そうね、俺らのママがいるぞって話を。
俺らもレザーシート敷いて。
あ、そうですか。
食べてたりして。
あ、そうですか。
僕です。
いつもこの加工してるんで。
見つけたらいつでも来なかったけど。
ありがとうございます。
あれ、ポッドキャスト、ラジオやられてるっていうのは知らなかったですか?
え、なんか本編、なんか載ってますよ。
本編に載ってます。
それってことですね。
なるほど。
そういうのやってたんですね、あの、いる時に。
えっと、Googleマップに勝手にピンって載ってたんですよ。
なるほどね、ピンピンになってたんですね。
なるほどなるほど。
そういうことですね。
それで、なんなんだろうって思ってたんですね。
思ってました。
びっくりしちゃった。
そういうこと?
いやいやいや。
ありがとうございます。
また、いつでも。
ちょうど今収録開始しようとしてたところだったんで。
ゴミ拾ってます。
ありがとうございます。
これ楽しみにしてます。
使ってください。
はい、ぜひぜひ。
そんなことあるんですかね。
うん。
えっと、じゃあちょっとなんか、あれ残しで、何もなかったことにして、非常に残念ですね。
わかりました。
残念ですね。
非常に残念ですね。
なんか、いいんですか?
リアル新年ですよ。1月8日ですよ、今日。
そうですね。
残念ですか?
いや、そうなんです。これ配信されるのは、もうちょっとね。
半ばぐらいですかね。
そうですね。になっちゃうんですけど。
新年一発目にね、こんなことを聞いたら、さすがにちょっと人手なしかなと思われるかもしれないんですが。
すごい前振りですね。
お正月ってどんなふうに過ごされました?
不謹慎な問いですよね。大変。
ちょっと新年早々、よくないかなって思うんですけど。
ギリギリのラインじゃないですか、その問いは。
三が日とかって、いかがお過ごしでしたか?
1月1と3は。
1と3?
はい。1と3は山の中で焚き火をしてました。
あ、そっかそっか。そっか、あれ新年早々やってたのか。
そうなんですよ。正月が僕あんまり好きじゃなくて、正月空気から逃れたくて。
正月の空気が好きじゃないですか。
正月独特の空気じゃないですか。
ありますね。
上水さん、あれじゃないですか。クリスマスから正月って結構息苦しい、この年末年始のじゃないですか。
そうですね。
クリスマスもそんなに得意じゃないでしょ、多分。
でもどっちかって言ったら、年末の慌ただしい方が好きで。
そうなんですね。
どっちかと言えばですよ。
イメージは逆っぽいですからね。
そうですか。
平和な、のんびりした方が。
まさに新年早々、慌ただしいのを逃れて焚き火やってそうじゃないですか。そもそも焚き火が。
平和を逃れて焚き火に。
平和を逃れて焚き火。
なんかのどかな雰囲気みたいなのがちょっと耐えがたい。
焚き火も結構リラックスっていう感じ。またちょっとテイストは違うんですよね。
テイストは違いますね。
上水さんの中で。
自然の厳しさの中で感じる緊張と緩和じゃないですけども、その中で感じるリラックスみたいなのがいいんですけど。
なるほど、それは全然似て非なるものなんですね。
この都市の中で正月の空気っていうのは、人間が作り出したものすごい、なんていうのかな。
なんで日付をまたげただけでこんなにのんびりしてんだろうみんなみたいな。
なんなんこののんびりした空気はっていう作り出された人工的な空間に抗いたい。
建物などは何も変わらないのに。
変わらないのに急にみんな休んでみたいな。
おめでたいなみたいな感じにみんな気分的にもなるじゃないですか。
で、のんびりしてる。のんびりしていいんですよみなさん。していいんだけど、その空気に飲み込まれたくないみたいな。
あんまり聞いたことないかもそれ。
そうですか。
あんまり聞いたことない。
Qさん何してたんですか逆に。
ちょうど千年ぶりにガンタンを実家で過ごしましたね。
すごいね。
実家帰らなさそうじゃないですかガンタンとかに。
どっちかというと帰れないっていう日々だったんですけど。
東京にいたから。
東京にいたのもあるし、ガンタンって結構意外と普通に仕事してたりとかが多かったんで。
何してるんですか。
ずっと物付けで仕事してるのが当たり前だったんで。
ちょっとガンタン空いたぞ普通にと思ってガンタンにも相当久々に帰りましたね。
だからオセチなるものを久々に食べました。
そうしてからはオセチって食べたのまじで初めてかもなって。
もうそしたら十数年ぶりみたいな感じか。
20年はいかないけど。
本当にそうですね。
ちょっと千年はちょっとだけ言い過ぎたかもしれないですけど。
ちょっと千年は言い過ぎて20年ぶりぐらいかもしれないです。
もしかしたら就活をしているのかもしれないですね。
就活で転生物見まくるのちょっと面白いけどね。
来世に行きたい。
やっぱ年収は人が少ないですね。
そうですね。でもやっぱどうだっただろう。
でも本当に元旦とかはいなかったですね。全く人が。
いよいよ神社とかにしか人がいない感じじゃないですか。
確かに神社は日付が変わって新年になった瞬間の神社。
ちっちゃい神社とかでも人いましたもんね。すごいなと思って。
でもさすがに元旦はどこもお店は閉まってましたね。
確かにキャンプ場に行くときも道がすごい空いてましたね。
絶対そうですよね。道路なんてめちゃくちゃ空きますよね。
3日は逆にめちゃくちゃ多かったね。初売りとかはやや渋滞ぐらいで。
1日はほんとすいすいで良かったですね。
あと3日はやっぱぼちぼちもうUターンの人が出てくるんじゃないですか。
そうね。確かに。ちょっと人が多かった。車が多かった。
今収録日は1月8日なんで当たり前ですけど寒いっすね。
年明けてからめちゃくちゃ寒くないですか。
去年も寒いって言ってたけど、その次元じゃない寒さにやってきましたね。
あれ、焚き火はやっぱり暖かいんですか?
