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第2部#71 ガサガサ解散の危機を投射する
2026-08-15 34:23

第2部#71 ガサガサ解散の危機を投射する

 

ガサガサノコースが終了しまうかもしれない話/球根おじトリオcap (hosikimame)を買うぐらい終了したいわけではない/なぜその話をせねばならないのか?を話す/映画「急に具合が悪くなる」/他者と生きる(磯野真穂著)_集英社新書/関係論的人間観/トムハンクスが思い出せない/映画「CAST AWAY」/どこに行こうとしているのか/こぎつねコンとこだぬきポン/投射を引き受け新しい自分の誕生を許容する/投射と引き受けの往復が関係を生成する/僕は投射をせねばならない/「面白くない」という投射/ガサガサもしていない/押し付けるつもりはないが伝えなくてはならない/ごんきつね

 

2026年7月30日収録

 

毎週土曜日配信

 

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サマリー

このエピソードでは、ポッドキャスト「ガサガサノコース」が終了するかもしれないという危機が語られます。パーソナリティの一人であるコウさんが、最近見た映画「急に具合が悪くなる」とその原作本である磯野真穂氏の「他者と生きる」を読んだことがきっかけで、このテーマについて話す必要性を感じたと言います。本の中で語られる「関係論的人間観」と「個人主義的人間観」の違い、そして「投射」と「引き受け」のプロセスが、人間関係や自己認識にどう影響するかを解説します。特に、小狐のコンと小狸のポンの例えを用いて、未知の相手に対して新しい行動(投射)を起こし、それを受け止めて(引き受けて)反応することで、新たな自分を発見し、関係性が生成されていく過程を説明します。コウさんは、ガサガサノコースが1年半続き、慣れてきて「ガサガサしていない」状態になっていると感じており、このままではいけないという危機感を抱いています。しかし、リスナーの反応や番組の継続については、必ずしも「面白くない」という投射を押し付けるつもりはないとしつつも、自身の率直な感想を伝えたいと考えています。最終的には、終了の危機は脱したものの、今後も「受け止め引き受ける」ことを意識し、番組をどうしていくか模索していく姿勢を示しています。

