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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。 本日もよろしくお願いいたします。
さあ、かつて日本には、デッチ暴行という制度があったんですね。 まあ、幼い子供がですね、
商会とか、職人とかのお家に入ってですね、 住み込みで働きながら、商売とか技術を学ぶわけですよ。
給料はね、ほとんどなくて、休みも少ない。 理不尽なことも大変多かったと、そういうふうに聞くわけですね。
これも現代の基準で見ればさ、これは受け入れられないね。 制度のブラックラブラックラって感じになると思うんよ。
ところがね、このね、仕組みの中にね、 現代がね、完全に失っちゃった何かがね、やっぱり山ほどね、宿ってたなというふうに思うわけですよ。
まず一番目はね、やっぱり体で学ぶっていうところなんですね。 デッチ暴行の本質っていうのは、教えることじゃないですよね。
体で学ぶんですよ。師匠はね、技術とか教えないんですよ。 弟子が盗むのを待ってるんですね。で、なぜそうするのかっていうとですね、
言葉で教えられることにはですね、限界があるからなんですね。 包丁の握り方こうだよって言葉で教えてもですね、この言葉っていうのは正確に伝わることってのはまずないわけですよ。
ところが師匠の隣でですね、毎日同じ時間、同じ空気吸いながらですね、ずっとちゃんとこう見続けて、自分もやりながらみたいなことやってるとですね、ある日突然ですね、
わかった!みたいなね、こういう瞬間が来るわけですね。 これがやっぱりこの体で覚えるっていうことですね。これはもうアスリートとかもそうかなと思いますよね。
体で覚えていくっていうところですね。使い方とかもそうだよね。 で、二番目はですね、読む力なんですね。
このデッチボーコーが伝えたのは技術だけでなく場の空気を読む力なんですね。 師匠の機嫌がね、上下するようなやつだったら、
師匠、今日はどうなのなんつって、怒り気味かな、それとも機嫌いいかなとかね、それから後はお客さんとかもやってきますからね、
この人、今何必要としているのかなとかね。 作業だとか業務だとかっていうのが次に何が起こるかとかですね。
これ、私が18の時に建築現場でバイトしてた頃って、まだこの手の無口で手が出る職人っていうのが結構いたんですよ。
全く仕事を教えてくれないの。そうするとウロウロして、僕もね、そうするとその私に容赦なくですね、土豪が飛んでくるわけですね。
でもですね、中にはあれですからね、ハンマー飛んできたりとかありましたからね、ほんとに。
ところがですね、その中の比較的優しい職人さんがですね、こういうですね、いいか持ち好きって、先を見て動けと、今あの人はどんな作業をしているかを見てごらんってね。
そしたら、何を今しなくちゃいけなくて、次にどんな作業に入るかっていうのがわかんないかと。
確かに、あの辺片付けた方がいいっすね、そうだね、つってね。
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だからこんな感じで、次に何が必要なのかを考えて準備したりだとか、今何が必要なのかっていうことを察知して、それですぐ動けというふうに言ってくれたんですね。
ああそうか、なるほどね、と思った私はですね、それから各職人さんたちの動きをですね、つぶさに観察するようにしてですね。
で、こっちの職人には、鉄筋を切るからね、バーナーの準備をしなきゃとか、こっちの職人さんはですね、あそこの足元は全部ちょっと片付けとかなきゃとかね、ってこう動くようになってから、この土豪はですね、なくなったんですね。
当時はね、こんなね、建築現場でマニュアルなんかないっすよ、どこ行ってもマニュアルなんかなかったっすね。
でね、またね、中にはね、言葉で教えられてもわかんなかったりとか、やっぱりやってみなければわかんないことってね。
これいっぱいありましたからね、こういうのこの体とか場の空気で覚えるということなんですね。
このね、鉄筋さんたちはこうして毎日ですね、師匠とですね、お客様と空間をですね、共有し続けてたんですね。
で、これで皮膚感覚としてですね、体感覚としてですね、身につけるということですね。
で、3番目はですね、失敗の仕方を学ぶというところなんですね。
で、師匠も当然失敗すればもう師匠にカピカピですね、呶鳴られたり叱られたりするわけですよ。
でもね、この嫌だろうが気まずかろうがなんだろうが、翌日もですね、師匠と同じところでですね、共にしなきゃいけないわけよ。
で、この繰り返しの中で、何が起こるかと言うと失敗しても続けざるを得ない、続けなければならないっていうですね。
これですね、これ何が育まれるかと言うと、精神の筋肉とか心の強さなんですね。
現代教育っていうのは効率的にとか正確にとか間違えないようにとか、これを教えながらですね、失敗をなるべくさせないようにしますよね。