めちゃくちゃ暖かい。
やっぱりそうなんだ。
この格好で行けますからね。
俺あんまやった記憶ないんですよね。焚き火って。
いいですよ。めちゃくちゃ。
ずっと見てられる焚き火は。
きょうさんがずっとポッドキャスト聞いてられるのと一緒です。
そっか。焚き火を目の前にしても多動になりそうです。
焚き火とYouTubeの焚き火を見比べてみるとやり始めそうです。
ダメダメダメ。ずっと火を見ながら。
直に見るとこんな感じか、でYouTubeは?とかなりそうですもんね。
焚き火はただの熱を発しているものでしか流れちゃうんですよ。
火も楽しまないと。音も。
あれなんですよ。海とか星空とか好きな人はじっと見てるじゃないですか。
めちゃくちゃ頑張って5分くらいかもしれないですね。限界が。
なるほど。
しかもそれは5分くらいは風情のためにと思って頑張る5分ですからね。
努力した結果として。
なるほどね。だいぶ落ち着けないですね。
僕も落ち着けないんですけど。そんな好きじゃないんじゃないですか。
星空とか火とか波とか。
たぶんじっと一つのものを見ているのが5分が限界かなっていうだけなんで。
なるほど。
だから、焚き火を見る。そして星空を見る。そして海を見る。
だから5分5分5分で15分は稼ぎます。
相当な場所ですけどね。星空と海が見えて、焚き火があって、それで15分しか持たない。
一つのものをじっと見ているっていうそのもの自体が決して嫌いとかではないんですよ。
素敵だなと思うんですよね。
それをじっと見ているがちょっとできないっていう。
僕もでもね、逆にコンテンツだと見れないんですよ。5分限界なんですよ。YouTubeとかああいうの。
ポッドキャストも下手したら5分限界かも。
けど、焚き火はいいよ。
焚き火はいける?
焚き火と海の波とかね。ああいうのいけますね。
海町まで行ってたわけですもんね。
そう。だからね。
なんか突然年末の新しい雰囲気から
この緩やかな街に切り替わっているみたいな
変な感じですね。
そうですね。
でもなんか、何ですかね。
もう多分普通の平日ですよね。
うん。今週から。
けどなんかパキッと戻ったっていうより
なんかまだ休んでる人いるのかな
みたいな緩さがありますね。
緩やかな雰囲気になってる。
あれがあるかもしれない。
何ですか。
ちょっとこれぐらいの時期、観光客が落ち着くみたいな。
はいはいはい。
人出があからさまに少ないっていうか。
そうですね。
観光客いないですね。
そう。換算機に入りつつあるっていうか。
はいはい。
それはあるかもね。
年始バリバリとかの方がむしろいるイメージありますもんね。まだ。
うんうん。
31日とか普通にいましたもんね。
ああ、そうですね。
31日とか何してたかな。
年越しとかいう感じはなかったですか。
ああ。
あ、年越しの瞬間思い出しました。
スノーマンのライブ配信YouTubeで見てました。
それはなぜですか。
それはライブ配信だから生配信ってことか。
そうなんですよ。YouTubeのスノーマンが
いわゆるみんながこたつに入って横並びになって
カウントダウンしましょうとかじゃなくて
スノーマンのやつは本当にコンサート
その観客のコンサートをカウントダウンとして配信するっていうライブだったんですよ。
だからYouTubeライブって言っても本当に内容も音楽ライブなんですよ。
歌って踊ってみたいな。
それをYouTubeで配信するっていうので
一応何かを見れる状況だったんでカウントダウン。
何を見ながらカウントダウンするのがいいんだったって
スノーマンがライブやるって
YouTubeを見ながら明けましておめでとうって
どうでした?
素晴らしかったんですけど
音楽ライブとして
同説120万人以上なのにびっくりしました。
まじで?
YouTubeなんで数字出るじゃないですか。
120万人以上が見てましたね。
すごいね。そんなに人気なんですね。
僕はウエストで
普通に年越しそばを食べて
もうこれカウントダウンなるやつやと思って食べ終わったけど
カウントダウンの瞬間をウエストで過ごしました。
お一人でですか?
お一人で。
そして店内に結構人はいたんですけど
みんなどういうテンションなんかなと思って観察したけど
全然誰もカウントダウン気にしてないような感じで
これ年明けだぞって思って
カウントダウンにウエストの店内にいるような人は
当然カウントダウンなんて気にしない人たちなんじゃないですか。
ですよね。
年越したと思って
店員さんに明けましておめでとうございますって会計をして
近くの神社に
お参りに行くでもなく
人がいるのかなと思って覗きに行くっていう
あれですか?
正月に比べて大晦日とかの空気はまだマシなんですか?
大晦日はマシです。
終わりに向かって
どっちかって言ったら年明けた瞬間も神社の前並んでるじゃないですか。
もう耐えられないですね。
並びたくないし。
一応初詣は行きましたけど
3日とか
ちょっとだけ落ち着いてるっていうタイミングを狙って
福岡の神社ですか?
