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おはようございます、こんにちは、こんばんは、マキレイカです。 私とあなたの世界を映すラジオ【チャコめがね】です。
今日のお話し相手は、友人のノンちゃんです。よろしくお願いします。 ノンちゃんとは、パーマカルチャーセンターカミイモミという岡山にある
斎藤で、一緒に生き物がいっぱいいるような田んぼを作る講座を受けてて、そのご縁で、かれこれ去年の10月から何ヶ月ぐらい、半年以上ね、
一緒に毎月毎月、作業したり学んでるんですけど、そこで出会って、なんとなく、勝手にですけど、私がフィーリングが合うというか、いろいろ深く話したいなと思っていた
友人の一人で、チャコめがねも聞いてくださってということで、お話し相手に来ていただきました。 来ていただきましたというか、今ノンちゃんの家に来ています、私が。
ずっと来たい来たいと思っていて、 岡山県の赤岩市のご自宅に来ております。ノンちゃんはどういう人かというと、はい自己紹介を簡単に。
まず、私と同じぐらいのね、世代、年齢で、今、はじめちゃんっていう旦那さんと2人暮らし。 そうです。えっと、ノンちゃんです。
えっと、45歳かな、6歳かな、で、あの夫が、はじめさん、63歳になります。
で、えっと、岡山の山の中に住んでるんですけど、ここに引っ越してきたのが、1年3ヶ月前、大阪から移住してきています。
で、えっと、地区100何十年という古民家を見つけて、そこをまあ、2人で海藻を回収をしながら、畑を始めてみたり、
ちゃこちゃんと出会ったその田んぼの会に行きながら、 田んぼを始めたりしているっていうところです。
で、えっとね、それまでは、私は、大阪でヨガの講師をしてました。
何年ぐらい?
十何年。
あ、そんなに?
ヨガっぽくないよね。
ヨガっぽくないね。そうそう、ヨガ講師を十何年かして生きていった。それがほとんどだね、その学校卒業してからの私っていうのは。
30ぐらいからってこと?
そうだね、27歳からしてた。
全然ヨガっぽくない。
ヨガの話をしたことがないね。
そうだね。そうそう、それもあるね。そうなんですよ。
で、このままヨガの講師をずっと続けていくのかな、一人で。
と思ってた時に、はじめさんに会った。それがまあ、多分5年ぐらい前かな。
で、出会って結構すぐに一緒に住んだりとか、席入れましょうかっていう感じになったので。
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今、見学みんなでね、友達みんなで、のんちゃんとはじめさんの家見学。
見学会がちょっと横で繰り広げられています。
今、ラジオ収録をしております。
ほんで、ヨガ講師をする前は、そこもちょっとあれなんですけど、
カンボジアに2年ぐらい住んでた時代があります。
それは、カンボジアのある町で、
日本人の人が主催していた、クメール伝統織物研究所っていう名前をつけて、
昔ながらの染め方、織り方を復興させて作品にして届けている。
販売もしているっていう人がいて、その人に出会ったことで、そこに滞在することになった。
そうなん?青年海外協力隊とか、そんなんじゃないん?
ではない。
それも知らんかった、一発。
さかのぼると、ちょっと一個忘れたけど、その後にインド行くんですよね、私。
カンボジアからインドに行った。
そこでヨガに出会って、ヨガ講師になって、ヨガ講師を辞めて、今、ということだね。
学校ではどういう興味があったの?