ところがこれは全部ですね、失敗から学ぶ力ですね、精神の筋力ですよ。精神にも筋肉ありますからね。
これを同時に奪っちゃうわけね。だからもっとね、失敗して叱られてね、へこめりゃいいんですよ。
そうじゃないと身につかないものが山ほどあるんですね。で、こうやってね、叱ってくれる人なんていうのはですね、この時代ね、希少なんですよ。
だって叱る側っていうのは愛情がないと叱らないからね。大抵の人は別にほっといてもいいなと思いますもん。
でもそうじゃないから叱るわけですよ。で、4番目はですね、本質的に時間をかけることの意味と価値なんですね。
で、通常ね、どんな道を選ぼうともですね、一人前になるには軽く10年20年ってかかるわけですよ。
で、宮本武蔵は鍛錬の練。これね、27年って言ってましたからね。
で、このかかる時間の中ではいろんなものが育って熟成されていくのよ。
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忍耐力とか思考力とか行動力とか観察力とか想像力とか判断力とか、人格でしょ。
だから早く一人前になりたいってね、みんなこう現代人は結果ばっかり対処主義者ですから、もう結果結果結果、焦りますけどね。
でもうまくなんかいかないじゃない。よくわかんないのにやってたりするわけじゃない。でももどかしいじゃない。
で、でっちさんはですね、でっちさんも一緒なんですよ。そんな気持ちはあったんですけども、恐ろしい師匠にビクビクしながらですね、続けるしかないと。
逃げられないと。この時間の中でですね、商売人であったり職人であったり人としてのですね、深さとか厚みとか品格とか誇りが育まれていったわけよ。
で、結局さ、この後ですね、都定制度っていうのは、よしお前もそろそろオッケーだなってなったら乗れんわけであったりだとか、独立開業というところですね。
どこに出しても恥ずかしくないよお前はっていう風になってから、そういう風になる、いけるわけですよね。
だからやっぱりその商売人としての土台とかね、職人としての土台とかね、人としての土台っていうものをですね、この師匠の下でちゃんと育んでいったということなんですね。
ところがですね、このこないだもお話したけど明治以降ですね、これはもう崩れてた。
学校教育とかね、労働基準法だとかね、公立化とかね、住み込みで10年修行するよりも学校で3年学んで就職する方が合理的。
そういう時代になっちゃったわけですね。
で、戦後の高度経済成長期にはサラリーマンという働き方はもう主流になりましたから、だから都定制度は時代遅れってことですね。
急にですね、もう姿消していったわけですね。
で、この失われたものじゃ何なのかというと場の空気を読む力や、マニュアルでは伝わらないね、その場のね、温度とかね、感じ取る皮膚感覚、体感覚ですね。
あと時間かける価値ですね。
効率化とかでは得られないね。
長い時間の積み重ねが生む深さですね。
で、師匠っていう人間から直接的影響をいただくということですね。
ロシアの哲学者グルジエフが言うですね、目覚めてる人の持つ感覚を日常の中で受け取り続けるというですね、これ機会なんですよ、チャンスなんですね。
この機会が日々あったということですね。
だから失敗とか継続の繰り返しによる精神鍛錬ですね。
どんどんあれようが、昔ながら手出されますから、それでも翌日また同じ現場で立つ、もう熱が出たって言いたい、てか熱出ろ、でもね、行かなきゃだめ、生きていかなきゃしけない。
こういう実情もあって転んでも起きるという不屈の精神が養われたわけですね。
これが、この人たちがいた社会といない社会って、今どうなってるのかってことですよ。
若い人は叱られると立ち直れなくなっちゃったりとか、空気読めない人が増えたりとか、自分の考えや感覚を言葉にできる人も減ったりだとか、自分軸っていうのは自分勝手だと勘違いしてる人もいるし、
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成果物の良し悪しだとか、自分の感性で判断評価もできなかったりとか。
これ全部、劣地暴行とか都定制度の消滅と無関係じゃないんじゃないのって私は思ってるんですよね。
現代はね、スマホとかSNSとかショート動画とかAIでこうなってる確率も高いですけどもね。
とはいってもね、私はですね、都定制度を復活させると言いたいんではないんですよ。
でもその制度が伝えていた何かをですね、この現代の商売とか家庭とか教育の中に少しは取り戻せないのっていうふうには思うわけですよね。
とにかくショート動画と、ようやくですね、もうショートカットね。
つまりこれ短く言ってどういうことみたいな、こういうのね、長文が読めない、聞けない、見れない、こういう風潮はですね、
脳みそには最悪だというふうに思うわけです。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございました。
また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。