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はい、ザボでございまーす。 引退戦士名刊21
本日は大竹館特集でございます。 ひとつよろしくお願い致します。
まずプロフィールからご紹介でございまーす。 大竹館、埼玉県八代市出身1983年5月21日生まれの現在38歳で
ございます。 身長184センチ96キロの恵まれた体格の
持ち主でございます。 2003年から2013年まで広島東洋カープに所属いたしまして
2014年からFAで巨人遺跡昨年2021年に引退した選手でございます。
ピッチャーですね。通算1675.1イングス登記いたしまして
102勝101敗26ホールド17セーブ 通算防御率は3.77
1186奪三振といった素晴らしい成績を残していらっしゃいます。
36歳というベテランの年齢の時にですね サムライジャパン
に選ばれまして2019年プレミア12に出場いたしてございます。 このプレミア12では3試合に飛ばれ出しまして2.0イングスになりまして
出した7人に対して飛安大一としっかり仕事をしてみせました。 主要タイトルですね
月刊MVPこれは2009年の5月 カムバック賞2012年
と獲得してございます。 またオールスターにも度々選出されてございます。
以上はですね全て広島東洋カップ時代のタイトルと言えると思います。 では本編スタートしていきたいとおもいます。
高校は浦和学院に入学します。 2年夏に甲子園出場しますの一学年上のエース坂本八太郎
この選手はヤクルト日本ハムなどで いろんな球団を渡り歩いた選手ですけどもね
この坂本選手の存在が大きく甲子園登板はありませんでした。 高校3年の時にアジアトリプルA
選手権の日本代表経験があります。 2001年高校生ドラフト1位指名で
広島東洋カップに指名されます。 背番号17番に決まりました。
このドラフトでですね同期入団 カープでは保守石原ですねそれと外野手天谷などが同期の
同級団の同期入団でございます。ちなみに多球団になりますと 阪神安藤、ヤクルト石川雅則、オリックス平野圭一、大英
寺原 そして杉内、西武中村竹矢栗山匠と
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早々とのメンバーが並んでおります。 まだ現役続行中の選手も多くいらっしゃいますね。
ということでですよ、2002年 初年度は故障で出遅れてしまいます。2003年
20歳か。一軍初登板で初勝利をあげます。2004年 開幕直後はローテーション入りをしておりましたが中継ぎに転向。
また抑えの長川が不調ということもありましてシーズン途中からクローザーに転向させられます。 2004年は43試合に伴いまして柔軟西武防衛3.18といった数字が残っております。
柔軟西武はシーズン途中からでも大変立派な数字だと思います。
2005年先発に定着しましてリーグサイトの28試合に先発登板いたします。
2桁勝利を収めます。あとは最高脱散戦率なんていうのの1位も取りますがしかし防御率
吉祥寮防空防闘自席転これはねリーグワーストっていうお命をかぶせられます。リーグワースト5冠を達成でございますね。
2005年の数字です。10勝12敗87吉祥寮
9防土4防空自席転101リーグで107点は13年ぶりといったところになりまして防御率は5.62といった数字でございます。
2006年です。2006年は9月5日ベイスターズ戦。 8回2アウトまで完全試合しておりましたがこのゲーム内川誠一選手にレフトマーキットをくらいまして
完全試合ならずというゲームでしたが2年ぶりの関東勝利を上げることができました。 この2006年はリーグワースト13敗
リーグワースト非本ルイダー25本といった数字も残ってございます。 2007年です。ピッチングフォームをワインダップモーションに戻しました。そして
大竹館の生命戦シュートボールをこの年習得いたします。 2007年は9勝10敗。防御率3.77。3年連続既定投球回数を達成いたします。
2008年開幕投手を務めますね。あとは同僚ルイス この外国人選手がオールスターの欠如ということになりましてその代役でオールスター出場いたしました。
2008年は9勝13敗。防御率3.84。4年連続既定投球回数達成と非常にタフネスぶりを発揮してございます。 2009年チェンジアップを習得いたします。
開幕戦の巨人戦 プロ入り初カンプ勝利を収めます。5月31日