学校では国際文化学部っていうところで、ざっくり国際的なこと、世界のことが好きな人たちが集まっている。
私たちがその学部の一期生なんだけど、すごい楽しい仲間たちと4年間でした。
なんでそこにたどり着いたかの話だよね。
小さい時から母親がテレビで海外のドキュメンタリーとか見るのが大好きだったの。
例えばだけど、24時間テレビの支援とか、アフリカの現状とか、アジアの子どもたちとか、
そういう番組を見ているのが好きだったから、私もいつも横で見てた。
その時に、アジアとかアフリカ、いわゆるだけど発展途上と言われている国の子たちは、
どうしてあんなに顔が生き生きしているのかっていうのが謎だったし、それの答えが知りたくてしょうがなかった。
認婚みたいなことで紹介されているのに、どうして日本人よりも圧倒的にキラキラしているのかなっていうのがずっと知りたかったっていうのがあって、
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大学を選ぶ時とか、これからどうしていこうかっていう時に、そういう国のことを知りたいなって思ったから、
国際文化学部に行ったんだよね。
国際って言ったら、アメリカもヨーロッパもいろいろある中で、のんちゃんはアジアだったんだね。興味あったのは。
そうそう。もともとそっちの方に興味が向けられたっていうのもあったっていうのもあるし、
たまたまその大学に来てくれた先生の一人がフィリピン人の牧師さん?宗教学をしている先生だったのね。
その先生とのご縁もあって、私は大学の時にフィリピンに何回か行っている。何回かどころじゃないぐらい行っていると思う。
で、そういう社会運動とかが活発なんだよね。フィリピンってね。
シスターが何か社会活動をしている。貧困問題にどう?社会問題にどう?っていうグループとかがたくさんあって、
私と友達は紹介されるがままにそういう活動を見に行くっていうことを、大学3年生4年生の時はほんと何回も行ってた。
でね、行っていろいろ見るんだけど、知識もなければ、経験もないし、どうしていいかわからない。
なのに、日本人は、日本はお金がありますよね、みたいなことを誰にあっても言われていることが辛くなってきたね。
辛くなってきて、お金はあっても心が貧しい国かもしれないよとかいうことを自分でフィリピン人の人に伝えたり、
フィリピンはとてもいい国じゃないってこんなにみんなが明るくてとかって言ってたんだけど、本当に相当辛くなってきちゃって、
フィリピンと関わることがもう嫌だっていう時が来たの。
で、もう帰ろうって、もうフィリピン辞めようって思った時に、ある人が、
カンボジアでそういう染め織物を復興活動してる人がいて、とても面白い人だから会いに行ったらいいよって言われて、
その人に会いに行ったのが、まあちょっとターニングポイント。
就職しないでそのまんまずっとそこにいた?
そう、就職活動したことないんだよ、私。スーツ着たことないんだよ。
アジアで住むってちょっと決めてたかな、自分の中では。学校卒業したらどこかアジアに行こう。
で、フィリピンに帰ってたけど、なんとフィリピンが嫌になってしまった。フィリピンに行くことが。
そしたらそのおじさんに会いに行ってって言われて、カンボジアに行った。
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それは社会活動をしたかった?残したい伝統とかそういうものを残したかった?
それはね、自分の中にあったわけじゃなくて、気軽に手伝ってよって言われたからはいって言っちゃったっていうのもあるんだけど、
私のね、また母親が出てくるんだけど、手仕事好きだったのね。
で、糖でかご編んだりパッチワークをしたりっていうのをずっと家でしてたから、仕事しながら。
それを見て、自分も教えてもらってやったりっていうことが好きだったのね。
で、その染折工房に行ったときに歯切れがたくさん残ってたの、昔の歯切れが染めたね。
それ使って、なんかできないかなっていうことを、私から言ったのか、その団体から言われたかちょっと忘れちゃったけど、
それでなんか、巾着とかポーチ作りましょうっていうことになって、作品を作り始めたのよね。
私とカンボジア人の子たちで。
それがなんか、一つの仕事だったかな。
役割があるって思っちゃったのかもしれない、そこでね。
それは2年ぐらい、2年弱ぐらいは続いたかな。
そこからなんでいきなりインド?
それはね、カンボジアに2年弱行って、なかなかできないことでしょ、外国に住むって。
そうなんだけど、やっぱりカルチャーショックというか、カルチャーギャップというか、
常に人がいるとかね、やっぱりね、スラッグなっちゃったかもしれない、もしかしたら。
カンボジアで?
インドもっと居そうだけどね。
居そうだけどね。
ちょっと話戻るっていうかね、飛躍するけどね。
あるとき、悶々としてたときに、ある旅人がやってくるの、カンボジアに。
それは同い年の女の子で、今インドやネパールを旅してきましたっていう女の子に出会ったの。
日本人?
