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2022-05-29 09:04

#466 美しいもの以外、消される

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老いたスヌーピーとモデルの物語。究極的には質問によるところが大きいが、実際的には印象によるところが大きい。沈黙は金なり。ただし、美しいもの以外、消される。


上水優輝

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、美しいもの以外、消される、という話をしたいと思っています。 日本人の友達がほとんどなので、外国人のことはわからないんですけども、
言語化がとても苦手な人が多いなぁという印象を受けるんですね。 先日、ちょっと友人と雑談をしていて気づいたんですけども、
どうやら遠慮して言葉にしないから、 要は言語化しないから、いざという時、言葉にしたい時に言語化もはやできないんだろうなっていう風に
思ったんですね。 それはそれで、言葉にしないと言葉にしたい時できないよね、みたいなすごい単純な話なんですけども、
もっともっと根深いものを感じるというか、 喋らないから喋れないよね、みたいな単純な話でもないような気がしてきたなっていうことを今日はお話ししたいなと思っています。
その友人と話してた雑談っていうのが、 僕は結構言葉をそのまま表現してしまって、よく傷つけてしまうんだよね、と。要は人の気持ちに、
悪い意味でね、ダイレクトに刺さってしまって、 傷つけてしまうとかいうことがあるよね、あるんだよね、みたいな。
課題について議論するっていう場なのに、その課題を議論しているだけなのに、なんか人は傷ついて、途中から無視されるみたいなことが過去あったんだよね、みたいなことを言って、
それ誰?って言い出したから、 ほら、いつかの忘年会に来てた子だよ、みたいな。
あー、なんかわかる気がするな、みたいな。 どんな顔をしてたっけ?って聞かれたから、僕は答えたんですね。
おいた、おいたスヌーピーみたいな感じの顔をしてるんだよね、って言ったら、
あー、わかる。 口悪いね、みたいなこと言われたんですよ。
わかっちゃったのに、僕は顔がわからないって言うから、 僕の目にどのように映っているかをなるべく正確に表現したまでなんですよね。
それがまあ普通のスヌーピーじゃなくて、ちょっとおいたスヌーピーみたいなね、 ちょっと干からびたスヌーピーみたいなイメージがあったんで、そのまま言葉にしたんですけど、
まあそれ悪口だよ、とかっていうふうに言われたんですね。 でも僕はそのように見えていると言っただけで、別に年老いたスヌーピー、
干からびたスヌーピーが良いか悪いかとかいうことは一切、別に僕は評価してないですよね。
あの、そのそういう表現が悪いと思ってないというよりは、おいたスヌーピーのことを悪いと思ってないので、
えっと、なんていうのかな、悪口かって言われると、悪口ではない、見たものを表現するとそうなる。
スヌーピーと言えば嘘ですよね、だってそんなピチピチしてないわけですから、干からびたスヌーピー、干からびているってことが重要なので、
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干からびた犬っぽい感じっていうのは重要なので、干からびたスヌーピーとか、おいたスヌーピーっていう表現でないと、スヌーピー単体でおかしいし、
おいた人だよってのもおかしいしってことなんですよね。 一般的においたっていうことは、おいているってことは良くないことだっていうことで、
口が悪い、悪口だっていうふうに言ったんですけども、一般的においたとかいうことが悪いと思っている、その人が悪いと思っているだけで、
僕は悪いと思ってない。なぜなら見たものを言っているわけで、どんな顔をしているかをなるべく正確に分かるように表現しただけであって、実際それで伝わってたしね。
で、それが悪いとか言ってない。その人の顔が悪いって言ってるみたいなもんじゃないですか。僕はその人のことを悪いと思ってないから、そのように見えるということを言っただけなんですね。
でも相手はそれ悪いことだっていうふうに言ったわけですね。 これだけ言うと皆さんもね、いやいや
お前の口が悪いよっていうふうに思う。そう思ったかもしれない。 でも逆パターン考えてみましょうと。闇の深さが分かります。例えば
どんな顔だったっけって聞かれて、170センチ以上ぐらいあって、背がすごく高くて、足とかすごい長くてスラッとしたモデルみたいな人いたじゃない?って言うと