そうですね。
一応自分が住んでるところを
司っているっぽい神社。
いいですね。
うちはここの管轄なんだろうなっていう神社というか。
いいなあ。
なんかあれですよね。
僕本当に何に対してもあんまりないんですけど
上嶋さん結構大変ですよね。
これが嫌だみたいなのが結構あるから。
はいはい、ある。
僕全然ないんで、何にも。
いいっすね。
行きやすい。
何にもない。
すっごい暑いのが苦手くらいです。
夏とかの。
夏は暑いっすよね。
暑いの苦手とか、身体的なやつはもちろんありますけど。
社会的なやつはない?
社会的なやつね。
なんかあるかな。
人が混みすぎてるのとかはあんまり好きじゃないですね。
いわゆる渋谷のハロウィンとか、意味がわからなすぎます。
嫌なものが多すぎるんだよな。
しかも上嶋さんの語り口的に、
嫌っていうのが、本当になんか好きじゃないんですよねみたいな嫌じゃないですか。
嫌さが。
なんか嫌なんだよなっていう嫌さのやつ多いですよね。
多い多い。
僕の暑いからとかそういうことじゃなくて。
違和感みたいな。
だいたい、いまだにそういう違和感を感じてたり、
嫌だな、なんか好きじゃないなとか思うものって、
昔から継続してる感覚なんですか?
それとも大人になってむしろ嫌になってきたなとかいうやつもあるんですか?
だいたい昔から?
だいたい昔からな気がしますね。
そうしたら、大人になるタイミングで、
まあそういうのも別にあるよねぐらいの感じになりそうなものですけど、継続してるのすごいですね。
大人になりきれてないじゃないですか。
世界を受け入れてないんじゃないですか。
やっぱイカリシンジなんですかね。
14歳とかなんですかね、心は。
心は14歳かもしれない。
シティクラーに逃げちゃダメだ、みたいなことを唱えてますよ。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
唱えてるんですか。
唱えてる。
確かに死獣近くで唱えてる人いなさそうですね、なかなか。
それこそシティクラーの長野芸術祭のときに、
20歳ぐらいの男の子たちいたじゃないですか、
あの子たちと話してて、合うなと思いました。
20歳ぐらいの男のノリなんだと思う。
ちょうどいいセンシティブさ。
社会に対して警戒心全開で、
自分でどうにかするんだ、みたいな。
でも具体性がまだない、みたいな。
でもパッションある、みたいな。
そういう感じと、すごくいいねって感じなんですよね。
だから社会に適応しようと思うと、
もうちょっと具体的なことになってくるじゃないですか。
だから社会は受け入れないといけないんですよ、まだ。
これでもやっぱ、もう死獣とも言えるし、まだ死獣とも言えるじゃないですか。
この先どうなっていくんでしょうね、上銘さんのその部分は。
どうでしょうね、こじらせまくってどうなるんだろうって感じで。
自分でもわかんないですね。
そうすると一気に吹き込みそうだなって。
だからわかんない方、わかんない方に行こうとしてるみたいな。
確かになんか、勝手なこと言うようですけど、イメージとして。
それをなんか今急にやっちゃうと、
急に専門学校とか行った時の上銘さんになってしまいそうな雰囲気がありますね。
そうそうそう。
専門学校の時に思いっきりそっちの、
枠組みがすごいあるじゃないですか、専門学校だったら。
要は国家試験だとか、テストだとか、
全部そのあるべき姿が規定されてるから、
それを120%やってみた時に、
まあそれなりにはできるわけですよ、それなりに。
だから、それはやればできるんだろうけど、
でもそこでやって、
評価されるとか、得られるリターンって、
もう想像の範囲内じゃないですか。
なんかつまんないなって思っちゃう。
だから、何を安定と捉えるかなのかもしれないですね。
ああ、確かにね。
上銘さんの中での、
ちょっとグラついてるぐらいの方が、
上銘さん的安定を図れているという。
そう、そうだと思う。
なんかイメージ、
水面の上に葉っぱがあって大きな。
その葉っぱの上を歩くようなイメージが、
自分の中では見受け取れるようになって。
陸に完全に固定されてるっていうのは、
じゃあそこが、
例えば地震が起こってしまったら終わりだとか、
そういう気持ちがすごいわけ。
葉っぱも低くなったら終わりじゃないかと思うんですけど。
余計に。
けど、ラインがあるんでしょうね。
上銘さんの視点というか。
常にバランス感覚を保っている、
意識を持っている人が重要みたいな。
そうしないとすぐ水に落ちちゃうよ、
みたいな感覚で生きてるぐらいがちょうどいい。
本当に若いですね。
一見、僕とかの救済的生活とかを
普通にドキュメントで見ていくと、
僕とかが若いねとか言われそうですけど、
本当に若いのは上銘さんです。
あれが考え方みたいな。
感じ方とか。
あと何を選択するかとか。
だからね、たまにちょっと心配になりますよ。
それどういうやつですか?心配になる?