ガサガサノコース、終了の危機?
こんばんは、コウです。 スガハラです。 サノです。
はい、3問目、とっていきましょう。 お願いします。 お願いします。
えーっとですね、今日は、今日は、いきますよ、僕の方から。 お願いします。 大丈夫ですか?
ガサガサノコースが、終了してしまうかもしれない。 あー! なんで?
サノかな? サノの戦力外通告ですか?
まあまあ、戦力外通告とかではないんだが、 ちょっと先に言っておくと、
えーっと、終了したいわけではない。 いいですか? これはね、僕は全然、全然、続けたい。
ほう。 全く持って続けたい。
だってこれね、今日一個持ってきましたけども、 下にこれ準備しましたけども、
キャップをかぶるわけですよ。 キャップを。
なんだなんだ? 見たことある見たことある! クリント?
いや、見たことはないはずです。 言いそうとか言いそうとか?
なんで見たことあるって言ったんだ? 見たことはないのを見たことあるとか言わない!
見たことある映画で。
これはですね、僕の知り合い、友達がですね、
帽子に刺繍をしてくれる話はどこかでしましたっけ? あれはハリメちゃん、ハリメちゃんね、ハリメちゃん。
ハリメちゃんではないんですが。 ハリメちゃんではないんですが、
また別の友達がですね、ホシキマメっていう野狼で、 ドングリを販売してる人がいまして。
いろんな人がいるね。 すごいね。
ドングリをガラスの器に入れて、そこから水をやると根っこが出てきてですね、
それで目が出てくるっていうやつがあるんですけれども、
その根っこの出るのを楽しんだりとか目が出てくるのを楽しむみたいなことをですね、
ガラスの瓶とかとドングリも販売してるみたいな。
その人がですね、ガサガサが始まる頃に、おじさん3人でラジオやるんだみたいな話をしてですね、
その子はラジオを一切聞いてないんだけれども、ついこの前連絡があって、
おじさん3人の、これなんていう名前だっけな、旧婚おじとりよって言うんですけど、
旧婚おじとりよ。
旧婚のおじさんの、カメラ映ってるのかなこれ。
映ってる。
ちょっと見えた、見えた見えた。猫生えてる。
旧婚のおじさんが3人いる。
おじさんは分かんないけど。
刺繍をしたやつの帽子を作ったよって言われて、まだラジオやってんの?って言われて。
やってんならどう?って言われて。
買わされた話?
買わされたというか、僕すごくこれ聞いてるんですけど。
いいんですけど。
すごいいいじゃんって言って買うよって言って買ったっていうぐらい、
僕はこれを続けたいわけですよ、ガサガサ。
どこに行くのかと思って。
だけど、今日しなきゃいけないのは、もしかしたらガサガサが終了するかもしれないことを言わねばならない。
今から僕がする話は、なぜそれを言わねばならないのかっていうところから説明していく。
これがややこしい話になります。
「他者と生きる」から紐解く人間観
そこか、ややこしいんだ。
僕も説明する自信があんまりないけども、ちょっと30分ギリギリかけてやっていきたいなという。
ちょっと頑張ります。
いいですか、しっかり聞いてよ。
頭働かせて。
僕は最近映画を見たんですよ。
映画を見た。
急に具合が悪くなるっていうですね。
素晴らしい映画だったんですけど。
その映画の内容は詳しくはもちろん言わないんですが、原作がありまして、
イソノマオさんという人と、ミヤノさんという人の書いた教書がありましてね、往復書館という教書がありまして、
そういう原作になってるんですけども。
僕は映画を見終わった後に、その原作ではなく、
イソノマオさんが書いた他者と生きるという本をね、たまたま持ってまして、僕。
持ってるのも知らなかったんだけども、自分の本を探したら、あるじゃん、イソノマオさんの本がと思って、
映画を見た後に読みました。
そしたらこれを読んだらね、これはもうガサガサが終了するかもしれないけども、これは言わねばならないなっていうふうに思ったわけなんですよ。
なに?全然わかんないですよ。
全然わかんないですよ。
だって映画見て本読んでなんでしょ。
映画見て本読んで。映画は素晴らしかったよ。
で、この本にも映画に絡むこともいろいろ書いてあるわけなんですけども、
これどこからどう話せばいいんだろうな。
小田和正状態ですね。
いやこれは無理かなやっぱり。
無理なんだ。やめとくか。うっそ。
あのね、人とはどういう存在であるかみたいな話がちょこっと出てきまして。
人ね。
難しいでしょ。
個人主義的人間観とか。
関係論的人間観みたいなことをしっかり書いてありましてね。
個人主義的人間観っていうのは、人というのは個人っていうのがしっかりあって、
私みたいなのがしっかりある人というのはそういうものだっていう考え方だ。
