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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
今日はですね、ちょっと自分の、私のですね、昔のお話をちょっといたします。
その中でですね、何か参考になることがあったらいいかなと思ってですね、
何かちょっとエピソードなんですけどね、ちょっと一瞬、暗い感じに聞こえちゃうかもしれないんですけども、
事実なんでね、その中からですね、何かヒントとか、それからですね、
生きやすさに変えていくだとか、こういったことをですね、感じていただければいいのかなと思います。
私がですね、4歳の時ですね、実の父なんですけどね、突然いなくなったんですよ。
私はですね、とってもね、父に懐いてたんですね。大好きでしょうがなかったわけですよ。
だからね、いなくなったからね、お母さんにですね、何度もですね、
お父さんは?お父さんは?ってね、こうやってね、尋ねていた記憶があるんですね。
そこからですね、しばらくの間ね、そのお母さんはですね、母はですね、
いろんな仕事をしながらですね、私を養ってくれていたのを覚えてるんですね。
時にね、夜の街でもね、働きながらね、整形させてたんです。
記憶にあるのはね、やっぱりスナックの2階に用意されたね、子供部屋なんですけどね、
そこにはですね、同じような境遇の同世代の子たちがね、大勢いてですね、
夜遅くまでね、漫画本を読んだりとか、時に寝落ちとかしながらですね、
各自のですね、母親が仕事を終えるのをですね、待ってたんですね。
この母とのですね、2人の生活はですね、決してね、裕福ではなかったんですね。
広さは覚えてませんでしたけど、覚えてないんですけど、
共同トイレで、風呂なしで、人間しかない、これアパートだったんですね。
でもね、私にとってね、この幼い私にとってはですね、
それが全てであってですね、とってもとってもね、安全な場所でもあったんですね。
当時ね、やっぱり小さい時ってほら、いろんな人からいろんなものをもらえるでしょう。
だからね、私にもですね、大勢の大人たちからですね、プレゼントをいっぱいもらってたんですね。
で、その中にはですね、動植物とか虫の図鑑とか、こういったもの、図鑑がですね、あってですね、
幼い私はですね、漫画も好きだったんですけどね、
この図鑑をですね、来る日も来る日も読むのがね、大好きだったんですよ。
特にですね、動物とか虫にはハマってたんですね。
何度も何度もその図鑑を読み返していたんですね。
でも、そんなふうに過ごしていた6歳になった時のある日ですね、
突然いなくなった父が帰ってきたんですよ。
私も大好きだったね、父が戻ったんでね、大喜びしたんですね。
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で、父はですね、私が動物園に行きたいかって言うんですね。
だからこの言葉にですね、この図鑑で知った動物実際に見れるのかってことでですね、
もう運行くって即答してたんですね。
で、父はね、そのままね、家にいるのかなと思ってたらですね、
なぜかですね、また出て行っちゃったんですよ。
でね、そこからですね、1日中ですね、母はね、ずっと泣いてたんですね。
でね、私はね、動物園に行けるっていうですね、心ウキウキしながらも、
もう、なんでお父さんいなくなっちゃったんだとか、
なんでお母さんこんなに泣いてんだとか、
泣いてるね、悲しんでる母が心配でですね、グラスにお水を注いでですね、
大丈夫?って、これ飲んでって言ってね、渡したりもしてたんですね。
でね、時を巻いてですね、ついにですね、動物園に行ける日がやってきたんですよ。
私は当時ですね、新潟にいたんですね。
なので、電車に乗ってですね、東京に行ってですね、
迎えに来た父と手をつないでですね、ルンルン気分でね、駅に向かってたんですね。
で、お母さんも一緒に行くんだろうと、当然思っていたら、行かないって言われてですね、
えーとか思いつつの、久しぶりのね、父とですね、水いらずでですね、
初めての動物園に行けるっていうこのワクワクがかってですね、
地元の駅で手を振って別れたんですよ。
で、別れの時ですね、なぜかね、母はいつもね、幼稚園でね、別れる時の母ではなかったんですね。
で、これは後で気づきましたけども、あれがね、この海の母親との別れだったんですね。
で、で、着くのがね、遅いからね、動物園はまたね、後になるよって、後の日になるよっていう風に父から言われてですね、
