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お疲れ様でございます。黙れ、ヤドロクということでございまして、Mr.Xからこの映画を観て感想を欲しいといただいたわけです。誠にありがたいことでございます。
今回観させてもらった映画は、「ホーホケキョとなりの山田君」というジブリ作品でございます。
いろいろ観ておりますと、ジブリの中では一番興行成績が悪いということでも黒字になっているらしいですけど、
でも、高畑勲監督ということでございまして、そのMr.Xが僕はいいと思うんですっていうことで、観て感想をいただけますかということでいただいたので、ちょっとお話しさせてもらおうかと思うんですけど、
感覚としては当たり前に僕もいいと思うんです。簡単にいいと思うというのは難しいなと思うのが、家族のお話がポンポンポンとお題がついて、何話かが一緒になっているというような、もともと4コマ漫画みたいなところから来ているものだからということでございますけども、
何せね、これ真面目に考えますとですね、見る人によって当たり前に感覚が、これはどの映画もそうなんですけど、テーマがやっぱり家族だったりとか、町の中で過ごしている家族ということなんでね、どの観点から見るかというようなことが、ものすごく人によって身近なことだけに深く関わっているんじゃないかと。
思うんですよ。高畑監督が常にこうそういう家族を描くときっていうのは、もうほとんどあの方の作品というのは主要にやっぱりどっか中心に家族があるんやと思うんですね。これをあの人の理想とするのかどうなのかというのは僕も分からないんですよ。
映画評論家ではないので、高畑監督の幼少期の頃というのはまだ全くわからないんですけども、僕の育ってきた環境であったり、Mr.Xの育ってきた環境にあったりということで、感じ方はやっぱり当たり前に違うもんですね。
見ておりますと、もう何のことないお父さんお母さんおばあちゃん、男の子女の子という4人家族プラスおばあちゃんの日々の生活なんですね。ただこう、冒頭、宮古町長先生の結婚のご挨拶ですね、来賓の挨拶から始まるんですけど、もうその単発で撮っていくとね、宮古町長先生のいわゆるお祝いの言葉はこれこれだけでごっつい値打ちあるんですよ。
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関西人から言わせますとね、これがまた良いこと言うとあったりとか普通なんですけど、改めてこの年になって、僕ももう45割に差し掛かっておりますけど、聞くと良いこと言うとあるんですね。
こんなんをね、ところどころ一個ずつ撮っていったら、いっぱいどこがあるんですよ。もちろん声優さんも上手というようなことで、俳優さんがやったあったりとかね、朝岡由紀さんがお母さんの役をやった、上手に関西弁喋る、そういう見方もあるし、というようなことなんですね。
あずま男と京女なんて言いまして、西の京都の女の子だと東京の男の人はぴったり合う相性がいいんやというようなことを昔から言いますけども、まことにこの劇中出てくるご夫婦、奥さんおばあちゃんは関西弁なんですよ。
ご主人、子供ちゃんらは東京の言葉のほか標準語に近いというようなことなんですけど、こういう観点から見ていくというようなこともあって、この人らどのへんに住んではんやろうなと思って考えると、おばあさまが入院してるお友達を見舞いに行ったら、これ関西弁なんですよ。これ中村玉子さんがこうやってあるんですけど、関西弁なんですね。
お隣の喋ってあるお母さんも関西弁なんですよ。おばあちゃんの土地にお父さんが家を建ててるんですよ。入木ということではないでしょうけど、そういうふうに親から土地もろて、上には自分で上物を建ててるというようなご家族。やっぱり関西なのかなというようなこと。
これね、関東に住んでるのと関西に住んでるのとではまた感じ方も変わるというのがあるんじゃないかと。真面目な見方ですよ。
何を感じると言いますと、私も各有、一般的というかちょっと特殊な家族一族の中で育っているもんで、そこに向けてこういう作品を見ますと、これが自分らの思い描く平均。
一般に近いものというような感じ方。そこに生まれる感情というのは、やっぱり憧れであったりとか、そうやろうなというようなことであったりとかなんですよね。どっかええなぁと思う。やっぱり思わす。これも高畑監督特有の家族間で行われる会話であったり。
絆みたいなもの。言葉は難しいなりますけど、絆であるものの表現というような上手な方ですから、そこに何でもない会話を聞いててグッときてまうんですよね。
これね、もしそういう一般的なというか、同じあれじゃなかってもご家庭で育った方が見たら、なんとも思わへんのかもなというのもあるんですよ。
