まず梅田さんにお話を伺いたいんですけれども、
リチェルカの創業前にどんなことを されてきたかについて教えていただけますでしょうか。
もともと新卒でみぞお銀行に入校してまして、
その後ワークスアプリケーションズという 大手企業向けにARPと呼ばれる機関システムを
提供している会社に転職しまして、
そこでまさに大手企業に今僕らがやっている サプライチェーンマネジメントだったり、
会計の仕組みっていうのを提供する 仕事をやってまして、
その後いろんな思いがあって、
スタートアップ行くぞって思いまして、
当時20人ぐらいでプロダクトリリースする直前ぐらいの
AIインサイドって渋谷、
移転しちゃったんですけど渋谷経営さんの隣にあるスタートアップに入って、
その時まで売上全然4500万とかかな、
だったんですけどその時に入りまして、
営業都市入って売りまくって、
シェアローというポジションでIPを経験して、
その後会社辞めるってなって、
ユーテックが利用都市化だったんで、
東京大学Hキャピタルのユーテックの方からペンチャーパートナーっていう、
キャピタリストじゃなくて、
当時先の支援をする仕事をやりませんかって言ってもらって、
それやってたら当時先の一社のハシポートっていうブロックチェーンのスタートアップですね、
大阪万博のインフラとかで採用されたりしてる会社なんですけど、
そこのCEOをやってほしいって話があって、
CEOをやって独立っていうキャリアになってます。
かなり盛りだくさんなキャリアを一気にまとめて教えていただきましたけれども、
いろいろな思いを持ってスタートアップに飛び込みたいと思ったっていうところについて、
少し詳しくまたお話をお伺いできますか。
ワークスすごい順調なキャリアで、
ずっと上位5%のA評価を取らさせてもらっていて、
最年少でマネージャーにも募集してもらったし、
よくいけば順風満帆みたいなキャリアだったんですけど、
会社が急成長をしていく中で、
いろんな問題があって、
傾く瞬間みたいな時にもいたんですよね。
海外の方はみんな知ってると思うんですが、
いろんな理由があって、
僕は会社がやってきたことは正しいと思ってるんですけど、
人急激に増えすぎた。
僕入ったとき3年になったんですけど、
4年後で辞めるとき7000人とかいたんですよ。
そんなに倍以上に。
1年で1000人取るみたいな採用をしてたので、
なかなか立ち上げ難しかったりとかっていうのもあって、
でもチャレンジではあると思うし、
それがダメとかっていうことじゃないと思うんですけど、
会社傾いていく中で、
自分たちは何が原因で、
何が理由でそうなってるのかみたいなこといくつか見えていて、
ワークス大好きだったんで、
景気客っていうか建物知ってるチームに行きたいっていう、
希望を当時は営業の本部長に伝えてたんですけど、
取らなかったんですよ。
自分でもあるんですけど、
売れる営業だから営業地は出したくないっていうのもあるし、
一方で営業地しか知らないんで、
じゃあお前が行って何になるんじゃいっていう、
移動したいっていう景気客も、
別に僕のこと欲しがってたわけでもないと思うし、
それを理解したときに、
営業やってるだけじゃダメだなって思いまして、
営業は得意だってあったんですけど、
ヒーローになった次の日に、
気がリセットされた瞬間に何もないものに戻るというか、
また目標はなきゃいけないみたいな、
嫌っていうか、
これいつまで続けてるんだろうなみたいなのもありまして、
ずっと営業でいいのかなって思いに対して、
目の前で営業しかやってこなかったことによる、
自分の無力さみたいなものが掛け合わさって、
転職しようかなって思ったっていう、
結構それがいくつかの理由はあるんですけど、
一番大きな理由かなと思います。
もともといつかスタートアップを起業したいみたいな思いもあられたんですか?
