はまようちえんの卒園式も、いろいろ長年かけて変えてきたんですけども、
いろんな幼稚園に比べて、とてもラフな感じに見えるんじゃないかなと思います。
もちろん、フォーマルな制服などがないので、子どもたちは普段遊んでいる、そのままの姿で来てくれています。
卒園式ということで、中には靴下を新しくしてもらったりとか、靴を新しく買ってもらったりとか、
そういうのは自己申告してくれるんですよね、僕に。
これ買ってもらったとか、昨日買いに行ったとか、と言ってくれる子どもたちもいます。
でもほとんどが、そういう子も全身はTシャツと短パンは普段のドロンコになって遊んでいる服装のままですね。
Tシャツなんかも、言えば晴れの日なのですけども、その晴れの日に新品を着てくるという考えもあると思うんですけど、
ほとんどの人たちが、もう卒園しますからね、新品買うということはないと思うんですけど、
それにしても胸のマークが完全に消えているTシャツとかで着てくれているんですね。
そういった5年間、ゼロ歳から来たら5年間、5歳で1年間しかいなかった子どもたち、
1年もいなかった田園から転園してきた人も今年はいたので、
そんな人たちも毎日着ている擦り切れたTシャツでこの卒園式を迎えてくれるというのは、
僕たちにとってはとても嬉しいですね。
普段通り、普段通りの姿を見てもらうということでいいと思っています。
ビシッとね、昔は卒園証書をもらうスタイルもかっこよくしようとか、
お辞儀も何回登る前、壇上に登る前、壇上じゃないけど、
うちの場合は足踏み台みたいなところですけど、
足踏み台に登る前に一礼、登って一礼みたいな。
右手出して左手出して、証書もらってお辞儀して、
右脇に抱えてみたいな、そんなことを教えていた時代もあるんですけど、
果たしてそれが必要か?
そうして何回も練習をして子どもたちの時間を奪って、
それが楽しいかな、子どもたちにとって。
意味あるかなというところを考えますね。
誰のためにそういったスタイルの卒園式をしているんだろう。
そういう証書のもらい方とか歩き方とか、
席に座っている時はビシッと背筋を伸ばして、
背筋が曲がったらダメ、かっこ悪いよ、背筋ピンとね、かっこよくね、みたいな。
それは誰のためなんでしょう、本当に子どものためなんかなという問いがあって、
今のスタイルになっている。
そうしたスタイルを保護者の皆様が理解していただいて、
教恩の式は拍手がすごく大きかったですね。
それが嬉しかったです。
そのようにして子どもたちをたたえてくださいました。
本当にありがたいことですね。
うちのスタイルはそのようにしてラフな形で、
子どもたちには必要以上の規律とか格好良さとかを求めないようにしている。
そうするとどういうことが起きるかというと、
今年の子どもたちは例年だと卒園式の練習に行くよと、それでも練習はするんですよ。
練習はするんだけど、練習に行くよと言うと、えーという感じになるそうです。
僕は直接知らないけど、
今日スタッフの振り返りでですね、長年長の担当しているスタッフから聞くところによると、
今年の子どもたちは卒園式の練習を楽しいと言って行って帰ってくるというのを、
家族の先生、残っているスタッフが聞くということがあるというふうに言っていましたね。
それが何よりだなと思うんですよ。
卒園式も楽しくなくちゃ意味ない。子どもにとって意味ないと思うんですよ。
苦痛しかないとかやりたくないというのは、それは意味がないなと思っています。
一部長時間に耐えられない子どもたちもいるけど、
それも自然な姿でそれは耐えられへんやろうなというところですよね。
ですが小学校になると
そういう丁寧に小さなこと
あの子がどうしたとかこの子がどうしたとか
これが嫌だったとかということに丁寧に関わって
もらう時間は少なくなる
圧倒的に少なくなると思いますね
それは保護者の方も理解していると思う
ある意味幼稚園というのは本当に安心安全
絶対的な安心安全の下に
自分で挑戦できる小さな危険なことがあって
冒険心や好奇心が満たされて
そして自己有能感が育っていく場です
そういった楽園
時に子どもたちの三口悪いという言い方をしますけども
本当にそういう自分らしく振る舞って
大きな怪我
命に関わるような大きな怪我さえしなければ
小さな怪我をたくさんしながら体験の中から学んでいく
そういうことが大事だとはまようちえんは思っているんですね
今これからこの幼稚園の港
安心の港内海から大海原に出港していくわけですよね
内海 陸から見ていて見える範囲内で遊んでいた子どもたちが
今度は大きい家出て
だんだん陸地から見えなくなる場所に旅立っていくというか
出かけるわけですね
それが成長ですし
いつまでも親の庇護のもとにいるわけにはいかないですよね
それが目指す自立でありますし成長である
それをいきなりではなくて
だんだん成長させていく
だんだん自立させていく
だんだん手を離していく
目を離していく
という段階を経て人は成長していくんだと思いますけども
幼稚園から小学校に上がるときには
もう幼稚園のように見てもらえないからねっていうのはある程度
保護者の方はそこは諦めというか腹をくくるというか
そういうもんだという認識でいると思うんですけども
最近はナーサリーをやり始めてから
ナーサリーのときには手厚く見てもらえたのに
幼稚園に上がるとたちまち見てもらえなくなるという声をよく聞く
よく聞くってたまに聞く
その声が大きくなってきた増えてきたが
という気を捉えて
先月かな
ナーサリーの家族懇談ではその話をさせていただきましたけども
今日は今年少の方が年中になったら
新しい年少が入ってくるので
