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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
まあ、昨日はね、グルジェフでしょ。その前は、メデューサだの。女神カーリーだの。悪魔バラエだの。そんで、しょっちゅうラジオでも紹介している、ハイデガワさ。
偽りの自分をやめろ!殺せ!って。
でも、誰もが過激に偽りの自分の破壊とかさ、ね。
目覚めだね。これを進めているわけですね。
前回、グルジェフが解いた強烈な衝撃で、眠りから覚めさせろ!と。
女のどかしさ、破壊心の芝。
それから、殺戮と再生の女神カーリーが象徴するですね。
存在ですね。自分の今の存在ですね。
既存の存在ですね。既存の自分の解体ですね。
ぶっ壊せ!と。
こういったものはですね、人が心理に到達するためには、
最も過酷ですけども、必要不可欠な関門でもあるわけですね。
特にこの辺に2段階あるんですよ。
昨日もね、2段階だよ!って言ったんですけどもね。
まずは、偽りの自分ですね。社会用に作られた仮面をかぶってるですね。
自分ですね。我慢したりだとか、合わせたりだとかですね。
社会的な規範みたいな、常識みたいなものにどっぷり使ってるこの自分ですね。
そこからですね、本来の自分に戻るとき。1段階なんですね。
次、この本来の自分だなと思っていたら、持って過ごすわけですよ。
だけど、それもまたですね。
いやいやいや、ちょっと待って、プログラムが組み込まれてんじゃん。
こう気づいてですね、それらを手放すときですね。この2段階なんですね。
まずはハイデガーがですね、死の存在を自覚することで、本来の自分を取り戻せと。
こういう風に説いたようにですね、偽りの仮面ですね。
ペルソナを剥ぎ取るためにはですね、脱ぎ去るためにはですね、静かな内省だけでは足りなくて、
往々にして、これいろんなところでですね、言われてる精神的な死なんですね。
これと呼べるような劇的な破壊がやはり必要とされるわけですね。
これらね、一見過激な自己超越を促す思想とかね、宗教観とかね、学説ってあんまり公に語られないですよね。
やっぱね、あのショックが大きいからみたいなんですよね。
ほら、仏教優しいからさ、ちょっと仏教調べてみたの。
そうしたらですね、日本のね、臨済宗とかの禅宗なんですけどね、あるんですよ。
自分を拘束するあらゆる概念を破壊せよ。
おいおい来たよと、仏教もあるかと、過激な形でですね、説かれてですね。
その代表がですね、旧世紀の中国の禅僧でですね、臨済義賢さんという方がですね、いらっしゃって、
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その方が残した殺仏殺祖という言葉がですね、殺す仏、殺す祖先の祖ですよ。
過激秘書、仏に仰っては仏を殺し、祖に仰っては祖を殺すって言うんだよね。
だからこれね、あれだよ、仏さんの説書をしろって、本当に説書をしろっていうわけではないんですよね。
だからこれね、意味としては仏教の教えとか、権威だとか、先生だとか、自分の祖先だとか、
そういうもの、自分自身の内にある執着、既成概念にとらわれないで、
真の主体性を確立しろと。
だからこの悟りを開くためには、そんな余計なことを考えるんじゃない。
例えば、仏さん、仏陀が言ったからっていう、こんなものに寄りかかるんじゃない。
先生が言ったから、そんなものに寄りかかるんじゃない。
こういう感じなんですね。本当に説書をしろってわけじゃないですよ。
修行者が執着して寄りかかっているものがね、聖なるものだったり、
悲壮の自己像だったり、祖先であったり、お父さんお母さんであったとしても、
悟りの妨げになるんであれば、偽物として徹底的に自分から排除しろよと。
こういう感じなんですね。これは能が作り出した、自分という一貫した物語ですね。
これ物語ですからね。能は物語で作ってますからね。
これを強引にバチンとシャットアウトさせると。
強制停止させると。
こういう衝撃的な療法とも言えるわけですね。
自分殺しをやった後に残る無一物、執着すべきものは何一つない空の状態ですね。
これが真の覚醒の入り口というふうになるわけですね。
これはもう完全に悟りの手前よね。
次は中世ヨーロッパに移動しますけども、神秘思想家ですね。
十字架の聖ヨハネが説いた魂の暗夜というのがあるんですけども、
これもまた自分の徹底的な破壊の流れを説いているわけですね。
神様との合一ですね。神様と一体化するために、
前に修行者は感覚的な喜びだけではなくて、
精神的な支えや自己認識さえも全て奪われて、
深い絶望と虚無の淵に突き落とされるというわけです。
どんな方法でやられるんだ、これ。
心理学者のガール・ユングはこの状態をエゴが自分ですね、
自己ですね、セルフに屈服して古い人格が死ぬ儀式として解釈をしていたんですね。