全くなくて、そもそも人前で喋ることがすごく苦手で、
今となっては信じられない。
絶対嘘だってよく言われるんですけど、
本当にワークスのときも、
忘年会の感じとかよくやってたんですけど、
企画とかするの大好きなんですよ。
みんながどうやって楽しんでくれるかなとか、
あまり好きなんですけど、
人前で視界ができないんですよね。
喋れないんですよ、うまく。
なんか結構やいのやいの言われたときに、
いい返しもできないし、
めちゃくちゃつまんないっていつも言われてて、
そもそも人を束ねるのは苦手だから、
どちらかと言うとCOになりたいっていう思いが、
ワークスのときはあって、
ワークス辞めるってなったときに、
転職する、転職先を探してるときに、
僕ずっとなんか、
俺はCOになりたいんだって言ってたらしいんですよね。
27歳のときの記憶なんで、
僕は覚えてないんですけど、
すごいそこにこだわってたから、
自分で起業することになるって、
正直全く思ってなかったというか。
そうなんですね、なるほど。
だから一営業から、
よりビジネスパーソナルとしては幅を広げていきたい、
経理に携わりたいっていうところから、
スタートアップっていうのがオプションとして出てきてた。
そうですね。
そろそろワークスにいたんで、
アクセンチュアとか、
あとは外資の、もっと給料めっちゃ高い、
サーズの会社とか、
いっぱいオファーもらったんですけど、
これでいいのかなみたいなところと、
ワークス行くときも、
24歳で転職してるんですけど、
日本人から実はオファーもらってて、
ワークスの倍ぐらいの給料で提示書もらってたんですよ。
24歳で。
すごくありがたかったし、
超悩んだんですけど、
半分ぐらいの給料のワークスに行くっていうことを選んだことが、
自分の中では当たったというか、
こっちやっぱり飛び込んだ方が、
障害年少増えるみたいな。
結構今はあれなんですけど、
昔はやっぱ30歳で年収1000万みたいな、
なんとなくの目標があって、
でもそこに向けて、
力つけるぞっていうところで、
スタートアップ飛び込んだっていう。
ありがとうございます。
すごい野心家の側面のところも、
当時20代の梅田さんからもにじみ出るエピソードで。
ありがとうございます。
でも社長でやりたいとか、
スタートアップ起業したいとかは全くなかったんで。
ありがとうございます。
なんかどんな感じだったのか、
もしよければ第一印象と合わせて教えてもらえますか。
はい。
お願いします。
はい。
エンジェルラウンドでですね、
僕らが投資させていただいたのは確かSEEDのラウンドだったんですけれども、
そのエンジェルで調達をしたっていうリリースを、
プレスリリースを確か出した。
出しましたね。
何も出すことなかったから、
これ外に出せると思って出した記憶ある。
いや、本当に。
23年の確か8月ぐらいだと思うんですよ、それ。
でしたっけ。
夏に出したんで。
ああ、でもそうかも、確かに。
で、やってらっしゃる領域ってすごく魅力的だなとは思いまして、
結構やっぱりこういう大きなテーマ感に挑戦できるスタートアップって、
そこまでめちゃくちゃ多いわけじゃないかなと思った時に、
こんなテーマ感、サプライチェンマネジメント、かつERPみたいな、
根幹のところに行く人たちがいるんだみたいなところですごく興味を持って。
で、知り合いの企業家の方ですね。
そうか、島田さん経由だ。
ジェネレーションの投資先でもある、
ビステックス島田さんにご相談しまして、
ご紹介をお願いして、一番最初の旧オフィスですね。
東アザムのマンションですか。
東アザム。
マンションの室にお伺いしたっていうのが初めてですね。
なるほどですね。その時の第一印象はどんな感じでしたか。
そうですね。やっぱり上田さん、さっき自分のこと研鑽されちゃっしゃったんですけど、
やっぱなんだかんだエアインサイトですごく成果を出されて、
その後の会社でもやっぱりパフォーマンスの高いレベル出されていたので、
僕がその時にやった上田さんはもう結構赤い炎をたぎってたというか、
分かりやすい。
この話聞いたらだいたいそういうイメージになると思うんですけど。
確かに起業した後はもうやるしかないんで、
調達した後だったんで、
そうですね。
人からお金を入れてもらったから、
本当にギアを買いようっていうタイミングであったんだと思います。
本当にスタートプラスチックのマンションの室ね。
マンションの扉をピンポンしてガシャって開けたら、すごい狭い1Kみたいな部屋。
8人ぐらい一緒していて、この感覚逆にこの時代久しぶりだなと思って。
でもその時何もなかったですよね。
何もなかったですね。
なんですけど、この梅田さんのキャラクターと経歴、
やっぱりこの重厚なテーマ感にどう生むって、
やっぱりそのビジョンの大きさとそれを実現できる根拠、
そして営業力みたいなのが結構必要だったかなと思っていて、
それが多分初回の面談で全て1時間で確認ができたので、
すごくいいなと思ったっていう感じですね。
今話したと思ったんですけど、
確かに1時間のうち57分は梅田さんが喋ってましたね。
マジで。
僕挨拶の3分だけ喋ってました。
確かに。だからちゃんとして自己紹介はまだしてなかった。
よく言われるんですけど、全く覚えてないですよ。
そんなに喋ったっけ?みたいな。
ずっと喋ってたよ。
その時間配分の関係性って今まで変わってないですか?
すいません。
ずっと喋ってる?
すいません。
2年、3年越しにようやく言ってるだけみたいな。
すいません。
みたいな大臣賞でしたね。