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  2. #027 第72回卒園式
2026-03-20 33:52

#027 第72回卒園式

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2026年3月20日春分の日は、第72回卒園式でした。はまようの卒園式のスタイル、僕が保護者に伝えたことをお話しします。

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サマリー

3月20日、はまようちえんでは第72回卒園式が挙行され、63名の園児が巣立ちました。はまようちえんの卒園式は、フォーマルな制服もなく、子どもたちが普段通りの姿で参加するラフなスタイルが特徴です。これは、大人目線の「かっこよさ」や「規律」を求めるのではなく、子どもたちが卒園式を心から楽しみ、意味のある体験とすることを重視する教育方針に基づいています。 幼稚園では、子どもたちが「自分で選ぶ」「やりたいことをやる」という主体性を尊重し、成功も失敗も経験しながら自ら責任を取ることを学びます。大人はその過程で、子どもたちの考えに寄り添い、対話を通じて成長を促します。卒園は、安心安全な「内海」から「大海原」へと旅立つようなものであり、小学校以降は手厚い見守りが減ることを保護者にも伝えています。過度な保護は子どもの自立を妨げ、依存的になる可能性があるため、徐々に手を離し、子ども自身の力を信じることが重要だと説きます。 保護者に対しては、子どもたちの「どうしたいか」「どう思うか」を問いかけ、自分の人生を誠実に生きる姿を見せることの重要性をメッセージとして伝えました。はまようちえんで培われた「自分で選択し、結果を引き受ける」力を持つ子どもたちは、小学校に進んでも自分の思いを持って生きていけると、その成長に大きな信頼を寄せています。この節目をもって、今年度の活動が無事に終了したことへの感謝と、来年度への展望が語られました。

オープニングと卒園式の報告
ラジオ版今日もはまようび。 私になる、僕になる、食うのも走る人生。
この番組は、はまようちえんの62歳のチーフディレクターでトレールランナーのハタが、
幼児教育とランニングに満ちた毎日の中で、今、語りたいと思ったことを気軽にお話しする番組です。
僕の経験や考え、そしてささやかな挑戦が、聞いてくださる誰かの心に少しでも響いてくれたらいいなと思ってお届けします。
どうぞありこりしながら、お気軽にお聞きください。
3月20日、金曜日、旬分の日です。 時刻は16時30分です。
休日、いかがお過ごしでしょうか。
本日、はまようちえんでは卒園式、第72回卒園式が挙行されました。
63名の卒園児が無事、はまようちえんを育っていきました。
本日ご卒園された子どもたち、おめでとうございます。
保護者の皆さん、本当におめでとうございます。
はまようちえんの卒園式スタイルとその哲学
はまようちえんの卒園式も、いろいろ長年かけて変えてきたんですけども、
いろんな幼稚園に比べて、とてもラフな感じに見えるんじゃないかなと思います。
もちろん、フォーマルな制服などがないので、子どもたちは普段遊んでいる、そのままの姿で来てくれています。
卒園式ということで、中には靴下を新しくしてもらったりとか、靴を新しく買ってもらったりとか、
そういうのは自己申告してくれるんですよね、僕に。
これ買ってもらったとか、昨日買いに行ったとか、と言ってくれる子どもたちもいます。
でもほとんどが、そういう子も全身はTシャツと短パンは普段のドロンコになって遊んでいる服装のままですね。
Tシャツなんかも、言えば晴れの日なのですけども、その晴れの日に新品を着てくるという考えもあると思うんですけど、
ほとんどの人たちが、もう卒園しますからね、新品買うということはないと思うんですけど、
それにしても胸のマークが完全に消えているTシャツとかで着てくれているんですね。
そういった5年間、ゼロ歳から来たら5年間、5歳で1年間しかいなかった子どもたち、
1年もいなかった田園から転園してきた人も今年はいたので、
そんな人たちも毎日着ている擦り切れたTシャツでこの卒園式を迎えてくれるというのは、
僕たちにとってはとても嬉しいですね。
普段通り、普段通りの姿を見てもらうということでいいと思っています。
ビシッとね、昔は卒園証書をもらうスタイルもかっこよくしようとか、
お辞儀も何回登る前、壇上に登る前、壇上じゃないけど、
うちの場合は足踏み台みたいなところですけど、
足踏み台に登る前に一礼、登って一礼みたいな。
右手出して左手出して、証書もらってお辞儀して、
右脇に抱えてみたいな、そんなことを教えていた時代もあるんですけど、
果たしてそれが必要か?
