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こんにちは。 気づくと人生が変わってしまう
易者の英語指導室のはじめ先生です。 このチャンネルでは英語教師で易者、さらに画家と経営者という多面的な視点を通じて
固まった常識や思考の枠をゆるっと外し、 あなたの人生をもっと面白くするヒントをお伝えします。
今日のテーマは ジムで泳いでいて生きるとは何かを考えた
英語教師の思考回路というお話です。 以前の放送で僕の普段のジム通いを
夜から昼に変えたというお話をしました。 昨日も昼間にジムに行ってきたんです。
昨日はちょっと遅めに行きました。 夕方の3時半くらいからですかね。
前にお昼頃に行ったらもう結構人がいて、 僕はいつも水泳をやるんですけどもプールのレーンも混んでいたんですが
昨日はなんか空いていてですね。 プールのレーンも一人で泳げるということで非常にストレスなくですね。
思うように泳げてとても良かったですね。 僕は水泳に関しては
小学校の頃にちょっと先生について教わったぐらいな感じなんですけども いろんな運動種目の中では敢えて自分からやろうと思える数少ないものの一つですね。
今となればもうそれぐらいしかやらないんで唯一と言ってもいいかもしれないんですけれども
水泳の良さというのはやっぱり水の中にいる心地良さ。 僕はこれに尽きるかなと思います。
水の中にいる時の音ですね。 ちょっと別世界になったような
独特の雰囲気。あれが僕なんかめちゃめちゃ好きなんですよね。 かといってバリバリの水泳部みたいにすごくたくさん泳ぐということが好きなわけでもないし
まあそんなにできるわけでもないです。 とにかく優雅に泳ぐということが好きなんですよね。
優雅に泳ぐということを楽しんでいるという感じでしょうかね。 泳いでいる時ってやっぱり呼吸のことをすごく考えるんですよね。
これまあ多分走っている方なんかもそうだと思うんですけど 水の中にいる時ってやっぱり呼吸ができないじゃないですか。
だからその呼吸のリズムとか タイミングとか呼吸の長さとかそういったものをすごく意識させられるんですよね。
たまに何かタイミングが合わなくなっちゃったり、あるいはちょっと口に水が入っちゃったりして 呼吸がうまくできなかった時なんてもう途端に苦しくなったりして、
あるいはせき込んでしまったりとかですね。 まあ本当にあの呼吸というのが人間にとって
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一番大事なものなんだなぁというのを感じることになるわけですね。
生きるという言葉は息をするという言葉と重なっています。 これは漢字を当てると生きるは生命の生で息は自分の字に心と書きますよね。
でもこれ多分山と言葉的には別れてなかったんじゃないのかなと思うんですよね。
今漢字を当てているから生きると息というのは違ったものとして捉えているけれども 多分ねあの山と言葉的には同じルーツだと思うんですよね。
まあ同じルーツというかまあ今でも同じなんだと思うんだけど漢字を当てているから 違ったものに見えているっていうことだと思うんですよ。
これと同じようなことって英語のレッスンをやっていてもふと気づかされるんですよね。
英語の単語ってめちゃめちゃいろんな意味があったりして 覚えるのが大変だなぁと思ったりしませんかね。
特に基本的な単語の方がめちゃめちゃたくさんの用法があるので なんなんだろうって思っちゃうと思うんですけれども
実はそういった単語様々な意味があるようで格になる意味 これをコアミーニングって言いますけどコアミーニングがあってそれを捉えると意外と捉えやすくなったりするわけです。
例えばあの中学校で習ったテイクって言葉がありますね。
あの単語のいろんな意味を習った時に例えば テイクアピクチュアルとか使いますよね。写真を撮るとかね。
あと例えばテイクアデイアフだと休みを撮るという意味になりますね。
それから
テイクメディスン薬を飲むとかね。 タクシーに乗る時にはテイクアタクシーとか言ったりしますよね。
ちょっと昼寝するなんていうのはテイクアナップなんて言ったりします。 で今言った中で最初の2つ写真を撮る
っていうのと 休みを撮るっていうのは同じ撮るという言葉ですよね。
これ漢字で書くと写真を撮る時には 撮影の冊という字ですね。
で 休みを撮る時には取得の種という字になりますね。
薬を飲むという時は薬を摂取するなんて言い方もできて
その摂取の摂という字を使って取るというような栄養を取るなんていう時には摂取の摂を使ったりしますね。
で昼寝するという時にもまあ睡眠を取るという言い方をしますが実はこれらやっぱり全部
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ヤマト言葉のひらがなの取るで包括的に捉えられやすい言葉ですよね。