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これだから見る人によって感じ方が違う。例えば自分のご家族ご家庭がちょっとやっぱり人とは違うというような育ち方された方は、あれを見たときにちょっとこうそこに理想とかこうやったらよかったな、こうやったらええなという何か願望のようなものを芽生やさす一つの作品でもあるというんですかね。
良し悪しというよりは自分の心を投影するものという風な見方っていうのもできるんじゃないかなと思うわけですよね。お母ちゃんのちょっと抜けたところ、お父さんのちょっと抜けたところ、息子ちゃんのちょっと賢いところ、おばあちゃんのちょっと嫌味なところじゃけど愛情がある。
これ理想ですわな。やっぱり嫌味一つとってもそこにつながるオチがあって、やっぱり大きく見ると愛情がある中でそれを言ってるっていうことなんですよね。
何せね、序盤から中盤以降ぐらいまで大きく見えるのはね、普通の生活こそファンタジーであるというようなこと。ドラマもドラマチックでファンタジーなんやっていうのを感じさせられる。何でもない出来事やでって家族にはよくある何でもない出来事。息子ちゃんが帰ってきたら鍋にお湯がかかってるんですね。火ついてるんです。
で、うどんの袋がこんなんで。あら、お母ちゃんおらへんな。これうどん作りかけやな。作ってくたろうと思って出来上がった時にお母ちゃんがどんぶり持って現れるって。見とったなというような、こんなせいわなことあるかと。
これ見た時にやっぱり心がホワーッとするんやね。人間ってね、こういう生活なかったんかと問われたらこれに近しいことあったような気がせんでもないんやけど、こんなに明確にこれを出されるとやっぱり人間ってここに理想がどっかあってしまうなというふうに思うんですよね。
おばあちゃんのツッコミだったりお母さんのツッコミ、お父さんのツッコミ、息子ちゃんのツッコミ、いろいろあるわなと思ってね。娘ちゃんなんかがね、テレビの見ててお父ちゃんとお母ちゃんがちょっと言い合いになる。おばあちゃんが入ってきて言い合いになる。ワーッてなったら娘ちゃんがワーッと泣くんですよね。
そうなるとね、子供が泣いてるやないのって言うんやけど、子供はテレビの音が聞こえへんって泣いてるんですよね。みんなずっとコケるというようなことって、えてしてこういうもんやなという幸せの中にあることっていうのはこういうもんなんかもわからへんなって思うんですよね。
自分の家族、家庭環境を振り返ったときに全然不幸せじゃないんですよ。自分だって。そうやけど形は違うんです。そうやけどもっとこうやったらよかったな。もっとこの空気感出せたんちゃうかなって思うことっていっぱいありますよね。歳とってきたらなおさないと思うんです。これ見る年齢、これお子さん見てもやっぱりピンと開けへんのんちゃうかなって。
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そして高畑監督が描きたかったもんって、やっぱり普通の生活の中が一番ドラマチックでメルヘンなんやってわかってますかって。それを感じ取れる能力というんですかね。感受性みたいなものってみんなどっかに置いてきてませんか。派手な映画、派手なドラマ、喜劇的なこと、喜劇的なこと、面白すぎること、刺激のあることっていうのばっかりじゃないですか。
でもね、受け取り方によっては日々の生活がものすごいドラマチックやし、メルヘンやんかって、奇跡の中に生きてるやんかっていうようなことを再確認させてもらうには、ああいう映画ってやっぱり必要なんですよ。そうやと思います。
あ、私って今これに近い状況にある、これってめちゃめちゃドラマチックやんかって、言うてもうてるような感じしましたね。僕もMr.Xと同様、ものすごい好きです、これ。何の事件も起こりません。
Cで言うたら暴走族が近所でうるさいから注意しに行くときに、家族必死になって注意しに行って、おばあちゃんが言うと、あんさんそんな大きな音を立てて迫力ある声でどなったりできるんやったら正義の味方になるな、あれ。これ大きいなあと思うんですよね。
ぐっとそこに僕は感動してしまう。自分に能力があるなら、例えば昨今SNSで発言力があるなら、人に聞いてもらえてフォロワー数がたくさんおって、バッと人を罵倒したらそれにみんながついてくるような能力があるなら、ええことに使いませんか。
あんさんが言うたらみんな英語に行くんちゃうのって、これちょっと心理やと思うんですよね。何となくそう言われたらそうかもしれんなあって、ふと思わされる説得力というんですか、そういうのを感じたりとかしましたね。
自分もそうなりたかった、ヒーローになりたかった。お父さんがね、そのおばあちゃんを見て回想するんですよ。自分が月光亀になって、奥さんもおばあちゃんも助けて子供らに慕われるというような、やったらなあって、ちょっと妄想するんですよね、ブランコの上で。
わかるんです。僕らはみんな子供の頃そういうふうに思って生きてたかもしれん。いつの間にかそんなふうなことは忘れ去ってたかもしれん。みんな普通に思ってたことかもしれん。僕らが漫画やアニメやで憧れた主人公になりたかったんやと思う。
