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毎週木曜日というか、今日から木曜日は三好剛平のCatch Up。 クリエイティブプロデューサーの三好剛平さん、この時間に登場です。
おはようございます。 さあ、三好剛平のCatch Upとしてお送りする最初は何になりますか?
引き続きですね、週末に楽しんでいただきたいエンターテイメントをお届けするということになるわけですけれども。
先週のバーナデッド見に行ってめちゃくちゃ良かった。 ご覧になっていただいてましたよね。 本当に見てよかった。
最初は何のことかなっていう感じの時もあったんだけど、それが繋がっていた。こういうことかっていうね。
いやもう、あれは本当に見た方がいい映画です。
そんな、今日は? 今日はですね、実は本をご紹介したいなと思って持ってきました。
9月22日に発売されたばかりのまだ新刊なんですけど、古田哲也さんという方が書きになられた新刊「謝罪論、謝るとは何をすることなのか?」をご紹介したいと思います。
これなんかちょっとタイムリーな感じするでしょ? そうですね。
ここ数日、某芸能事務所による記者会見も話題ですし、今年日本で起きた印象的な謝罪関連の場面みたいなこと、例えばパッと思い返してみても、
例えばビッグモーターさんの謝罪関係がありました。
不祥事に対して、なぜかゴルフを愛する人たちへの冒涜とかって言って、なんかよくわかんないことを言ってる。
-あんなにポカンとしたことなかったじゃん、この時点で。
そこ?
あれは謝罪としてうまくいってたのか?みたいなこととかあるじゃないですか。
とか、この番組でも確か取り上げてらっしゃったと思うんですけど、スープストックっていうね、あのところが、
-離乳食の?
そうそう離乳食販売をなさられた時、提供を開始された時に、その反響に対して謝罪ではなく、
毅然と企業理念を発信するっていうことを選ばれたね、ああいう対応もありましたと。
みたいなことで、本当に謝罪みたいなものが、わりと世にあふれている状況がありますよねと。
さらにSNS上に目を移したら、本当言葉通り、毎日のようにもうあちこちで、
誰かが誰かに対して謝罪せよとか、反省せよ、みたいなことを求めるような現場っていうのが続いておりまして、
さらにそれに対して正しい振る舞い、あるいは謝った振る舞いで謝罪を披露して、
評価されたり、休断されたり、みたいなことが続いていますよねと。
マイナスで始まったはずの謝罪の場が、なぜか最後終的にはポジティブにとかプラスに変えられている場合もありますもんね。
そうなんですそうなんです。だからこの謝罪っていうものが何なのかっていうことを、
今一度考えるタイミングとしても、非常に良いタイミングであるこの時に、ちょうどこの本が出ていたので、
ちょっとこれについてご紹介したいなと思います。
この本は謝罪論ということで、タイトルの通り謝罪、すなわち謝るとは何をすることなのかっていうことについて、
いくつもの範例であったりとか、倫理学、政治哲学、法学、言語学など、
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学際的な人文知を動員して、その理解を探る書籍ですということなんですね。
この本では、まず最初にですね、導入どういう形で始まるかというと、
子供に正しくごめんなさいを教えるっていうのは難しいですよね、っていう書き出しから始まるんですよ。
ちょっとここの導入の部分を読み上げたいと思います。
単にごめんなさいとかすみませんといった言葉を発したり、あるいは頭を下げたりするだけではダメなのだとしたら、
何をすれば謝ったことになるのだろうか。
声や態度に表すだけでなく、ちゃんと申し訳なく思い、責任を感じることだろうか。
しかし、申し訳ないと思うとか責任を感じるとはどういうことなのだろうか。
そしてそのような思いや感覚を相手に伝えるだけで果たして良いのだろうか。
結局のところ謝るとは何をすることなのだろうか。
ここからつなげて、我々が謝罪しようとする時、具体的には何をしようとしているのか。
また相手に謝罪を要求する時、一体何を求め何を願っているのか。
みたいなことになっていくわけですね。
これは割と結構クリティカルに、そうよねってなるじゃないですか。
こういうふうに書き出した本が、ここからどういうふうに紹介していくかというと。
まず例えば電車で他人の足を踏んでしまった場合から始める。
そうそう、かなり具体的なんです。
だったりとか、上司の家で花瓶に当たって、その花瓶を割ってしまった場合とかね。
強盗致傷事件を起こして、その後謝罪をしたいとなった場合とか。
割と最初の段階では、こういう割と類型化されたような事例に始まって。
後半になっていくと、だんだん面白半分で飲食店の備品を舐めたりする迷惑行為を繰り返した人物が謝罪する場合。
聞き覚えありますね。
とか、企業あるいは自分の先行世代が行った負の遺産について代理となって謝罪する場合。
なんかどうも聞き覚えありますね。
とかとか。
あと、そしてもはや自分自身とは直接的な因果関係を持たない国家とか民族としての責任を問われた場合の謝罪とかですね。
だからやっぱり殺婚の聞き覚えのある事件であったりとか、もといえばキャンセルカルチャーとか。
あるいは政治責任とかっていうようなかなり大きなイシューも含めた、そういうふうに関わる事例をいくつも引きつつ、
私たちはどこまで当事者としての謝罪が可能かっていうことを粘り強く試作を深めていく本になってるわけですね。
って言うと結構難しい本かなって思うんですけど、これねでもね意外にね読んでいくとですね面白いんですよ。
これ何かって言うと、一つ一つのケースをそういうふうにこういうことがありますっていうことに対して、
この著者がですねどういうロジックでそれを解き明かしていくのかっていうのを聞いていくのが、ちょっとした例えば裁判の傍聴をしているような感覚というか、
こういうことがありました。で、これはこういうことだけれども実際はこうではないのかとかっていうことを非常にロジカルにですね積み上げていくんですね。