あーそうなんだねって、でも行けるなら、まあいっか、なんて幼い私は思ってたんですね。
で、どれぐらい移動したかね、わかんないんですけども、手を引かれながら連れて行かれたのがですね、住宅街にある小さいアパートなんですね。
で、今日からここがお家だよなんて言われてですね、私はね、父が何言ってるのかわけがわかんなかったんですよ。
で、アパートの扉を開けるとですね、そこにはやっと捕まり立ちをしたばかりの赤ちゃんとですね、見知らぬ女性がいたんですね。
で、その日の夜ですね、父とその女性は大喧嘩してたんですね。
で、私は別の部屋でですね、その声を聞きながらですね、自分が置かれている状況が全くわからないまま眠りに落ちたんです。
さて、状況を整理しましょうか。
つまりですね、父はこの女性と駆け落ちしたんですね。
で、子供ができたんですよ。
で、でも本祭との間には私がいるわけじゃないですか。
そこで父はですね、母と話し合ってですね、私を引き取るということでこの家に連れてきたんでしょう。
でもですね、そこには捕まり立ちしたばかりの子供も生まれたこの女性いらっしゃるわけですよ。
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でね、どうやらこの女性の了解、とってなかったっぽいですよね。
だからこの方からすれば晴天の霹靂よ。
で、この人がですね、私のママ母になるわけですね。
ということですね、かなりね、クズな父なんですよ。
でね、このクズぶりはですね、この後サラキンに追われるとか、この方とも離婚するとかっていう感じですね。
その後も続いていくわけですね。
と、このようにですね、納得してないんですよ、ママ母はね。
だからどうなるかと言うと、父が仕事で不在のときですね、私に来るんですね。
いびるようになってきたんですよ。DVですよ。
だから顔以外の部分はですね、ママ母につねくられた跡がですね、いつもね、必ずこうあったんですね。
でね、つらかったのがね、ご飯を食べさせてもらえなかったんですね。
だからね、いつもハングリー、お腹空かしてたんですよ。
でね、小学校に行くようになってからは、まだね、お昼に給食があるの。
だからね、飢えたね、私はこのときばかりとですね、飛びついて一心不乱にね、給食食べてたんですね。
なので当時はさ、給食が唯一の食事だったからなんですね。
でもですね、困るのは土日や祝日とかね、祭日なんですね。
あと夏休みとか、学校がなかった日なんですよ。
そんなときはですね、どうしたかと言うと、おやつとかご飯食べさせてくれそうなね、
友達の家を点々としてですね、どうにかつないでたんですね。
でね、またね、当時はね、空き瓶ね、コーラとかね、ファンタだとかね、
そういう空き瓶見つけては、お店に持ってくとですね、10円とかで換金してくれたんですね。
このわずかなお金でですね、胃袋を満たすようにしてたんですね。
でね、ママ母はですね、実の子には愛を注いでたんで、
例えばですね、サンドイッチを作って二人で食べるんですね。
父がいないときにね。
で、その後、夏休みに昼寝をするわけですよ。
で、そのときにですね、私はこっそりですね、ゴミ箱に行ってですね、
この落としたパンの耳ですね、これを漁って食べながら、
休日のね、お腹にね、少しでも食べ物をね、入れるようにってしてたんですね。
で、もうそんな状態だから、もう学校でもですね、一番前でチビ、
もうガリガリに痩せ細ってたんですね。
で、つねくられたりさ、叩かれたりとかさ、してたわけでしょ。
だからね、その都度ですね、僕は、あれですね、その昔はですね、
その当時はですね、大きくなったらこいつ殺してやるって本当に思いながら耐えてましたからね。
で、この間ずっとですね、じゃあなんでお父さんに言わなかったのっていうことなんですけども、
これね、言ったらですね、いないときにママ母からのいじめが倍になるかもっていう恐怖もあったんですけども、
何よりね、やっぱ大好きな父にね、余計な心配させたくないとかね、
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なんか子供ながらに父を守りたいという、こういう気持ちが大きかったから、
なんか言わなかったんですね。
言えないというよりは、ちょっと言わないっていうですね、そういう選択をしてたんですね。
でね、ところがですよ、小学校4年生になったときにですね、
まあ10歳ぐらいですね、父が転勤したんですけども、
それとともにですね、引っ越しをして、そこでですね、ぴたりとですね、
ママ母はですね、私をいじめるのをやめたんですよ。
