こんにちは、芸大ラジオmymyです。改めまして、アノハです。よろしくお願いいたします。そして、デザイナーの坂井先生です。
はい、今回も静かめで頑張っていきます。我慢していきます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回に引き続き、ダンサー・振付家の京極智彦さんをゲストにお招きしてお届けします。
前回は、京極さんが学生時代に作り上げた作品について深くお話を伺いました。
今回、第3話ではダンスの市民化というものをテーマにしてお話を伺っていきたいと思います。
はい、まず京極さんは現在、姫路の保育園で体遊びの時間を担当されているそうです。
体操の皮をかぶったコンテンポラリーダンスという表現を聞いたんですけど、これはどういうことですかね。
ありがとうございます。これ僕がどこかで言ったんですよね、多分ね。
自分が忘れてるんですけど、体操の皮をかぶった用事向けコンテンポラリーダンスというものは何かというと、
元々コロナの以前は上川町に2017年に移住したんですけど、
そこに移住しつつ海外とか東京とか、それこそ京都とか、今まで仕事をしたことのあるところに
出向いていて、振付の仕事とか財財政策とかということをやって生きてきてたんですね。
助成金を受けてそういうプロジェクトをやったりとかっていうことがメインで、
プラス発達支援事業所と呼ばれる、発達障害とかグレーゾーンと呼ばれるような子どもたちが通ってくる運動領域。
体を動かして機能改善とか心を整えていこうというような専門のスタジオが東京にあって、
そこで働きながらそういうことをしてたんで、要はいろんなとこ飛び回ってたんですよね。
ところがコロナになった時に兵庫県から出ないでくださいってなったんです。
2020年の4月になって、そこから今までだったら僕のさっき言ってたように言葉にならない気持ちとか、
言いたいことが言えないけど体を動かすとか言葉を発するとかということで共感してもらえるっていう人たちのところに出かけていけてたんですけど、
本当に山奥のどういなかと言っても過言ではない場所にもうほぼ隔離されるってなった時に、
それらに出ていけないからどうやって生きていこうっていう話になってくるんですよね。
そうなってくると移住当初もあったんですけど、ダンサー夫婦が東京から移住してきたってただでさえ恐怖っていうか一応地元の人に屈したら、
高齢者ばっかりなんで謎の奴らが来たぞって恐れられてたと思うんですけど、
もうちょっとその地域とかそれこそ兵庫県内で自分がやってきたことを翻訳していかないと、
分かってもらえたりあるいは生活できていけないぞっていうことが起きてくるんですよね。
そこでやっぱり運動領域をやってた、発達障害とか呼ばれる子どもたちと運動領域をやってきたっていうことが生きてくるんですけど、
運動ってみんなが知ってるし、体に良いってことはみんな分かってる。
それをベースにダンスも運動じゃんっていうところで、当時思ってたのは敷居を下げるみたいなのは違うなと思ったんですよ。
舞台上にいる人間が客席に降りて行ってお願いします、ダンス分かってくださいっていうのは違う。
むしろその自分が何かみんなに分かるような形にメタモルフォーゼするっていうか、変形する。
で、みんなを舞台に上げるのが多分自分の尊厳も保ちつつ、本質を見失わずにライスワークができるみたいな。
ライスワークはダンスなんだけど、ライスワーク食べていくための仕事としてできる。
これが舞台を降りて減り下っていったら、多分そのまま戻ってこれないような気がして、
それこそコロナがいつ終わるかわかんないけど、生きてくためにどうしようっていうところで、運動とか体操っていうのがキーワードになっていったんですよね。
で、実際に体遊びの時間って何やってるかっていうと、じゃあ体を使って遊ぶ時間です。
今からやることはみんなが体操とかダンスじゃないよ。
みんながやったことないことをやるから、できなくてOKだし比べなくてOKだよって子供たちに言ってから、
バリバリコンテンポラリーの動きをグニャグニャとかってやると、子供たちって別にそれがダンスだろうが体操だろうが関係ないんですよね。
面白いか面白くないかみたいなところなんで、大人から見たら体操でもダンスでもない意味のわかんない動きなんだけど、
それを体操ですっていう括りでスタートしたら、いくらでもコンテンポラリーの方に、
要は子供たちの舞台の自分のフィールドに引き上げることができるっていうことがわかってきて、
じゃあこれを形にしてパッケージにしていこうっていう流れがあって、最初は上川町の幼稚園で、
1個の幼稚園で始めたのが3つ幼稚園あるんですけど、3つの幼稚園に展開して、
そこで先生たちからこんな効果がありましたとか、こういう子供たちが笑顔になりましたっていうのを、
それこそインタビュー撮って文字に起こして、それを姫路まで街まで出かけていって、
姫路の保育園にプレゼンして買ってもらったりしたんですパッケージとして。
その時もこれは体操なんですけど、もともと僕はコンテンポラリーやってて、ただの体操じゃないですみたいなことでやっていって、
なんとかそのコロナを乗り切ったっていうところから始まってるものですね。
地域に根付いて表現をすることによって人と繋がれたりっていうのにちょっと興味があるんですけど、
生活のためにダンスを体操って翻訳する必要があったっていうことですよ。
このダンスを安くはしないっていうのがめっちゃかっこいいなって思うんですけど、
坂井さんはいかがですか?