20歳ぐらいの子たちと気が合ったなって感じてしまった時に、
自分は何も成長してないんじゃないかっていう。
あれですよね、普通は過去に自分もそういうことがあって、
若い方々の不安定さとかセンシティブさが、
まあ違うんだが、すごくわかるっていうのはあるんですけど、
単純に気が合うまであるってことですね。
わかる!みたいな動詞になっちゃうみたいなのは、
あれはちょっと自分、もう結構いい歳だけど、
いいんだっけって思っちゃうみたいな。
若いですね、たぶんね。
線の細いタイプの若さですね。
糸的な若さというか、糸のような。
そうね。
なんでしょうね、そういう危なっかしい、
いかにもね、今にも切れてしまいそうな、
そういう感じが生きてるなって感じがするんですけどね、僕は。
ありますよね、10代の時にそういう時期とか、結構みんなありますよね。
大体27歳までに死んでやろうと思ってますからね、そういう人はね。
そうですよね、大体みんな、自分はカートコバーンだとか。
そうそうそう。
地味変だとか。
27歳までにはって思ってるんですけど、
気づいたらもう39歳ですからね。
一回り、死ぬ予定の年から12年後に言いますけど、
あれなんか20歳ぐらいでもう止まってるなみたいな、結構やばいなって思う時はあります。
27歳で死ぬ予定で、そっから一回りもあって、
死中手前で気持ちだけ20歳とかいうのをもう、
どう言語化していいかわかんない。
それ言語化するとたまに心配になる。
パッケージングたまに心配になる。
でもそうなんだよね。
先が見えた瞬間、つまんなくなってしまっても、
一気に吹き込みそうみたいな恐怖がすごかった。
助けたくないというよりは、精神的にずっとため息ついてるみたいな感じになりそうな自分がいるんで。
そういうことか。
そうなるぐらいだったら、早死にするかもしれないけど、
エネルギッシュで生きていける感じがいいかなって思ってやってたんですかね。
今、上水さん的にはエネルギッシュな状態なんですか?
自然とエネルギーが出てくる感じです。
なるほど。
ブレーキがかかってないっていうか。
社会生活をちゃんとしようとすると、
適応できてる人はそうでもないんでしょうけど、
無理やり適応する感じだから、僕の場合だと。
ずっとサイドブレーキ踏んだまんま、かかったまんま運転してるみたいな感じなんで。
アクセルベタ踏みでサイドブレーキ引く。
ずっとサイドブレーキ引いちゃってるからさみたいな。
ずっとその体に悪い状態。
その解除できないままなんですよね。
そのタイプの若者は全然いますけど。
いますよね。
サイドブレーキ普通にいつの間にか下ろしてますもんね。
これってこうしたらサイドブレーキって外せるんだみたいなのをどっかで学習するじゃないですか。
サイドブレーキとかにそのタイプだったやつもいつの間にかすいすいって感じで。
そうなんですよ。
バンドマンとかだと特に多くなかったですか?
サイドブレーキかけられたくないんだよって好き勝手やって。
でも気づいたらサイドブレーキとかは別に覚えてしまえば適応できるじゃんって。
上手い社会でやってる人もいるし。
同じアナノムジナだった子たちが同じようにすいすいドライブできるようになって。
で、そいつらで集まって、「サイドブレーキの時期は何だったんだろうね?」とか言って笑い合ってるやつらもたくさんいますから。
そうそう。
だから僕は未だに会社員とか、会社員で何にしても社会性が求められる場面に行くと、サイドブレーキって思っちゃうって感じ。
サイドブレーカーだったんだ。
サイドブレーカーです。
見たことないサイドブレーカー。
CGにしてサイドブレーカーなんで。
サイドブレーカーか。
ありがたいですね、こういう椅子とかテーブルがあって。
そうですね。
人が来るような場所になれば、にぎやかな場所になってくれればいいですけど。
クリスマスマーケットの時はデフォルトでむちゃくちゃあったじゃないですか、椅子とテーブルが。
だから椅子とテーブルが撤去されて、椅子とテーブルがやってきましたね。
素晴らしいですね。
でもこれぐらいの感じがちょうどいいかもしれないですね。
そう思う。
あれは完全なるイベント仕様だから、ぐるっと椅子とテーブル。
このタイプの丸テーブルみたいなのがすごくいいですよね。
いいですね。
長机でってなると威圧感がすごいけど、丸テーブルとかはね、なんかいい。
そういえばウミさん、あれ言ってましたね、状況を視野に入れて。
そうなんですよ。聞きました、昨日の。
聞きました、聞きました。
今から配信したばかりですけど。
状況ね。
心が二十歳なんで。
それ思いました。
実はさっきのサイドブレーキに続く、一連のウミさん若いんじゃないですかっていう話とめっちゃ紐付けて思い出してました、状況の下りを。
でもそっちはフットワークの軽さというか、それこそ自分のことだけ考えればいいような生活なんで。
同じ量の活動をするのにどこが適切かっていうだけのことなのかなっていう。
割とそこは合理的判断って感じなんですけどね。
上水さん的に、状況によっては状況の。最初の方の状況はどういう意味の状況なんですか?
どうなったら東京に行ってもいいなって感じですか?
