お金をご支援いただいた方に何か直接ね、サービスを提供するというようなものではないんですね。
得点等はですね、もちろんございますけども、あくまで支援のお礼として、おまけとして受け取っていただけたらというようなささやかなものになっています。
このようなですね、寄付モデルっていうのは、一部のコミュニティではそんなに新しい考えでもないかなと思うんですけど、一般的にはですね、まだまだ意味不明だと思いますので、責任をもってですね、詳しく説明する必要があるかなと思って今回のエピソードをですね、撮っています。
具体的にはですね、なぜ講演活動なのかという問い、そしてなぜこの寄付モデルなのかという問いに答えられるような内容にしていきたいと思っています。
少しね、長くなるかもしれませんけれども、ぜひ最後までお付き合いください。
なぜ講演活動なのかっていうお話をする前にですね、講演活動を始めたその背景、バックグラウンドみたいなところですね、そこから話していかないといけないかなというふうに思っています。
ポイントは大きく2点。
一つは人が持つ力、人との繋がりから生まれるきっかけみたいなもの。
そしてもう一つは現象を設立し、そして僕が中年であるということですね。
詳しく説明していきます。
まず一つ目、人との繋がりが持つ力ですね。
僕自身幼少期から様々な経験を通じて、結局人との繋がりが一番大事だったなというふうに思っています。
人との関わりの中できっかけをもらって、そのきっかけをつかむ形で人生がですね、階段上ではなくて、全然別のステージにジャンプするような感じで、別世界にどんどんどんどんジャンプしてきたような、そんな人生だったかなというふうに思っています。
すごいざっくりな振り返りになりますけれども、例えば小学校のときにいわゆる陰キャと陽キャみたいなのがありますけれども、完全なる陰キャだった自分が3年生のときにクラス1の陽キャみたいな人に気に入られたことによって、突然陽キャの仲間入りをすると。
こういう一瞬にしてですね、スクールカーストを移動するみたいなことが起こったり、これもまさにその一人の友人の力で別世界に移ると、それが良い悪いはさておきですけれども、別世界に移動するという経験をした現体験かなと思っています。
悪い例で言うと、中学校のときにサッカー部に入部したら、その顧問の先生というのがものすごいパワハラというか過剰な指導だったので、虐待と言っても過言ではないレベルだったんですけれども、たった一人の顧問の力によって主体性がそがれ、
意思の力がなくなっていくというような経験もしました。ある意味ではそれも人の力によって、たった一人の人の力によって、僕や同じサッカー部のメンバーの生活が変わったと思います。
その後も福岡市に出てきて、出てきたらいいもののバイトと家の往復という感じでふぬけていたわけですけれども、万能市に福岡に来たのにバイトしかしてないという状況に対し、マンションの管理人さんがカツを入れてくれて、
それによって僕はライブハウスにその足で向かって、そこからライブハウスで働き出したりとか、そこでまた人と繋がって、ライブハウスから引き抜かれて、そこから玉付きのように、どんどんどんどん福岡での人間関係というか、それを含め生活というのが前に進んでいったということがあったんですね。
その後、専門学校に通い始めた時には、クラスメイトとはもちろん仲良くしてたんですけれども、誰にも頼れないと、信じられるのは自分だけだということで、一匹おかみでやってきたんですけれども、やっぱり味気ない。
それはそれで社会生活を送れるんだと思うんですけど、人生としては味気ないなというふうに思ったんですね。
医療業界も自分には合ってないなと。事前に調べるという感じなんですけれども、医療業界も自分には合ってないなということで、専門学校を辞めようと思ったときに、非常勤講師。
その学校の非常勤講師で来ていた教育系ベンチャーのとある社長さんが、僕を誘ってくれました。
何の実績もスキルもない中、事業立ち上げから何から何までいろいろ任せてくれて、すごく経験になったし、それが自信になりました。
お酒真っ暗だなというところに、また別のキャリアというか別の場所をきっかけとして用意してくれたと。
それをつかんで、そこでまた活動できたというのは、本当に人とのつながり、人の力だなというふうに思っています。
さらにコロナ中だったかな、クラブハウスというアプリが始まったときには結構みんなでしゃべっていたんですけれども、
そのときに出会った方と今一緒に活動をしていたりとか、また仕事を紹介されることになると、一緒に働きませんかということでお誘いをいただいて、
そこからアベンチャー2社で働き始めるというようなことが起こったりと。
