1. GreenFielder@LISTEN
  2. 娘のこと。
娘のこと。
2026-04-25 37:53

娘のこと。

1 Mention 6 Comments

LISTENリリース3周年、おめでとうございます。

 

今回は「娘」について語ってみました。

春に力強く咲く菜の花のように生きて欲しい。

そんな思いが伝わっているのかいないのか。

親心をよそに、娘は成長してくれています。

 

カバー・アートは娘が昨年夏に娘が訪米した際に撮影した写真をAIで水彩画タッチにしたもの。

(ニューヨーク、National 9.11 Memorial & Museumにて)

そして以下の写真はコロナ中に娘のバトンダンスの写真を水彩画で描いたもの。

話に出てくる娘の中学受験に関する記事はコチラ。

娘の中学受験が終わりました。 - 山と写真と毎日と

 

今回は「春のつながりっすん2026」に参加させて頂きました。

主催のハタモトさん、きりさん、ひろひろしさん、機会を頂きありがとうございました。

そして、前日の配信番組はコチラ。

そして同日配信番組はコチラ。

#つながりっすん

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、語り手がLISTENのイベント「春のつながりLISTEN」への参加をきっかけに、自身の娘について語ります。娘は東日本大震災を経験した後に食道閉鎖症という病気を抱えながらも、数度の手術を乗り越え、現在は元気に成長しています。アメリカでの幼稚園生活や、人種差別的な経験、バトンダンスでの笑顔の輝き、そして中学受験の苦労と合格の喜びまで、娘の成長の軌跡を振り返り、その強さと健気さを称えています。最後に、15歳の誕生日を迎えた娘への祝福のメッセージで締めくくられています。