ほんまは日常のドラマの中にそうできる賢さやったりとか、そうできる動きやったりとか、なんぼでも転がっているのかもわからない。さっき忘れて持ってますわ、っていうようなことやと思うんですよね。
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そしてね、また家族の中でバランスとっていく、夫婦の中、おじいちゃんおばあちゃんとの間から人間バランスとるのは我慢もあるしっていうのがちょっと結婚式のスピーチなんかでも少し劇中出てくるんですけど、
自分でこらえる、我慢する、控えるっていうことの重要性っていうのは、これは控えたから損するんやないで、控えたから調和が生まれるんやでっていうようなことのメッセージになってるんちゃうかなと思って。
高畑監督は甘くしくもなくなった果てから、改めてこういう作品を見たときに、感じ方っていうのは物の別に自由です。
何を見張っても何を感じても、言うても全然いいんです。
だけど僕らの世代とかが年齢的で感じなあかんことは、もしかしたら改めてそういう部分的なことでもそういうふうに感じてください。
改めて宮古町長先生の結婚式のスピーチをもう一回改めてかみしめてくださいって言われたら、なるほどなってやっぱり思うんですよね。
やっぱりごめんなさい、いい作品やと僕は思ってしまいました。
これはMr.Xが僕は好きですっていうことに影響を受けてではなくて、いいものやと思って見始めたんでもないんです。
やっぱり興行成績がどうやとかいうことよりも、高畑監督が、確かにこれは重要なことなんですよ。
エンターテイメント、映画事業っていうのの中で、利益を得なあかんっていうものに関しては絶対的に大事な部分だと思うんですけど、
そこまでして描きたいもの、お金をめちゃくちゃかけてでも、あの普通を描くってめちゃくちゃ難しいと思うんですよ。
劇的でドラマチックで何本でも演出できるんですよ。
ジブリの他の作品見ていただいてもわかります。
あの普通を描くこと果たして誰ができるのやって考えた時に、これ今できる人いてますかっていうような部分っていうのはもちろんあります。
これは高畑勲監督のジャニーコ知恵TVシリーズのファーストシーズンに出てくる、
これはちょっと特殊な家族ですけど、描いてることは普通の幸せやったり、どこにでもありますよねというような調和やったりするんですよね。
だからなんかやっぱり監督、しゅうし一貫してるんですよねと僕は感じたんです。
中には違うふうに捉えられる方もおられて当たり前だと思うんですけど。
僕はあの作品の中で誰がどういうふうにとっても自由なもんです。
これはそういう作品ですから当たり前に監督がどういう意図で出そうと感じ取れる方がどう感じ取ってもでもいいよというふうに出されてるわけですよね。
芸術作品であったりっていうのはそういうものやと認識するんですけど、僕はこう受け取りました。
自分の執事、生まれ育ち、環境というのを考えたときに、あそこの世界にあの当事者になることはもう全く無理なんですよ。
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せやけどね、あの近所に住むことは可能なんですよということだと思うんです。
中に娘ちゃんがちょっと迷子になって探したら知り合いのおばちゃんが連れ帰ってくれててご飯食べさせてくれてたというシーンが冒頭の方にもあるんですけど、
その中でね、そこの奥さんがその家族がどう動いたかのお話を聞くのが楽しみやわというシーンがあるんです。
これ面白いね。何でもない家族の一つの出来事を聞くのが楽しみや。
あそこの人、変わった人や面白い人やっていうのは分かられてるっていう。
これがね、本当に得意な人、本当に変わった人、ちょっとおかしな人っていうことではなくて、ほがらかであるというようなこと。
やと思うんですよね。だから聞いてたら幸せなんやと。
その人らが困ってても悩んでても聞いてたらほっこり面白がってしまう。
それは当事者からしたら何言ってんねんっていう話ですけど、でもそれを人に話すときにはこんなやってって話せるシーンがね。
これ無音なんですけど、引きでね、リビングが映ってそのおばさまにご夫婦が話しかけてるシーンがほっと映るんですけど、あれ大事ですな。
ああいうシーン見たときに、こうでありたい、こうでなかったらあかんというようなシーンに見えてしまって、しゃあないんですね。
僕、自分の家族に置き換えたときに、確かに今4人編成なんですよね、うちの家族って。
そうやけど、どっかそういうおばあちゃんいてるやろか、そういうおばあさんいてるやろか、そうではやっぱりないんですよね。
足らんなぁと思ってしまうんです。だから憧れやな、なんかええなって思ってしまう。
これもとても大事なことですよね。理想を掲げるのが難しい時代。