もう一個今回言ってるのは、関係論的人間観っていうのは、
人と人が関わりあって、そこに人というのはそれで立ち現れてくるっていうね。
人と人の関係があってこそ、自分というものはあるんだみたいな。
そういう話のことを言ってます。
いいですか?
僕も何かの本で、自分というものを認識するのに他者の目があって、
あるからこその自分を認識できるみたいな本を読んだので、
そうするともう一人では絶対に自分が存在できないっていうか、
自分というものを認識するには他者の目を介してじゃないと認識できないみたいな本を読んだことがあって、
それを思い出しました。
そういうのも多分あるよね。
どっちかというと仏教的な語演みたいなものに近いなっていうふうには僕は感じたんだけれども、
これでちょっとリスナー頑張れ。
僕の話ベタなのはもうこれでしょうがない。
今のとこいいですよ。
今のとこいいね。
あの映画でもそうでしょうね。
不時着しちゃう映画。
不時着しちゃう映画?
あの映画の人だったっけ?
あれか。
人間みたいなタイトルなんですね。
違うな。
ミハイルエンデじゃないの?ミハイルエンデじゃなくて。
違う違う違う。
ミハイルエンデじゃなくて、あの人がほら。
映画映画。
えっとさっきの名前。
ターミナルの人。ターミナルの映画の人。
フォレストガンプ?
フォレストガンプの映画の人。俳優さん。俳優。
トム・ハンクス。
トム・ハンクス出た。
トム・ハンクス。無人島。
キャスト・アウェイ。
キャスト・アウェイでもずっと一人なんですよ。無人島で。
そうするとやっぱね、おかしくなってきちゃうんですよ。
その時にボールが一個あって、ある日それに顔を描くのかな?
人みたいにするんですよ。
そしたらそっから精神が安定するんですよ。
そいつに向かって話をするんですよ。
そしたらそっから自分を取り戻して。
そう。だからね、必ずそういうのがあるんだなって僕はあの映画見て。
っていうのを思い出しました。コウさんと今。
あってるよ。あってる。サノが言ってるのも似たようなことなんだけど。
その関係してるから自分っていうのが立ち会われてくるっていうの。
これちょっとどうだろう。わからへんかな。わからへんよな。
僕はなんとなく。
なんとなく。
僕はなんとなく。僕そう思ってます。
いろんなさ、コミュニティであるとか仲間であるとか。
会社、2人は会社に例えばいた時に会社の中の自分みたいなのがあるわけじゃない。
で、別の場面ではこれまた違う。別の場面ではこの中の自分みたいなのがあるわけじゃない。
場所が変わって自分の振る舞い方とか喋り方とか変わるじゃないですか。
意識してやってる人もいるかもしれないけど。
何にも意識してないで。仕事、友達、家族っていうと何にも意識してないんですよ。スイッチは。
家入るときによしこっから家族モードとかしないけど。
そうなるってことはそこに人がいるからでしょうね。
いいこと言う。
家が一人だったらそこでの僕っていうのは特にないから。
家がいるからその人たちのコミュニティでうまくやっていける自分をそこでやるの?それとは何?
本当にそのことなんだけども。
たぶんラジオを聞いてる人の中ではそれは文人主義の話でしょっていうふうに考えてる人もいると思うんだけども。
まあ文人主義みたいなのがあるんだけどここで説明しないがね。
それも含めてその関係性によって自分が人というのは立ち上がられてくるんだよっていう考え方の一つなんだよね。
これやっぱり序盤すぎるわ。
無理だなごめんごめん無理だぞこれ。
どこに行こうとしてるのか。
ちょっといちかばちか言ってみるけども。
関係論的に人間観っていうのの説明はうまくできないので。
それが何だと言われるのかなんとかみんな探してみる。
要は個人個人、個人がその人にはあるっていう考え方ではなく、誰かと一緒にいるので自分が立ち上がれてくるっていう考え方ね。
というのでちょっと話を進めていきたいんだけども。
投射と引き受け:関係性の生成
そうすると人と人が会った瞬間意識しないルールみたいなのが立ち上がってくるわけよ。
それはどんな場面であってもね。
ルールというかね。
ある関係性の枠みたいなのが出てくるわけよ。
そういう枠みたいなのがあるんだけれども。
要はそこから、その枠から飛び出さなきゃいけないっていう話なんだよ。
飛び出さないとは?
どういうことかというと、ここに本に出てくる一つの例えとして。
小狐コンと小狸ポンの話が出てくるんですけど。
川を挟んでね、山の中でね。
狐のコンが顔を出しましたと。
そしたら川の向こう側にいるポンもそれに気づいて顔を出した。
これ知り合いじゃないよ。この二人は知り合いじゃないんだけども。
顔をパッと出しましたと。
また次の日、コンが顔を出しました。