そうして何回も練習をして子どもたちの時間を奪って、
それが楽しいかな、子どもたちにとって。
意味あるかなというところを考えますね。
誰のためにそういったスタイルの卒園式をしているんだろう。
そういう証書のもらい方とか歩き方とか、
席に座っている時はビシッと背筋を伸ばして、
背筋が曲がったらダメ、かっこ悪いよ、背筋ピンとね、かっこよくね、みたいな。
それは誰のためなんでしょう、本当に子どものためなんかなという問いがあって、
今のスタイルになっている。
そうしたスタイルを保護者の皆様が理解していただいて、
教恩の式は拍手がすごく大きかったですね。
それが嬉しかったです。
そのようにして子どもたちをたたえてくださいました。
本当にありがたいことですね。
うちのスタイルはそのようにしてラフな形で、
子どもたちには必要以上の規律とか格好良さとかを求めないようにしている。
そうするとどういうことが起きるかというと、
今年の子どもたちは例年だと卒園式の練習に行くよと、それでも練習はするんですよ。
練習はするんだけど、練習に行くよと言うと、えーという感じになるそうです。
僕は直接知らないけど、
今日スタッフの振り返りでですね、長年長の担当しているスタッフから聞くところによると、
今年の子どもたちは卒園式の練習を楽しいと言って行って帰ってくるというのを、
家族の先生、残っているスタッフが聞くということがあるというふうに言っていましたね。
それが何よりだなと思うんですよ。
卒園式も楽しくなくちゃ意味ない。子どもにとって意味ないと思うんですよ。
苦痛しかないとかやりたくないというのは、それは意味がないなと思っています。
一部長時間に耐えられない子どもたちもいるけど、
それも自然な姿でそれは耐えられへんやろうなというところですよね。
子どもの適応能力と幼稚園の役割
その子たちが出は出は2週間後、小学校に行きます。
小学校の入学式で大変な子どもたちと混じって小学校の入学式に出ますけども、
突出して明らかにはまようちえんの子どもたちが行儀が悪いとか態度が悪いとかいうわけではないですよね。
その小学校のスタイルを感知してきちんとしようとする。
もちろん服装も全然違うので雰囲気が違う場所が変わる小学校に行くというその段差を
子どもたちは感知して、ここはもう幼稚園じゃないから隣にちょっかい出したりとかペチャクチャお話したりとか
入学式の時にしてはいけないというのはそんなことはわかっているんですよ。
それを小学校に行った時に困るから幼稚園の卒園式でピシッとすることを練習する。
その準備をするみたいな考え方はうちにはない。
そんなことをしなくたって子どもたちは小学校という変わった場、その場は幼稚園と違うということをわかっているので
幼稚園と同じようにしていてはダメだということはわかっているので
どうすればいいかということを考えればわかること、考えなくても感知する。
そして自然とできると思うんですね。
そういうことを信じていればいいだけの話だと思うので
幼稚園の卒園式が大人がびっくりするように
大人はそのビシッとした直立不動に立つ45度で挨拶するとか
正しい手順で証書をもらうとか
5歳の子どもがあんなに何もできなかった5歳の子どもが
若子がそんなスタイルで堂々と卒園することに喜び出るんですね。
喜ぶところはそこかと疑問を持つのがはまようちえんですね。
喜ぶところはそこではなく
今目の前にいる子どもたちのこれまでの履歴ですね。
今日1日のこの卒園式の姿にすべてが欠実して
ビシッとした隙のない態度でいられることが育ちだとは思わない。
むしろなんでそんなことをせなあかんのって聞ける子どもであってほしいし
今日まさに一人の女の子女児が小学校にそのまま行けたらいいのにこんなことしなくったって
卒園式をしなくったって小学校にそのまま行けたらいいのにって言ってたっていう
それもおもろいなっていう
そういう考えもあるなって思うわけですよね僕たちは
なるほど確かにみたいな
だけど一区切りとしてこういった式っていうのはやっぱり
僕たちは残しているんですね
ただその残している仕方のスタイルはずっと変えてきて
今のようなラフなスタイルにしている
はまようちえんの教育理念:選択と経験
セリフを覚えることもなく
今歌は3曲だったのかな
歌は3曲楽しく歌えるでしょう
それだけですよ今まで様々なことをやってきましたけどね
それは誰のためなんていうところが一番大事にしています
