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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。完全招待制の晩餐会を開催したり、応援にレジャーシートを敷くなど、存在としての講演のコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。前回、前々回と
他者とのコミュニケーションにおいて、対等に
対話を成立させるには、前提を共有するということが
とても大事なことであると。大事どころか、
それが共有できていないと成立しないんだと。成立しているように見えても、それは見せかけだけで、やっていることは
どっちが強いか、どっちがコンマケするかという、要は支配。 言葉の暴力であり、支配でしかないんだと。
決して対話で分かり合ったわけではなくて、見せかけ上はね、対話で言葉を使って分かり合ったかもしれないけども
蓋を開けてみるとやっていることっていうのは、別に前提も共有できていないし、お互いが言わんとしていることはお互いに分かっていなくて、もしくは片方しか分かっていなくて
結局どっちかがコンマケして、どっちかの意見が通るみたいな、支配の構造でしかないんだという話をしてきました。
なので、前提が共有できない人とは対等なコミュニケーションが取れないので、まあ距離を取りましょうと、取りましょうとか取ったらいいんじゃないですかと、前提が共有できている相手がないし、
共有ができていないけれども、共有できるんじゃないかと期待感を持てる相手とだけ対等なコミュニケーションって可能なんじゃないか、みたいなことをお話ししてきました。
個人の対応としては、それでいいんじゃないかなって思っているんですけれども、社会に参加していく上ではですね、ちょっと味気ない感じもするなと思ったりすると、
思想レベルのですね、結構強烈な根底にある価値観みたいなところをさらけ出せる、さらけ出し合える相手のことを思想フレンド、思想フレーと呼んだり僕はしていますけれども、
この人生はですね、思想フレーを丁寧にですね、増やしていく。増えなくてもいいんですけど、たくさんいたらいいなという意味で、たくさんの、できるだけ多くの思想フレーを作っていくっていうのが一つのね、要素として重要なね、人生の要素としてあったりするんですが、
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思想フレーとだけ過ごしていくっていう生き方もあるかもしれませんけども、やっぱりちょっとね、閉じすぎているなっていう気もするんで、なるべくその輪を広げたいとか、思想フレーレベルではないにしても、安全に心を開いて、
対等にコミュニケーションができる関係性みたいなのが少しでも広がったらいい。小さな社会、社会とは言えないかもしれないけども、小さなコミュニティレベルかもしれないけども、お互いの違い、前提を乗り越えてですね、ある程度、乗り越えられるような前提を共有できるみたいな関係性が築けたらいいよなと思ってやっているのが、
この存在としての講演というコンセプトでやっている講演活動なんですね。意外に思われるかもしれませんけども、そういうことなんですね。そこに後付けというか、後で気づいたところでもあるんですが、ポッドキャストをやってね、それって自覚したことなんですよね。
ポッドキャストでこうやって、最初はね、リスナーさんにお会いする機会もなかったんで、誰か聞いているかもわからないけれども、データ上ですね、何百人という人が聞いているみたいなのが見えてきたりとかして、誰かわからないけど何百人の人が聞いているんだなと思って話を続けていて、そうするとある日、
その時ツイッターだったかちょっと忘れましたけども、Xツイッターでですね、今度東京に行くんで、飲み会やるんで、会ったことない人でもいいですか、よかったら飲みませんかと言って、20人近くで集まったりとかですね、
あと他のポッドキャスト番組でオフ会話をやったりとか、そんな感じでリスナーさんとお会いする機会っていうのが一昨年かな、結構あって、その時にですね、結構衝撃だったというか、やっぱりポッドキャストは長い時間、話を聞いていただいているんで、
前提となる価値観みたいなものを共有できていると、それが嫌じゃないよとか、分かってるよという前提である程度来てくださっているとか、語り口がとかね、僕の使う言葉がとかにいちいち傷つかないとか、そういう方がですね、来てくれて、そこで出会うと初対面でもですね、
全然初対面とは思えないようなコミュニケーションの成立の仕方をするんですよね。それは前提、文脈を共有できているから、こういう話が好きな人だよねとか、こういう深さで話す人だよねとか、ということを分かってくれた上でお会いしているから話が通じると。