これは多種多様やから、いろんな理想の形があって、いろんな面白いことがあって、刺激があってっていう中で、
自信とか軸になるっていうものって持ちにくい時代やと思うんですよね。
こうである、父親とはこうである、母親とはこうである、こうであってほしい。
子供中はこうかもしれん、こんなんであったらええな、というようなものの散りばめ方っていうのが、
絶妙なバランスで配置されてるっていうことだと思うんですよね。
だからね、本当にMr.Xにはありがたい映画をお勧めてもらってるなと思うわけでございます。
僕もこの作品ちゃんと見てなかったんですよ。やっぱり見させてもらったときに、
なかなかMr.Xからの僕に対してのメッセージというふうな捉え方もできるわけですよね。
そんな深く考えてませんと言われると思うんですけど、
でも見たときに改めてあなたはもう一度この自信、心の中に止めといてほしい。
それが僕の理想ですというようなことを言われてるような気がして、
いやそんな言うたわないですよ。
なんとなくそういう気がするんです。
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改めて僕もMr.Xに対して、あなたこれがいいと思うなら今からでも遅くない。
この自信を心のどこかに持ってほしいって思ってしまうんですよね。
なかなかうまいこと言いません。そんな簡単じゃないんです。
じゃあMr.Xの人生を考えて、この先の人生を考えて、
どこへ向かっていくなんて誰も決められへんし、
僕らがましてや意見できる立場じゃないんです。
でも映画の作品を通して、これがいいと思うならここに自信持ってもいいんですよ。
あなたの心の中にこの自信あるんですよって、
あなたにもしかしたらなかったもの、欠けてたもの、自分には足らんもの、
欲しかったもの、熱望したもの、再確認してるんじゃないですかと思います。
これはだって僕もそうだからっていうようなことですよね。
誠に自分を今置かれてる幸せっていうのはもちろん形としてあります。
だけどこれをもっと幸せに感じたい、状況は変わらずと言うためには、
たくさんの材料が必要やということだと思うんです。
この映画というものは、たくさん刺激のあるものもありますけど、
その材料になるもの、人の頭の中を表現したものっていうのは、
自分が幸せに生きていくのにその材料になるものかもしれんって思って、
たくさんたくさん映画を見る人っていてありますよね。
この人らには、もっと自分が今の自分が幸せだと感じるためには、
もっと材料がいるんですって叫んで手を伸ばして、
映画館に足を運んでるように見えて、僕はええなと思ってしまいます。
間違ってないと思うと思いますね。それでええんやでって思います。
材料がたくさんあればあるほど、今自分が置かれてる状況、立場、考え方、
幸せやこれ考えれるのはって思えるんちゃうかなと思って、
僕はそういうふうに感じましたね、高畑勲監督。
やっぱり僕のバイブルであるジャリンコ知恵ファーストシーズン、高畑勲監督ですけど、
やっぱりあの人の大体描けたい中の言葉には、
金銭に触れるものが多いなと思うわけでございましてですね、
やっぱりありがたいなと見させてもらった後に、
なんとありがたいな、ほっこりさせてもらったなという、
昼間を過ごしさせてもらったわけでございますね。ありがたいですね。
まあまあ、かくゆうね、Mr.X番組長くやっておる方ですが、
本当に彼と彼のパートナーがおしゃべりする中にね、
本当に同じようにね、もう散りばめられてる、
本当に家族の絆であったりとかね、足らないものであったりとかね、
余分にあるもの、おかしいと思うものいっぱい散りばめててね、
一個の人間を知るにはものすごい良い番組です。
お名前出すのははばかれるんですけど、
僕は今本当にどこともつながりを持たずに、
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お世話になりすぎたんでね、やっていく中で、
改めてもう一回、基礎にある自分の家族を見直して、
もっと幸せを感じようかなと思う作品でした。
ほうけきょ、隣の山田くん、ジブリ作品でございますね。
高畑勲監督、やっぱりバイブルにしても悪くないという、
あの人の作品というのはそういうもんやなと、
改めて思わせてもらった次第でございます。
こんなんでよろしやろうか、
おじさんがね、もうなんとなく見させてもらって、
感じたことというのはそういうことですよということでございましてですね、
そんなんかと思われるかもわかりませんけど、
まあまあ一般人ですからね、
ほんまに何を感じるんだ、そういうのを感じたって、
難しいことなんやから何も感じないんで、
というようなことでございましてありがとうございます。
そろそろグダグダ言うとおりますと、
ジブリのファンやらね、映画ファンやらから、
お前何言うとんねん、黙れ!
嫌だらか!って怒られそうです。
それでは。