春のつながりLISTENへの参加と紹介
こんばんは、GreenFielderです。
今回、私は初めての試みとして、LISTENのイベントですね、「春のつながりっすん」に参加することにしました。
かなり勇気を振り絞って、参加申し込みをポチりましたよ。
今回の「春のつながりっすん」のおすすめテーマが、「春の色と香り」ということになっています。
私の配信枠は、4月26日、つながりっすんの最終日ですね。
その前後に配信する皆さんを紹介させていただきますと、
まず前日、4月25日には、おニューのわら人形さんの「4流のろくおんぶ」と、
きりさんの「ネリネ楽団の声日誌」の2つのエピソードが配信されていて、
私と同じ日には、水城真琴さんの「推し活二次元LIFEラジオ」のエピソードが配信される予定です。
まず、おニューのわら人形さん、通称わらさんということで、
アメリカンナイトGOLDという番組のプロデューサーという立場で、
番組を制作されていらっしゃいますけど、私にとってはですね、
わらさんといえば「4流のろくおんぶ」のわらさんの印象が大きいですね。
昨年末にですね、アドベントカレンダーにアップされていた
アメリカンナイトGOLDの特別回を聴く機会がありまして、
私が声日記でそのエピソードについてちょっと言及してしゃべったところ、
わらさんからですね、声日記で応じてもらえたというのがありまして、
これがですね、とっても嬉しくて、
ちょっと当時、日本への一時帰国の途中だったんですけど、すごく嬉しくて、
ついまたそれに対して応じるような声日記をアップしたのを今も覚えています。
で、あれ以来ですね、なんとなくますますLISTENにはまり込んでしまった感じですね。
次に「ネリネ楽団の声日誌」ですけども、この番組名とか、きりさんというお名前はですね、
LISTENのいろいろな私の聞いているエピソード番組によく登場してたんですけども、
実は聞き始めたのは最近です。きりさんすいません。
聞き始めるとですね、きりさんのこの番組って日々の出来事を話されていて、
聞いてるとですね、とっても心が整って穏やかな気持ちになれるんですよね。
で、実はいつも睡眠導入剤のように寝る前に聞かせていただいてたんですけど、
で、ある日ある夜ですね、このネリネ楽団の声日誌のエピソードをいくつかアプリにダウンロードして、
で、連続再生モードにしてですね、聞き始めてベッドに横になってたら、寝落ちしちゃいまして。
で、翌日気づいたら急にポーンとバッジが飛んできて、リスナー認定されてしまいまして、
ちょっとこの時はですね、寝落ちして後半ほとんどのエピソードを聞いてないのに、
リスナー認定されてちょっと申し訳ない気分になりました。
で、最後に推し活二次元LIFEラジオですけれども、
実はこの番組は今回のつながりっすんの登録番組を見て初めて知りました。
なので、これから少しずつ聞いていくという感じになります。
で、ちょっと拝聴したエピソードの中で、どうもポッドキャスト研究室っていう番組も結構聞いてらっしゃるようなので、
そこもですね、私と共通点かなと思って何かの縁を感じますので、
以後こちらの推し活二次元LIFEラジオも少しずつですけれども聴かせてていただこうと思っています。
さて、本題に入ります。
娘の誕生と食道閉鎖症
私がつながりっすんに登録をしたときに、タイトルを娘のことということにして、
説明の言葉として、春生まれの娘のこと、名前の由来など話してみようかなと書かせていただきました。
私にはですね、大学3年生の息子と中学3年生の娘の2人の子供がいまして、
4月19日が娘の誕生日で、今回15歳になりました。
ちょうどつながりっすんの開催期間が近かったので、ちょうど娘の誕生日と春というのが組み合わさって、
これはちょっと娘の振り返ってですね、娘に対してのちょっと思いを話してみるっていうのにはいい機会だなと思って、
これはちょっと自分のためなんですけど、それでちょっと娘のことを話してみようかなと思いました。
娘はですね、2011年の4月19日生まれです。
生まれる直前にはですね、妻のお腹にいるときに東日本大震災を経験しています。
当時私は広島県内で仕事をしていて、出産を控えた妻と息子はちょうどそのときですね、神奈川県の実家に寄生していました。
地震発生のそのときには、妻と息子の2人は横浜駅東口のデパートで被災して、
当然公共交通機関は全部止まってしまっていたんですけれども、2人とも実家に帰れなくなって、
本人たちもちょっとさまよいかけていたみたいなんですけど、
たまたまですね、横浜駅近くに住む会社の先輩に連絡がつきまして、
その方の家に歩いて行ってですね、歩いても30分ぐらいかかるんですけど、
そこに歩いて行って一晩泊めていただいたということがありました。
そんな震災をお腹の中で経験しつつ、娘は妻のお腹の中で大きくなっていったんですけれども、
震災後すぐにですね、妻のお腹の羊水がどんどん増えていく。
お腹がパンパンに張るという症状が出てきたんですね。
その後妻が広島県の方に帰ってきて、近くの病院で検査をしましたところ、
どうもお腹の中の子が食道閉鎖症の可能性があるという診断をされたんです。
食道閉鎖症というのは、生まれつき食道と胃がつながっていない先天性の病気なんです。
食道と胃が物理的につながっていないから、
お腹の中の赤ちゃんというのは、口から羊水を飲み込んでということをするんですけれども、
