カフェね。
カフェ。ではそんな中田さんをお招きして話していこうと思います。
はい。
アーティストとしてカフェを営む方として、そして共同スタジオの運営者として多岐にわたる活動をされているということなんですけど、
第1話ではまず作家、アーティストとしての中田さんについて伺っていきたいと思います。
はい。
それではお願いします。
アーティストからいくんや。
はい。
なるほどね。
まず、中田さんの作品について教えていただきたいんですけど、
めっちゃ難しい。
難しい。
平面作品とかインスタレーションを制作されているそうなんですけど、どのような作品になっている?
そうですね。卒業も洋画コースであって、留学もアイルランドでマスターに行ったんですけど、
その時もペインティングコースでずっと絵を描いてた感じで、ずっと平面作品で。
インスタレーションっていうのはその絵画に取り組んでた延長で出てくる表現みたいな感じですね。
どんな絵って言われたら、いろんなアプローチしてるんですけど、対象物を描いてるような絵画じゃなくて、絵画ってどういうものなやろうっていうような表現が多いですね。
絵画ってどういうもの?
例えば、キャンバス、よく僕自分の問題にしてることなんやけど、キャンバスっていうものだけで壁にかけても絵って言われへん。
キャンバスだけをかけても?
うん。じゃあそれキャンバスって言われるやん。
でも、例えば真っ白に塗ったっていうものを壁にかけたときに、それが絵画になることだってあると。
その何て言ったらいいんかな、何が絵を構成してるのかとか、どういう要素が入ったら絵になるかとかみたいなことをずっと学生のときからやってて、
ずっとネガティブな要素、例えば見えへんとか汚いとか、人から見たらなんてことないようなものをどんなやって絵画として成立するかなみたいなことをずっとやってて、
だから描いては消した跡だけしかないようなものとか、その繰り返しで作品になるみたいなことをずっとやってて、もう飽きずにずっとやってる感じがするなって。
そう、なんか俺思い出してんけど、ルクセンブルクのどっかに壁に額縁だけをポンと張ってあって、その壁、それにすることによってその壁が絵に見えるみたいなことが、
アーティストの作品とかじゃなくて、普通にどっかのカフェとかにあったような気がするんやけど、そういうことをやってて、面白いなと思ったんやけど、そういうのも似てるよね、だから。
そういうことばっかやってるような感じで、僕はね、絵の具をずっと塗り重ねただけの絵とか、そこで出てくる微妙なズレとかが決まるっていう感覚があるわけよ。
これ決まったなみたいな感覚があって、そうなった時に完成みたいな。
それ誤解やよな。
それね、感覚なんやけど、誤解かもしれんから、10日ぐらいずっと見んのよ。
ほんで、ずっと見てて、変わらずに決まってるって思ったら、だいたい5年ぐらいは決まってる。
6年後には?
自分が見てる、いろんなものあるやん。
美識とかじゃないけど、考えてることとか。
それによって見えるものって多分、人間変わってると思うよね。
だから5年後、3年ぐらいだとあんまり自分の考えてることって変わらへんねんけど、5年10年経った時って、パッと自分久しぶりに絵見たら、たまに変わってることある。
でも変わってないことの方が多いってことは、自分が多分変わってないのかなって自分では思ってるって感じですね。
中田さんがこの絵画作品に対して決まったっていうのも含めて、中田さんの作品だっていう。
そういうことやな。
だって絵とかってほら、終わりが決めれへんやん。
本当にそうですよね。
と思うねんけど。
その時やっぱり終わりって決めるのはすごい大事な仕事なんやろうね。
その終わる感覚があるんやん。決まったっていう。
みんなあるんですか?
それは知りません。知らないですか。
僕はでもその感覚が絶対あって。
決まる前まではいろいろやってみた。もう9割型決まってんなと思ってたときに、10割には絶対いかへん。
だから何かしろ壊すようなことをやってみたり、絵を締め付けるじゃないけど。
もうこれやってもたらこの絵壊れるかもからんっていう時から復活してくる時があんのよ。
それやった時とかはよく決まってるし、たまに何もせんけど数日で決まることもある。
9割型で決まってんなっていうのから何もせんくて数日後に見たら、あれ決まってるやんみたいな。
ある。
言語が難しいよね、その決まる感覚って。
こういうふうに見えたら決まりっていうのはもうその人の感覚やから。
それをさ、お客さんはどう見りゃいいの?
