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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
あなたはメデューサってご存知?髪の毛が全て蛇で、目があったものを全員、石に変えてしまう。
ギリシャ神話に登場する恐ろしい女性の怪物なわけですよね。
しかし、この鮮烈な姿の裏側には、公に語られてこなかった深い真実と続きの物語が隠されています。
彼女はモンスターとして描かれていますが、メデューサは理不尽な暴力の被害者でもありながら、
その苦しみを消化させて、今でも現代人に人の心の可能性を感じさせてくれる存在だと思うので、今日紹介させていただきます。
そもそもメデューサは、もともとは非常に美しい諸女で、アテーナ神殿に使える純潔の巫女さんでした。
多くの旧婚者を拒否して、その女神アテーナに忠実に仕えていたのです。
ところが女神、怪人ポセイドンがメデューサの美しさに目をつけて、アテーナ神殿の中で彼女を強姦しちゃったのです。
神殿という神聖な場所で起きたので、神殿そのものも怪我されたわけです。
なので、この女神アテーナは事件を知ると激怒して、なぜか怒りの矛先は、加害者のポセイドンではなく、メデューサに向けられたのです。
これは理由としてよく挙げられるのは、神殿という自分の性器を汚されたことへの怒りとか、純潔の誓いを結果的に破られたことへの不満とか、
秩序・規律を司る女神としての汚れを許さない姿勢であったりとか、
メデューサはどうしたかというと、美しい髪を毒蛇にして、声を失わせて、顔を恐ろしいものに変えて、見るものを石に変えてしまう呪いを化してしまったのです。
結果として、被害者であるはずの女性が、さらに二次被害を受ける形になったのですよ、という話が最も広く知られているのです。
でも、これは被害者叩きの典型でしょう。神々のエゴとパワーゲームで、目に見える弱者を罰して、メデューサの人生を破壊した形です。
また、ここには女性の純潔とか名誉が重視されて、性的暴力の被害者ですら、汚れとして扱われた女性の神聖です。
もともと女性には神聖がありますから、これが神話に投影されていたわけです。
実際、諸女性やミサゴを守る姿勢は、ポセイドンのような獣的情欲をはねのけて、自分の神の神聖を守っていくので、現代でもとても大切なんですよ、これは。
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なので、彼女に落ち度はなくて、むしろ神々の理不尽な正義の被害者なんですよ。
メデューサはもともと大地の神様とか、守護の女神だったとか、そういうふうに言われているんですね。
ギリシャ人が戦獣民族を征服したときに、神話が書き換えられて怪物にされたとも言われている、そんな説もあるんですね。
メデューサの象徴は、彼女の頭の蛇なんですね。
これは、被害者のことをちょっと考えてもらいたいんですけども、鋭敏に研ぎ澄まされた神経とか観察力だとか、警戒心だとか、こういうことを象徴しているんじゃないか、説があるんですね。
一度深く傷ついた経験を持ったら、二度と同じ目に合わないように発達させている、高度な神経系ですよね。
防衛本能とも言えるんじゃないかなと思うわけですね。
彼女の視線が他者を意思に変えるのは、決して攻撃的な武器ではなくて、自分の尊厳を犯そうとする者に対する明確な拒絶とか、境界線って、そういう象徴だというふうにも思うわけですね。
だからわかりやすく言えば、相手を意思にするのではなくて、意思で作られた高い壁で相手を拒絶して入れなくしているという感じなのかなと思うわけ。
これもまた都合のいい存在をやめて、自分自身の平和を守るために築かれている壁だったりするわけですね。
自分を守るためにあえて扱いにくい存在になったということですね。
しかし、これは傷ついた人がまず手にする、健全な自己愛に基づいた自己防衛の形でもあるということですね。
ところが、メデューサはとても傷ついた女性の象徴でもあるんですね。
性的暴力とか神殿での領辱というトラウマの後の凍りつきとか乖離というのは、感情をシャットダウンして他者との繋がりを断つことで、もう傷つかないようにするということでもあるんですね。
だから、周囲の人々が意思になるのは、近づいてくる人を拒絶、攻撃しちゃう無意識の防衛ですね。
その結果、自分も孤立して怪物として扱われてしまうということなのかなと思うわけですね。
なので、この自己防衛規制が強く働いた状態がメデューサ、怪物という象徴になっているのかなというふうに感じるわけですね。
メデューサは声を失っていますけどね。
自分の基準、スタンダードを高く保って沈黙を守るときは、不適切な意図を持つ人は、おのずとその壁に突き当たって立ち去るものなんですよ。
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だから、無礼なものと話せなければ、何も始まらないし始まらなければ自分を守れるでしょう。