その口から羊水を飲み込むということができなくて、
臍の緒から取り込まれた栄養素の排泄物の分だけ、羊水がどんどん増えていくという形で循環できないということで、
羊水が増えてお腹がパンパンに張るということから判明する病気なんですね。
食道閉鎖症を持つ子どもというのは、出産するとすぐに食道と胃をつなぐ手術をしなければいけなくて、
その手術ができるところということで、広島市内にある広島県立病院というところに転院しました。
その病院で執刀医の先生から聞かれたのが、手術をするときに胸を開きますか、それとも脇から開きましょうかという質問だったんですね。
どういうことかというと、手術をするためにどこかを開いて、食道と胃のところにアクセスする必要があるんですけど、
当然その胃と食道ということであれば、胸の正面を開くのが一番アクセスしやすい方法なんですけれども、
ただ胸を開いた場合に傷跡が残るんですよね。
一方で脇を開くという意味は、アクセスするときに開く場所が胸の脇側なので、そうすると傷跡が目立たないということなんですね。
特に女の子の赤ちゃんの場合は、脇から開く場合が多いんですというふうに執刀医の先生から教えてもらったんです。
脇からだと、脇を開いて食道と胃の場所にアクセスするためには肋骨が邪魔なので、肋骨を何本か取り外さなきゃいけないということではあったんですけれども、
娘の将来を考えると、胸の正面に大きな傷跡が残るというのはちょっとなと思って、私は迷わず脇からでお願いしますというふうに執刀医の先生にお願いしました。
出産後翌日ぐらいかな、手術が確か8時間ぐらいはかかったと思います。
手術が無事に終わって、娘が手術室から出てきたんですけれども、体中にセンサーとか管とかいろんなものがついた状態。
いろんなところに包帯とかそんなものが巻かれているという状態で出てきたんです。
さらに手術後は口から食べるということができないので、お腹に細い管を通す穴を開けるんですよね。
胃に管を外から通して直接、ここから栄養を胃に直接流し込むというか取り込む。
これを胃ろうというんですけど、胃ろうもつけられた状態で手術室から出てきたという感じで、
この時は娘の姿を見て、無事に手術が成功したというのは喜びではあるんですけれども、
手術後の全身管だらけの娘の痛々しい姿があって、喜びとかわいそうという思いとすごく複雑な感情でした。
その後も娘は1回の手術だけではちょっとよろしくなくて、
食道と胃の縫合部、つないだ部分が結局すごく細くなってくびれてしまうような状態になるんですね。
それを防ぐためにそこを後から風船みたいなものを口から喉に入れて、
空気圧でそのくびれを広げていくという手術を娘の場合は2歳までに2回行っています。
だから最初の手術を含めると計3回手術したことになるんですね。
幸いというか先生方のおかげで手術も成功したんですけれども、
それでもまだ子供の頃は食べ物を口に入れてあまり噛まずに飲み込むと、
そのくびれた部分に突っかえて凹凸してしまうということが何度もありました。
ただそれも10歳頃まではその症状も一切出なくなって、
15歳の今となっては食道閉鎖症だったということが全く分からないほどになってくれています。
最初に出産直後の手術をなさった疾患医の先生、大津先生とおっしゃるんですけれども、
今でもこの先生のお名前を忘れることはありません。本当に感謝しかないです。
神奈川県にその後引っ越したんですけれども、その引っ越した先の病院で
その3回目の方向部を広げる手術を別の先生にもしてもらったんですけれども、
その広島の先生とこちらの神奈川の先生とすごく密に連携してくれて、
こちらの手術も無事に成功して、こちらの神奈川で手術していただいた先生にも
本当に心から感謝をしています。
娘が妻のお腹の中にいるときから食道閉鎖症だというのが分かっていて、
そこから生まれるまでの間は、私は家と病院の間を行き来するということが結構多かったんですね。
その往復の車の中からある日、道路の道端に菜の花がすごく力強く咲いているのを見たんですよね。
その菜の花のエネルギーをすごく感じて、このときに生まれてきてすぐに手術をしなければいけない、
とても大きな手術をしなければいけない娘に、今後ぜひ力強く生きてほしいという思いが浮かんで、
娘の名前に菜の花の「菜」という漢字を使いたいと強く思ったんです。
それを妻に提案したら、実は長男の息子の方の命名のときには妻と揉めに揉めたんですけれども、
今回の娘に対する名前の提案をしたときは、一発でOKをもらうことができました。
妻とも同じ思いでいたのかなというふうに思います。
アメリカでの生活と怪我
ということで、私の娘の名前には菜の花の「菜」という漢字が使われています。
その後ですけれども、娘が4歳になる頃に、2015年の春だったんですけれども、
私の仕事の都合で家族でアメリカに渡ることになりました。
国の先はフロリダ州のオーランド、ディズニーワールドがあるあそこです。
娘はアメリカに渡るまでは英語に触れることは一切なかったんですけれども、
オーランドにはフルタイムの日本人学校というのはなかったんですね。
なので、いきなり地元の幼稚園に放り込みました。
我が家の子どもたち、息子もそうなんですけど、すごく環境適応能力が高いんですよね。ありがたいことに。
娘も幼稚園の英語生活に結構すぐに馴染んでくれて、