楽天戦途中まで43イングス連続無失点なんて記録も残ってますね。 この43イングス連続無失点というのは同球団現在
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監督を務めます笹川真嗣。彼の30イニングを更新したといったことになっております。 2009年の5月
この月は4勝0敗。防御率0.51。 初の月間MVPを堂々と獲得いたします。ファン投票選手間投票で1位でオールスターにも出場。
10月10日巨人戦でプロ初の無支給カンプ これも達成いたしますね。
9試合選抜いたしまして185.2イングス 10勝9敗防御率2.81はおそらくじゃないな
キャリアハイと言えるんじゃないでしょうか。 2010年
右肩痛肉離れなどで怪我に見舞われてしまいます。 当番者は3と激減してしまいます。5年連続既定投球回数達成がここで
途切れてしまうことになります。 2011年前年の怪我の影響と打球を受けた右手が粉砕骨折してしまいまして
思うような投球ができません。 2011年の10月23日対阪神戦で1年4ヶ月ぶりの勝利といった
のも残してございます。 2012年
一戦投球回達成。監督推薦でオールスター出場 自己最多11勝を上げまして2年ぶりに
既定投球回数達成。セリーグでは阪神平野慶一 以来の4年ぶりのカンバック賞を受賞いたしました。
2012年のオフにNHK静岡 三菱安里アナウンサーとご結婚されます。
あ、これがキャリア杯だな。2012年これはキャリア杯ですわ。 24試合と先発当番しまして11勝5敗を獲得した2.36と大変立派な数字が残って
ございます。 2013年国内FA権取得。監督推薦でオールスターにも出場いたしました。
オールスターでは3回を1連打無失点で関東賞を受賞して ございます。また2年連続受賞となります
受賞10敗、防御3.37といた数字残してございまして、このオフに国内FA権を行使いたします。
2014年からは巨人に入団。背番号は広島時代と同じ17番を与えられます。 3年5億で契約といた数字になりまして3月30日
対阪神戦先発しまして7回を2失点。 地震でも3アンダー打ちまして遺跡後初勝利。4月26日対広島戦
先発いたします。5回と3分の1を投げまして 4失点いたしますも打線の援護もありまして勝利。
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これでNPB史上15人目の全球団勝利を達成いたします。 この年は中日戦対中日戦で6勝をあげましてリーグ制覇に大きく貢献しました。
22試合の先発で9勝6敗、防御3.98といったFA1年目の数字でございます。2015年不審で3カ月ファームに
落ちてしまいまして3勝4敗。 2016年は7月30日通算1500投球回達成。
2016年は6勝6敗、これで3年契約が終了いたしまして 契約公開を7000万円でしましたといった形になっています。
2017年5月上旬までで4勝するも8月から2軍へといった形になってまして2017年4勝4敗。
2018年は4月中日戦で勝ちますがその次のDNA戦で5失点KO。 以降は2軍暮らしファームで9勝いたしますがね
といった数字じゃないなっていったような活躍でした。 首を覚悟したが年望減額制限オーバー
2625万円での契約公開となります。 2019年リリーフ人へと配置転換ですね。
8月12日広島戦で通算100勝達成。 32試合投板しました4勝0敗8ホールドボルス2.77
そしてプレミア12初出場と初の国際戦で優勝いたしましたといった形になります。 2019年はほぼ倍増の年望5000万円で契約公開いたしました。
2020年19試合に投板いたしまして1勝2敗16ホールドボルス2.59 もう終盤は2軍調整が多くなってしまいました日本シリーズの
シーズン終盤には2軍調整が多くなってしまいました。 日本シリーズにも2試合投板いたしましたが500万円ダウンの4500万円で契約公開といった形になりまして
2021年昨年右膝の状態が悪化しまして10月22日引退発表10月24日 神宮球場役の戦で引退試合10月25日に引退会見しました
カップラーメン100個会見でお馴染みの会見でございます。 11月5日に右膝半月盤手術を行いまして
今年2022年からは巨人巡回トレーニング統括補佐としての活躍を期待されておりますとはいいたところで
年表を語ってみました。後半戦からはですね
大竹館にまつわるエピソードですとか私館ですとかその辺をちょっと喋ってみたいと思います。 では後半戦でお会いしましょう
バイチャ