そういった子どもの育ちを式の後に
僕が1年間撮りだめてきた写真をスライドショーにして
今日はBGMの都合で33分か
570枚ぐらいですねスライドにすると570枚ぐらいのスライドを33分かけて
保護者の方に見ていただきました
はまようちえんの春夏秋冬で
今年の卒園児たちの4月から3月までの様々な姿を写真で見ていただきました
そこに育ちが見えます
見てもらえたらなと思っています
子どもたちの素敵なもちろん笑っている
満面の笑顔で笑っている表情もあれば困っている表情のものもあるし
ぼーっとしているように見えるようなものもあるし
何か考え事をしているようなシーンもあるし
そういう京都市はなかったですけども
時には喧嘩しているシーンなんかも入れますね
そういったことをこの守られた幼稚園の中で散々やってきた
その日常が大事だと思っています
日常の直接体験が大事
やってやられた体験
その中で
今日保護者の方にお話したのは一つだけ
はまようちえんでやってきたことは
子どもたちが自分で選ぶということ
やりたいことを選ぶ
やれるものを選ぶ
楽しそうと思ったことをやってみる
それをやってきたと言いました
やらされていない
やりたいやりたくないということが保障される
楽しんでやれるものだけ取り組む
楽しんでやるものだけを取り組むと
やらなければならないことをやらなくなるんじゃないですかって言われるんですね
幼稚園時代はそれでいいと思っています
本当に楽しいこと
何かを取り組んで楽しめること
生きていると楽しいなという
そういう実感
それをまず幼少期に持ってないと
どのようにして未来やこの先に向かって
楽しみにして成長することを楽しみにできるかと思うんですよね
ですから幼児期までは
とにかくしたいことだけをするということを大事にしています
自分で決める
自分で選択したものをやる
その結果はうまくいく時もあるしうまくいかない時もある
それを自分で責任を取るというか体験する
うまくいかなかった時になんでうまくいかなかったんだろうなって
一緒に考える大人がそばにいる
それが幼稚園時代でしたね
小学校への移行と保護者の役割
ですが小学校になると
そういう丁寧に小さなこと
あの子がどうしたとかこの子がどうしたとか
これが嫌だったとかということに丁寧に関わって
もらう時間は少なくなる
圧倒的に少なくなると思いますね
それは保護者の方も理解していると思う
ある意味幼稚園というのは本当に安心安全
絶対的な安心安全の下に
自分で挑戦できる小さな危険なことがあって
冒険心や好奇心が満たされて
そして自己有能感が育っていく場です
そういった楽園
時に子どもたちの三口悪いという言い方をしますけども
本当にそういう自分らしく振る舞って
大きな怪我
命に関わるような大きな怪我さえしなければ
小さな怪我をたくさんしながら体験の中から学んでいく
そういうことが大事だとはまようちえんは思っているんですね
今これからこの幼稚園の港
安心の港内海から大海原に出港していくわけですよね
内海 陸から見ていて見える範囲内で遊んでいた子どもたちが
今度は大きい家出て
だんだん陸地から見えなくなる場所に旅立っていくというか
出かけるわけですね
それが成長ですし
いつまでも親の庇護のもとにいるわけにはいかないですよね
それが目指す自立でありますし成長である
それをいきなりではなくて
だんだん成長させていく
だんだん自立させていく
だんだん手を離していく
目を離していく
という段階を経て人は成長していくんだと思いますけども
幼稚園から小学校に上がるときには
もう幼稚園のように見てもらえないからねっていうのはある程度
保護者の方はそこは諦めというか腹をくくるというか
そういうもんだという認識でいると思うんですけども
最近はナーサリーをやり始めてから
ナーサリーのときには手厚く見てもらえたのに
幼稚園に上がるとたちまち見てもらえなくなるという声をよく聞く
よく聞くってたまに聞く
その声が大きくなってきた増えてきたが
という気を捉えて
先月かな
ナーサリーの家族懇談ではその話をさせていただきましたけども
今日は今年少の方が年中になったら
新しい年少が入ってくるので
自分の子供が年中になったら
先生たちは新しい年少の方に手がかかって
年中になった自分の子を見てもらえないんじゃないかという不安がある
と言っている人がいて
何なんでしょうねという感じですけどね
それは
