君が作って与えられた一部を支援していただき、お送りをしていた資料。
僕が支えから普通に製品を出すことについて、伝え続けてきたちょっと面白すぎる人たちの情報を、集中していくことになります。
キーワードは、しろっと追い立てたネタ、ターゲットのパネルまでといった動きをします。
それでは、今回もやりますので、スマって、東京地域伝聞、福野泰介の福野です。よろしくお願いします。
さっそく、ダーニングポイント編ということで、前回大分町を話をしてたら、
大分町の中で、大分町の中で、
福井高生がダーニングポイントに結構あるってことだったんで、
まずはこの話を聞いていきたいなと思うんですけど。
実は僕が福井に来たのは中3の時で。
あ、そうなんですね。
中2までは三重県にいて、中3で福井、明洞中学校で引っ越してきて、
で、他人の先生に、ちょっと今年、修学旅行どこに行くんですかって聞いたら、
去年行ったって言われて。
寂しい。
終わったの?逆だったら2回行けたんですね、みたいな。
で、実はそこで、その先生がプログラム好きなら高生にあるぞって教えてくれて、
で、オープンキャンパスに行って決めたのが高生なんですね。
でもほんと福井高生に行ってよかったなと思います。
それまでほんと、勉強をやればいいんでしょうみたいな感じでやってたんですけど、
一緒に並行してやってたプログラミングが実は役に立つもんだって気が付かせてくれたのが福井高生なんですね。
それまではただの趣味というか、自分で作って自分で楽しむものだったものが。
そうです。で、実はゲーム好きで始めたんで、
ゲームプログラマーになりたいなと最初は思ったんですけど、やっぱ違うなと思ったんですね。
何が違ったんですか?
世の中で売れてるゲームが面白く思えない。
マリオは楽しかったけど。
マリオは楽しかったけど、ドラクエとかFFが楽しむなくて。
そうなんですね。
なんでこんなレベル上げにめんどくさいことをしないといけないの?
効率悪い。
ボットにさせたいみたいな。
だから、なんだろうな、自分が好きなゲームを作ればいいっていうよりは、売れるゲームを作るっていうのが仕事だなと思って。
そうなるとちょっと違うなと思ってて。
でもプログラマー好きなんでと思って後世に行ったんですね。
で、その後世に行って、謎の部活、ナマズ。
静粛名社は何でしたっけ?
地球物理学研究会。
これ、岡本先生って福井の地震の先生なんですね。
地震を主に研究してる物理の先生で、県内のあちこちで地震の波形を測ってるんですよ。
測ったデータを持ち帰ってきて、解析して、
地震の予知をやろうという研究なんですね。
その研究室に実は入った理由は、そこに入るとぷよぷよのソースコードがあるぞというのに騙されて入ったんですけど。
なんか怪しい噂っすね。
実際はぷよぷよのクローン、ぷよぷよっぽい形の一般の人が作ったプログラムがあって、
それをパソコンで動いたんで、それで遊べたんです。
ギジぷよぷよみたいなことができて。
我々ですごい良かったんですけど、結局ソースコードは見ないまま終わったかも。
やっぱソースコード見たいんですか?ちょっとそれちゃうんですけど。
見たいですね。人気のゲームがどう作られてるかっていうのを見ると、
例えばぷよぷよは4つで消えるけど5つにしようとか、3つにしようとか、色々改造できるじゃないですか。
色気に入らない方は色変えればいいし。
確かに。アレンジするには大元を見る。
そうなんです。と思いながらずっと延々遊んでただけだったんですけど。
でもやっぱそこで気がついてたのは、先生が研究で手伝ってほしいってことで、
で、プログラム家で作って、持ってって、解析した結果でこうですみたいなこと言ったら、
この論文に名前乗っけてくれたんですね。
おー。
プログラムって人の役に立つんじゃんっていうのが、今のジグゼイPでもやってるツール作り。
やっぱ道具としてのソフトウェアを作る快感に目覚めたタイミングですね。
なるほどなー。
やっぱこの道具のいいところっていうのは、ゲームと違ってこの評価指標が明らかなんですよ。
ゲームの面白さって数値化するの難しいじゃないですか。
あーまあ確かに、確かにそうですね。
しかも人によって評価軸がバラバラなんで、なかなか読めないんですね。
スマブラやるときに友達とやってるのが楽しいのか、一人でひたすらレートを上げるのが楽しいのかって結構人によって違うし。