現代社会においてこの魂の暗夜が隠されたままになっているのは、
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それが鬱病とか精神疾患と混同されやすい。
社会にとってそれはよろしくない対象になっちゃうんですね。
これね、私も分かるんですよ。
初めて自分のクソな部分だとか情けない部分だとか、
カソな部分だとかバカな部分だとか、これを全部認め切った時ですね、
2週間誰とも喋りたくなかったし、ご飯も喉通らなかったですからね。
これね、よく分かりますね、本当に。
で、はい、お次はですね、古代エジプトでもですね、
オシリス神の使徒ですね、復活ですね。
これもまた試練の象徴ということですね。
オシリスはですね、弟、セトによって肉体をバラバラに切断されるんですね。
これはですね、何も本当にバラバラにされたんじゃないですね。
我々がですね、社会的に形成した偽りの自分というですね、
それを一度粉々に解体すると、これを実は意味しているということですね。
そういう意味での使徒復活なんですね。
復活と言いながらも、元の自分に戻ってパワーアップして、
っていうような感じかな、イメージそんな感じですね。
で、またね、シュメールの女神イナンナがですね、
冥界に降りる際にですね、7つの門でですね、
自らの権威の象徴である王冠とか衣服だとかを一つずつ剥ぎ取られて、
最後には肉をフックに吊るされて死んだというね、この神話ですね。
これもですね、同様なんですね。
だからこの偽りの領域で身につけたものはですね、
服屋に指輪でね、肉体までもですね、捨てされと、
こういうちょっと過激なことを言っているんですね。
これらね、古代の儀式だとか物語がですね、
現代に伝えられない理由っていうのはですね、
こういった衝撃がですね、あまりに強すぎるため、
準備が整わない人がですね、行ってしまうと、
本当に自我の崩壊を招く危機性があるからなんですよね。
なので、このね、現代科学がですね、自我の死ですね、
エゴ・デスっていうね、エゴ、エゴ&デスですね、デスは死ですね。
自我の死として研究されているですね、こういった現象はですね、
生きながらに体験する主観的な死、自分だけが感じる死とも言えるわけですね。
で、哲学の領域ではですね、ニーチェがですね、
この価値の前天観っていう言葉でですね、
偽りの自分を殺す過激な思想を説いてますね。
彼は古い価値観に従って生きる自分っていうのをですね、
家畜とかラクダに例えたんですね。
死死として破壊して、家畜やラクダに乗っかってないで死死となって破壊して、
最終的に子供のような無垢な想像を作り出す、生み出すということですね、
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に迎えなさいと、こういうふうに説いたわけですね。
ニーチェはですね、自らを焼き尽くそうと発せなければならないと。
まず灰になっていなくて、どうして新しくなり得ようかと。
こういうわけですね。
もうね、鉄人たちはすごい、もう本当に遠慮なく突きつけてきますね。
だからこれらはですね、社会的な道徳とかステレオタイプに埋没したですね、
末人ですね、末人っていうのは末の人ですね、としての自分を殺害して、
自らの意思でですね、新たな価値創造をする超人への脱皮を促しているということです。
これね、みんなね、皆さんね、愛を持ってね、言ってるんですよ、本当に。
ただ過激なだけじゃないんですよ、これめちゃくちゃ愛がありますね。
なんで、これら破壊が強調される教えはですね、単なる暴力性じゃないんですね。
逆の視点から見たらさ、こんな過激な破壊の推奨っていうのも、
推奨するのはなぜかと、こんな過激な言い方するのよ、みんな。
そのぐらい偽りの自分が強いからなんだよ。
その証拠なんですよ、これは。
だからね、生物学的な防衛本能っていうのは変化っていうのを死と同一死しちゃうんですよね。
なので生ぬるい改善、アップデートを選択してですね、
古い自分の応援するに新しい知識をチュッと入れただけでですね、現状を維持しようとしちゃうんですよ。
女神カーリーが恐ろしい姿で描かれるのはですね、残酷さからではないんですよね。
自分に対する嘘や誤魔化し、虚職を一切許さない、究極の慈愛の表現だからなんですよ。
この辺はお不動産、不動明王も同様だなと思いますね。
だから偽りの自分を殺すということはですね、自分本来の命を解放するためにですね、
実はとっても素直で誠実な自分に対する救済、救いの形だったりもするという、本日はそんなお話でございましたということで、
今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。
破壊オールスターズのお話でございました。
明日からはまたちょっと違う話にしようかなということで、また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。