どうなったら、そうだな。
どっちかっていうと、去年は2ヶ月に1回東京に行くっていうのをやってたんで。
それって変数が多すぎる。
つまり福岡は毎週毎週活動してるから、当たり前にあるじゃないですか。
当たり前だからそんなに来なくていいやってなったり。
例えば特別だから来るみたいなこともあって、東京の方が来やすいみたいなこともあったかもしれないし。
単純に人口がたくさんいらっしゃるから、来る母数が多いっていうこともあるだろうしとかっていう。
いろんな理由で人が来てたんだろうなーっていうのは感じるんですけど。
その理由みたいなものをもう少し特定できたらっていう意味かもしれないですね。
だから今年は結構、2ヶ月に1回と言わずに東京に行く頻度を増やして、特別感をなくしてみるというか。
ようおるな、東京に。ぐらいの状況にした時に、日常となって逆に人が来なくなるのか、何なのかみたいなのを見てみて、総合的に判断したんですかね。
判断基準が人数とかの話じゃないですか。数の話とか。
これ状況するとかそういう話じゃなくて、上水さん的に、うわーって盛り上がるのが最終ゴールなんですか。
いや、うわーっと盛り上がる人は。
すごい人数になるみたいな。
難しいな。公演をやって30人に来てほしいとか思ってないんですけど、毎回コンスタントに人が複数に来て、その複数人っていうのがいつも同じメンバーではなくて。
毎回新しい出会いが、僕が会ったよりは来た人同士で会ったりとかするみたいな、一定その出会いみたいなところもある場じゃないと固定化したくないみたいなことがあるっていう。
福岡に関しては、特に最初の頃はQさんしかありそうな新しい方と出会う機会があったんですけど、そこまで新しい方と出会う機会って減ってきてる気がする。
だんだん食堂の長テーブルと同じで、いつも同じ人たちがこう座って座ってっていう。固定メンバーで固まってくるっていう。
そうなんですよ。それでいいんですけど、毎週やる必要があるかみたいなことにはなってくるんで。
そうですね。そのメンバーで会うための回になってしまう。
そうそう。になってしまったらちょっと違う気もするので、頻度を毎週レベルでやる必要はないのかなって思うと、じゃあ別の場所に住んでたまに来る。
たまにそのメンバーにも会えるぐらいの方がバランスもいいのかもなみたいな感じで。
じゃあ状況によっては状況の1個目の方のシチュエーションを意味する方の状況っていうのは、東京での活動の頻度を増やしていって、これはやっぱり東京でやった方がいいなっていう。
思えたら行きたいなみたいな感じかな。でもあとはね、現実問題、向こうで暮らすってどういうことなのかとか、ちゃんと検討しないと大変じゃないですか。
そうっすよね。暮らしたことがないんですもんね。
そうなんですよ。遊びにしか行ってないから、住むとなと思ったら話は変わってくると思うんで。
その辺はちょっと、じゃあそういうのを視野に入れた動き方をしてみるみたいなこともしてないと、ノリで行ったらもう大変なことになるんで。
そうですね。生活がどうしても並行して進んでいくんで。
そうなんですよ。
やっぱね、ゴミラジオ、この2人ってあれ聞いてて、今まで聞いた現象のラジオの中で一番個人的に面白かったんですよ。状況の話。
上水さんの話し運びっていうか、これはこうだからこうこうこうみたいな。
なんか前から思ってたんですけど、上水さんと僕って、多分なんかいろいろめくっていって、灰でいって、ほんと玉ねぎみたいな。
そしたら、多分いろいろめくっていって灰でいったら、多分僕と上水さんって結構その中心にあるキューブのようなものというか、多面体のようなもののカラーとか、
それの材質とか、結構実は似てるタイプだと思うんですよ。
その中心にあるもの。ただ多分、今までの生き方とか、人格形成とかの仕方とか、どういう選択をしてきたとかが、多分あまりにも違うんで。
あれ聞いてて思ったのが、話の入り口は全く同じだったりするのに、途中式と回答がすぐずれていくんですよ。
結構これって珍しくて、だいたい途中式と回答が全然自分と違う人って、そもそも問いが僕と同じものに見えてない。
例えば、数字だと分かりにくいか、ある映像を見て何を思うか。
これどう見たって富士山の夕焼けやっていうのを、モンサンミシェルの朝焼けって言ってる人って、絶対その途中式も回答もずれていく。
それに関しては当たり前なんですけど、そういう人って、多分もう一番最初の問いが全く違うものに見えてる。
上水さんと僕って、割とド頭のスタート地点は、いつも思考が同じなんですよ。
なのに、「これがこうじゃないですか?」、「あ、めっちゃわかる。」と思って。
その次の、「これってこうですよね?」が、「え?これがそうなのに、それに対する解釈がこうなっていくの?」ってなって。
そういう時に、「全然僕と見方が違うな。」とか、「考え方が違うな。」になるのが超面白いんですよ。
そういう人ってあんまりいなくて。
もうスタート地点から全然違うから。
そもそも交わらないというか。
そうそう。何もかもの解釈とか、結果どう動くかとかいう回答が変わってくるのは当たり前だなと思うんですけど。
そういう人は、めくっていってめくっていった時に、全然その中心にあるものの形だとか、手触りが違う。
そういう人としては全然違うんだ。
うめさん、面白いのはやっぱりそこっすね。
なるほどね。
なんか根幹の中にある多面体が、結構似ているにもかかわらず、選択していく価値観。
選択していくために持っている価値観とか。
それによってここに行き着くとかいうのが、もう全く違うんで。