もちろんダンスって何っていう世界なんで、都会でさえもそういう人ばっかりだと思うから、
それは体操っていうことにしたこのアイディアはすごい見事なアイディアなんだなと思って聞いてましたよ。
俺ちょっとお願いがある、京子さんに。
芸大ラジオまいまいなんで、今口で、でもね体操したい、俺ずっと幼稚園じゃなくて高齢者と思って話聞いてたんですけど途中まで。
このラジオどんな人が聞いてくれてるか知らないけど、みんな暇で聞いてるわけですよね。
で、暇な時間にあるいは運転しながらとか、いろんな体制で多分みんな聞いてますよね。
布団に寝転がって聞いてくる人もいるかもしれない。
その人に対してラジオ体操を京子さんがプロデュースしてほしい。
面白いですね。
京子さんここで、はいじゃあ次は右手を上げましょうって言って、そういう1回の20分の体操を京子さんが作ってくれて、
また別の回でね、それを僕らが買い取って放送するっていうのをやりたいなと思いました。
ラジオで。
だから京子さんは見せてあげれないんですよ、自分の体操を。
このマイクに向かって、はいこうしてなさいって言って、
でももしかしたらそれでね、病院のベッドで寝転がりながら聞いてる人もいるかもしれないし、
そういう人たちがでも運動って体にいいんで、なんかこうやってちょっと心が開いたりとかしたらいいなと思いながら、
先ほどの話は聞きました。
めっちゃ面白いですね。
コンテンポラリーダンサーから運動領域Aって言うので、この転換はどういう経緯だったんですか?
コロナが1つあったのはありますけど、なんかやっぱり今優調にね、なんかそんなダンスを低く見積もらないみたいな話しましたけど、
もちろんめちゃくちゃ葛藤はあって、やっぱり元々だからもうダンスで世界を変えますっていうヤバいやつじゃないですか。
そいつのプライドっていうのはまだ残ってるわけですよ、残り日が。
絶対残ってた方がいいよ。
だからそれをなんか体操ですっていうのに、やっぱり勇気はいったなって思います。
自分の中では?
自分の中ではね、やっぱりコンテンポラリーダンサーなんだって思ってやっているから、本来だったら本当にそんなことを体操って、
翻訳しなくても、もう私は私で人々がそれを求めてくるっていうのがやっぱり理想系じゃないですか。
だけど、やっぱり蹴り下るんかなとか、噛み砕くって負けることなんかなとかっていう葛藤はもちろんあって。
でもさ、もう結構いい歳ですよね、その子。
いい歳です。
いい歳なのにそれ葛藤してるの面白いね。
そうね、だからコンテンポラリーダンス界の先輩たちがやっぱりね、これは日本のコンテンポラリーダンス事情の話になっちゃうんで、ものすごい長い話になっちゃうんですけど、
アーティストもそうかな、アーティストは製品たれみたいな、清く貧しくあれ製品たれっていう教えをなんか無意識に、やっぱり呪いだと思うんです、これ。
呪いです。
呪いって言葉正しいね。
をやっぱり受け継いだ最後の世代かなとも思うし、だからゴッホとかがね、死後評価されるみたいな。
とにかく山里離れても誰も見てないところで神に捧げて踊るっていうことが芸術なんやみたいなのの憧れみたいのもやっぱりあるわけですね。
だからそこの葛藤はすごくあったけども、やっぱり原点に立ち返るわけですよ。
自分がそのスクリーンの中に手を伸ばすことができたのは、やっぱりダンスっていうものがあったから。
これをさっきの話もちょっと絡めると、発達障害とかグレーゾーンって呼ばれる子たちってそういう子たち多いんですよね。
なんか自分は普通だと思ってるのに周りからは理解されない。
身体障害だったら見た目でわかる。
知的障害だったら話してたらわかる。
だけど発達障害って目に見えにくい障害って言われてて大人でもあるんですけど、
それこそ言いたいのに言えないとか、なんか世界と距離があるっていう子たちなんですよね。
だからその子たちの気持ちがすごくわかるし、それがあってダンスに行った自分の流れがあるから、
ここがやっぱり自分のコアなんじゃないかって思うんですよね。