幼稚園レベルではあるんですけど、私よりもよっぽど発音の良い素晴らしい英語を話すようになってくれたんですよね。
今でもその当時の動画って保存してあるので見れるんですけど、
娘が英語を話す時の動画っていうのもあるんですけど、
本当ネイティブみたいに喋ってて、いまだにそれを見ると感心します。
ただですね、当時はオーランドではあまり話してくれなかったんですけども、
実は当時周りの友達、その友達って幼稚園から小学校に上がってもずっと持ち上がりでクラスメイトだったりしたんですけど、
そのお友達との人間関係に結構悩んでたみたいなんですよね。
私も妻も幼稚園には楽しそうに登園してたし、
家帰ってくるとお友達の話も結構するし、すっかり溶け込んでるんだろうと思い込んでたんですけど、
帰国してから数年経ってから、実は当時お友達との関係で悩んでたとか、
人種差別的なこともあったみたいなことをボソボソと話すようになって、
その時にすごく驚いたことを覚えてます。
今でもそうなんですけど、娘はとても平和主義者というか、
人間関係を抗てたくないというか、という感じで、
すごく人間関係に気を使う性格です。
ちょっと脱線しますけれど、娘はアメリカに渡ってから半年ちょっと後に、
すごい大怪我をしたんですよね。
皆さんご存知かわからないですけど、チックフィレっていうチキンハンバーガーのファーストフードの店があるんですけど、
そこの店の遊具施設で遊んでいたときに、
つまづいて近くにあった靴箱の角に額をガンと打ちつけて、
当時の周辺の人の話によると、その周辺が血だらけになるほどの大怪我だったみたいです。
でも妻は完全に気が動転してしまったんだけど、
そのとき一緒にお店にいたママ友とか、あとはお店の店員さんとかですね、
すごく手際よく応急処置とか救急車の手配とかやってくれたみたいです。
私がその一方を聞いて職場から救急病院に駆けつけたときには、
ちょうど娘の額にぶつけたところがバサッと割れてしまったところで、
それを病院で縫ってくれているところだったんですけど、
部分麻酔はしていったとはいえですね、
目の上で縫われていく様子を目の前で見るというのは本当にいたいたしかったです。
ただ病院も子ども用の救急病院で、
ちょうど縫っている場所のすぐ目の前にディスプレイがあって、
ディスプレイで流れているスポンジボブというアメリカでは有名なアニメがあって、
スポンジボブのアニメに釘付けで、あまり縫っているときの痛みは本人にはなかったみたいですね。
幸い前髪の生え際に近いところの横4センチぐらいだったんですかね、
真っ直ぐに切れた裂症になっていて、
ちょうど縫った後もそんなに目立たない。
しかも前髪で隠せる位置だったので、
これは食道閉鎖症の手術痕もそうなんですけど、
バトンダンスと笑顔
こちらの額の傷も将来目立たないという結果になって、
今もほとんど目立たなくなっています。
これは本人にとって将来のことを考えるととてもラッキーだったなと、
不幸中の幸いといいますか、だったなと思います。
ちなみに彼女は手術とか怪我とかにも結構耐性があるみたいなんですけど、
熱にも強くてですね、
彼女は結構40度近い熱とかが出ることがあるんですけど、
おでこを手で触るともうカンカンに熱いというような状態でも、
結構ケロリとしているということがあるんですよね。
そういう耐性がすごくて、私としては感心するしかありません。
2018年の夏に娘は日本に帰国して、今度は東京23区内に住むことになりました。
ここでもすぐ環境に適応して、友達もすぐできてという感じで、
地元のバトンダンスクラブに入ります。
バトンの扱いがうまい方ではなかったんですけどね。
うちの場合、両親も息子もですけど、器用な人間はいないので、
いたしかたないんですけれども。
でもバトンダンスの発表会とか、親が見れるイベントがあるじゃないですか。
そこで娘の演技を見ていると、娘の笑顔が他の一緒に演技している子どもたちよりも
飛び抜けて素敵な笑顔だったんですよね。
これは親バカなんですけれども。
でも娘の笑顔がバトンダンスの演技全体の雰囲気を明るくしてくれているように感じられて、
中学受験の挑戦と成長
おそらくその時の先生もそう思っていらっしゃったと思うんですよね。
その後、娘がそういうイベントの時に最前列で演技する機会が増えていったんですよ。
なのでこれはおそらく私の一人の親バカな印象というわけでもないのかなと思います。
ある日、娘が悩みを打ち明けてきたんですね。
自分の演技が全然上達しないということで、ちょっとふてくされ気味な時があったんですけど、
その時私はこう言いました。
あなたはね、その笑顔でいろんな人に笑顔と元気を与えられるんだから、それはもう十分すごい特技だよって言ってあげました。
実際に改めて当時の動画も見てみたんですけど、やっぱり娘の笑顔が一番素敵で、
それを娘に見せたら彼女もきっとそれを感じてくれたんじゃないかなと思っています。
本人的にもそこについては少し自分に自信を持てたんじゃないかなと想像しています。
そのせいかどうかわかりませんけど、娘は中学生になった今でも学校ではダンス部に入っていて、
さらに都内のヒップホップダンスクラブにも通っていて、
今でも時々アメリカにいる私のところに娘のダンス動画が妻から送られてきて、
それを見ながら私は娘の成長を感じています。
その後、小学校4年生頃から娘は塾へ通い始めました。