そのようにして徐々に大人の監視家大人の被護から育っていくのが子どもであり
教育であり育ちであると思っているんですね
いつまでも同じように見守られている中で
安心安全を他者に委ねて
これでやってもいいかな
危ない危なかったら危ないって言ってもらえるかな
そういう他者に依存した生き方を助長するような
そんなやり方は浜井ちゃんはしません
ナーサリーの時は手厚く見て
ゼロサイの時は手厚く見て
012345と上がっていくにつれてどんどん目を離していく
そしてもちろん目を離すということは放置することではないですから
それは理解の中で子ども理解の中でこういう体験をしてほしい
だからここではこういう遊び方をするのは全然大丈夫
浜井家園の中には資格がたくさんありますね
資格のな資格にナーサリーの子どもだけが資格で遊んでいるというのは
それはやっちゃダメなことですよね
でも3歳の1学期はちょっと見守っておこうか
2学期でだいたい分かり始めてきたらいいだろうとか
この子はいいけどこの子はちょっと見えないところに行くと危険かもねとか
そういうことをスタッフ全員で一人一人を理解しながら対応しているんですね
そこを親が信じられない時々いるところがそれについて
じゃあ見ますねってではなくて
子どもというのはこういう存在でそのようにして見守られていたら
自立ができないし依存的になるし
そして親の顔色大人の顔色ばかり見るようになる可能性がある
萎縮してしまうで冒険心とか好奇心とかというのは開いていかない
本来子どもが持っている力が伸びないということにつながると私たちは思っている
ご家庭の方針でそうも思えないという方がはまようちえんに来るとしんどいので
ですからはまようちえんでは入園説明会の時にそのように申し上げている
全員を完全に見るということではないということですね
子どもを信じるということです
子どもは弱い存在であるから大人が完全に守らなくちゃいけないとは思わない
子どもは何をやってはいけないかとかどこからどこまでが危険かとかいうことはある一定分かる
それを自分の判断で回避したり引き受けたり
時には戦ったりする理不尽さとか子どもの中で自分がこうだと思ったのに違うようなことがあって
そして生き通るみたいなこと
そういった経験から学ぶことが多いので
そういった経験を通して他者との関係を学んだりとか振る舞いを身につけたりするわけで
それを年に上がるにつれてそれなりのコミュニケーション能力とか
人間関係対人能力をつけていってほしいというのが狙いですよね
そこをそういった方に分かっていただくっていうのは
なかなか何度も何度も申し上げないといけない
何度も何度も対話しないといけないと思いますけどね
今までも過去にもずっとやってきたことなので
数は本当に少ないんですけどもやっぱりそれだけの入園説明会しているので
でもやっぱり中には心配で心配で仕方がないっていうのは過去にもありましたし今にもある
全部見てないと全部私の思いの中で思いを私の思いを実現してほしい
っていうのをやっぱり幼稚園に言われる方はいらっしゃるので数少ないですけども
そこは多様としてですね
今日卒園した子どもたちの保護者に対しては本当に理解していただいて
この学年にそういった要望の方っていうのはいらっしゃらなかったので
そして本当に素晴らしい子どもたちでよく遊びよく考えてきた
そんな子どもたちに僕たちは選択するっていうことを知って大切にしてきた
自分がどうしたいのかっていうことを聞いてきた
どう思うかっていうことを聞いてきた
常にこれはどうしたらいいと思う今どんなことを思っている
それは何だろう何だろうと思う
それはどうしてっていうのを対話してきたんですね子どもたちと
ですからこれからもはまようちえんでそのように大人が接してきたことを続けてほしいというふうに保護者には言いました
伝わったかな
あなたはどうしたいのっていうことですよね
僕はこうしたい私はこうしようと思ってたということを聞いてあげてほしい
保護者の方には自分の人生を生きるということですね
子どもたちも子どもたちの人生を生きる保護者の方も自分の人生を生きる
自分の人生を生きているお父さんお母さんの姿を見て子どもたちは学んでいく
口であれしなさいこれしなさいって自分がねなんかだらだらした生活をしてたりとか
なんか目標なくなんか惰性で生きているような感じだったら
でそしてあれしなさいこれしなさいって言われても子どもは納得いかないと思うんですよね