その後ポンもそれを見て顔を出しました。
また次にもしかしたらポンが顔を出しました。
コンが顔を出しましたっていうことがあった場合、
これポンとコンの間ではある種共通の枠組みができてるわけよ。
もう挨拶ができてるわけ。顔を出したら顔を出すみたいな。
顔を出したら顔を出すっていうのができてるわけだから、これはもう安全なわけやん、これ言うたら。
ある時、コンが顔を出した後に手を振った。
怖い。
その通りなんだよ。怖いんだよね、これが。
ああ、俺が。
コンは手を振ったんだけども、この手を振ることによって、
ポンがどういう反応を示すかわかんないわけじゃない。
要は枠を飛び出した行為なわけだから。
これは関係を壊す可能性もありますね。
おっしゃる通りなんで、関係を壊す可能性もあるんだよ。
なんかあいつ仕掛けてきたと思っても、ポンは逃げちゃう可能性があるわけ。
面白い面白い。
だけどそこでポンがそれを受け止めて、引き受ける。
で、自分も手を挙げる。
ということをしたことによって、新しいポンが生まれたわけ。
でもコンも手を振った時に新しいコンが生まれてるんですか?
コンはいわゆる盗者って言うんだけど、投げてるわけよ。
そうか、だからそこは違うんだ。
投げられた方は受け止め引き受けるってことは、
新しい自分の発見を許容するってことなんだよ。
コンも受け止めてみないと、ポン自身自分がどうなるかわからない。
コンが手を挙げた、それを引き受けた時に、
パッと自分も手を挙げて、新しい自分だってなるわけよ、ポンとしては。
盗者をして、引き受けて受け止めたっていうね。
こういうことなんだけどね。
この本の中では、この話がもっと続いていて、
人生の長さの話になっていくんだけれども、
面白いな、すごい。
なんていうのかな、
長生きすることがいいことだとされているじゃない、僕らの感覚としては。
そうですね、なんとなく。
要は長生きするためにこういうことをしましょう。
健康に気をつけましょうとかさ。
長生きしてねとかさ。
そう、長生きしてねって怖いね、あれ。
やっぱり長さがありきの話をしかしてないっていうことなんだけれども。
そうですね、長さがありきですね。
ただ話戻すと、関係論的に人間観でいうと、
盗者をして受け止めて引き受けるっていうことを、
いろんな場面で人と出会ったらそれの連続なわけだから、
それをどんどんしていくことによって、
人生っていうものが長さでは測れない価値があるものになっていく、
みたいなことが書いてあるの、この本には。
何言ってるかわかんないと思うけども。
100%わかんないですね。
いや、わかんない。
40%ぐらいは。
さっき言った通り、受け止めて引き受けることによって、
新たな自分を発見できるわけなんだけれども、
それって大変なんだよ。
さっきも言ったように、コーンが手を挙げたことによって、
ポンからすればそれが何かわからないから、
引き受けることが怖いわけじゃない。
ポンからしてみたら、これは同じように手を振ることが、
コーンが求めていることかどうかもわからないじゃないですか。
わからない。
でも、やってみるんですよね。
ガラにもない、やったこともない、
手を振るっていうことを、
受け止めたことをやってみる、
これがすごい、自分の殻を破るみたいなこと。
やってみるっていうのは、
手を挙げ返すっていう行為自体は、
受け入れたことによって自然と立ち会われる自分のことなんだよ。
そこはね。
手を挙げることが受け入れるっていうことではなく、
受け入れて引き受けたからこそ、
手を挙げる自分みたいなのが出てきたっていうことなんだよね。
自分がどうなるかわからないから怖いわけ。
受け入れてしまったら自分がどうなるかわからないから怖い。
だけどそれを受け止め引き受けてみようっていうことをするわけなんだけれども、
怖いから、
これ人間社会でもしょっちゅう起きるんだけども、
見て見ぬふりをすることができるわけ。
だから会社でも友達でも、
何かあった時に、
何かあれって思っても、
何か話を合わせちゃったりとか、
する場合があるわけじゃん。
なかったことにするみたいな。
そういうことももちろんできるんだけども、
そこを受け止めて引き受けるっていうことをやったときに、
自分が生まれるわけで、
また自分が相互的に自分がそれに対して投射をすると、
相手もそれを引き受けてくれたら、
また相手も違う人が生まれてきてっていうので、
また違う関係が立ち上がってくるわけよ。
っていうことが書かれている本なんだよ。
「面白くない」という投射とガサガサの道
最後、最後難しかった。
僕はこれを読んだときに、
これもう終盤ですよ。
いよいよガサガサ終了するかもしれない話になってくるんだけども、