そうかもしれないですね。
それめちゃ面白いなと思ってますね。
だって、あの状況の話を聞いて、僕が同じ街論とか人論ってあるじゃないですか。
街論は同じところからスタートしているのに、全く逆じゃないですか。
僕は東京に住んでて、それによって福岡に帰ってきた人と、同じところから発想をスタートさせて、
福岡市を離れて東京に行こうとしているっていう選択が真逆じゃないですか。
これが面白いんですよね。
確かにね。
で、最初の福岡ってこうだからとかっていう話始めの部分、めっちゃ分かったりするんですよ。
そこから、上水さん、これがむしろ嫌なんだとか。
嫌じゃないんですよね。
今のこの福岡市の話じゃなくてもいいですけど。
これが上水さん的にはこうなんだっていうのが、
もう2歩目で真逆だったりするんですよ。
これが面白いです。
だから、何をどう見てるかは近いんだけども、そこで感じ方が違うってことでしょ。
解釈が。
だから、感じ方が違うからその後のアクションが変わってくるってことで、
全然違う方向に行っちゃってるみたいな。
確かにそれはそうだと思う。
で、そこまでいつも出す答えが違う。
アクションが変わってくる人として。
ド頭の時点でなってない人が。
福岡ってこうですよねってこと自体が全然。
違う違う、全然そんな。
どういうふうに見えてるの?っていうことがあるんですけど。
上水さんの場合は、結構この話だけじゃなくて、
いろいろなものが中心に捉えてるものは、
同じものをちゃんと見てるんですよね。
こういう人と出会うって結構珍しいなと思うんですよ。
だいたいもう最初から相入れない人が多いんで。
多いですよね。
だからもうだいたい、いろんな人がいるよねみたいな感じになっちゃうんですけど、
上水さんとは全然そうじゃないっていうのは。
確かにな。
いやでもそれはさっき途中話してたみたいな、
あえて非合理を選ぶという合理性みたいなのがあるんだと思うんですよ、僕の中で。
だから、なんでそうなるみたいなのが、
なんでその非合理みたいなことになっちゃうみたいな。
でも僕の中では、そこで合理的判断をすると、
なんとなく自分が絞んでいく感覚みたいなのがあって。
めちゃくちゃそれクリティカルかもしれないです。
分かりやすく、属性として僕合理的ですもん。
結構そうかも。
だから多分途中式からいきなり変わっていくみたいな。
合理的判断をしても、
サイドブレーキ問題にだから行きつくんですよ。
それが問題がなければ、
そりゃ横値がいい方がいいし、
スムーズな方がいいから、合理的判断をしていった方がいいって言うんだけど、
僕の場合はそれをしていけないほど、
自分にサイドブレーキがかかっていく感覚みたいなのがあって、
どんどん絞んでいくなっていう。
悲観というか、
なんかそういうのがあるんで、
あえて、これはあえてこっちなんだみたいなことをやると、
わけわかんない方向に行くみたいな。
なんでみたいになってくるの?
これタイミングもめちゃくちゃ面白くて、
まさに今日の収録の途中で、
あるある。
それが結構意外だった。
本当ですか?
ねみみに水と。
その感覚を持ってやってたんだみたいな。
でもそれは僕自身に対する福祉でもありますからね。
コミュニティどこにも属せない、
ある種孤立してる人間だから、
そういう人間がコミュニティを持っちゃいけないんだっけ?
みたいなのもあるんで。
人とは関わりたいけど、しがらみはめんどくさいし、
ちょっと僕みたいなねじれてる人いると思うんですよ。
そういう人は月に1回でも顔を出して、
人と繋がってる感覚を持てるとか、
毎週来る人がいてもいいし、
自分の頻度で関われるコミュニティみたいな。
ついつい今の時代って、
オンラインのDiscordとかLINEグループとかで、
グループにしちゃう価値なんですけど、
常に見えるとチャットが。
そこにどれくらい自分が関与できてるか、できてないか、
みたいなのが相対的に、
コミュニティとの距離感として見えちゃうから。
結構ね、僕とかそれがすごく見心地が悪くなっちゃうんで。
オンラインで囲い込む必要もない。
ただ僕が、公園都市いますよ、ここでありますよっていうのをやり続けて、
行けば誰かに会えるというような、
地域社会が機能してた頃の、
でも地域ほどしがらみがないみたいな、
新しい地域感みたいなのを作りたいって感じですかね。
昔の寺みたいな。
そうですね。寺みたいな感じかもしれない。
移動式寺。
移動式寺ですね。
稼働寺ですね。
まさに寺みたいな感じかもしれないね。
だからそれをやるのに、
2025年現在どこでやるのが一番効果的なのかな、
みたいなことを漠然と考えたら、
東京が妥当なのかね、みたいな思いつきレベルの状況ですね。
でも究極言ってしまえば、
何をやるにしても妥当なら東京ですかね。
そうですよね。
新しいというか、よくわからないことをやるには東京がいいって感じがしますよね。
だから自分みたいに、東京で地盤作って東京離れるのは全然いいんですけど、
まだ何も始まってないものを始めるのに適してる場所、国内でってなったら、
そりゃ東京ですよね。
そうだと思う。
たぶん公演始めたからだって感じはしますね。
すでに社会の中にあるものをわざわざ東京にやりに行くっていうのはめんどくさいなって思うけど、
ないものをやるのに適してる、みたいな感覚がすごくあるというか。
福岡もね、今それこそ再開発とか、
どんどんね、2045って言ってましたっけ、
結構ずっと人口増え続けるみたいな予測もあるじゃないですか。