自分の子供が年中になったら
先生たちは新しい年少の方に手がかかって
年中になった自分の子を見てもらえないんじゃないかという不安がある
と言っている人がいて
何なんでしょうねという感じですけどね
それは
そのようにして徐々に大人の監視家大人の被護から育っていくのが子どもであり
教育であり育ちであると思っているんですね
いつまでも同じように見守られている中で
安心安全を他者に委ねて
これでやってもいいかな
危ない危なかったら危ないって言ってもらえるかな
そういう他者に依存した生き方を助長するような
そんなやり方は浜井ちゃんはしません
ナーサリーの時は手厚く見て
ゼロサイの時は手厚く見て
012345と上がっていくにつれてどんどん目を離していく
そしてもちろん目を離すということは放置することではないですから
それは理解の中で子ども理解の中でこういう体験をしてほしい
だからここではこういう遊び方をするのは全然大丈夫
浜井家園の中には資格がたくさんありますね
資格のな資格にナーサリーの子どもだけが資格で遊んでいるというのは
それはやっちゃダメなことですよね
でも3歳の1学期はちょっと見守っておこうか
2学期でだいたい分かり始めてきたらいいだろうとか
この子はいいけどこの子はちょっと見えないところに行くと危険かもねとか
そういうことをスタッフ全員で一人一人を理解しながら対応しているんですね
そこを親が信じられない時々いるところがそれについて
じゃあ見ますねってではなくて
子どもというのはこういう存在でそのようにして見守られていたら
自立ができないし依存的になるし
そして親の顔色大人の顔色ばかり見るようになる可能性がある
萎縮してしまうで冒険心とか好奇心とかというのは開いていかない
本来子どもが持っている力が伸びないということにつながると私たちは思っている
ご家庭の方針でそうも思えないという方がはまようちえんに来るとしんどいので
ですからはまようちえんでは入園説明会の時にそのように申し上げている
全員を完全に見るということではないということですね
子どもを信じるということです
子どもは弱い存在であるから大人が完全に守らなくちゃいけないとは思わない
子どもは何をやってはいけないかとかどこからどこまでが危険かとかいうことはある一定分かる
それを自分の判断で回避したり引き受けたり
時には戦ったりする理不尽さとか子どもの中で自分がこうだと思ったのに違うようなことがあって
そして生き通るみたいなこと
そういった経験から学ぶことが多いので
そういった経験を通して他者との関係を学んだりとか振る舞いを身につけたりするわけで
それを年に上がるにつれてそれなりのコミュニケーション能力とか
人間関係対人能力をつけていってほしいというのが狙いですよね
そこをそういった方に分かっていただくっていうのは
なかなか何度も何度も申し上げないといけない
何度も何度も対話しないといけないと思いますけどね
今までも過去にもずっとやってきたことなので
数は本当に少ないんですけどもやっぱりそれだけの入園説明会しているので
でもやっぱり中には心配で心配で仕方がないっていうのは過去にもありましたし今にもある
全部見てないと全部私の思いの中で思いを私の思いを実現してほしい
っていうのをやっぱり幼稚園に言われる方はいらっしゃるので数少ないですけども
そこは多様としてですね
今日卒園した子どもたちの保護者に対しては本当に理解していただいて
この学年にそういった要望の方っていうのはいらっしゃらなかったので
そして本当に素晴らしい子どもたちでよく遊びよく考えてきた
そんな子どもたちに僕たちは選択するっていうことを知って大切にしてきた
自分がどうしたいのかっていうことを聞いてきた
どう思うかっていうことを聞いてきた
常にこれはどうしたらいいと思う今どんなことを思っている
それは何だろう何だろうと思う
それはどうしてっていうのを対話してきたんですね子どもたちと
ですからこれからもはまようちえんでそのように大人が接してきたことを続けてほしいというふうに保護者には言いました
伝わったかな
あなたはどうしたいのっていうことですよね
僕はこうしたい私はこうしようと思ってたということを聞いてあげてほしい
保護者の方には自分の人生を生きるということですね
子どもたちも子どもたちの人生を生きる保護者の方も自分の人生を生きる
自分の人生を生きているお父さんお母さんの姿を見て子どもたちは学んでいく
口であれしなさいこれしなさいって自分がねなんかだらだらした生活をしてたりとか
なんか目標なくなんか惰性で生きているような感じだったら
でそしてあれしなさいこれしなさいって言われても子どもは納得いかないと思うんですよね
大人として親としてというより一人の人として子どもも一人の人として生きている
そういった関係の中で生き様を見せていく
その生き様が子どもを育てていくということだと思っています
立派であろうとか正しくあろうとかかっこよくあろうとか
そういうことを目指してほしいと言ってるわけではなくて
誠実に生きるというかフェアに生きるというか
騙すような生き方自分を騙すような生き方をしないということかなと思いますけど
自分に正直にだからお父さんはこう思うお母さんはこう思うという
自分はこう思うということを子どもにも言っていけばいいんじゃないかなというふうなことですね
あなたのために思って言っているというよりも私はこれが嫌私はこれが好き
お父さんはこれが好きお母さんはこれが好きこれが嫌いということを言う
であなたはどう考えるって君はどう考えるのっていうことを問いかけるということを
これからもやっていってほしいなというふうに思っています