そうなんですよ。
確かに。
あとこうプログラムだけに寄らないっていうか、結局ポケモン出たらいいんでしょみたいなキャラクター化したようなのもあるので、
そのままちょっと自分には追いつかないしなるっていうところがあるのが、やっぱゲームの難しいところで、
でもその点ツールっていうのは、ツールがあるときとないときでどれぐらい時間を短縮できたかっていう時間で評価できるんですね。
分かりやすい。
という意味でツール作りは時間作りって思い立って、ツール作るっていうのはいいなと。
これで世界中の人たちにいい道具を配ればそれだけ時間を生み出すことになるっていうようなことを考えてツール作りにはまったと。
で、それ高校時代にツール作り。
それが高生の2年生ぐらいですね。
高生1年生のときに、自分の持ってるパソコンではスペックが足りないことに気がついて、
先輩からパソコンの作り方を習って、40万円ぐらいで新しいパソコンを組んで、
それ使って学校の研究室の研究を家でやって手伝って、っていうのは2年生のときにやってたやつですね。
なるほどな。
じゃあもうそこで自分の作りたいものを作るスペックを持ったパソコンも作れて、
で、いよいよツール作りに入っていくと。
そうです。
どういうツール作ってたんですか?そこから。
でも結構ゲーム好きだったんで、ゲーム作るためのツールを作ったりとか、
お絵かきソフトを作ったり、
3Dがまだまだ出始めだったんで、
3Dゲームエンジンを作ってみたいとか、そんなのやってましたね。
僕からするとゲームエンジンが全然わかってないんですけど。
いや、企業するとかを二陣も思わないで卒業しましたね。
あ、そうなんですか。
実はコウセイン2年生くらいからアルバイト始めて、
で、地図アプリっていうのを作ったんですよ。
今でいうとGoogleマップみたいなやつ。
当時絶対ないですもんね。
なかったですね。Googleもなかったんで。
で、それを作って、幕張メッセの展示会にみんなで、
バイトの中までみんなバーって行って、
で、展示員やって、
これいいねみたいな。いいでしょ。
これやってたんだよみたいな。
面白いなみたいな。
それがいろんなとこに売れて、
で、そこに実際オフサムに行ったりとかいろいろやるバイトを
コウセイン先生のときにやってました。
すごいバイトっすね。
結構学校サボってましたよ。
明日出張なんでみたいな。
だから今でいう高校生起業家みたいな状態に近いですかね、それは。
でもバイトでしたからね。
でも、そうやって役立つんだってことが分かって、
同時にこのバイト先の社長から、あれこれやってくれって言われるわけですよ。
で、やるんですけど、
いや、それはやっても意味ないくないみたいな話をして、反抗することもあるんですね。
いや、頼むからやってよとかって言われるんで、
これが就職するってことか。
ってことで就職は自分は無理って思って。
なるほど。バイトながらにして、
その社会とちょっと合わないことをやらなきゃいけないという感覚を見りつけたんですね。
そう思ってしまったんですよね。
だから、これは無理だなと。
もう一つ思ったのが、コウセインっていうのは、
5年生のときに卒業論文、卒論書くんですよ、大学っぽく。
その卒論書くのが結構嫌で、文章苦手すぎて。
文章書くよりもコード書きたいわみたいな。
っていうので、大学に進学するってことは、もう一回論文があるんだなみたいな。
確かに。
いや、もういいわと思って。
論文が嫌すぎて辞めたんですね。
そうです。
勉強は別に嫌いじゃなかったけど。
あとその当時はですね、あまり最先端のコンピュータサイエンスって、
どこの大学もあんまりやってないですよね。
あー、そっか。そうかそうか。
インターネットをやってますって言ってる大学は、SFCとかなんかその辺ぐらいのもんで、
あんまりなかったんですよ。
学びたいものもなかったんですよ、大学に。
で、そんなことをやるよりも、別にネット上でね、バンバン最新情報上がってくるから、
進学、なんだ見るんだろうみたいな感じで、進学もしませんっていうのが、
高校生5年生の時の、4年生かな、進路、進路アンケートみたいなのが来て、
どっちも行けませんって出したのがその時ですね。
あー、そうなんですね。
そっから企業につながっていくというんですか?