これはいわゆる社会のレールというか、簡単に言うと高校行って大学行って就職してみたいな、
そういうきれいな流れに乗っている人にはなかなか想像がつかないキャリアだと思うんですけれども、
普通キャリアというときには今までの経験を生かして次に行くと。
今持っているスキルであるとか実績をもとにそれで戦えるものという感じで、階段上で次のステップに行くと思うんですが、
僕の人生を今すごくざっくりお伝えしただけでも、とんでもない方向転換を何度もしていると。
それはその時々に出会った人たちからのオファーみたいなものに乗っかってみたというやつですね。
きっかけをもらって、そのきっかけをつかんでみたら別のステージで活動することになり、
そのステージで活動しているとまた誰かと出会って、そこで何かきっかけをいただくという、
そういった感じでまさに人が持つ力ですね。
その人との縁の中できっかけをもらって、そのきっかけが人生を変える原動力になった。
原動力というか人生を変える直接のきっかけになったというところですね。
さらに良かったのは、なっしくずし的に変えられたとかではなくて、
飛び込むか飛び込まないかは自分の意思に委ねられてきたと、
あくまでお誘いだったと、やりませんかと、良かったらどうですかというオファーだったと。
これは自分の意思でですね、納得して飛び込んでいるというところも、
すごくポイントとして大事なところかなと思っていますね。
させられたではなくて、いろんなきっかけをいただいて、
そのきっかけに自分でジャンプしたというところがすごく良かったなと思っています。
これが一つ目ですね。
人の持つ力、人との繋がりによってもたらせるきっかけの力というところです。
二つ目、中年になったことと現象を設立したことについてなんですけれども、
現象を設立したのは、結構偶然の部分というのも大きかったかなというふうに思っています。
ベンチャー2社を掛け持ちしながらですね、バリバリ働いていた、2022年ですね、頃ですが、バリバリ働いていました。
もっと言うとベンチャー2社プラスですね、個人事業主としてもコンサル業をやったりとかしてですね、
ある種3つの活動をやっていたわけなんですが、
2023年の初旬に、その2社目のベンチャーが、ここから5年間ぐらいは、ものすごい理不尽なことが起こっても、ものすごい変化が起こっても、
知恵度をはきながら頑張って耐えしのぐ、みたいなコミットメントが求められるような局面にあったんですね。
考えた末に、どうせ苦労をするんだったら、なし崩し的にそこに巻き込まれる形ではなくて、
自分の会社でそうありたいなというところで、全職を辞めることを決意しました。
2023年の春に退職し、それとほぼ同時に株式会社現象を設立しました。
この時はまだ何をするかというのは具体的には決まっていなくて、組織化せずに一人会社としてやっていくということのみを決めていました。
固定化された序列関係みたいなものがすごく僕は苦手、好きではないので、組織化したくないと。
固定化した序列関係を作りたくないと。組織なんて序列の塊ですから、そういったものをやりたくないというところで、
とりあえずは個人事業主の延長としてコンサル業で設計を立てるというような状態からスタートしました。
ただ、わざわざ株式会社現象を設立していますから、何をする会社なのかということは活動をしながら考えていくという、
それが2023年だったかなと思っています。
2023年には試行錯誤でポッドキャストをたくさんやりました。いろんな番組を立ち上げてやりました。
そうすると、人隣みたいなところに興味を持っていただいて、リスナーさんからですね。
それは僕の実績とかスキルに興味を持ってもらっているわけではなくて、
どんな人なのかという、人間に興味を持ってもらったというところがすごく良かったなと思っています。
いわゆる機能、何ができるかじゃなくて、存在ですよね。どうあるかとしての価値みたいなことが認められたと言っても、
過言ではないというか、存在として価値って出せるのかもしれないというふうに思えたのはポッドキャストのおかげかなと思っています。
またポッドキャスト関連でですね、新たにリスナーさんと出会う機会というのがたくさんあって、
ポッドキャストを事前に聞いてくださっているので、初対面のときの会話みたいなものがすごく深まるんですね。
社交事例とか探り合いとかが必要ない、僕がどういう価値観でというのもあらかじめ知ってくださっているので、
相手もどれくらい突っ込んでいいのかとか、自己開示どれくらいしていいのかということも調節しやすいようで、
関係が一気に深まると、初対面でも結構深い話ができるというような経験をたくさんしました。
これでですね、ポッドキャストと人間関係というかコミュニティみたいなものの相性の良さというのを、