ユングの言葉と人生の創造
あなたの無意識を意識化しない限り、それはあなたの人生を支配し続け、あなたはそれを運命と呼ぶ、ヨング。
今回は心理学者のヨングの説、この言葉からですね、いかに自分の人生は自分によって作られているのかと、こういうお話しいたします。
まず冒頭の言葉ですけども、正確には自分の持つ内的な状況が意識化されていない場合、それは運命として外に起こるということなんですね。
つまり、個人が分裂したままで、自分が分裂したまま、自己不一致とか自己分裂ですね、このままでですね、自分の中、内側にですね、対立、ここがあると、これ意識しなかった場合ですね、
世界は必然的にその対立を演じてですね、対立する二つに引き裂かれるよと、こういうふうに説いてたそうなんですね。
例えば、ある組織に規律と正しさを極端に重んじるリーダーがいたとしましょうか。
しかしですね、彼はですね、自分の内側にある、俺だって怠けたいよっていう気持ちとかね、こんなのバカバカしいよね、俺も辞めたいよという衝動とかね、これを強く強く抑圧してですね、
そんなものは自分に存在しないよとか、自分はそんな不真面目で人間じゃないよっていうふうな、こういうことを演じて切り離している場合が多いわけですね。
しかしですね、その彼はですね、そんな自分意識してないんですよ。
抑えつけて抑圧しているので当然なんです。
それと不思議なもんでですね、彼の周りにはいつもですね、不真面目でルールを守らない部下とかですね、無責任な取引先とかね、こういうのが現れるようになるんですね。
彼はですね、怒りを持って彼らを正そうとしますよ。
ところがですね、問題は次から次へと発生、いや、さらにエスカレートするわけですね。
これはね、彼自身の内側で正義感と不真面目さ、これが分裂してですね、対立してるからなんですね。
彼は自己不一致してる自分に気づいてないんですね。
なので表面的、健在意識の正義感で生きてるんですね。
だから自分の内側にある不真面目さは全く気づいてないんですよ。
これ希望だったりするんですけどね。
するとですね、出来事とか事象とか登場人物がそれを教えようとして現れてくれるんですね。
だから彼が自分の中にある弱さとかね、怠惰さとか、こういうものをね、認めて、
あ、これも俺かと認めてね、受け入れない限りですね、世界は彼に対立する存在、だらしない他者というですね、これを突きつけ続けるんですね。
これがだから運命として外に起こるという状態なわけですね。
内面の鏡としての世界
これね、インド哲学とか仏教ではですね、不二一元という概念があるんですね。
それはね、自と他、内と外を分ける境界性は本来存在しないんだよっていう、こういう考え方なんですね。
ユングの言葉はですね、まさに外側の世界は内面の鏡なんだよと、こういう心理をついてるわけですね。
自分の中にある闇をですね、自分ではないって切り離す二元論的な生き方はですね、
結果として敵と味方、善と悪という分断された世界二元論を作り出すわけですよ。
昨日もお話ししましたけどね、鬼になっちゃった人がさ、不の感情ですよ、そういったことをですね、認めてればどうにかなったんじゃないかとか、
自分の中にある鬼のもとっていうのがそもそも不の感情なわけですから、マイナス感情なわけですからね、
これはだから自分ではないって押し込めたりだとか、それと戦うだとか、それを制圧するだとかっていうような、
そういうこと自体がこの二元論を作り出しちゃったりもするわけですね。
この辺はね、我々が赤ちゃんの時にね、親という他者をですね、
意識した瞬間から自分という存在を知る背景もあるので、なかなか気づきづらいものなんですけどね。
意識化の限界と勇気
しかし一方で意識すれば運命は変わるのかという視点も大事なんです、これ。
例えば全ては自分のせいだっていうですね、過度な自責とか自己責任論として捉えるのはね、危険なんですよ。
なぜなら天候とか天災とかさ、国とか文化とかさ、はたまたね資本主義経済とか社会構造における問題とか、
これは個人の心理的なものだけでは解決できないね、客観的な現実ですからね。
なので外的な不幸や問題は全てが内面の投影であるとも限らないわけですね。
だから何でもかんでも自分の心が原因だだとか、自分のせいだと責めたり思い詰めることは逆によろしくないです。
健全な意識というのは言えないもんね。
だからまた内面の葛藤を全て意識化したからといって、目の前の対立や二極化が消えてなくなるわけでもないわけ。
むしろ統合とか意識化が進むほど真実に目覚めるわけですね。
それまではボケてたりとか不鮮明だったとか、今一見えてなかったこの世の複雑さとか不条理さとか矛盾とかね、
こういったものがどんどん解像度が上がってくるわけですよ。
明確に見えてくるわけですよ。
それとソクラテスの無知の知、同様なんですね。
無意識を顕在化するのは楽な道ではなくて、実は勇気が得る険しい道のりだったりもするわけですよ。
自己受容と統合
ユングが伝えたかったのは、人が自分の闇ですね、この半分ですね、これを否定して生きている限り、
目の前には欠けた半分を補うために時として残酷な形で現れるんだよっていうことなのかなと思うわけですね。
だからこの自分の中にあるドロドロとした感情とか情けない部分とか、強すぎる自立心、独立心だとかね、
それから野心とかこういったものにちゃんと目を向けようねと、これは自分ではないと切り離すなと、
これも私なんだなというふうに認めて抱きしめなさいと、
こうして内なる自分の中での対立とか抵抗を解消すればするほど統合していくということでしょう。
すると本当の自分という存在が理解できるよって、
この辺はだからアドラーさんの自己需要なんかも全く同じですよね。
たとえ目の前の運命が激しく涙っていたとしても、ちゃんと静まっていくんだよっていうふうに、
そういうふうに解いているんだなと思うわけですね。
自分が見える世界ですね、目の前の世界が二つに引き裂かれて見えたとしても、
それは世界の問題ではなかったりもするわけですね。
自分の外側と内側、自分自身が引き裂かれている、自分で引き裂いているからそう見えている場合も多いという、
今日はそういうお話でございましたということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
今後の展望
これね、ユングさんは他にもいろんな格言を残しているので、
そのうちまたちらちらとご紹介したいかなというふうに思っております。
ということでまたお会いしましょう。
それではバイバイ。