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これは別に僕に限った話じゃなくて、他の番組の方からもよく聞く話で、コミュニティを運営していて、オンラインの。そうするとそのコミュニティに集まった人同士が結構活発に価値観を共有しあってて、いろいろアクションが起こっていくんですよっていうのを言っている人がいて、
それはやっぱりその番組を好きな人たちが集まっているから、同じようなある一定の要素を持っていると。みんなが似たような人だって言いたいわけではなくて、その番組を心地いいと思う何か価値観を持っている人たちが集まって、そのコミュニティに所属しているから、その価値観を前提にここまでは言っていいみたいな、なんとなく前提を共有しているからこそ踏み込める部分みたいなのがあって、
少し話が活発になったりする、コミュニケーションが活発になったりするっていうのがあるんだろうなと思ったりします。
よくビジネスサイドの話で、じゃあコミュニティが熱いんだな、コミュニティを作ろうとかって、そうやって枠組みだけ作って人だけ集めてとかそういう人いるんですけども、やっぱり前提を共有してないので、すぐに始まった数日間だけ活発でサーッと人が引いていて、みんな沈黙すると。
前提を共有していないから、みんな疑心暗鬼になっちゃって、何も言えなくなっちゃうっていうやつですよね。それぐらい前提を共有する、文脈を共有する場合だと価値観だったりとか何に関心があるとかいうことだったりするかもしれませんけども、話題だったりね。
共有しているものがあるから、安心安全のコミュニケーションを取れるという要素になってたりすると思うんですよね。僕も存在としての講演というコンセプトで、講演は講演なんで、講演に行ったことない人っていうのはあんまりいないと思うんですけれども、物理的な講演じゃなくて存在としての講演っていうのがわかりづらいので、なかなか理解まではいかないかもしれないですけども、
それを空気で感じてもらったり、感じてもらえるように僕自身も頑張ってですね、その講演を体現できれば、前提としてここは講演なんだなということを共有して、集まった人とのコミュニケーションがそのようなトーンで行われると。
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そういう文脈作りですよね。前提作りみたいなことを僕はやっていると言っても、ほとんどそこをやっていると言っても過言ではないですね。
晩餐会にしてもですね、立て付けだけ結構細かくはないか、割としっかりやっているというかですね、細かくはないがしっかりここは譲れませんよっていうライン、ルールみたいなものがあって、でもそのルール以外は自由ですよと。
もっと言うとルールではないけれども、現象のミッションミッションバリューではないですけども、目指している世界観とかがあったりするし、僕のポッドキャストで言語化されていないトーンだったり、言葉と言葉の隙間にある見え隠れする価値観だったりを言って共有している人たちが集まっているというところでですね、成立する前提みたいな、
共有している前提みたいなのがあって、だからこそ成り立つ晩餐会なんだ、みたいなことがあったりするわけですよね。だから前回前々回の話を聞いただけだと、もしかすると僕が前提を共有できない人とは一切コミュニケーションを取りませんよっていう風に聞こえたかもしれませんけども、
半分正しいんですけど、結構リスキーなテーマでポジションを取って自分の立場を表明して話すってことは、そういう人としか話しませんよっていうのはそうなんですけれども、一方でですね、コミュニケーションを閉じる気はなくて、もちろん講演ですから、むしろどんどん開いていくし、
その前提を共有する文脈を作りをすることによって、そこに集まる人たちが一定の前提を共有してコミュニケーションを取れるような場作りっていうのをどんどんやっていきたいなっていうのは思っているところですね。
社会の中であたかも前提を無視して意見を表明する立場を表明して、もちろんそれは勇気のある行動だからいいと思うんですけども、無自覚にやっているととても危ないなと思いますので、比較的安全に人と人が関われればっていうのをこれから作っていきたい。
今も作ってますが、もっともっと作っていきたいし、もっとより安全で、より安心できて、より楽しくて、より繋がりが拡張されていくような場作りができたらいいなということを、最近の前提を共有できないまま言葉の暴力がまかり通っているみたいな社会を見るにつけますます自分の活動に対して気が引き締まる思いというか、しっかりやっていきたいなと思っているところでございます。
なので、この3部作、結果として3本続きみたいになっちゃいましたが、むしろ、何でしょうね、やるぞっていう感じですね。
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本日は以上です。
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それではまたお会いしましょう。さよなら。