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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
人間の器、人の器っていうのはですね、心の容量とか、許容範囲とか、こういったものを指す言葉として使われているのかなぁと思うんですけども、
器っていうのは、自分の価値観とか、知識とか、経験とか、思い込みとか、こういったものによって形作られているんですね。
それによって、自分自身のですね、世界の見え方や行動の幅とかね、付き合う人たちとかね、現実っていうものが変わってきたり決まってきたりするかなと思うわけですよ。
まあ、器が小さいと、例えばね、些細のことで動揺したりとか、自分以外の他者を受け入れることができずに、なんかストレスにね、苛まされたりもしますけども、
器が大きかったら、いろんな出来事や人をですね、まさに包み込んでね、穏やかで豊かな人生を送れるのかなぁなんて思うわけですね。
だから人がね、自分の器を広げるにはどうしたらいいのかなっていうところなんですけども、まずはね、やっぱり新しい経験をね、積極的に取り入れるってこと大事かなと思いますね。
とにかく、自分が体験をしていく、経験をしていく、それがどういうものなんだか知っていくということなんですね。
だから日常のルーティンっていうものの中で、どうしてもやっぱり生きがち、縛られがちですから、そうではなくて、例えば旅したり、異なる文化触れたりとか、普段避けているようなもの、見なかったもの、聞かなかったもの、食べなかったもの、こういったものにですね、触れていくということは大事なのかなと思いますよね。
世界を知るってのが大事なのね。だって経験っていうのは、器の壁をね、クッと押し広げて視野を拡大することができるんですよ。
例えば、海外でね、言葉が通じない状況に置かれちゃったりなんかするとですね、自分の常識が通用しないってこと、これも痛感しますしね、それでもどうにかしようとね、すればですね、創意工夫したりだとか、なんとか頑張ってですね、やり遂げようとするわけですね。
だから柔軟な思考とか、根っこじゃなければならないじゃなくて、他のことを試すようになったりもしますからね。だからね、旅なんかはめちゃめちゃいいかなと思いますよね。
だから、次はね、やっぱり深い学びっていうのが大事かなと思いますね。知識の蓄積ですね。これもあんまり、溜め込んだらどうだっていう話もあるんですけどね。
でも、深い学びっていうのは、深い問いかけだとか、そういったことも含まれますよね。だから、読書とか対話とか、専門的な勉強だとかね、これは第三者っていうのも大事ですけども、自分っていうことも大事なんですけどね。
で、いろんな人たちの考え方とか歴史とか科学とかね、そういうことをね、知ってるかってことですね。
多様性が叫ばれてますけどね、読書って結構手取り早いなと思ってて、他種多様の人たちの見識とか知性にね、触れられるでしょう。だからね、手取り早いななんていうふうに思うわけですよね。
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で、知識っていうのは、器のね、底の面積を増やすんじゃないかなと思ってるわけですね。物事を多角的に捉えることができるようになるわけですよ。知ってる分だけね。
特に自分と異なる意見や意見を持つ人とかね、本とかね、そういうことで触れたりだとか読んだりとかすると、自分の思い込みがね、あのちょっと柔らかくなったりだとか、器の硬さが取れたりとか、そんなこともあったりしますよね。
で、3番目としてみれば、やっぱり今までもずっといっぱいお話してますけど、自己内政とかね、感情の整理なんですね。
日記を書いたり、瞑想したりとかね、して自分の反応パターンっていうのをね、観察するわけです。
怒りとか不安の原因を掘り下げて、本質的なものなのかそれとも過去の思い込みかとか、こういうことを問い続けたりだとか、その答えをやっぱり探るということですね。
奥深さっていうのは、自分が奥深い質問を投げかけて、自分の奥底にある答えをね、どれだけ導いたりとか、外に出したりとかできるかっていうところを、
繋がってるような気がするわけよ。なので、ここの部分はやっぱり習慣化してる人と、全然やってない人とでは器っていうのが全然変わってくるのかなーなんていうふうにも思うわけです。
で、最近はですね、あちこちでやっぱりね、この話してるんですけど、自分なりの哲学っすよね。
自分はなぜ生まれてきたんだろうとか、自分って何なんだろうとか、何を持って自分なんだろうとか、何をしたくて何をしにこの世に来たんだとか、
自分はどんな時に生まれてきてよかったっていうふうに思えてるのかなとか、今まで経験した嫌なこととか辛かったことは、なぜ自分を選んで起きたんだろうとか、それを経て何を得たんだろう、何を捨てたんだろう、こういうことですね。
こういったもの、永遠に答えは出ないものもあるでしょう。また出たとしても答えは更新され続けるのが哲学だったりするんですね。
人は各々ですね、この哲学を持っているか考えもしないのかで、本質的な器っていうのが決まってくるのかなと思いますよね。
だから、またね、この哲学っていうのはその人が生きる上でもの美学にもなるかなとも思うんですね。
他にもね、細かくとか深くとかいろいろとありますけども、以上が代表的なところで、こんなもので人の器っていうのは構成されるのかなというふうに思いますよね。
ところが、器を広げれば広げるほどですね、皮肉にも自由が失われていく側面があるのも事実なんですね。
なぜかというと、器っていうのはね、境界線そのものなんですよ。