だからいずれ今のこの、まだ繋がりが担保されてるような福岡じゃなくなっていくんだろうなと思ってて。
なんで5年10年すれば、福岡もちょっと東京っぽい孤独感みたいなのがもっと出てくるんだろうなと思うと。
その時にまたこっちに住めばいいかなみたいな感覚ですかね。
またもう行く前提になってるけど行くかどうかわからない。
みたいな頭の中にはそうなってるって感じ。
いや本当、01で何かを始めたいっていう人が東京に一極集中するからこそ、
こんな人福岡じゃ絶対いないなっていう変な人めっちゃいますからね、東京には。
わけわかんない人が普通にいるんで、
昔何かをやろうとした人なんだろうなみたいな人。
確かに。
そうだよね。
東京は多いですね。やっぱりそういう土地だから。
まあでもね、いろいろ言いましたけど、
あんまり住むところに永住するぐらいのノリではないから、
今は単純にこの短期的にどこがあれなんだっけ、
東京が一番福岡的っぽいなぐらいのすごい軽いノリなんで、
あんまりまだ考え切れてないって感じ。
まあでも言ってもせいぜい同じ日本ですからね。
そうそう、ほんとそう。
別にそんな…
シンガポール行きますとかね、
セネガルに移住しますとかの話じゃないからね。
なんなら福岡に仕事があるんで、
普通に月一回とか来るって、もし移住したとしても。
だから別にそんなに頻度がちょっと下がるぐらいで、
どこに家がありますかっていうだけの違いな気もしなくはないっていうか。
東京はね、ほんとどこに生息するかによって生活が全く変わるんで、
街々がもう完全にテイストが違うんで。
みんなね、街単位で居場所を見つけていくのが東京ですからね。
そんなに街がないんだよ、やっぱ地方都市には。
東京の中で、生息エリアが違うことによって交わらない人たちだらけですからね。
ここで遊んでる人たちとここで遊んでる人たちはもう全く関係がないっていう、いつまで経っても。
だからこそ上美さんが言っているような、
ポロッと漏れちゃって孤独になっちゃう人っていうのもたくさんいるっていうのはあります。
サイドブレーカーがいっぱいいると思うんですよ。
サイドブレーカーだらけじゃない?
サイドブレーカーどころか、メインブレーカーが。
そこって多分対応できないですよ、メインブレーカー。
サイドブレーカーぐらいの方と、サイドブレーキだよねって言って、
分かち合って、また明日から頑張って、
またサイドブレーキだよねって息抜きできる場所として、
公園的なる場所がね、場が作れたらいいなと。
東京となるとね、ゴリッゴリのメインブレーカーなのに、
全然ブレーキとかないですよ、とか言ってる人がいるレベルですかね。
そこはもうね、ちょっと強すぎて、会話が成立しないと思って。
個人ではどうにも。
どうしようもない。
行政にどうにかしてもらうしかない。
あまり関係ないのかもしれないですけど、
年齢とか的にも、行くならとか、そういうのも考えたりとか。
50になって行くのしんどそうですもんね、体力的には。
考えちゃったりしそうですけどね。
自分はもうこっちに住んでるんであれですけど。
本当にどうなっちゃうか分かんない人っていうのを、
実はいなかったかもしれないですね。
でも上西さんは上西さんって、ちゃんと仕事持ってますもんね。
現状はですね。
その上での公演活動ですから。
現状はですね。いつまで仕事もね。
てかね、そこの危機感みたいなのも、多分ちょっと異常なんだと思うんですよ。
危機感がある?
そう。
結構多くの人の仕事に対して、
無くなるんじゃ?みたいな気持ちがすごくある。
本当に物理的に無くなるかは時間軸分かんないけど、
価値としては、だいぶ境外化してるんじゃ?みたいなことってたくさん感じる?
いろんなものに対して。
別にその人がやる必要ありますっけ?とか、
その会社がやる必要ありますっけ?みたいな風に問うてしまうと、
ほぼない。みたいなことが起こって。
悪に変えたら、みんな意味のないことやってるんじゃないか?みたいな。
みんなが言い過ぎだな。多くの人が。
でも生活のために仕方なく、意味があると。
生活のために意味があるから、言い聞かせてやってるけれども、
その活動に本当に社会的意義だとか、
これをやることで、
今日より明日みたいな気持ちでやってますかね?っていうと、
多くの人が惰性でやってるんじゃないか?とかっていう、
結構暗いものの見方をしてる。
で、それが自分の仕事にも落とし込まれてしまう。
言える。生きるためにやっているっていうところがすごく強くあって、
で、それも、じゃあ、
AIがもっと、みんなが当たり前のように活用したら、
別に僕に相談する必要はなくて、
AIに聞いたほうが早いんじゃ?とか思うこともあるし、
わざわざ僕である必要があるか、みたいなことをすごい感じるんで、
なんか、それだったらよっぽど公演のほうが僕である必要性があるというか。
もちろんそれに価値がつくかは別ですよ。価値がつくかは別だけども、
僕である必要性はあるから。僕である必要性のあることをやって、
でも、そこで言う価値って、
別に、まだ体系化されていない価値だから、
何を価値とするかもまだわからない。
でもね、それは、僕が個人でやろうとしているポッドキャストとかも同じことが言えますね。
なんか、活動がひもついていないと、発信する意味って、
なんか、なんかなーっていう感じがあるんで。
ちょっと空虚な感じがしますね。
でもほら、ポッドキャストの文化は特にそうだったと思うんですけど、
ずっと喋ってる内容に価値があるもんだと信じてる人が発信して、
これ価値があること聞けたっていう人が受信してるっていう状態だったのが、