首都圏ではすごく中学受験が盛んで、娘もバトンダンスと両立しながら塾に通い始めたんですけど、
5年生の終わり頃からは流石に両立ができなくなって、
バトンダンスクラブを辞めて勉強を一本に集中するという日々が始まりました。
6年生になってからは本当に勉強に明け暮れる毎日で、
実は私は小・中・高・大と全て公立の学校に進んだ田舎者なんですね。
そんな私からすると、小学校の時からこんなに勉強しなきゃいけないの?って思う感じでした。
一方、妻は中学校からずっと私立育ちということもあって、
私はどっちかというとずっと公立でいいじゃないかというのに対して、
妻は私立の方がいいのよということで、
中学受験の必要性に関する意見は全く合わずという状態で、
でも娘自体がその周辺の友達の影響も受けて、
中学受験の方向に気持ちがかなり傾いてしまっていたので、
そこで私もそれを無理に反論して辞めさせるということもできず、
受け入れざるを得ないなという感じでした。
中学受験ってご存知の方いっぱいいらっしゃると思うんですけど、
子どもも本当に大変なんですけど、実は親も大変で、
6年生の夏合宿あたりからは、もう本当に受験戦争という言葉通りで、
親は塾で勉強しているときに食べるお弁当を用意しますと、
塾への送り迎えをしますと、
帰ってきて子どもが分からないというところを教えてあげなきゃいけないという感じで、
本当その期間は休まる暇はなかったですね。
娘の志望校を決めるときに、
これはと思う学校の見学会がいつあるかとか、どこであるかとか、
そういうのを全部調べて、特に人気校だったりすると、
その枠がすぐいっぱいになっちゃうんで、
それはもう募集オープンと同時にクリック合戦ですよ。
クリック合戦に勝って、その上で本人と一緒に学校へ行って見学してという感じで、
はっきり言って休日もずっと受験戦争が続くという感じでした。
娘は見学会で在籍している生徒さんが目がキラキラしててすごくかっこよかったみたいな感じで、
ここに行きたいということで第一志望を決めたんですけど、
それがまた超スーパー難関校で、
私個人的にはここはちょっと無理じゃないと、到底受かりそうにないんじゃないと思いつつも、
ただ娘がそうやって高いところを目指して勉強しておけば、
その他の学校の合格確率が上がるんじゃないかなと思っていました。
なので、そこをそのまま第一志望ということで家族で決めたんですけども、
実際はそうでもなかったですね。
結局第一志望の学校の合格確率って、塾で何回も申しを受けたんですけど、
どれだけ受けても合格確率が5割を上回るということが一回もなくて、
もう冬ぐらいになってきて娘もこんなに頑張ってるのになんでって言って何回も泣くことがありました。
私は慰め的なことで、これだけ一生懸命頑張って何かに挑戦しているということ自体がすごく大事なことだよって伝えてはいましたけど、
そんな慰めを言っても当時の娘には多分理解できなかったんだろうなと思います。
この中学受験の話は話し始めると長いので、
私が別に発信しているはてなブログの記事があるので、
それを概要欄に貼っておくのでちょっと読んでいただければ、
どんな中学受験の天末だったかっていうのはお分かりいただけるかなと思います。
結果としてはですね、第1希望から第4希望の学校4つ選んでいたんですけども、
その中で唯一第3希望の中学校にかろうじて合格することができました。
最初はですね、第1希望の学校を含めことごとく不合格で、ものすごく娘も動揺したんですけども、
そこで娘が強かったなと思うのは、一旦多分本人の中で、
ここは前がどうだったっていうのはもう考えないようにしようということで、
心を無にしてこの第3希望の学校の試験に挑んだんですよね。
で、第3希望のこの学校の合格っていうのが試験をしたその夜に出て、
その夜に合格をして、娘の顔からものすごい本当に久しぶりに満面の笑顔がこぼれたんですよね。
で、もうみんな家族中飛び上がって喜んで、その瞬間の情景は本当に今でも胸に焼き付いています。
実はですね、試験日程の最終日に第2希望の学校の試験を受けたんですけど、
これも残念ながら不合格でして、結果を知って娘は涙を流したんですけども、
また娘が気丈に振る舞ってですね、受験の慰労会ということで、
もともと予定していた読売ランドで、普段怖がって乗らないようなジェットコースターとか、
そういう絶叫マシーンにも果敢に挑戦して、きっと娘としてもいろいろもやもやしたものを
そういうことで切り替えようとしているんじゃないかなと思って、
その娘の姿はですね、とっても気投げに感じました。
そして、そんな受験戦争も経て、娘は晴れて入学した中学校に今とっても満足しているみたいで、
授業についていくのは結構大変みたいなんですけども、一応最低限の勉強はしてくれていて、
幸い中高一貫校なので、中3とは言いながら、今はもう学校の友達と遊びまくってます。
遊ぶことにも明け暮れずつ、ダンスにも明け暮れるというような生活をエンジョイしてくれていると思います。
大学受験というのは結局あるんですけど、それをどうするかっていうのは、きっと私が何か言ってあげる必要はないかなと思ってます。
彼女のことなので、きっとこの後高校生になってから、ちゃんと自分の将来も考えることができる子だというふうに信じています。
娘は本当にいい子に成長してくれました。
4月19日に15歳。誕生日おめでとう。父より。
37:53