知識が増えたらね、こうあるべきっていう基準が生まれちゃうし、経験が積み重なったらね、今まではこうだったからっていうワークができるし、
思い込みなんか強まったらね、自分はこういう人間だっていうですね、固着したアイデンティティみたいなふうにね、
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自己印象とかね、そういうものに自己認識になっちゃうんですよね。
だからその結果ね、器の外にある未知とか矛盾とかをね、拒絶したりとかね、抵抗をしたりするんですね。
だから、やっぱり心が窮屈になるっていうところもあったりするわけですよ。
愛を信じれば信じるほど刹那への抵抗を、自由にこだわれば不自由への苛立ちを感じていくわけですよね。
だから実は器が大きくなっても壁がある限りですね、完全な自由ってのは得られないんですね。
だからこそ真の自由を得るには何するかというと、器自体をなくす、境界を消すということなんです。
これは特にね、中年期以降は有効な段階なのかなとも感じますね。
若い頃はね、器を広げることで成長するんですね。
だけど人生の折り返し点を過ぎてくるとですね、器の限界を知ったりだとか、自分らしさという鎧があったりしたら、これが息苦しくなったりする時期が訪れたりするからなんですよ。
だからそんなことを感じるようになってくると、器を外す準備が整うのね。
それでなくすにはどうするかというとですね、まずね、これまで得た全ての知識や経験をですね、
仮のもの、俺の場合、私の場合はこうだったんだなっていうね、そういう感じの捉え直しをするんですね。
だから自分がこれまでどんなに深い学びを得たとしてもですね、絶対的自由なのかは微妙。
今この瞬間、一時的な視点に過ぎないなっていうふうに認めればいいのかなというふうに思うわけですね。
だから言ってること変わってって当たり前ですから、人は成長すればね。
ただこれ邪魔するのがサンクコスト効果というね、心理が邪魔したりするわけですね。
一生懸命頑張ったものを信じ込んでしまうみたいな心理ですね。
で、全てはですね、仮説、俺の場合はこうだっただけみたいなふうに捉えられるようになるとですね、
知識への執着が薄れたりとか、心が軽くなったりとかっていうことが起こったりするわけですね。
で、次にですね、信じてきた思い込みを手放すっていうので、やっぱソクラテスの無知の地ですよね。
だから自分はまだ何も知らねえんだなっていう、だから知る姿勢を持とうみたいな、こういうことを心がけるわけですね。
だから議論で勝とうとか、そういうのではなくてですね、相手の言葉だとか本に書いてることを一旦素直に受け取ろうということですね。
素直に受け取った上で、自分の立場、今の位置っていうのを相対化させる、確認をするっていうことですね。
若い方は感性も豊かだしさ、凝り固まった自分が見つけ出せなかった部分をキャッチできたりとかするわけですよ。
だからちょっと習うわけですね。自分が無知だと思っていれば、例えば若い方見ててもですね、その輝く感性に感動できたりとか、
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新たな視点、得られるものってあったりするんですよね。
で、最も重要なのは日々の手放しの習慣なんですね。特にね、中年期以降はいかにシンプルにしていくかってことも大事なんですよ。
これは物質的なものとかよりも、僕はどちらかというとやっぱ内面的なものの方が本当に大きいなと思っていてですね。
ただ瞑想とか座禅はよく言われてますよね。
だから思考とか感情感でもつかまずに流れていくままに任せてみる、そのままにしてみるってことですね。
また過去の経験に縛られずにね、未来への期待も持たない。
今この瞬間にただあること、いることだけ、ここにフォーカスするんですね。
善の言葉で言う無我の境地に近づいていくということになるんですけども、
中年期以降からこのようなことを始めるのは最適だなと思うわけですよ。
なぜなら十分に器を持っているからなのよ。
若い頃に器をなくそうとしても空っぽになるだけなんですよね。
何もないから。
でも豊かな経験とか知識とかを土台にすると、手放しても崩れないもの、なくならないものっていうのがあるんですね。
だから20代から30代は増やすこと、得ること、体験することが大事。
それがその年代の器の作り方なんですね。
でも中年期以降は十分な器が備わっていますから、むしろ器がなくなった先に全てのものを等しく受け入れられる純粋な自由っていうのが広がったりもするわけですね。
ないと言ってもそこがあるから受け入れられるし、受け入れられるから自由度が広がるということなんですけどね。
器を広げるのは成長の過程なんですよ。
ところが先ほども言ったように年代によってその器の形っていうのも色も質も違ったりもします。
勤めてどっかのタイミングから器をなくしていくというのは、人間的にも成熟の極みなのかなというふうにも思います。
最終的に目指すのは境界のない、壁のない心なわけですよね。
その境地に達して始めて他者と自分とか成功とか失敗とか生と死の区別がどんどんどんどんなくなって溶けてくるんですね。
ただあるがままここに私はいるだけという、こういう世界が広がったりなんかするんですよと、本日はこんなお話でございました。
難しかったからね。だから年代によってで構わないのかなと思うわけですよ。
一時期は大事なのは色々と本を読むのも大事だしね、色んなこと大事なんですよ。
でもそこに固執してダメよっていうね、そんなフェーズもあるよと、そういうことでもあるんです。
ということでまた明日お会いしましょうね。それではバイバイ。