日本人の女の子ね。
たまたまその子と出会って、カンボジアってどういう国とか、どんな生活してるのっていう話をしたときにして、
私はその子に、インドやネパールどんなことしてきたのっていう話をしたときに、
まあ、ヨガやってきたんだよとか、迷走してたっていう話をしてくれたんだけどね。
かたや私は、カンボジアで家を借りてもらって、部屋一つね。
で、住んでますっていうことを、住んでますっていう状況だったんだけど、
彼女はリュック一つで、てんてんと旅をしてます。
なのに、もっと充実してたの。自分よりも。
と、ように見えたの。
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キラキラしてたんだよね。
そのときに、なんか、瞬間瞬間を大事にしてるその旅の姿に、
惹かれたんだよね。
なるほど。
住んでるという、なんか、自負のような、重荷のようなものが、もんもんとしてた。
だけど、軽やかに旅をして、その場その場で楽しんでいる彼女の姿、
彼女が撮った写真とかを見たときに、この生活を手放そうみたいな、捨てようみたいな、
ふうに思って、すぐに、私を誘ってくれたね、森本さんっていうおじさんなんだけど、
森本さんに、カンボジアを離れようと思いますって、もうね、言ってた。
へー、それが2年ぐらい経った頃?
そうそうそう。
だから、23、4、5?
そうそうそう、3、4、4ぐらいかな、3ぐらいかな、3、4のときだった。
へー。
それで、私もリュック一つでインドに行っちゃった。半年間の旅。
じゃあ、なんか、自分の理想の場所を探すとか、人の繋がりを求めるっていうより、
のんちゃんは、自分の状態を求めたって感じ?
そうかも。
へー。
そうだね、状態を求めて、
すごい納得する。
ちょっと、場所を変えてみたり、在り方を変えてみたりっていうのをしたんだよね。
そうそうそう。
で、まずは、彼女が行ってきたというヨガセンターを目指そうと思って、
ヨガニケタンっていうところがあってね、それをメモって、
バンコクまで行って、チケット買って、インドに渡りました。
その時、お金ってさ、そこで働いて得てたの?カンボジアで。
そうだね、ちょこっとお小遣いみたいなのもらってて、
でもね、そんなに持ってなかったよね。
30万も持ってないんじゃない?もちろんっていうか。
20万持ってたか持ってないかぐらいでね。
でも、なんとかなると。
なんとかなると思って。半年いたしね、インドに。
ヨガセンターを皮切りに旅が始まったの。
確かに、あの頃のインドだったらね、100円ぐらいで泊まれたりね。
ヨガに出会う、そこで。
これだと。
これだとね。
そうだよね、状態を求めてる。
状態を求めてね。
飲んじゃいとってはこれだと。
そうそうそう。
で、ヨガを始めてみた。
ヨガ用語、英語も分からないのに、
吸うと吐くが分かるまでに1ヶ月経ってるみたいな。
それはそうだよ。
吸うって言ってたの?みたいな。吐くって言ってたの?みたいな感じだった。
訳も分からず、朝起きてヨガをして、
よく分からない瞑想をしてっていう時間があったね。
で、それからインドに何年いて日本に来るの?
半年、半年いたね。
半年だけ、うんうん。
ヨガのセンターを転々としたり、
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途中でね、ブッタガヤっていう仏教の聖地みたいなとこあるよね。
ブッタガヤ、里で開いたとこ。
里で開いたところか。
そこ行った時にスリランカ人に出会って、
うちにおいでよって言われたから、スリランカまで渡ったりとかね。
そういうなんかちょっと出会い、いろんな出会いがあって半年経った。
で、1回カンボジア戻ったかな。戻って、で日本に帰った。
で、マッサージの仕事を始めるんだよ。
それはなんか体と心と自然みたいな繋がりが大事なんじゃないかなと思って。
手始めじゃないけれども、まずはマッサージからやってみようと思って。
何系の?整体とかオイルマッサージとかそういう?
