はい、よろしくお願いします。 お願いします。
確かに心にスペースがちょっと生まれた感じはある。僕も。 そうかそうか、そういう言い方だったなって聞きながら。
うん、すればよかったなみたいな。
今日1時間話して、明日も2時間あるんで、まぁちょっと
大分、そこまで考えなくてもいいかもしれないけど、3章の身体のこともあるし、
関係性の、あ、3章は2章か。2章の身体のこともあるし、3章の関係性の話もあるんだけど、
今ちょっと感じてるのは、えっと、1章の場と2章の身体を踏まえて、なんか包括して3章の関係性ってあるような風に
感じてるから、結構そこが一つの核?
うん、この本の、今回の本の、特に重要な部分なのかなって感じもしてるんで、
そこに場のリーダーシップっていう言葉が入ってくるように今、
あとでちょっと、今自分でもちょっと、いくつかポイントを挙げて見てるんで見てもらいたいんだけど、
なんかそこはじっくり話したいところかなっていう、
感じで、今いますっていうのが、 今日はどの辺から入っていこうかなっていうのはちょっと手探りな感じなんだけど、
まずの思いも聞きながら決めていきたいなって。 そうね、あの、
どこからでもいいし、まあ明日もあるから、 話したいけど、
せっかく時間もあるので話をし始めてみると、
あの話した通り、PwCっていうコンサルティングファームと一緒に今セミナーをしてて、
で、その対談記事を書いてるのと、
セミナーが僕はやりますと。 で、5回のうちに2回セミナーが終わって、
2回のうち1回は自分が場を作って、手動でやってきて、
もう1回は、おっしゃる仲間中淳がね、場を作ってくれて、自分が見る、なさえるっていう感じでやってた。
流れから今朝もう1回その対談記事の、記事の赤入れをしたんだけど、
もともとその場のリーダーシップの概念ってすごく分かりづらいよねって話がある中で頑張って書いてたんだけど、
そのセミナー2回は経てからすごい自分の中で腹落ちしてシンプルになってて、
で、書くのが楽になりましたっていう体験があって、 そこから話していくといいかなと思った。
確かに。
なんか、僕もどっちかというと、原稿のまとめ自体は2章からやりたいんだけど、
あの気持ちとしては3章をちゃんと
共有してからの方がどっちかと書くまさにコアなのかなと思うんで、
じゃあその話はあれかね、まず一旦聞かせてもらう感じがいいよね、あんまり僕の方から入れないで。
なんだろうね。
で、やってることをまず伝えると、
もともとリーダーシップ自体が人のこの資質、
何やらこうマネジメントしていく中で差異が出てきて、なんだその差異は?って中で資質が違うんじゃないかっていうことでリーダーシップの研究が始まり、
でも資質だけじゃなくて結局その行動パターンとかだよねってなって、研究としては。
で、行動パターンの先に、いやリーダーってフォロワーがいるからでしょってフォロワーの話になってたりとか、
リーダーシップの発揮のされ方、そのサーバントっていう方式にやるとか、
もしくはもう個人じゃなくてチームみんなが発揮するものだよねみたいに広がってきてるのがリーダーシップの研究の変遷なんだよね。
で、そういう中で最初はそのある種の
機械制御というのかな、こうすればこうなるみたいな話があって、これは産業の時代があったから、産業間の時にはまさに工場のラインどうすればいいかって話だから分かりやすいXYゾーンみたいなね、
話になっていくし、でもどうやら違う個人の動きってもっと複雑でチームとしての何か成果って出してるよねってなってきて、
組織、チームでどう成果を出すかっていう、シェアドリーダーシップとか、あとは野中さんのように、
地を作るのは全員で作ってるんだとか、みたいに、まあ機械制御の個人の話からチーム、組織として有機体がやってるよねってなってきてる。
で、自分たちの提言は
セミナーでいくとね、その先に有機的にやってるっていう我々だけじゃない場も含めての話だよね。
その場とか環境からの影響を受けながら我々は生きてるし、我々はさらにそこから自分たちの主観で場を作り出してその場に影響を受けるっていうこの
自己循環が起こってるんですよ。 嫌な場だなと思えば嫌な場ができて、嫌な場から自分にまたフィードバックがかかってくるっていう。
そうしたときに主語を私でも私たちでもなく、場がリーダーシップを発揮してるっていう言い方もできるよねっていうのが場のリーダーシップなのね。