だからダンスで売れる、コンテプラルダンスで有名になるっていうことは本当は求めているものじゃないかもしれないっていうところに行き着くわけです。
だから自分が生きれるようになった、生きていたい、死なずに済んだみたいな本当のことは何かって言ったら、
そのスクリーンの中に入れる手段を見つけたっていうことなんで、
これをじゃあ体操っていうことで子供たちに伝えるんであれば、
自分のこの生きてる上でのミッションとして成功なんじゃないかみたいな、
それを思った時に側なんて何だっていいんじゃんってなったんですよね結局。
その本質が伝わるんであればコンテプラルダンスの公演に子供たちが来てくれるのを待ってるんじゃなくて、
その形を変えていって幼稚園に届けに行くみたいな、
だけどやっぱりそこでクオリティは保つみたいな、
そこら辺のバランスだったのかなっていうのは思いますね。
舞台で踊ることは京極さん自身が京極さんの映画館のスクリーンにタッチするっていうことで、
子供たちと体を動かしているときはそれぞれが映画館でスクリーンにタッチするっていうことで繋がっているのかなって思ったんですけど、
京極さんにとってこのダンスを一般の層まで届けることってどういうことですか?
本当はダンスって届けなくたってみんな持ってるはずなんですよね、どっか奥底に。
踊るってめちゃくちゃプリミティブな根源的な人間の欲求なはずなんですよ。
それを今やっぱりしなくなっているのはこの社会の中で封印されてるみたいなところがあるから、
コンテンポラリーダンスのいいところは型がないっていうところで、
バレエだったらポジション決まっててこれを構成して美しくするっていう芸術になるんですけど、
コンテンポラリーダンス自体は動きって何だろうみたいな、
形、動き自体を作っていいっていう自由度があるんですよね。
そこを考えた時にやっぱり僕が一般の人とダンサーっていうのを意識してるのはダンサー側だけなんです、実は。
自分も一般の人のはずなんです。
何が違うのかって言ったらその封印を解いてるか解いてないかっていうだけの話で、
僕はパンツ一丁で解きまくっちゃってるからそこがちょっと人と全然開き方が違うんだけど、
何かしらそのスクリーンにタッチするじゃないですけど、タネはみんな持ってるはずで、
逆に言うと子供たちの方が自由にそのタネを咲かせる力って強いと思うんですよ。
大人になればなるほどやっぱりこうしなきゃいけないしなきゃいけないの中で恥ずかしいから始まりになってくるんで、
僕一番やっぱりやりがいを感じるのは小学生ぐらいになるともう恥ずかしいっていうのが始まるし、
あと男女差の意識もかかってくるんですけど、未就学児の段階って結構人間が出来上がっていく段階なので、
なんかすごいそのタネが開きやすい状態だったりするんで、
そこに出かけていくと逆にヒントをもらったりエネルギーもらったりっていうのはめちゃくちゃあるんですよね。
だから振付家としていろいろ教えてもらうことが多いみたいな感覚がすごくあって、
で、寒暦すぎると寒暦って赤ちゃんに戻るって言うじゃないですか、寒暦すぎるとまた開きやすくなってくるんですよ。
おばあちゃんたちがね、ほとんど高齢者が多い街なんですけど、
うちの奥さんが専門的に介護予防のことやってるんで、奥さんはもう長寿回ってるんですけど、
そっからチアダンスグループ、チアバーバっていう平均年齢65歳以上のチアリーディング部が、
奥さんが振付、っていうかプロデュースしてる団体が上川町にあるんですけど、
もうね、なんかもう開きまくってますね。
ふいんが解かれそう。
あ、寒暦ってこういうことかって思いますね。やっぱり赤ちゃんに戻るんだと思って。
だからみんな種はあるはずなんですけど、たぶんだから30歳が一番遠のくんですよ。
0歳から一番30が一番縁の対角にいって、
ここから60になるにつれて赤ちゃんに戻るからだんだん素直になるみたいな。
だから30代ぐらいが一番せねばならぬやらねばならぬガチガチな時期なんで、
でもなんかここそこをポッと、先生向けにそういうクラスやったりもするんですけど、
ポンとつつくとパッと開く場合があるから、なんかそこがすごく面白いなと思います。