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幸せになりたいと望まない人はどこにもいません。 それなのに、多くの人はその手段を知らないままです。
デカルトからエリザベトへ。1645年9月のお手紙。 ルネ・デカルトはですね、フランス生まれの哲学者、数学者なんですね。
合理主義哲学の祖、父でありですね、 近世哲学のね、父としても知られてるんですね。
今日はね、彼の残した名文の一節をご紹介しながらね、お話ししようかなと思っております。
幸福は幸運ではない。至福という感情の一種。 完全に満足し、忠則した精神を持つ。
誰でも人はその人なりに幸福になれる。 このグッドラックじゃないよっていうことですね。
自分の心の中、精神の状態、意識の状態がすべて物語っているということですね。
で、お次、快ですね。快楽の快ですね。快速特急の快ですね。 快は道楽ものの快でもなければ、性的な快楽のうちに存在する快でもない。
肉体において苦しみのないことと、魂において乱されないことである。 まあ、平成であることであるというね、ここなんですね。
だから、肉体においてでは、やっぱり痛みのない状態、不細のない状態というところが、まず快であるということですね。
だから健康っていうのは快なんですね。快楽純能なんていう言葉がありますけども、
我々はですね、やっぱり健康な体、いつものように動ける体っていう状態を、ついつい当たり前だっていうふうに思っちゃうわけですね。
でもこれは本当は快なんですっていうことなんですね。とても幸せなことなんです。 充足している状態なんですね。
で、お次が大事なのが、魂において乱されない平成であるっていうことですね。 これはですね、感情がやっぱり優勢、感情が優勢だとですね、
どうしてもそちらでバタバタしてですね、快の状態じゃない不快の状態になっちゃうわけですね。
だから乱されている状態、バタバタしている状態っていうのはね、感情がバタバタしている状態は、
まあとにかく不快なんですよ。 だから感情が乱されていない、意識も乱されていない状態ですね。
こういったことが平成だよ、精神が安定している状態が平成だよ、乱されていない状態が快なんだよということですね。
で、お次、善行ですね。良い行いから喜びは得られる。 そのための自分の義務は一体何か、それを認識するというふうにありますね。
これはね、同時にですね、デカルトはですね、こういう言葉も言ってましてですね、
自然の説理、道徳、良心、良い心の赴くままの秩序に従い、理性を働かせ、正しい判断を下すというふうにも言っているわけですね。
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で、これもですね、やっぱりその自分ができることっていうのはですね、やっぱりこの自然の説理や道徳とか、自分の良心が赴くままですからね、
やっぱり正道と言われている、正しい道と言われているですね、ここに秩序があるわけですね。
だからそれに基づきながら、理性的に判断しなさいというところですね。
これはあれですよね、自己決定性の中でアドラーさんがですね、自分とか周りの人たちに対してですね、どういう判断軸で言うか、好き嫌い、良い悪いとかね、
そんな人によって違う、当てにならないようなものではなくて、自分や周りにとってですね、前向きなのか建設的なのか未来志向なのか、ただこれだけで決めないよというふうに言ってますね。
だって前向きの反対は後ろ向きでしょ、建設的の反対は破壊的でしょ、未来志向の場合、未来志向の反対はさ、過去に追い縋ってみたいな、変わることが嫌だみたいな、そういう感じなわけでしょ。
それで判断をすればいいよということなんですね。で、その上で人は自分の立場に応じてなすべきことをなせば嬉しくなる。そうなりたいから義務を果たす。幸福はそこに横たわっている。
人にはいろいろな立場がありますよね。その立場っていうものにね、基づいて自分がすべきことをちゃんとやっていると自分が嬉しくなるんだよって。
しかもその嬉しくなりたいから義務をちゃんと果たそうとするよって。果たしている時に幸せなんだよっていうふうに仰っているわけですね。
これはだから使命、使命観に基づいて行っている、例えば仕事もそうだし家庭の中の立場みたいなものもそうですよねということですね。
これはちょっと面白いんですね。やっぱり理性という言葉がまたちゃんと出てくるんですね。
人が頼るべきは神ではなくて理性、自立的な生き方、理性的に判断すると仰っているんですね。
面白いですね。1500年ぐらいのこの世の中でやったらやっぱりキリスト教はワーッとなってたはずなんですけども、そこでドッカンと神様には頼るべきじゃないよってことをちゃんとデカルドはおっしゃっているんですね。
幸福論という中でこれは話しているんですけども、幸福であることは神様に頼ることじゃなくて、自立的な自立的なというのは自分を立するということですね。
そういう生き方ですね。だからちゃんと2本の足で立って自分の頭で考えて、しかも感情的に生きるのではなくて、理性というのは精神性の中に入ってますからね。
だからむしろ長きに渡った目標や夢を設定し、そこに向かって歩めと。
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歩んでいる時にこうなっていくんだ、こうしていきたいんだっていうことを向かっていった時には、それは感情的になっている場合じゃないし、凶悪にほうけているなんて馬鹿馬鹿しいですしね、っていう感じになりますからね。
