ではどうですかなんかネタ上からネタでも触りますか。
オープニングだけでだいぶいってしまった。
久しぶりに。
じゃあUKあたりから選んでもらうんですかね。
僕が出してなさすぎるんでね。
そしたらちょっとものそうなやつ結構あるけど
いやまあでもちょっとこれさすがに見過ごせないな。
なっちさんの趣味としての語学なんだよなーって原点回帰みたいなやつがあるんですけど。
そうなんよ。
もともとね。
この語の湯ね。趣味としての語学を掲げてもうすぐ1年ですよ。やってきてますけど。
夏休みに実家に帰ったんですよ。僕のほうと妻のほうと両方子供を連れて。
そしたら親は70代なんですけどみんな。
みんなそれぞれ習い事とか趣味の活動とかをしてて。
楽器やってたり歌やってたりダンスやってたり。
いろいろやってるんだけど。
70歳になって初めて何かに触れる。新しいことを始めるっていうのはさ。
もうその道のプロになろうでは絶対ないやん。
自分の生活を楽しくするために公民館でやってる無料とか何百円とか千円ぐらいの市民講座を探して。
あ面白そうって行ってやってみるみたいなことをやってるんですけど。
これ趣味だなあと思って。
まさにこれが趣味だよなあと思い直しというか改めて気づき。
こういう感じで語学やりたいんだよなあっていうのを改めて思いましたという話ですね。
なるほどですね。目目的にというか。
ただその瞬間楽しいとか。別にゴールはないけど向上していることが楽しいとか。
褒められるのが楽しい。友達と話すのが楽しい。何でもいいけど。
目的みたいなものを持たなくていいし、持つにしても自分で決めりゃいいんだよなって思いましたという夏休みの経験でした。
暇つぶしとかでもいいですもんね。
うちのおばあちゃんも結構そんな感じで、団地に住んでるんですけど上の階に中国人の方が住んでて。
もう今一人で住んでるから何かあった時のために近くの人と仲良くなって、何かあった時にすぐ分かるように見に来てもらわなきゃいけないみたいなのがあって。
だから日本語話せる方なんですけど、何かちょっと仲良くなるっていう口実に合わせて中国語を習ってるらしいんですよ今。
いいね、いいね。
そうそうそう。毎日してくれてるみたいな。
すげー。なんか、言語を教えてもらうっていうのは何というか、いい話題作りだよね。
話題つきねーし。
だから、この趣味としての語学みたいのはどっちかっていうと年配の人の方がそういう受け止め方をしてやってる人が多いかもしれないですね。
わざわざ何かに使うとかじゃなくてみたいな。
なんかあれですね、子供とお年寄りみたいな感じなんですよね。
趣味。
成長するにしたがってちょっと雑念とかが、野心とかが入ってきて、それがだんだん減衰していってお年寄りになった時にまた純粋になってみたいな感じの気がしますよね。
そうかもね。
確かにな。
なんかこう、どういう表現が適切なのかわかんないけど、何かを生み出さなければならないというこの潜入感というか脅迫観念みたいなのがあるじゃない。働く世代って。
だから自分の時間を何かに使うということは、それが後に大きい何かになって帰ってくるのだみたいなことを暗黙に持ってなきゃいけないみたいな気がしてるんだと思うのよ自分も。
だから純粋な趣味というのが持ちづらい。
完全にこれは生き抜きのためにやってるんだって言った時に、その生き抜きっていうのは何かをやるための休息という文脈になっちゃうじゃん絶対。
それ自体を楽しむっていうことが難しいよね。
いやー本当に。
腹立ちますよね。
自分がそう思ってしまうのもあると思うし、言ってしまえば子どもとかお年寄りにそういうのを周りが期待しないからってことでしょ。
そうそうそうそう。
期待されるから思ってしまうみたいな。
なんかなるんよねそれみたいな。
この時間を使っている以上何かの成果がないと、みたいなことが若干起こりがちですよね、大人はね。
最近子どもたちでもタイパーが悪いとか言うじゃないですか。
うわーなるほど。
そうかそうか。
もしかしたら時代的にね、子どもとかでもそういう感覚になりがちな時代なのかもしれないですけどね。
そうかもね。
こんなことにこの時間使うんだったらスイッチした方がもっと楽しいはずやなみたいな、常に天秤が発生してしまっているかも。
わかんないですけどね。
生まれながらには純粋なはずであるとは信じたいですよね。
やっぱりタイパーって言い出したのもきっと周りの大人とかの影響があるんだろうなとかも。
あと目にする情報とかね。
社会に生きているということでもあるので、単にそれが残念とか悪いとかいう話ではないけどね。
なんかわかるな。
高校生とか大学生ぐらいの時って、ESSっていう言い方するかな。
英語喋ってみましょうみたいな部活ってあったじゃないですか。
ありました。
俺バレエ部だったんですけど、そんな感じで部活として英語を喋ってみるみたいなサークルとかがあって。
そういう楽しみ方はもはや難しいじゃないですか。大人になって。
さっきこなちさんとかが言ってたように、語学をそれぐらいの楽しみ方してみたかったなっていうのはあるな。
だからそれこそ仕事しなくなっておじいさんになってみないと、その楽しみの領域にはいけないのかもしれないなって聞いてて思いましたね。
日頃の生活で何とか取り返したいのかな。
いや、週休2日でパキッと勤めてるサラリーマンだったら、単純にヨカはヨカとして使えるのか。
子育てされてるかどうかとかにもよりますよね。
なんかESSみたいなのは作れますよね、この番組だったら一応。
確かに。
なんかここが半ばそんな感じでもあるしね。
それはそう。
そうか、俺らESSだったんだ。
ESSって何?本当にあってる?ESSで。
English Speaking Societyじゃないですか。
おー、Societyなの?