これってなんか、いろんな彼方の掃除系だなと思ってて、結局、個から組織から地域から地球っていうのと一緒で。
もっと言うと人間中心から人間以外もいるよねっていう中心地がずれだと思ってて。
で、その場って何なんですかっていうときに、ただの環境としての空間、スペースではないですよと。
それはもちろん環境もあるけど、その環境にプラスしてそこにいる人たちがお互い思う主観が相互に影響し合う、相互主観でできてるよって今置いてるよね。
で、その相互主観でできた場がまた我々に影響を与えて、そこの影響を与えられた私たちはまた主観を変えるから、相互主観としての場も変わっていくっていうこの流動。
で、当時もちろん場所、物理的な場所。会議室に行ったときの場と、じゃあ外に行って公園行ったら公園から受けるようなのが違うから。
それは何が違うって、我々が受ける環境が違う、物が違う。
同じ会議室の中でも質材が変われば変わるし。
そうやって相互主観が場を作っていけると、相互主観を生まれるのは人の知覚観性、身体性だから、体を無くして場を生まれないよねっていう。
うんうん。
なるほど。
確かにね。
物理的な場の影響って、最後のあたりで言った話で、やっぱり無機的な会議室よりはもう少し質材を変えたりとか、環境の良い場所に行った方がっていう影響もありつつ、
そこに人の主観も関わっているっていう、そこがたぶん関係性みたいな話にもつながる、
物理的要因じゃないファクターみたいな、そういう、一つはそこがあれなんでしょう、だからなんていうのかな、一生では割と場の話をしてるんだけど、
純粋な場の影響みたいな。もう一歩展開してそのリーダーシップとかにつながる話になると、当然人も関わってくるし、
人の持っている身体性というのが当然そこに直接に関与しているみたいな、多分その流れとしてはそういう感じで、本の構成上の都合で言えば
3章のところで何かうまくその辺が落としていけるんじゃないかなっていう印象というかを受けて
よかった。あとはそこの研究の経緯がようやくつながってきたので、ディテールをもうちょっと聞いていきたいなっていう
のかな、一つはそこもあるし。 あ、一個だけ僕の方で質問していい?
野中さんの名前がよく出てきて、もちろん著名な方なんで、いろんな形でインパクトというか影響を与えている
そこに石モデルというのがあるっていうのは何となくわかるんだけど、数の背景の中でとかあるいはそういう
会話でもそうだし、組織開発みたいな世界とかで、野中さんの研究というか、提言みたいな、ああいう
設置モデルがどういう意味合いを持っているかとか、 その辺が一般の読者にもわかるような感じでやっぱり入れないと
そこの石付けが僕は見えづらいんで。 ちょっとその話を聞きたいな。
野中さんの話が
研究という分野でなんで著名か有名かっていうと、 さっきのリーダーシップに近いんだけど、知識っていうのは個人が
頭の中に持っているものだっていうパラダイムを変えたんだよね。 知識創造っていうのは周囲の人たちと関わり合いながら作られているものであって
何か確固たるものがここにあって、この点滞するものじゃないよっていうところを 石モデルっていうもので
作っていった。 そのみんなで作っているってじゃあ何なのって時に
暗黙地を持ってきて 体がみんななんとなく分かっていることを
ソーシャライゼーションって分かち合う中で、ああこれが対話ねって何か分かって これを今度は言葉に出してみる
エクスタナライゼーションっていうことに出してみて対話すると、ああそういうことねってなり それが
うちらと他のチームとっていろんな人と組み合わさってコンビネーションが行われ コンビネーションされたものをもう1回今度じゃあマコリにインプットしようって言って
インターナライゼーションって言って入っていって それまた共有してっていうこのぐるぐる回しで地っていうのが生まれてるんだよっていう
実態とすごく重なる部分でも何というか実感にもなるというか、知識っていうのがもう 乖離したもんじゃなくて
また現実の中で循環しながら醸成されていくみたいなことを概念化
そうなのでいわゆるどっかにある物理的なものじゃなくて 関係性の中で生まれてくるしもう1個大事なポイントは野中さんが
フォランニーを言いながら専用しながら 体が大事なんだって言ったんだよね
なるほどすごいねそれは そこで初めて主観っていう話が出てきて
経営にだから主観が大事なんだよっていうのが入り込んだのがすごく大きな変化 なるほど