で、父がいなくてもですね、弟と同じようにご飯を食べさせてくれたりとか、
それからね、ずっとね、母親らしいことをね、してくれるようになったんですね。
最初はね、警戒してた私もですね、次第にその状況にどんどんどんどん慣れてきてですね、
彼女をちゃんとお母さんって呼ぶようにもなったんですね。
とはいえですね、父は相変わらずのクズなんですよ、先ほども言ったように。
仕事はね、行ってはいるっぽいのね。
だけどですね、どうやら生活費満足に入れてなさそうなんですよ。
そのまま母もパート行ったりだとかね、し始めましたからね。
当時はですね、さらに妹もいたんですね。
でもですね、家に借金返済のね、電話とかも来るようになっちゃったとかして。
っていう貧乏暮らしの中ですね、少しずつ成長していく私は私でですね、早く働きたいって。
働いて自分でお金稼いで、自分のために使っていきたいって、こういう気持ちが大きくなっていったんですね。
この辺が若くして、僕22歳で起業してますけども、そこの背景にもなるのかなというふうに思います。
ここまで振り返るとですね、6歳から10歳までDVとか飢餓状態ですね、この幼年期ですね。
それから15歳まではですね、彼女からのいじめはないものの貧乏暮らしという感じですね。
ちなみにですね、小学校や中学校でもやっぱりいじめられる側の立ち位置ね、結構多かったです。
いや、そりゃそうだと思いますよ。
当時の私はね、さっきも言ったようにちびでね、ガリガリでね、そんな性器環境でしたからね。
だから気も弱くてね、そういう空気をですね、周りの子どもたちは察知してたんでですね、
やっぱりね、狙われるというか、見つけられるというかという感じなわけですよね。
その後ね、私はですね、中学卒業と同時にですね、高校に行きながらもバイトいくつも掛け持ちしてですね、
まあとにかくバイト、お金を稼ぐことに背を出すんですね。
で、稼いだお金をですね、これまたね、自分が好きなことにね、使うというですね、こういう晴れ晴れさですね。
だからもうここから何かがポツンと切れてですね、自分は自分の好きに生きていくみたいな、そういうモードに走っていくんですね。
で、あの前にもお話ししましたけどね、春宿でロックンローラーズをやったりだとかね、青春もですね、めちゃめちゃ豪華してですね、
遊ぶの楽しいって、お金好きに使うの楽しいみたいな感じでですね、だんだん学校も行かなくなったんですよ。
この後は学校をクビになんですけども、時を先に飛ばしますね。
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で、私がですね、19歳の頃ですね、父はね、このまま母とも離婚したんですね。
で、またどっかに蒸発したんですよ。
でね、その頃はね、もう私はもう自活してましたけどもね、
でもですね、この自活してるアパートにですね、私を勝手に保証人にしてね、借金にしてね、
この時の貸金業のモラルもひどかったんでね、私のところに取り立ててきたりだとかね、世間知らずの私もその対応にね、ひいひい駆け回ったりとかね。
あとは新しい部屋借りるのもね、当時保証協会とかなかったんで、当時親戚に頭詐欺に行ったりとか、まあひと苦労なんですよね。
ちなみにね、親戚にも父はね、迷惑かなりかけてましたからね。
でね、それからさらに時を飛ばします。
私がもう22で起業しましたからね。
で、26になった時ですね、蒸発した父から私に連絡が入ったんですよ。
これ何かと言うとですね、手術の必要があるから身内のサインを取れって病院に言われたんでって言うんですね。
で、この頃はまあ完全に僕は僕で自分のね、商売に集中してましたからね。
まあかまわないよってことでですね、久しぶりに再開して病院に再院したんですね。
ところがですね、別室にお医者さんが通されてね、お医者さんと話をするんですけども、
そこではですね、父は癌だと胃癌だと、それ本人に伝えると精神的に耐えられなさそうだから、
あなただけに伝えるっていう、こういう内容だったんですね。
当時はまだこんな感じだったんですね。
まあなるほどねって、まあそうかもしれんねと、
私も私でですね、父の性格などかなんとなくわかるので、
まあ内緒にするのを承諾してですね、父の治療費だとか入院費だとか、
最後の親子のつもりでですね、粛々とね、行ってたんですよ。
で、父は入院して会いに行く度にですね、どんどん痩せ細っていったんですよね。
まあ入院しているベッドの隣は幼稚園なんですね。
幼稚園だから日中は子どもたちの元気な声がですね、聞こえてたんです。
