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こんにちは。言葉とアートで人の心を導く 英語指導メンタリストそしてライトワーカーアーティストの はじめ先生です。
このチャンネルでは、心の在り方を整えることによって 英語力や人生を劇的に好転させる秘訣についてお伝えしています。
今日のテーマは、剥がれ落ちるものは負わなくていい 足し算よりもろ過が幸せの鍵
というお話です。
先日ですね、うちの教室に併設されているというか、 同じ場所にある私の経営する占いの館、浜松易船艦というのをやってるんですけど、
そこにですね、2人の若い女性がね、官邸にいらっしゃいました。
お2人とも本当にね、若くて、今度社会人になるぐらいの年齢で、 うちの娘とそう変わらないような年なんですけれども、
その相談内容はね、両方とも人間関係に関することだったんですね。
官邸の内容なんで、ここであまり詳しく話すことは差し控えさせていただくんですが、
お2人に共通する課題というのは何だったかというと、
自分たちからすると、ちょっと非常識な行動をする人に対して、 自分はどうすればいいのかというようなお話だったんですよね。
身近にちょっと困った行動をする人がいる。
あるいは、自分がしてほしくないようなことをしてしまう人がいる。
なんだけど、その人は自分たちの友達のグループの中にいる人であり、
中学生ぐらいの時からのずっと付き合いがある人たちなので、
なかなかそのことを荒らせるというか、きっぱりと何か相手に言いにくいとか、
自分の中に不満があってもそれを相手にぶつけられないんです、みたいな感じのお話だったんですね。
で、その占いの官邸なので、占いもやりながらですね、いろんなお話をさせていただいたんですけれども、
お話を聞きながらね、自分としては、そういえば確かに昔自分もそんな風に考えていた時期があったかなぁ、
なんてことをぼんやりと思い出したんですね。
でも、裏を返すと今、それほどそういうことで悩まなくなっているなぁ、なんていうふうに思ったんですが、
これもよくよく思い出してみると、私たちがですね、たとえば中学生ぐらいまでの時って、
本当にこう、ありとあらゆる人がね、ありとあらゆるタイプの人がごったにになったようにして、
一つの集団になっていますよね。
めちゃめちゃ頭のいい人もいれば、そうでない人もいたり、めちゃめちゃスポーツができる人がいれば、そうでない人もいっぱいいたり、
まあ本当に、ありとあらゆるタイプの人がいたりするわけじゃないですか。
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で、そういったその中学生ぐらいの時にできた人間関係というのは、やっぱりその中にすごくいろんないろんなタイプの人がいて、
そういう人間関係が最初に作られるのって、誰とお弁当を一緒に食べるかとか、誰とランチを一緒に食べるかとかね、
誰と休み時間を過ごすかとか、そういうことだと思うんですよ。
で、その自分の居場所づくりみたいなところから始まった人間関係なので、
最大の恐怖は自分の居場所をなくすということなんだと思うんですが、
その二人の関係にこられた女性というのは、そういったメンタリティのままで、
今もその人間関係を継続しているというところだと思うんですよね。
だけど大人の立場から言わせていただくと、
別にそんなに嫌だったら、もうその人別に一緒にいなくてよくないってめちゃめちゃシンプルに思っちゃったわけです。
だけどやっぱりその若い世代にしてみると、
昔からのグループの中で自分が浮いてしまうわけにいかないとか、
そのグループの中のある特定の人に対して意を唱えるということが、
なかなか難しいんだろうなということをふと思ったんですよね。
でも考えてみたら、そういうありとあらゆるタイプの人がいる人間関係って、
実は中学校ぐらいの時までで、これが高校に進学すると、
学力レベルみたいなところで一定層に分かれるというか、あるいはろ過されていくというか、
周りにいる人の中である層の人たちと一緒にいるようになって、
また高校から例えば大学に行ったとすると、またそこである種ろ過をされて、
またより近質化したような人間関係になっていくわけですよね。
例えば大学での専門みたいなものがあると、やっぱりそういった専門を志す人が周りに集まってくるわけで、
そうなってみると、中学生の時にいたような、こんな人もいたよねみたいな人が絶対に周りにいなくなっちゃったりするじゃないですか。