だからこうやって理性的にちゃんと判断をしながら自立的にちゃんと生きていくということをやっていけば、これは幸福につながっていくよということなんですね。
お次はですね、いかなる時でも何をすべきか、何をしていけばいけないのかを知るために自分のアンテナを働かせるとありますね。
これ僕もですね、時間のお話をする時があるんですね。タイムマネジメントだとかそういった時なんですけど、無駄な時間と本当に必要な時間というのを分ける時に結局ここなんですよね。
好きだとかやりたいけども、しちゃいけないことはしちゃダメなんですよ。する必要がないことはすべきじゃないんですよ。
だからそこに時間を設けちゃダメなんですよ。でも嫌いなこととか苦手なことでもですね、すべきことはしなきゃダメなんですね。
なのでそういったことをですね、ちゃんと時間の色があるということですね。その色の違い、種類の違いっていうのをですね、ちゃんと判断できないとスケジューリングなんかできないんですよ。
なのでこういったことをちゃんと知るためにですね、一旦ちゃんと僕はそのね、時間の色をちゃんと分けるためにですね、時間を設けようね、なんていう話もしてますね。
お次、邪念、情念、喜怒哀楽ね、あとすけべ心とかね、欲求に惑わされず自分が行おうとすることに集中すると。
この辺はやっぱりキリスト教とかでも言われてるかな、仏教とかでもですね。結局この邪念とか情念、喜怒哀楽、感情ね、それからあとは欲求っていうものはですね、
これが悪魔だっていうね、自分の中にいる悪魔だみたいな、そういう表現もあるぐらいですよね。
だから自分が行おうとすることというのはですね、やっぱり崇高なことだったりだとか、自分で自分を幸せにしようとすることとか、周りを幸せにしようとしていくことなわけですから、それは正しき道なんですね。
この正しき道っていうものに集中していこうね、自分の中にいるですね、いろんな悪魔がお誘いかけてくるけども、それに耳を貸しちゃダメよということを言ってるんですね。
それに必要なのが理性ということなわけですね。
理性的であれば自分の身の丈もわかるよと、自分の人生に必要なこと以外は望まなくなるよ、まさにこの通りだと思いますね。
要不要がちゃんと判断できるようになるし、自分が何ができて何ができないのかということもね、要は自己需要という状態なんですけども、自分の長所も短所も全部理解ができるよということですね。
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まあそうは言ってもね、自分のこと本当に理解できてたらあの世行きとも言いますからね、生きてるうちは限界はあるかなというふうに思いますね。
結局、決意をしますと。覚悟を決めて決意するでしょ。自分の良心に従いながら進むのね。
そうすると最善という最も良いものと最善と判断したことのみを全力で行えばどうなるかというと、後悔はまずなくなると。
進んでいる最中、歩んでいる最中に幸福、満足感とか充足感を感じるよというふうに言ってますね。これ全く僕も同感ですね。
だから同じくこういうふうに言ってます。どんな失敗や苦労に遭遇しても神様からのプレゼントだとかご先祖様からのプレゼントとして気づきや学びを得ようとすると。
これも何回か前に失敗のところでお話しましたけどね。こういうふうに感じるようになるわけですね。まず一番最初決意覚悟なんですね。覚悟覚悟ね。
ここなんですよ。もうこのままじゃ嫌だというふうに思ったら覚悟を決めないとね。自分のステージで歩んでいきたいと思った場合はまず覚悟から始まるわけですよね。
ここがなければその後もないということなんですね。だから覚悟を決めてない人っていうのはある意味ですね。幸せから遠ざかっている人っていうことをデカルトの言ってることだとそういうことになるのかなというふうにも思うわけですね。
至福の本質は精神の満足である。知性を全力で持ち、最善の判断をし、確固たる決意を持ちながらそれらを習慣化すると。こういう言葉でちょっと締めたいかなと思っております。
精神の満足ということは感情や思考の満足ではなくてですね、自分が少しずつでも進んでいるなぁとか、そのために自分の知性ですね、そういったものを全力で使っているぞとか、常に最善の判断をちゃんとできているぞ、こういうことをやりながら進んでいると自分に胸張れますしね、自分は自分でよかったって思いますしね。
生まれてきてよかったなぁとか、そういうことも思いますしね。あとは確固たる決意を持ちながらですね、どんどんどんどん歩んでいって、しかも自分の使命感に基づくようなことを行っていったりとか、あるいはですね、自分の理想を少しでも叶えようと一個ずつクリアしていったりとか、こういう生活の仕方を習慣化していけばですね、
それはずっとずっと自己成長であったりとか、前に進んでいる実感みたいなものがありますからね、とっても幸せで充足感を得られるというこういうことになりますね。
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今日はね、デカルトの幸福論からですね、ぽいぽいぽいといろんなですね、部分をご紹介いたしました。やっぱりね、上見てもね、降ってこないんですよね。結局幸せと幸福感というのはですね、自分の中の境地の話ですからね。
何か良いことがあったからラッキーとかそういう話ではないというふうに思っていただければいいんじゃないかなと思います。ということで、本日も最後まで聞いていただいてありがとうございます。自分の正道ですね、正しいなと思う道をですね、今日も突き進みましょうということで、また明日。バイバイ。