僕は投射をしなきゃいけないって思ったっていうことなんですよね。
要はこのガサガサで3人で喋っていて、
最初に冒頭に言った通り、ガサガサは続けたいんだよ。
単純に3週に1回ぐらい会ってますよね、Zoomだけでも。
会ってて、3時間近く何か話してるわけじゃない。
変わりがいる、いないの話ではないが、
なかなかこういうことができる人っていうのをパッと思いつこうとしても、
そうはいないわけだから、
単純にこうやって会ってるだけでも、
これは素晴らしいことだとは思っているんだが、
ラジオとしての再生数とかそういうことを完全に抜きにして、
ここを僕は今から投射をするわけなんだけれども、
始めた当初はネタがあったわけで、
ネタがあったら、会って話すだけでも面白いのに、
ネタがあったらもっといい、楽しいし面白いみたいな感じになってくるんだけど、
特にネタがないときに現れてくるんだけれども、
面白くない。
面白くない。
これ僕がね、
面白くないなーって思ってることがあるの。
はいはいはい。面白くないね。
そう。
だから、すごい直接的なことを言うと、
すごい投射するんだよ。
するよ。今度ね。
何週間前の、僕がたまたま収録録音失敗してさ、
2人で喋ってる回があったわけじゃない。
あれは別に本当に突発的なアクシデントで僕の声が入らなかったんだけども、
2人だけの会話がずっと続いたわけじゃない。
僕はそれを編集し終わって何とか形にして、
2人に事前に聞いてもらって、これで配信してもいいかっていうのを聞いたわけじゃない。
2人は全然いいじゃんって言ったわけなんだけども、
僕からすると、面白くないやりとりがずっと続いてるっていう感覚だったの。
これ出していいのかなっていうのがずっとあって、
これかなりの投射をしてるんだけども、
なんていうのかな、
ガサガサもしてないって思ったわけですよ。
ガサガサ…
1年半やってきてガサガサの道をガサガサ踏みしめてきちゃったわけよ、僕らは。
そしたら結構しっかりした獣道ができちゃってて、
同じ道を行ってるんだけど、割と平坦に歩けるようになっちゃってる感覚。
これもうガサガサしてねえぞ、じゃって。
あれだな、胸か頭の上まである草の中を掻き分けてるみたいな跡じゃないですか。
当初はね。
確かにもう見えてるね。
見えてるでしょ。
見えてる。
もう踏み固められてんのよ。
あと、そうですね、いつも通ってるところは通りやすいが、ここまで通ったりしてるかもしれない。
そういうこと。
それじゃダメじゃねえかっていうことを僕は投げかけたいっていうね。
それじゃダメなんすかね。
あのね、たぶん一週前の話のときで、ちょっとどういう編集になってるかわかんないけど、
なんか起こしたいよ、僕としては。面白さみたいなのをね。
でも結果先週は面白さが僕の力不足で何にもできなかったんだけれども、
今の二人はそこを行くよりも、これでいいじゃんみたいな感じの見えてしまうみたいなところでね。
それじゃどうなのっていうことを僕は言った。
結果的にできるかどうかはまた別の話なの。
ほうほうほうほう。
でもなんとなくコウさんの言い間に言ってきた。
なんとなくわかりました。
なぜガサガサが終了するかもしれないっていうのは、
終了危機は脱したか?今後の模索
僕は今すごい投射をしたわけで、
これもしかしたら何言ってんの?コウさん何言ってんの?って言って、
そんなめんどくさいことを考えなくてもいいじゃん、楽しけばいいじゃんみたいになって、
そんなめんどくさい高みを目指すみたいな感じだったら、
もうやってらんねーよっていうことになるかもしれないなって思って。
僕の意見言っていいですか?
やってきて周りも見えないようなガサガサしたのが見えるようになってきたっていうことは確かにそうだなと思ったけど、
そしてコウさんが今こういう話をしてるのもひっくるめて、
ずっと長くやってきてここまで来たなっていう感じがします。
今までやってきたからこういう話ができてよかったなって感じがします。
役割は確かにあるから、
みんなが同じことをできるようになるみたいなことでは全然なくて、
それぞれのもちろんカラーもあるそうなんだよな。
そうするとじゃあそれが今じゃんみたいなことを言われると確かにそれはそうとも言えるんだが、
そうだよな。
やっぱりおもろく感じたいんだよね。
そうでしょ。シンプルに面白くないことが気になってきたりするんでしょ?
そうそうそうそう。
だってコウさんにしてみたら、
この2人の言うことをもうこんだけ聞いてきてるから、
多少その飽きみたいなのも出てくると思うけどね。
だから人によって面白さみたいなのはもちろん違うから、
僕の面白いと思うことみたいなことを押し付けてしまっては、