悪口だねって言わないじゃないですか。 別にこれも僕はだから綺麗だとか、だからいいんだとか言ってないし、単純に見たものを言ってるんですね。
つまりその存在がどうであるか、どのような物質的にどのようなフォルムをしているかみたいな話を、なるべく正確に伝えようとしただけであって、そこに良いとか悪いとか
美しいとか美しくないとかが介入する余地はないんですよね。勝手に相手がそこに評価を加えて美しいことを言ってるからOK、美しくないことを言ってるからNG、悪口だみたいなことになっていると。
これって、引いて考えた時にどういうことかっていうと、美しくないものを語ってはいけないってことだと思うんですよ。
美しくないものをそのまま言語化してしまうと悪口を言ってることになる。
バカにしているとか、酷いやつみたいになる。でも、干からびたスヌーピーじゃない、年老いたスヌーピーで実際伝わったわけだから、相手もそのように見えていたということじゃないですか。
で、僕は別に悪口として言ってるわけじゃなくて、どんな姿の人ですか、どんな顔の人でしたかって、だから表現してるわけなんですよね。
だからそれがモデルみたいな人だろうが、老いたスヌーピーみたいな人だろうが、そこに優劣はないし、それがね、どっちが美しいと思いますかっていう感想を聞かれれば答えますよ。
でも、どんな顔でしたかって質問に正確に答えると、自分がその人の顔をどのように見ていたかっていうことを答えるわけじゃないですか。
なのにその回答を、物事をいちいち、良いか悪いかとか、美しいか美しくないかで判断するのは相手の側だと思うんですよね。
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わかりますかね、この辺。 ここが僕は闇だなと思った。
世の中では あまり美しくないものを言葉にしちゃいけないんだなっていう、言葉にすることそのものが悪口であり
バカにしているとかそういうことになるんだなっていうことを感じたんですね。
例えばなんだろうな、今度来るあの男の子ってどんな人なのって言われて、相手は明らかにイケメンなのかどうかを気にしているってことを察するとしますよね。
でもどう考えてもその人はイケメンじゃない。 ブサイクだよとは答えないさすがにね。別に評価してるじゃん。
かっこいいよとかブサイクだよってのは評価ですよね。 正確に表現しようとすると、どのように見えているかを表現しないといけない。
なんか蜂の大群に襲われて顔がパンパンに腫れ上がったディーン・フジオカみたいな顔してるんだよねみたいな感じで言うと想像つくじゃないですか。
ディーン・フジオカがこう蜂に刺されまくって顔が腫れ上がったような顔をしてるんだなってビジュアル浮かびますよね。
どんな外見の人かわかるじゃないですか。 でもイケメンなんだよねとかブサイクなんだよねってそれこそ
おかしいよね。そしてイケメンなんだよねは許されるけどブサイクなんだよねって言ったらいやそれひどいよ悪口だよってなるわけじゃないですか。
つまりマイナスのことを言語化するっていうことそのものが悪とされていて、マイナスのことって受け手の評価としてマイナスだと思っていることを
こちらが言語化することそのものが許されないこと、ひどいことになってしまうと。これはね恐ろしいことだなと思いますよね。
実際に社会生活を送っていると、例えばねさっきのオイタ・スヌーピーを目の前にしたときに
私のことをどんなふうに見えるというか、オイタ・スヌーピーみたいに見えるねとさすがに僕も言わないですよ、その社会生活を送る上で別にごまかしたりとかするし
スヌーピーみたいだねとも言わないしなんか適当に切り抜けると思うんですけど、今回の話題っていうのはそのスヌーピーは目の前にいないし
その顔がわからない人にどんな顔かというかどんな顔かを答えただけなんですよね。 これが悪口だとかいうふうに捉えられるこの社会っていうのは
美しくないものを語ってはいけない社会になってしまう。となると美しくないものは語られないってことは、美しくないものはどんどんいないことにされていくと。
もちろん存在としてはいるんだけども、美しいものばかりがフォーカスされ美しくないものが排除されていくという力学が働いていくんだろうなってことを思いました。
これはね単純に僕の口が悪いっていうふうに思ってもらってもいいんだけど
質問によるんですよそれは質問によっては僕の口が悪いとも言えるし顔どんな顔かって質問だからね
その顔を説明するだけだからそれに口が悪いとか何もなくてないと僕は思うんですね これが何か伝わってほしいなと思うんですけどなかなか難しいかもしれません
本日は以上ですまたお会いしましょうさよなら
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