だから、近づけてはいけない男性を決して近づけない高潔さというふうにも言えるわけですね。
これはただの仕方ではなくて、自分を守るための静寂だったりもするということですね。
なお、古代エジプトやシュメールの文明においても、蛇というのは再生と知恵の象徴として崇められていたんですね。
蛇であっぴっくり返すじゃないですか。
だから、その象徴を頭に宿すメデューサというのも、また古い自分で被害者としての自分を脱ぎ捨てながら、誰にも侵されない領域へと進化を遂げているはずなんですよね。
だから、現在の脳科学でもトラウマを乗り越えた脳というのは、より複雑で繊細な認知機能を獲得すると、外相互成長という概念があるんですね。
だから、メデューサの物語は呪いの物語ではなくて、生存本能が高尚な知恵に登り詰めていった、そういうストーリーにも読めるんですね。
で、他者からあなたは冷たいとか、あなたはとっつきづらいと言われたとしても、それは不尊な扱いをしたい誰かにとって、ただただ操作しにくい存在になっただけなんですよ。
自分の柔らかい心を保護するために石の壁を築くことは決して怪物的なことではなくて、またこの神話はだからこそ続きもあるというふうに思えるのよね。
社会は男性が求める従順で扱いやすい女性像なんていう軽い存在から卒業するには、ある意味、周囲から孤立する必要性、場合もあったりするんですね。
成長曲線の中では必ずこの局面がありますからね。
なぜかというと、自分として生きるという姿勢は必ずしも受けがいいって限らないんですよ。
一部の人には受け入れられるかもしれないけど、大多数切り捨てるっていうこともあるからね。
ところが、この孤立こそが他者承認に依存しないで、誰かの顔色を見ながら生きていくという、これ捨てるってことなんですね。
だから真の自立を促すきっかけにもなるわけですね。
なので他者の期待に応えることをやめたとき、人は初めて自分自身の命を正しく扱えるようになってくるんですよ。
メデューサの力は誰かを傷つけるためではなくて、自分を二度と傷つけさせないために存在したということなんですね。
ところがメデューサは殺されたんですね。
自分を守って誰をも羽根のこえる怪物としてのメデューサは殺されたところで神話は終わってるんですよ。
これ一体何を意味してるのかってことなんですけどね。
実はメデューサの死は終わりじゃないんですね。
これは変容の始まりなんですよ。
っていうのは最近の小説などですね。
あとアートとかね。
メデューサは殺されないで自分で呪いを解いたとかですね。
アテーナと和解したとかですね。
赤化した人々を元に戻して自分も人間に戻るみたいなストーリーが人気を博してるんですね。
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これは凍りついたトラウマの象徴とされているメデューサがですね、
被害と罰によるトラウマで怪物化して、孤立して、心の防衛を強化して、
自分を守ったけども、守ってきたけども、
同時に誰も近づけになるとか近づいてくれた人を傷つけるとか、
そういう苦しみを得てですね、その自分に終わりを告げる。
これがだからメデューサを殺すというこの表現になっている。
だから次は自分と向き合って怪物ではなくて傷ついた人間だったんだと、
今までこの怪物化を守ってくれたんだと、こういうふうに見ることでですね、
これまで石のように固めてきた心の防衛を崩壊させてですね、
再び人として生きるという、こういうストーリーなんですね。
だからまたね、メデューサはベルゼウスにね、殺されたところで神話が終わっているんですね。
もしベルゼウスが来なかったらですね、メデューサは永遠に洞窟で孤独に生きていて、
徐々に自分のですね、石化の力をコントロールしてですね、
選んだ相手だけに心を開く存在になったかもしれないわけですね。
だから目が合っても石にならない人、その人にだけは心を開けるというストーリーもね、
メデューサが人の道歩めますよね。
また実際ですね、ナタリー・ヘインズの2022年、ストーンブライドというですね、小説があるんですけども、
これメデューサの視点からですね、被害者として罰せられた理不尽というのを描いているんですね。
だからアテーナとかポセイドンとか神々のエゴを批判してですね、
メデューサの死後ですね、つまりカタクナに人を遠ざけていた自分からの卒業ですね。
死後も石化した人々を元に戻すような救済のニュアンスを加えた成長癒しの物語なんですね。
このようにですね、メデューサの神話は単なる怪物物語でおしまいじゃないんです。
孤立した自分をやめて、再び他者を信じる成長っていうですね、続きがあるということなんです。
ということで本日はですね、ヘビが頭で目が合うものを全員石にするメデューサという怪物が実は違ったんだよっていう、
こんなお話をいたしましたということで、
今日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。