これはまたどうなのかなっていうふうに自分でも思うんだけれども、
押し付けるつもりはないが、面白くないことは伝えなきゃいけないなって思う。
そうそうそうそう。
聞いてくれてる人がね、何人か多くはない人数の方が聞いていただいてるんですけれども、
もしかしたらその人たち、今聞いてくれてるってことはさ、
今の状態をもしかしたら楽しんでくれてる可能性もあるんだけども、
まあでも、何ていうか別に裏切るつもりはないけど、
僕としては僕がつまんなかったらダメじゃんって思っちゃうから、
どうなるかはわからへんのだけども、まとめなんですけど、
一応僕の理解では、分かんないよ、みんなが本当はどう思ってるかは知らないけども、
終了の危機は脱したと。
思ったのと違ったんだよな。
終了はしなくて済んだと、とりあえず。
僕としては、じゃあこのままではいけないっていう答謝はしたわけですよね。
じゃあ僕も含めて、僕もその答謝を自分で受け止めて、
それぞれ受け止め引き受けるとはどういうことかみたいなことを、
答えを持ってこいってことじゃなく、それぞれが受け止め引き受けることをやるってことね。
それが何かはわからない。
それは最後のはもうちょっとわからん。
たぶん今なったと思うよ、二人とも。
今たぶん受け止め引き受けようみたいな気持ちにはなってくれてると思うから。
とにかくなんでもいいから、テーマとかじゃなくて、これからカサガサをどうしていくかのことを思いついたら。
具体的に何か言えってことじゃないよ。受け止めてくれたらいい。
これをさっき言ったように、なかったことにするみたいな。
わかりました、OKですみたいな感じで。
すべてOK、了解ですみたいなのが、これなかったことにするってことで。
ないな、それはない。
じゃあ具体的に何かをこうしてくれっていう話はないとしても。
難しかった。
難しかった。
コーンとポーンが良かった。コーンとポーンがいなかったら結構危なかった。
危なかったよね。
もっと言いたい部分はたくさんあったんだけど、全部吸っ飛ばしたんだけど。
もう少しあるんですよね、細かいテキスト。
これで映画を見ると余計、あの映画ではこのことを言ってたんだみたいな。
この話って、その映画を見てその本を読んだからこそ出てきた話なの?
原作を持ってるって思っちゃってて。
映画の原作の2人の急に具合が悪くなるっていうタイトルの往復書館の本があるんだけど、
もうすげー読んだことがある気持ちになってて。
それでも見ずに映画を見に行ったんだけど、やっぱり映画が素晴らしかったから、
絶対持ってたよなーって思って本棚をバーって探したけど、それはないんだが、
その片っぽの人の書いた本が出てきて、
この人の本俺持ってんじゃんって。
実はこれは急に具合が悪くなるっていう本の後に書かれた本で、
読んでみたら、映画の中で描かれてることとすごい関わってることがたくさん出てきてて、
それをあの場面は表してたんだみたいなことがね、
すごく知ることもできて、それも嬉しかったし、
同時に僕はガサガサに投写をしなければいけないっていう気持ちになった。
なかなかですよ。そっからガサガサまでいったのは。
投写ね。
今日投写っていう言葉をキーワードですね。
投げるに発車の車で投写。
投写。わかりました。
投写。
投写んお方が。
その投写を受け止め引き受けると、その先に変容する自分に出会う可能性が発露する。
新しい自分ってことよね。
はい、ということでございまして。
じゃあ最後のね、また2人のやりとりで新しい2人が見れるかもしれないということで。
恐ろしい。
今週はこの辺りで終わりたいと思います。
本当にね、困りますよね。
リスナーへのメッセージとエンディング
はい、じゃあ是非ですね、番組フォローと通知音の方もよろしくお願いいたします。
お願いします。
もうね、今回に限っても、いいですコメントはもう。
今回は休んでください、皆さんも。
休むの?
次回から頑張りますので、まだコメントください。
はい、お願いします。
じゃあ今週はこの辺で終わります。
はい、じゃあゴン狐でお願いします。
ゴン?
誰か。
皆さん、こんばんは。
コンです。
いやー、僕ね、友達がね。
友達がいないからね。
高いバージョンだ。
川の向こうにいる、見たことない動物に手を挙げてみたんだ。
そしたら、あの子も手を振ってくれて、だけど僕もね、ちょっと怖かったんだよね。
笑ってたから、笑ってたから、僕ってもしかして、え、僕って笑ってたの?ってその時、初めて思ったんだよね。
ということで、みんな!
ありがとう!
今日もおやすみなさい!
素晴らしい!おやすみなさい!
34:23

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