で、そんなある日のことなんですけども、いつものようにね、どう?って顔を出してですね、
2,3言会話して、少し経った頃ですね、父はいきなりですね、
弟には悪いことをした、ぽつりと言ったんですね。
で、弟っていうのはあの時ですね、捕まり立ちしていた赤ちゃんなんですね。
前妻である私の母と離婚が成立するまでですね、
自分たちもママ母と結婚できなかったんで、
しばらくね、この弟はチューブラリンになってたんですね。
だから父はそれのことを言ったんですよ。
ところがですね、私は私でこの言葉にプチンと切れたわけですね。
ここまで話してきたことをダイジェストでですね、幕下でですね、
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その勢いで起きることもできない父に謝れ、と言って謝罪要求したんですね。
父は驚いたでしょうね。
だって私も幼少期の父に一言も言ってませんでしたからね。
で、その後お首にも出しますんでしたからね。
でも聞いて小さな声でですね、悪かったって言ってくれたんですよ。
でね、その時ですね、私の中では長年ずっとずっと積み上がっていたですね、
何かがですね、咳を切ったようにですね、流れて一瞬で彼を許せたんですよね。
先ほど最後の親子講談なんて言って、つもりでお金払っていたのは自分なわけですよ。
そういったものも全部この野郎みたいな感じのどっかあったんですよね。
そういうものもですね、オール全てね、幼少期から心の中に積み上げていた、
この心の折りがですね、一気にドガーンと流れたんですよ。
ほどなくしてですね、父は高いしたんですね。
でね、私はね、もう2,3日ぐらい大号泣していました。
なぜかって言ったらね、幼少期から大好きだった気持ち変わらないですからね。
でね、父に動物園に連れて行った記憶、連れて行ってもらった記憶ってね、残念ながらないんですよね。
なんとなくいったかなレベルでね、あったんかもねという感じで記憶になってないんですよ。
まあね、当時の私にすればそれをさ、上回る強烈なさ、毎日に転換しちゃったわけですからね。
もう安全領域からね、本当にいつ何をされるかわかんないみたいな、
そういう生活になっちゃったんで、生きることに必死でね、
それどころじゃなかったのかもとね、まあ今では思っているわけですよ。
普通に聞いたら亡くなる寸前の病床の父に激おこで詰めるなんていうのはですね、
私がしたことがですね、一般的には惹かれるかもしれないんですけども、
私はですね、ああよかったって思ってるんですよ。
あああれやってよかったなって思ってるんですよ。
なぜならね、逃げ回ってた父が逃げられない状態でさ、
自分がしたことを受け入れるしかない機会をプレゼントできたからなんですよ。
で、彼がその後ベッドの中で何を考えて反省したかわかんないですよ。
それはね、彼の人生で彼の学びだから、そこはどうでもいいです、私は。
それよりもですね、これからの26歳のときですね、
これからを生きる私にとってそれまでの人生の闇とか、
心の檻だとか、ぐちゃぐちゃしたものを一気に吐き出したからなんですよ。
幼少期の私も彼に黙っていたので相当驚いたとは思いますけどね、
それはいいんです。
ところがですね、私はですね、今でもですね、毎日仏壇に手を合わせています。
毎月お墓参りもしています。
大好きだった父と共にね、今でも一緒に暮らしているんですよ。
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私には疑問があるんですよね。
こういう話をするとですね、死にたくならなかったんですかとかね、
まあよく聞かれるんですけども、
この人生で一回もそんなことを頭によぎったことないんですよ。
だからね、なので私は勝手に自分を生きるためにこの世に来た人だというふうにも思っているんですね。
幸いね、その証拠に私はとっても体が丈夫なんですね。
これまで一つも大病や大けがなどなくてですね、過ごしてこれたんですよ。
これもまた親ですね、母と父が与えてくれたもんだと思うとですね、
やっぱりね、今でも彼を大好きだし感謝してるんですと、本日はこういうお話でございました。
どこの部分で何を感じろとかそういうお話じゃないです。
このお話を聞いてですね、何かしら自分なりに思うことがあったら参考にしていただければななんて思ってお話しいたしましたということで、
今日も、まあまあ長くなったな、最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
また明日お会いしましょう。
今日も元気でいこうね。
じゃあね、バイバイ。