まずね、バイトでやったのは本当クイックマッサージだったんだけど、
その後、ロミロミマッサージの個人でやってるところにも行って、
同時にヨガを日本でも学んでたんだね。
でもね、やっぱりマッサージって限界があるんじゃないかなって私は思ったね。
人の疲れを他人が癒すってね。
なので、ちょっとマッサージはもう自分の中ではもういいかなと思って、
ヨガだったら自分で自分を元気にできるっていうのが分かってきたから、
ヨガ一本にしようと思って、ヨガを続けた。
自分がずっと続けるには先生になるのが早いなと思って、
職業にしてしまえと思って、ヨガの講師になった。
なんかその最初の状態を求めてっていうことがすぐしっくりくるわ。
そうやね。
今ここのさ、のんちゃんが作っている場所、自分の家とか場所っていうものもきっとそれの現れじゃん。
理想の状態を今度は家とかフィールドで体現しようとしてるっていう感じしっくりくるわ。
で、ヨガ講師をしていて、今ってさ、大阪で筋継ぎのこととかやってるじゃん。
そういうのも手仕事とかとつながるの?
そうね。自分が筋継ぎを猛烈に栄弱でやり始めたわけじゃないんだけど、筋継ぎと言っても簡易筋継ぎと言われるものなんだけど、
たまたまヨガ講師をしているときに、夫がイベントスペースというのを持ってて、自分の仕事とは別に。
はじめちゃんがね。
その時は付き合ってたのかな。付き合ってたっていうか知り合いだったのかな。
筋継ぎのワークショップがあるっていうんで行ってみた。
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そしたら案外手軽にできたのね。
教えてくれた方は割と高い金額で教えてくれたんだけど、これは別に自分たちでもできそうだねっていうことになって、
その時のワークショップに参加したメンバー数名と、サークルのようにして続けようかっていうのを始めたのね。
お金500円しか取ってないの。
それはもう材料費ぐらいのもんで、教えるためにお金をもらうとか、そういうことは全くしてないのね。
誰かが正しいことを教えるんじゃなくて、やったことがある人、私もその一人で、が伝えるっていう形。
どういう方法になっても別に間違いじゃないから、みんなでやってみませんかっていう場作りに結局はなってるかな。
それがまた面白くて、もちろん手仕事が好きな人も集まってくるし、
なんとなくその小民家だったり田舎暮らしだっていうことに興味がある人も大阪でやってるんだけど、集まってきたりしてる。
街中でしょ、ワークショップスペースは。
そう、街中。
それがなんか時代なのかわからないけど、先生でもない生徒にもならない。
で、実は自己紹介もしないの。
でね、手を動かしながら、まず来てくれたら割れたもの見せてもらって、お皿とかね。
こういうやり方があるよっていうのでやってみましょうかっていうふうにいきなり始めるの。
手を動かしながら誰か何か話すでしょ。
そしたら、私もやってますとか、その人知ってますみたいな感じで繋がりが分かっていくみたいな感じで。
ところでSNSやってます?みたいな。交換しません?みたいな感じにしてる。
それは来る人のハードルを下げてるような気がする。予約もいらないし。
誰が来るかわからないけど、私は岡山から大阪に行ってる。
ヨガの時はそうではなかったでしょ?
ヨガはもちろん生徒さんがあって、毎月教えるって形だね。
そのヨガを辞めたのはなんで?
ヨガを辞めたのは、田舎暮らしをしたいねっていうのが浮上してきたから、
大阪で生徒さんに来てもらって毎週っていうのはスタイルは難しいなって思ったのもあるんだけど。
私がやってたヨガは、体を整えるためのヨガが結果的に心を整えてる。
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ヨガって一般的にそうかな?というスタイルだったのね。
来てたのは、今やヨガってすごく流行ってるんだけど、生徒さん80歳とか70歳とかだったの。
もっと前からヨガを健康のために、心のためにやってきた人たちなのね。
そういう目的でやるんだよっていうことも歌ってたしね。
私があるヨガの種類の専属講師だったんだけど、
私はその考え方にすごく惹かれたから、それをずっと講師としてもやってたんだけど、
なんで辞めたんだろうね。田舎暮らしっていうのがあるけどね。
もっと自由でいいって思ったのかな。
ちょっと忘れてしまった。
何を思ったか。
だってさ、15年やってたもの、そんな田舎暮らししたから手放すってすごいなって思ったんだけど、
ちょっとさ、一回ここで次回につなげようかな。
その生き方の選択みたいな20分くらい話したからさ。
じゃあ次回も引き続き、すごい興味深いから掘り下げる。
ありがとうございます。