なものがどんどん小さく小さくなっていっちゃうわけですね。
自分を持ってないとか、自分軸で行動できないとか、あるいは理工的で中身がないとか、こういう人を軽薄って言いますよね。本人自体の感覚もまた感情に振り回されている分、やっぱり軽くて薄くなっちゃってわかんないんですよ。
おまけに多軸的な人は奴隷でもあるんですよね。
こういった方が振り回される代表的な事象と、なぜその奴隷になるのかというのをお話しますけども、まず他者の評価や意見、顔色、見る、承認欲求、SNSとかネットの反応に敏感、世間体とか社会的規範めちゃめちゃ気にしますね、流行やトレンドに乗りますね。
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こういうことを全部見て、完璧にやらなきゃいけないだとか、頑張らなきゃいけないだとか、いろんなことを思っているんですけども、多軸的な方は、友人とか上司とか家族の評価や意見、要は他者ですね、他者の意見に過度に影響されます。
例えば、上司に嫌われたら終わりだとか、そういうふうに恐れて、会社内で自己主張を抑えているうちに自分の意見や考えがまず出なくなる、それからどんどんわかんなくなっちゃうんですね。
また、SNSの投稿に反応がないと不安になっちゃったりとか、世間体や常識に縛られて、自分の本心を抑えているうちにわかんなくなっちゃったりとか、
あと、わかんないもんだけど、わかんないもんだから流行を追っかけとけばいいやつって、自分の好みだとか楽しいだとかわかんないのに流行を追っちゃって、乗れないと不安になったりとか、みんなと一緒じゃないともう不安なんですね、多軸ですね。
だからこういった方たちは多者の評価で自分の価値を決めがちなので、じゃあどうなるのかと言うと、強い承認欲求を持っているんですよ。
だから認められれば喜ぶけど、認められなければ落ち込むっていう、自分の感情を多者に丸投げ依存しちゃってるんですね。
で、これまずいよね。
この意識が多者に向かいすぎると、自分への意識っていうのはやっぱり希薄になるよね。
自分より多者にずっと注視するわけですよ。
注目してみてですね、箸の上げ下げだとか顔の表情だとか、そういったことをばっかり見てですね、自分の考えとか意思とか思いやりや気持ちとか、こういった自分の中から湧き出すものを一切無視するようになるわけですね。
おまけにですよ、先ほど言った原子能による安全欲求ですね。
拒絶への恐れっていうものが大きくなるから、自分軸の判断なんかもできないわけですね。
だから多者中心の判断になるわけですね。
例えば自分は行きたくなくても、友人が行きたいと言えばいいよって合わせて、スケジュールパンパンにするわけですよ。
休みもしないですね。内観なんかするわけがないですね。
で、掃除もしないで、洗濯物も貯めるようになるわけですね。
そこまでしてパンパンにして、でも自分がかつて何を楽しいと思ったかとか、そんなことも忘れてですね、友人が楽しんでいるのを見て私も楽しいって錯覚するようになるんですね。
危険でしょ。これらの結果、結局だから自分を無視して、多者の一言にですね、一揺一揺しながらですね、日々を過ごしていると、どうなるかというと不自由さを感じるんですよ、どっかで。
だからあとは、外側を見ながらですね、ビクビク生きているので精神性も育たないし、何かあれば人のせいにしたり自己正当化しながらですね、すっごい利己的な方針に走るんですよ。
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で、こうやって不自由になるわけです。この不自由さが奴隷なんですね。
多者評価の奴隷で、心を縛られまくっているから自由が欲しくなるわけですよ。
だいたいね、私という存在は誰かに評価されるために生きているわけじゃないし、みんなと合わせるために生きているわけでもないし、流行りを追いかけるために生きてるんじゃないんだよってことですよね。
最近ですね、自分が今言っているような状態になっていたことを、ちゃんと自分で気づいて奴隷から卒業するために行動した人がいらっしゃったんですね。
この方はまずですね、何から始めたかというと、自分を大切にするという部分から始めて、少しでも丁寧な暮らしをするように心がけたんですね。
ちゃんと花を飾ったりとかね、そういったこともですね、やり始めたんですね。
で、びっちり入れてたスケジュールも見直して、自分との対話をする時間というのを少しずつ少しずつ増やして、自分を見つめ直して、ようやく本来の自分を取り戻したんですね。
だからね、長年かけて染み付いた奴隷根性はですね、やっぱりね、それなりの時間をかけながらね、取り戻すんよ。
ゆっくり丁寧に心をちゃんと洗ってですね、自分の手でね、長年の赤を落としていかないとですね、自分の本心とか良心とか夢とか希望がわからなくなっちゃうのは当たり前だし、迷子になるのも当然なんですよ。
でね、ここなんです市場は。自分よりもね、他者の声を信じていればね、信じちゃったらね、自分を信じられなくなるのも当たり前よってこと。
この世にはお金とか時間とか他者評価とか世間体とかトレンドとかいろんな物事ありますけどね。
あとはね、ルッキズムだとかさ、効率化だとかさ、こういったものだよね。
資本主義ってのはやっぱり勝ち負けがありますからね、こういったものもね、虜になっちゃったりとか奴隷になっちゃったりとかしやすいものなんですけども、こういうものを追っかけてってですね、走ってってそれを信じ込んじゃって、その中のその的の中に突入してるとですね、結果としてやっぱり自分が奴隷になっちゃってですね。
そっちが、そっちが上なのよ。自分が下になっちゃってるってことですね。だからやっぱり気づいたらですね、自分を解放してあげる。解放してあげないとですね、ずっと辛いんだもん。自分らしく生きていけないんだもん。
だから、真誠性と偽りとですね、真実の領域、放棄するんですって言ってるのがそこなんですよね。
だから、やっぱりその真実の領域にちゃんと戻してあげようと、長年かけてつけてしまったものなわけですから、癖とかね。そういったものをですね、やっぱりそれなりの時間をかけてですね、自分に向き合ってあげて、自分と内観してあげる、自分と話をしてあげるっていうことをしながらですね、取り戻す必要があるんですよ、という本日はそんなお話でございました。
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ということで、最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。また明日お会いしましょう。それでは。