いや、そっから、いや実は、そのまま、いや、進学も就職もしないのは困るよって言われて、
あー、多分言いそうですね。親だったら言いますね。
いや、学校の先生から。
あ、先生から。
で、とりあえず先行課っていう、5年間の後の2年間の追加課程があるんですね。
えー。
で、できて2年目ぐらいの私の時で、あんまり人見なかったのかしらないですけど、
呼ばれて、また入ってあげるみたいな。
めっちゃ上から行きますね。
で、一応入って、で、パソコンもらって、で、辞めて。
もらえるんの?
もらえるんですよ。
へー。
まあ、この入学金とかなんとかでも親が払うし、
だから僕全然ノーリスクで、パソコン手に入るのはいいかみたいな。
ってことで、先行課には行ったことにしましたけど、結局3日で辞めたんですね。
え、早いっすね。
うん。入学式に行って、1個授業を受けて、
これは受けてもいいかなと思って行った授業が、行ったら休校だったんで、
遅なしで、大学届を出して帰った。
休校ってことは別に、その次はある可能性あるってことですよね。
そう、次はある可能性あったんですけども、もうちょっと、そこで心が折れる。
へー。
なんか、堪え性のない子供みたいですね。
結局、1授業しか受けてないです。
へー。
まあ、でもちゃんと先生には、入学してくれってことには答えてるので、
要望、嘘もついてないし。
ちゃんと高校生も卒業してるし。
ルールは守ってますね。
うん。
やっぱりその間もずっと、バイトは、フリーのプログラマーとしてバイトは続けてて、
その後、なんか、ちょうどビットバレーブームっていうのが日本で、
シリコンバレーが流行ってるときに、日本でもIT系で起業するぞみたいな、
いうブームが起きて、
福井でも、なんかその色々作れるんだったら、会社でも作ったらっていうのが、
実は最初の起業のきっかけだった。
そういう流れなのか。
すごい、何度も直接起業に結びつけようとして、全然違うところに行ってきたから。
ようやく起業に来た。
全然起業するつもりも全くなかったところを、
やればって、そそのかされて、
よくわからんけど、やったっていうのは最初なんです。
あー、そうなんだ。
よく言ってるのは、消去法ですね。
就職無理、進学無理、みたいな。
残るは任意とか起業家みたいな。
っていうところ、起業するって手があったっていう。
まだ、消去法的に起業もダメだったら、モディーと行くしかないですけど。
そうです。
たまたま起業がハマったからよかったですね。
でも、ハマったのかどうかわかんないですけど、
最初に起業はしたけど、
なんか、当時のフリーのプログラマーやった時代から給料半分になって、
えー。
なんか、やってることはそんなに何かなと思いながらやってて。
えー。
って、最初思ってましたね。
じゃあ、なんか、もともとアルバイト嫌だなと思ったのが、
自分のやりたいものができないっていうことで、起業の道になってたはずなのに。
はずなのに。
起業してみたら、でも結局自分のやりたいことできてないなみたいな。
最初は結構よかったんですよ。
まあ、よかったといえば、よかったかな。
なんか、それもIT系でなんかやりたいってところから、
大人からちょっとモバイルでもやればって言われて。
ちょうどiモードとかが出始めた頃だったんで、
じゃあ、ちょっとそっちの方をやってみようってことで。
はい。
で、iモード、イージーウェブ、Jスカイ。
Jフォン時代ってあったんですよ。
その3キャリアの携帯電話がそれぞれインターネットには繋がるんですけど、
使える言語が全部バラバラなんです。
えー、もったいないですね。
そう。ドコモはHTML。
はいはい。
AU、今で言うEasyWeb、AUはHDML。
DMLなんてあったんですか。
HDMLだったんですよ。
HDML。
実はそれが国際企画だったんですよ。
えー、そうなんだ。
すごい。