漢字でいろいろ分けるといろんな取るがあるけども私たちはヤマト言葉として取るって言った時に
まず基本的にあの手で取るという手で何かを自分が求めて 選択して自分のものとするというそんなニュアンスを無意識に
感じ取りながら使っているんだと思うんですよね。こういうふうにあのある言語 では一つの単語として共通で用いられているんだけれども
別の言語になるとそのそれぞれの表現が別の単語で表されるということがあったりするわけですね。
ちょっと別の例で言うと英語で私っていうとまあほぼほぼ 愛っていうことで言えてしまうではないですか。
これ外国人が日本語を学ぶときにやっぱりハードルになるのが日本語が一人称が多いってことなんですよね。
私という場合もあるし私という場合もあるし あたしっていうのもあるよねちょっと昭和かな
で男性だったら僕という言い方もあるし俺という言い方もあるし ヤラノンさんじゃないけど
ワガハイっていう人もいますよね
オイラという人もいますねビートタケシカ あとまあ方言ですけどウチウチって言ったりしますよね
まあ方言から見ればオイドンっていう人もいますね 男性で自分のことを自分と呼ぶ人もいますね
でよく考えてみるとこのどの言葉を使っているかによってその人が自分をどういう ふうに扱っているかそして他人にどういう印象を与えたいかっていうところがこの一人称
の付け方にも現れているので これはめちゃめちゃ高度な話ですよね
しかも同じ人が場面によってその一人称を使い分けていたりするわけでこれは 日本語を学ぶ外国人にとってはめちゃめちゃハードルが高い話ですよね
それを英語で一語で愛で言えてしまうという この辺のねなんかこの言語の面白さ
だとあの水泳とかってねこう習慣的にやるものだと思うんですけどこの習慣の州 という習うという字ですね
この意味のなんていうかな広がりと英語のプラクティスって言葉これは練習とかいろんな 意味を持ちますけどこれの音意味の広がりが似ているんですよ
英語のそのさっき言ったプラクティスっていうのは 練習という意味もあるし習慣という意味もあったりあるいは
実践という言葉もあったりねまあこの実践という言葉あんまり プラクティスの意味で知ってる人いないかもしれないですけど何かし仕事上の実践
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みたいなところでよく使われたりするからなんかお医者さんとかね まあお医者さんだけじゃないんだろうけどでこのプラクティスの根底にあるもの
練習 週間
習慣と同じ習わしもそうですね これに共通する習うという単語がありますね
でこの習うって何だろうと思うとこれ多分ねもともと繰り返しやることなんだと思うん ですよね
毎日毎日繰り返しを行うことは習慣になったり それが文化的に行われるようになると監修になったり習わしになったり
そして物事を習う時には繰り返し繰り返しやっぱりやりますよね そして繰り返し繰り返し日々やっていることがその人が仕事となり習うなりワイとして
やっている実践になっていったりするんだと思うんですけれども 今度はその日本語の習うという言葉を見たときにこれ感じにするとまた学習の
習という習うもあるし 模倣の方という習うもありますよね
で実はこの習うというのは多分繰り返し何かをすることによって自分の求めた結果を得る というのが語源だと思うんですよね
でこの習うという動詞のこの習って言うのかな これから多分来ているのがその土地を習すというのもこれが同じだと思うし
動物を飼いならすとか 自分が何かに慣れるというその慣れるというのはこの場合は
新しい環境になれるみたいな 要するに何か繰り返ししていくことで
動物を手名付けて自分の望んだ状態にする でこぼこのものを何度も何度も踏み固めることによって平らな望んだ状態にする
とかまぁあるいは自分が慣れない環境に日々日々 自分を適応させることをすることによって自分のとそこを適応させる
こんな意味があるんじゃないのかなと思うんですね 水泳のあの呼吸の話から十分話が飛びましたけれども
普段言葉を使っている人の頭の中はこんなことを考えているんですよ これでもね面白いんですよこういうことを考えていると
どうのようにしてそのような言葉が出てきたかっていうねこういうところを探っ ていくと
なんかその言葉を紡ぎ出した時のそのエネルギーというかその昔の人が持っていた その言葉に対する思いまあ言霊みたいなものを感じることができてね面白いんじゃないのかなと思います
はいというわけで今日のお話いかがだしたでしょうかね面白かったよという方はいいねや コメントそしてフォローをお願いいたします
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ok that's it for today thank you for listening andhave a great day