多分それだけじゃもう立ち行かなくなると思うんですよね。コンテンツとしても。
だからもうちょっとそれこそ上水さんが公演やってるのように、
リアルイベントと結びついてないと、
思ってることを話して終わるっていうことが価値と結びつきそうにないんですよね。
価値って意味はね。
それこそ価値ですよね。
そうなんですかね。
というか、そろそろ多くの人が、それに価値って見出せないよねっていうことに、
もう気づいちゃってるっていうのがあるんで。
それこそもう編集者の方言ってたのは、
ビジネス書とか全く売れなくて、健康の本しか売れないと。
もう完全に。
確かにビジネス書ブーム終わりましたよね。
ビジネスパーソンっていう言葉とかも、
死後ですよねっていう感じのノリなんですよ。
発信する側の人たちは。
確かにね。
10年前とか5年前くらいまでかな、
ビジネスパーソンって勢いのある言葉だった気がするけど、
今ってちょっと一歩間違うとね、
オワコン的な感じで、
ビジネスパーソンっていうのはあんまりいい言葉として、
かっこいいものとしては使わない感じになってきてる気がしますね。
もう旧世代のものっていう感じですよね。
言葉の流行りしたりでいうとですね、
イメージというとね。
単純にビジネスをしてる人はビジネスパーソンだから、
ビジネスパーソンだから、
その人がダサいわけではないけど、
言葉としての互換が持つニュアンスがそうなってきてるっていうのは。
やっぱその実態がよくわからないままブームにだけなってたんで、
そういうものってどんどん歪症化されていくじゃないですか。
だからコンテンツだとか、
何かを発信するような立場の人たちは、
そこに対するスピード感ってめちゃくちゃ早いんで。
世の中のムードをキャッチするのだとか。
5年前とか10年前とかに、
ビジネスパーソン界隈っていうふうなものを盛り上げてた人たちと、
それのフォロワー、盛り上がってた人たち。
っていうのの、下の世代はどう思ってるのかっていう情報が、
発信者側、マスの方は相当入ってくるんで。
とにかく今、健康らしいですよ。
健康な。確かにね。
それこそね、編集者の方なんていうのは、
数字で見えてるから売れなくなったというのが、
何部ぐらい平均になったのか。
健康のやつが今もどれぐらい伸びてるのかっていうのが、
数字で見えちゃってるから。
それは顕著なんでしょうね、おそらく。
確かにね。
でもね、お金が動くことを、
ビジネスだって言ってきちゃった、
20年間、30年間、20年間かなと思うんで。
もう、意味あるんだっけっていうのを、
いい加減ね、みんな嫌になってるんじゃないかなっていうのが、
2025年かなって思いますね。
だから、本当に人がやる価値があるって言ったら変だけど、
例えば、看護師さんとか、
いわゆるエッセンシャルワーカーの方とか、
やっぱり人がやってもらわないと困るなってことがあると思うんですけど、
現状。
けど、ホワイトカラーの大部分とか、
今、去年からAIがすごい台頭してきてて、
目に見えてですね。
いるんだっけ、ホワイトカラーみたいなところも出てきてるみたいな。
これが、もう2年3年っていうスパンで見ていったら、
マジでいらんよねってことがたぶんいっぱいあるんですよね。
もう生きていくために、仕事がこうですって言わないと、
お金が入ってこないから、みんな必死に
自分の今のポジションにしがみついてるみたいな感じじゃないって、
正直思ってる。
だから僕も今、収入源ってコンサルだったりとかするんですけど、
コンサルってなんだよみたいな話だったりもするっていうか、結局。
じゃあそれ、AIに叶えてもらってくださいみたいな領域もあったりするんで。
納得度の違いっていうか、僕が言うことでOKっていう人も中にはいるし、
頭とは別に、アドバイスじゃなくて手を動かしちゃってることもあるから、
それは確かに僕がやる意味はあるんだけど、
アドバイスだけしてる場所とかもあるし、
なんか、なんだろうな、どっちかって言ったら心理的に安心したとか、
そう言ってもらって、なんか大丈夫な気がしたみたいなところに価値があって。
それこそね、上水さんであることに価値を生み出してくれて、
上水さんにお願いしたいんだ、どうしてもっていう人とかね。
でもそこで言ってることって別にAIが言ってることと変わらないから、
じゃあもう公園でいいじゃんって思う。
やっぱそこっすよね、やっぱりね。
公園に来てくださいって、安心してくださいって。
全然聞いてくれたら何でも答えるしみたいな。
でも悩みだったら全然悩み聞くしみたいな。
そこに悩み聞くのでいくらですとかしたくないって。
僕います!みたいな。
やっぱそれさえブレなければね、いいっすよねやっぱ。
今上水さんが公園の部分でブレちゃったら、
また上水さんがダメージくらいそうですよね。
いやもう多分ヤバいっすね。
公園も違うかもって思ったら、
いやもう結構ヤバいですよ。
そうっすよね。
結構ヤバいっすよ。
なんでしょうね。結構ヤバいっすよ。
危なっ。なんか出そうになった今、お茶。
もう生きていけないレベルだと思いますね。
だから今ね、圧倒的に上水さんの生活の中で、
圧倒的に面積の広いレジャーシートが公園ですからね。
そうですね。
公園という活動そのものですからね。
いや良かったっす。
そして上水さん、ちょっとさっき雨降ってきた感じですよね。
じゃあそろそろですね。
そうですね。
じゃあ新年一発目、ありがとうございました。
ありがとうございました。
よろしくお願いします。
お疲れ様です。