WAPとも言いますけどね。
あー、なんかちょっと聞いたことある。
で、JフォンがMMLって言って、これ独自の言語。
Jフォン自体が作った、ちょっと短縮HTMLみたいなやつ。
でもバラバラなんで、
いや、こうなると一般の商店の人が作ってらんないじゃないですか、3キャリア分。
ということで、統一して使える言語を1個デッチ上げて、SHMLって言うんですけども、
1個デッチ上げて、その言語で簡単に書いてさえくれれば、システムで全部変換して提供しますよと。
っていうサービスを実は最初の会社で、みんなで考えて作って。
だから翻訳機みたいなことですね。
そうです、翻訳機ですね。
で、いよいよリリースだってリリースしたけど、一切売れないみたいな。
あれみたいな、めっちゃ役立つはずなのに。
3社、3社別の言葉使うってめっちゃ大変ですもんね。
めっちゃ大変すぎるんで、みんなあんまりやろうと思ってなかったんですよね。
っていうところから、なかなか広告宣伝するとかっていうこともしなかったこともあったんでしょうけど、
でも変な若者が会社作ったぞみたいなことだけは伝わって、いろんな仕事の用語見学ですね。
自宅してくれみたいな。
そういうのをこなしながら売り上げを作っていくみたいなことになってて。
そういうことか。やりたいことで作ったサービスは利益があんまり出なくて、
でも起業したぞっていうことが広報としていろんなところに広がって、仕事だけ舞い込んでくる状態。
そうですよ。やりたくもないけど、やってくれって言うからやって、
何百万かの売り上げにはなるんですけど、こんなことやりたいんだっけみたいな。
なるほどな。
というので、ちょっと腐ったところ、ドコモがですね、今のiPhoneとかAndroidに通じる携帯で動くアプリっていうのを発表したんですよ。
これはiアプリと言って、それが世界で初めて携帯でアプリが動く瞬間なんですね。
僕はそれがすごい気に入って、発売される前からもう超調べまくって、勝手に開発環境作って、
今から今からマシン同士見てるみたいなことをやってたんですけど、共同で創業した2人が、いやまだアプリは早いっしょみたいな。
それが音楽性の違いだったんですね。
そうです。
じゃあやめるわみたいな。
だんだん紐解かれていく、伏線解消みたいになってる。
というので、10ヶ月しか経ってなかったけど、僕はリタッチしまして。
なるほど。
という長いです。
なるほどな、面白い。
いやあ、そうか。結構もういろいろ話を聞かせてもらってるけど。
なんかちなみに、他にターニングポイントとして挙げるものとかってあったりするんですか?
そういう意味では、会社が変わるタイミングはいろいろありましたね。
このiアプリって出たのはやっぱ衝撃的だったんで、それやりたいと決めて、
で、他2人はやらないって言うんならしょうがないかと言わず、わがままを通してやめてやったのが良かったなと思いますし。
で、その後、アプリを作ってビジネスはそこそこのびっていきましたけど、
やっぱり自分でブランド持ってやらないっていう風に思った時に、ちょうどVC、VentureCapitalっていう人から電話がかかってきて。
最初、VC、Venture Capitalって言葉も知らなかったんで。
怖いっすよね。
何者かなって。
なんか投資してくるらしいぞみたいな。
いや、その子すら知らなかった時代。
ああ、そうなんですね。
資本の論理も知らなかったぐらいですから。
でもその人に会って、もう明日にもふい来る勢いだったんですよ。
ちょうど明日出張だし、東京で会いますからみたいな。
で、東京で会って、意気投合して、よし一緒にやろうみたいな、
いう風に決めたのが大きかったですね。
で、実はそこがジグJPの元になっていると。
それが出会いの話だったんだね。
うん。
なるほどな。
通して、でもなんか自分の作りたいものを作るっていうのが結構、