じゃなかったっけ?
なんかそんな感じな気がしますね。
本当だ。
Societyのところを変えればいいのか。
You?
Spring。
おー、Sじゃん。
Englishの部分をなんかもうちょっと変えたいですね。
ただね、しゃべってるのはほぼ日本語やもんね。
まあそうね。
なんかね、ちょっと違う言語を使ってみるのをそのうちね、やってみたいっすよね。
もうちょっと中国語が今少し入ってきたんで、会話までは成り立たんけど、なんか一言二言なら言えるようになってきましたよ。
じゃあちょっと動物園の話しようか。
動物園?
え、動物園って何て言う?動物園?
動物園。
動物園っていいんかな。
良さそうだね。
そういう推測ができるのがね、漢字言語のいいとこですな。
さあ、どうしましょう。もう一発ぐらいネタ触ってみましょうか。
じゃあなっちさんチョイスでいきましょう。
うわ、どっちかな。
INGとEDで終わる形容詞っぽいやつのコツがつかめてきたかもしれない。
主観の起点から矢印が出ているかどうかが、
その主体に対して矢印の向きまで説明しているという感じですよね。
僕の感覚では、物の移動に矢印があるわけじゃないという感じ。
人から人というか、
彼がくれたなのか、私がもらったなのか、
ということにそもそもニュアンスの違いが出るよね。
矢印は同じ。物の移動は同じなんだけど、
彼の動作だったのか自分の動作だったのかみたいなこと。
彼がくれたのほうが感謝多めな感じしますよね。
そうそうそうそう。
ありがたそうな感じがする。
そういうことが読み取れる細かな表現の仕分けができるんだということ。
これ難しいですね。韓国語、中国語だとどうなるんですか?
えーと…
英語では確かに、
彼がくれたというのはわざわざ感がすごい。
彼がくれたというのは自然な気がして、
私がくれたというのはちょっとわざわざ感がある気がする。
日本語ってそこまでわざわざ感ないよね。
これもらったよね、これあげたよね、みたいな。
中国語、韓国語、この辺りはどんな感じになっているんですか?
韓国語はね、あげる、くれる、もらう、全部あるよ。
あるし、多分普通に言うと思う。
日本語と結構似てるんですね。
友達がくれたんだも言うし、友達からもらったんだも言う。
なるほどな。
行くとくるが微妙に違うみたいなのもあったりしますよね。
カム&ゴーが。
それ関係あるのかな?関係あるかわからないですけど。
どうかな?
ナンシー先生がね、中国語で、
中が行くで来がくる。
英語とは使い方が違うから気をつけておいてね、みたいなのを口すっぱくして言ってるんですよ。
どういう感じだったんだろう?
日本語の来ると行くとカムとゴー、ちょっと違うんですよね。
明日行く?って聞くときって、
Where do you come? なことがあるんですよね。
自分が行く場合はカムを使うんですよね。
自分が行く場合に?
自分が行かない場合はゴーでいいんですけど、
自分が行く場合はカムを使うんですよね。
例えば、
今ミーティングに遅れてるじゃないですか、
今行きます、すぐ行きます、みたいなときはカミングを使うんですね。
その辺とかがちょっと違うんで、
ゴー&カムはどうなってるのかな?
そんな感じでちょっと矢印が違うんですよ、日本語と。
カムは来るだけじゃなくて、到着するみたいな雰囲気を含んでそうやったな、今の説明。
そうですね。
ピントコンね。
シンプルに誰目線でみたいな話な気がするんですけど、
かなり流動的ですね、さっきの話。
明日お前来るの?
それ日本語でもそうか。
言うね。
だから、今俺がそこに向かっている時が違うか。
来るよ。
迷宮入りしすぎるな、この話。
英語が事実をそんなに重視しているかみたいなところも、
どうだっけって思うというか、
日本語がそういう関係性とかニュアンス?
そういうのを含んでれば分かるけど、
英語は能動的な力にフォーカスはしているとは思うけど、
事実ですかと言われると、なんかむずい気がするというか、
なんていうのかな、
中国語だとなんかその、
もらうもなんかすごい細かいというか、
もらって何かに入れるとか、もらって受け止めるとか、
領収書もらうとかちょっと公のようなもらい方みたいな、
もらうがなんかめっちゃ種類あるんですよね、
性質によって。
事実って言うとなんか中国語の方が事実にこだわっている感じがするというか。
なるほどね。
英語だとそれこそギブかレシーブかでバーンってなりそうな感じがするけど、
中国語はそこに至るという感じがついて、
なんかもらうんですけど、
それどうもらったのみたいなのにめっちゃこだわっている感じがするというか。
お土産もらうんと領収書もらうって違うんですよね。
違うんや。
違います違います。
事実ってこれっぽい感じがする。
でも僕が言ってたのはまさにそういうところが、
事実というよりも意図の表現をしているなと思う部分で。
物の異動としては一緒のことをやっていて、領収書もお土産も。
それをどういうつもりで渡しているのか、どういうつもりでもらっているのかっていうところを言葉で言い分けるということ。
ってことは日本語に近いってことなのか。
今の話、僕にはそう聞こえたな。
そういうことか。
日本語のほうが気持ちのほうを大事にしている気がして。
感情とかそこにある。
雰囲気。
中国語はどうやって受け取ったのっていう感情、圧を感じる。
なるほど。
わかんないですね。僕は英語の知識、英語で一応getとかtakeとかいろいろありますもんね。
gainとかも一応。
全然解像度は悪いんですけど。
どの言語でも細かく言えば言えるんだろうけれど、
関用的にどう言うかとかが違うのかな。
それによってニュアンスというか、使用感みたいなのが違う感じなのかな。