就職すれば下で、例えばエンジニアさんになれば周りにエンジニアみたいな人が多くなるだろうし、
教育関係に行けば教育関係の人しか触れ合わなくなってくるわけですよね。
そういった中でもまた本当に心を通わせられる人がいるかというと、それはまたそうではなかったりするわけですよ。
中にはSNSの友達の方が自分が心を通わせることができるということもあったりするわけです。
なので僕はその若い女の子たちに、女の子としても二十歳ぐらいなので女の子なんて言っちゃいけないかもしれませんが、
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その女の人たちに言ったのは、今日のタイトルでもある剥がれ落ちるものを追わなくてもいいんですよというふうに言ってあげたんですよね。
そもそも自動的にだんだんだんだんに人間関係というのも老化されていって、
あるいって自分のとある程度同じような話ができるような人たちと一緒になっていくような環境がより強くなっていくと思うんですよ。
もちろんその中にもいろんな人がいるけど、それの中でもまた同じ趣味や関心によってまたそこで老化されていくみたいな形で、
あまりごちゃごちゃしなくてもしばらくすれば消えていくような人っていっぱいいるんですよね。
だからそれを無理して追わなくてもいいのかなというふうに思ってそういうふうに伝えたんですが、
でもなんでこの若い人たちがそういったことで苦しむのかというふうに考えたら、
やっぱり日本の根底にある誰とでも仲良くとか友達100人できるからみたいな、そういった思想であるとか、
その無言の圧力みたいなものに息苦しさを感じている人が多いんだろうなというふうに思ったんですね。
実はその2人の相談者さんの1人に直感的に外国の匂いを感じたんですよね。
なのでその人に向かって、たぶん何々さんは日本にいるより海外にいた方が楽なタイプだと思いますというふうに言ったら、
すごいびっくりしたような顔をしていて、実は私ハーフなんですと。
言われてみればちょっとエキゾチックな顔をしているねという感じで、
ある国の国籍、違う国籍のご両親のうちのどっちかを持つ、
といういわゆるハーフの方だったらしいんですが、
その関係である一定期間日本でない国にいたらしいんですよね。
それで日本に戻ってきたら、何なんだろうこの息苦しさは、
何なんだろうこの謎ルールはみたいなところにひどく驚いて、
なんかもう面倒くさとかと思ったっていうんですよね。
なんかこの剥がれ落とすようなことをしてはいけない。
剥がれ落ちたものは全部拾わなきゃいけないみたいな、
そういう無言の圧力みたいなものを感じていたらしいんですね。
それって悪いことばっかりでもなくて、
気まじめさというか、ある種理想主義的なところがあるんだと思うんですけれども、
本当は自然にしていれば剥がれ落ちていくものを何とかつなぎ止めようとする。
それをしなきゃいけないような気持ちにさせられてしまっているという、
私たちがなかなか自覚して感じることのできない日本社会の独特の感覚というのは、
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相対的なものだというふうに認識していいと思うんですよね。
それが絶対的な価値観なんじゃない。
剥がれ落ちるものはそのまま放っておいて、
本当に居心地のいい人とだけいればいいじゃんという、
それがもっともっと当たり前になってもいいのかなというふうに思うんですよね。
なんていうのか、日本ってね、
もったいない精神って言ってさ、
やっぱり捨てるのが悪みたいな感じがするじゃない、どっかね。
だけどやっぱりそれは、
さなぎが美しい蝶々になろうとした時に、
古い皮はやっぱり脱ぎ捨てるじゃないですか。
せっかくこの新たな姿になって飛び立とうという時に、
古い皮を一緒に持って来るとしないですもんね。
だからやっぱり剥がれ落ちるものは拾わなくていい。
そして本当に自分にとって人生に必要なものは、
自然と老化されて残っていくんだというふうなことをお伝えしたんですが、
だいぶそれで気が楽になったようでした。
ついつい人間関係だけでなくてですね、
いろんな自分のやらなければいけないと思っていることとかですね、
終わらなければいけないと思っている責任とか、
そういったものも実は結構剥がれ落ちそうになっているものだったら、
そのまま剥がれ落としていったらいいのかもしれないけど、
自分が執着しているということも結構あったりしますよね。
皆さんもそういうことありませんかね。
もし何か思いつくところがあったらコメントをいただけたらと思います。