このエピソードに言及しているエピソード

このエピソードを含むプレイリスト

コメント

15歳おめでとうございます、娘さん❤ 幸せそうな若者のよいお話をお父さまから愛情たっぷりに聞けて、こちらも幸せです😊 私は娘を妊娠中、風にゆれる雑木林を見上げたときに、枝の間から差す光に目を奪われて「ひかり」っぽい名前をつけたいなと思いました。そのうち2文字が名前の読みに入っています。 最初の候補「なな」を、同じく妊娠中に拾った犬に譲らなければ笑、「菜」のつく名前になっていたかも!

だいぶ親デレ感出しちゃいました(笑) そうでした、「ナナ」は生まれてくる子供に付けようとしてワンちゃんに譲ったんでしたね! 息子の名前は妻とも喧嘩しながらだいぶ長く検討しましたが、娘の名前はその情景を見て1分で決めました☺

ナナ ナナ ナナ

1分とは!💡スバラシイ 迷い犬、それも子犬が雨に濡れ、それが台風7号の影響(本州!に上陸)と、いろいろ重なりました… 覚えていてくださってありがとうございます😊

GreenFielder GreenFielder

GreenFielderさんの愛情を感じるエピソードだと思いました。生後間もなくの手術の話を聞いていた時は、その後、どうなるのかしら・・・と不安でしたが、現在は楽しい学生生活を過ごされているようでホッとしました。

とても丁寧なご紹介ありがとうございました🙌 娘さんに迫った数々のハードルを家族で乗り越える様に感銘を受けつつも、アメリカの学校が大変だったと言う告白や都会での受験戦争など、人生の多面性を感じさせれました😌

スクロール