そういうふうにしていく過程を読者として共にすることで、本当に自分自身の物事にも引きつけながら、
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これってあれにも似てるよなとか、これってあのことじゃんって思いながら一個一個理解が深まっていくので、
いろんな範例が自分の中にストックされていくような感じになっていくわけですね。
最終的にこの本でも、最終的に謝るってのはどういうことなのかっていうことに対する一旦の全体像と整理もなされることになるんですけれども、
これ紹介しちゃうと元も子もないので、これはぜひちょっと読んでいただいて、でも面白いです。
これは本当になるほどなーっていう一旦の理解には行くと思います。
ひとつのストンと、これが正しい謝り方なんだなっていう答えが見つかる。
あの一定のモデル化はできるかもってなるんだけれども、そのモデル化っていいのかみたいなこととかね、ちょっとねいろいろ出てくるわけですよ。
完全にマニュアル化しちゃうと、そこに。
正解はこれって一つじゃないかもしれないですから。
良いとこ、良いとこ、良いとこ、そういうとこなんです。
今回ですね、この本でちょっとご紹介したいのが、なんでやっぱりこんなに謝るっていうただ一つのことを、また粘り強くこんなに探求できてしまうのかっていうところがあって、
これ実はこの本の著者のですね、古田哲也さん、この方にある種一貫する姿勢にも関わりがあるなとちょっと個人的には思ってるんです。
というのはこの方、哲学倫理学をご専門とされて研究していらっしゃる方で、東京大学大学院の準教授も勤めていらっしゃる古田哲也さんという方なんですけど、
僕は実は彼の本が大好きで、2018年に出された言葉の魂の哲学っていう本ではですね、
第41回サントリー学芸員大賞という素晴らしい賞を受賞されていたりとか、2021年には新書でいつもの言葉を哲学するっていう本も出ていて、これも非常に売れていた本です。
この古田さんの本にはとにかく一貫して一つの姿勢があるんです。
これ何かっていうと、言葉を大切にするということ。
もっと言うと、しっくりくる言葉を慎重に探し選び取るっていうことは、何よりも軽んじるべきでない人間としての責任であるっていう姿勢があるんですよ。
これは少しちょっとだけ、例えば前兆いくつか引用したいんですけど、言葉の魂の哲学っていうその本では、
ナチス・タイトー直前のオーストリアで活動した作家のカール・クラウスっていう人がいたんですけど、
当時社会が人々から言葉とか思考を奪って、常トークを駆使したプロパガンダを浸透させていくことで、
結果言葉を丁寧に選び取るっていうことを、その責任を放棄したことが最終的に戦争を呼び起こしたんじゃないかっていう説があるんです。
これをやっぱり根っこに置いて、自分たちはちゃんと言葉を選び取る責任があるよっていうことを例えば言ったりする。
あるいはもう一つ、いつもの言葉を哲学するっていうこの本から引用すると、
私たちの生活は言葉と共にあり、その都度の表現と対話の場としてある。
言葉を雑に扱わず、自分の言葉に責任を持つこと。
言葉の使用を企画家やお約束、常トークなどに完全に委ねてはならないこと。
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これらのことが重要なのは、言葉が平板化し、表現と対話の場が境界化し、私たちの生活が空虚になること。
引いては私たちが自分自身を見失うことを防ぐためだというふうに言うわけですね。
超重要でしょ?
特にアナウンサーとか言葉を届ける方にとっては、これ本当にそうだよって感じだと思うんです。
古田さんがこのようにして、この謝罪論という本を書くときに、
もちろんリスナーの方も今冒頭でもご紹介したように、タイムリーなトピックだよねっていうことで、
だから書いたのかなっていうふうに思うかもしれないんですけど、
やっぱり根っこにあるのはそういう思想だなというふうに思うんです。
やっぱりリスナー側もこれタイムリーだなと思うのは、
もちろんそういうふうにして今謝罪が溢れているからっていうことでもあるんだけど、
一方で皆さんが今日々目撃されている、境界化してしまっている謝罪のあり方であったりとか、
謝罪として全く成立していない刑事的な振る舞いみたいなものに違和感があるってことだと思うんですね。
この違和感こそが私たちの生活を空虚にしてしまうことを押し留める、
とっても重要な直感であるというふうに思うわけですね。
なんとなくそんなもんでしょっていうふうに思考停止したりとか、
考えることを放棄してしまったりしないっていうこと。
で、自分たちの対話とか行動がこれからも正しく成立している地平を守るためにも、
粘り強くその違和感と対峙していくっていうことが大切だよねっていうことで、
謝罪っていうことをたとえばじっくり考えてみましょうよっていうことになっていくわけです。
そんな本です。
違和感すら感じなくなったらもう本当に終わりっていうね。
そういうことなんです。本当にそうなんですよ。
だからやっぱりあのじゃりっとしているものとか、なんかしっくりきてないんだよなっていうことを流さないっていうことですね。
そこから始まっていくもの、そのやっぱりその抵抗こそが、
実は自分たちを守るっていうことにもつながっていくんじゃないかっていう姿勢が、
古田さんの方には常にあると思います。
うーん、なんか今の時代にもすごく必要なものが書かれてあるんだろうなって、
すごく話を聞いてるだけでもね。思いましたね。謝罪論という本ですよね。
はい。謝罪論。謝るとは何をすることなのかという古田哲也さんの本でございます。
ぜひともチェックいただければというふうに思います。
ということでこの時間は三好豪平のキャッチアップをお送りしました。
バッテン少女隊の春野きいなと
アオイリルマです。
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