お客さん?
お客さん、絵買う人。
鑑賞者の人ら。
どう見たらいいんやろうかっていう。
そこまで僕、絵を人に見てもらってどう伝わるかっていうことでは最近もう描いてなくて。
それは自分が見てる絵じゃなくて、人に見てほしい絵であって、もっと自分の求めてるとかじゃないよな、見てみたい絵しか描かんでええかなってもう最近は思ってます。
昔はそういう絵も描いたってこと?
それは画家としてキャリア歩みたいし、売れたいし、どっかのギャラリーと一緒に仕事したいしとかで、そういう絵っていうかそういう気持ちがあったよね。
でも最近、それやってるのしんどいなみたいなんで、いろいろやってるからその仕事としても他の仕事もしてるし、純粋に絵描くってこういうことなんかなって思う感じで描いてるのが今の感じかな。
2025年7月の古典タイプが気配か余韻、この気配か余韻っていう言葉からもこの絵に見えるものだけではない何か仮定みたいなものが表現されていると思ったんですけど、いかがですか?
そうですね。その展覧会でちょうど自分が興味あったのが東洋の思想みたいな、仏教とかタオリズムとかっていうのが興味あって、その見えてるものとかじゃない雰囲気とか、感じるものとか。
ちょっとスピリチュアルな感じなんやけど、そういうものを絵の要素として取り入れられへんかなみたいなんで、めっちゃ薄い絵を描いて、ほぼほぼ真っ白に見える絵なんやけど、よーく見てたらふわっと色が浮かび上がるっていう絵を展示したんやけど、めっちゃ自分では最高な絵。
なんかね、すごい自分の中で考えてることとして表現できたっていうか、さっき話しあったキャンバスは絵になるのかっていうので、ある時はキャンバスなんやけど、ある時は絵に変わるんよ。
そのゼロと1を行き来できるような絵ができて、今までやってきたことを上手いこと描けたなみたいな。光の加減で全く見えへんようになったりとかっていうのが。
なんかさ、見たくなってくるよね。こんな、結構言葉だけで聞いてたら、なんかいいもののような気がしてくるんよね。ただわからんからね、このリスナーの皆さんはその作品がね。
そうやね。やっぱ絵とかって見て感じるもんとか、聞いて感じるもん、読んで感じるもんって全部違うから、それ、僕の絵の場合はほんま見てもらうっていうのが一番やし、現物をね。
いや、そうなん?誰の絵でもそうやんなと。
絵はね、そうやね。ビジュアルっていうか、視覚体験やから。
でもその、例えばインスタグラムで見るのと、やっぱりその空間の中で見るのはもう全然違うかなと。本物をね、見るのはもう全然違うかなと思う。
全然違うと思います。
留学先のアイドランドのお話も伺いたいんですけども、アイドランドでの経験が、絵作の考え方に大きな影響を与えた。いかがだったんですか。
はい。今回、さっき話しあった、気配か要因の興味が東洋の思想っていうのも関わってくるんですけど、
アートって何やろうみたいなのもずっとわからんまま留学して、アートってこれやって言い切ることはちょっと難しいんですけど、
アートってやっぱりヨーロッパとか欧米のものやなっていう部分をすごく感じて、やっぱりあそこで生まれたもんやと思うし、今の主流のアートって言われてるもんって。
今でもその流れがずっと続いてる。その流れを今から逆掘りしてっても、すごい素直にトントントンと遡っていけるアートって。
アートって美術の歴史やから、それを素直にというか、スッスッスッと遡っていけるというか、川のぼりやったらね。
だから印象派とか、そういうとこまでずっといけるよね。宗教側とか。
そこまでが大きな流れとしてあるっていうのが、やっぱり現地でいてるとすごくわかるというか。
もちろん僕が行ったのが英語圏やったから、英語の思考でやっぱり物事を考えられてるし、すごい説明的な解釈もすごいするから、
僕らみたいに感覚でこうなんよって言ったら、「は?」みたいなこともよくあったなみたいな感じがありますね。