大人として親としてというより一人の人として子どもも一人の人として生きている
そういった関係の中で生き様を見せていく
その生き様が子どもを育てていくということだと思っています
立派であろうとか正しくあろうとかかっこよくあろうとか
そういうことを目指してほしいと言ってるわけではなくて
誠実に生きるというかフェアに生きるというか
騙すような生き方自分を騙すような生き方をしないということかなと思いますけど
自分に正直にだからお父さんはこう思うお母さんはこう思うという
自分はこう思うということを子どもにも言っていけばいいんじゃないかなというふうなことですね
あなたのために思って言っているというよりも私はこれが嫌私はこれが好き
お父さんはこれが好きお母さんはこれが好きこれが嫌いということを言う
であなたはどう考えるって君はどう考えるのっていうことを問いかけるということを
これからもやっていってほしいなというふうに思っています
卒園児への信頼と今後のメッセージ
花間幼稚園の子どもたち親に向けてのメッセージは大丈夫ですよ
これまでこれだけ力強い人生の最初の幼稚園学校でこれだけ力強いスタートを切って
いろいろ揉まれながら様々な体験しながら
自分で選択して自分で引き受けて結果を引き受けて生きてきた彼らですから
小学校に行っても自分の思いを持って生きていけるんじゃないかなと思っています
まさに今日も卒園児の保護者の方から上の花間幼稚園の卒園児のお子さんがいる方から
最近あんまり学校行きてないんですよねそうなんですね
でも自分の思いをしっかり持っているというのが分かるんです
なので安心しているとまでは言わなかったけどもちろん不安はあると思いますけど
学校あんまり行けないというのは
でもその子を学校行けないということを授与して
でもこういう思いを持って今行きたくないねっていうことが
多分お母さんは共有されてるんだろうなと思う
でその思いを尊重してあるっていうところでそれについて
やっぱり浜よ出てるから自分の思いをしっかり持ってるっていう風におっしゃっていただける
そういう風におっしゃっていただける方はよくいるんですけど
僕も僕たちも大丈夫やでっていう
今はそういう時期じゃないっていう
そんな軽々しくは言いませんけど
そんな口先で慰めてるような言い方はしませんけど
今日は卒園する保護者の方に向けて
だからこれだけ揉まれてきたというか体験してきた
様々なことを体験してきた子どもたちだからこれからも大丈夫ですよ
ただしそうやって自分で選ぶということを尊重してほしいし
どうしたいのっていうことを問いかけていく
どう思うのということを問いかけていく
ということをやっていただければなという風にメッセージを少しだけお伝えしました
これから先のメッセージはポッドキャストでお聞きくださいということを言いましたけど
どれだけの人が聞いてくれるんだろうというところですか
でも聞いてますよって言ってくださる方ももちろんお声掛けいただいたので
ありがたいなと思います
これで1年間無事に終わりました
今年も終わりました
こうやって区切りがつくのがこの仕事の特徴ですね
良さなのか良さと言えると思うんですけどね
終わりなき仕事をしてた身にすると
こうやって1年ごとにリセット
自分の気持ちはね自分の気持ちをリセットして新しいチームになって
今年もって言えるかな
今年もって言えるかもしれないけど
数名の退職者が来て出て
数名の入職者がいます
中には戻ってくる人も数名いて
一旦外に出て働いて
外の世界を見てまた戻ってくるっていう方もスタッフも数名います
新卒は一人ですね
その新卒は卒園児なんですけども
それも僕にとっては
はいすいません
ではそういうところで今日は終わりたいと思います
お聞きいただきありがとうございます
ではさようなら
33:52

コメント

最後の「それも僕にとっては」のところで音声がバグっていますが、これは電話が入ってきたためです。そうして中断されると、自動でこのように回収されることがわかりました。 ここで言ったのは、僕にとってこの新卒は、僕がはじめてもった園児、つまり僕にとってはじめての僕がようちえん時代をしっている人なんです。 ということを言いましたが、システム側で削られています。これからはどうすればいいのか調べなくちゃですね。

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