それまでは主観は切り捨てるものだったんだよね でも知識は実は集団で主観で作っていると分かった瞬間に
あれ?そこの作られるのが場なんだっていう言い方を彼はしている
なんかいろいろ記事的なものを読むと割と日本的な土壌の中で生まれた背景もあった みたいな
そういう日本的経営みたいなところの中の暗黙値 形式値みたいなものではないというか
西洋文脈じゃない値みたいなものがフォランニーの暗黙値の理論に代入されたみたいな
なんか そんな意味合いは その辺はそういう受け取り方でも大丈夫だね
彼自体はもともと研究を経営してて 日本人らしさっていう中の これまさに本人に聞いたから言ってたんだけど
シチュエーションは前野さんと一緒に せっかく対話の研究を博士課程でしたから
行きたい話したいねってなって前野さんがアポ取ってくれて あっなるほどね
そう接点が昔あったのかなって2人で行って話した時にいろいろ聞かせてもらって 野中さんもやっぱ言っちゃいなよって
面白い そんなんでいいんですかってそんなんだよ研究はとか みんななんか勘違いしてんだよとか言ってる
でも対話っていうのにすごくある種それを取り出して着目するみたいな視点は 野中さんはその辺どういう認識だったのかな
数の例えばスタンスみたいなものに対して 当時まだこんなに言語ができてなかったから面白いねって話とありそうだねっていう
トーンと今言ったみたいに言っちゃいなよっていうことが多かったかな あんまりだからそのことについてどうこうってなかった
どっかでもどうなんだより実践化されていった感じはするよね
対話っていうのもまさに実践が入るからさ と思うしその野中さんはその言語を使ってのコミュニケーションの対話と
して言ってないけど 野中さんが言うソーシャライゼーションが自分は対話だから
身体同士の対話だからねインタラクションだから そうだね
そっか
なるほどそこはすごくわかったし そのそういう話も含めて本の中に入れるとより伝わりやすい
社会背景も含めて見えると唐突感ないしねやっぱり必然があってこうなったの こういうものが言われてるんだっていうのがあって数の論があると言うね
野中さんもずっとこれは言ってるしその時にも話してるんだけど 石モデルの肝はSなのね
ソーシャライゼーションっていう お互いの暗黙地を共同する中で
体感的に理解する
でこの集団での暗黙地 しかもここで持ってたはずのものをなぜか集団グループで分かちあってグループの地になってる
そうこれが地の厳選で ただこれはまわざといきないから
会話しよう 対話して外に出そう 出したものを繋げよう 繋いだものをもう一回入れ直そうっていうのが石モデル
なるほどね
すごい 僕は本当にあんまり詳しくなかったんだけど
すごくティッシュスタイルともすごく そうそうそうそう ちょっと勇気づけられるわけじゃないけど
なんていうか そうってなるじゃない なるなるなる
彼が言い放ったのが知識っていうのは隠されたものじゃなく そのぐるぐる回しの中でただ
ジャスティファイ 正当化されたものを知識と呼ぶんだよって置いたのね
あー確かに 結局正当化するってことは周囲からの評価がなければ知識になり得ないっていう
そうだよね これすごいパラダイムの違いで なんか正しさがあるんじゃなくて みんなが言ったから正しくなるっていう
でしかないっていうね
あれだね なんだっけロコスエトスパトスで
エトスか だから信頼とかそういうなんての周囲の評価とか評判があって その中でようやくなんていうの
醸成されるというかロゴスだけじゃダメってことだよね
そこは悪い方向にもなりやすいけど 会話が入ってこうねお互いが認知を共有していくと
まあリテラシーが建設されるっていうかさ 良い方向にちゃんと作用するようになり得るよね
これがコレクティブインパクト コレクティブクリエイティブとか コレクティブにある時の方法の知識創造のことを野中さんはそういった
知識創造か でもこれ全部がコレクティブにやる 集合的にやるってことを対話の手法としては持ってるから
コレクティブシンキングっていうか それに付随してやっぱり従来の一般の人が持っている知識ってやっぱり
頭の中だけでやっぱり考えてるような 現実的でないっていうか頭でっかしな要素って繋がりやすいじゃない
で おそらくだけど暗黙値みたいなものと繋がるところで 初めてそういう実践的な値というか
今言ったような設置モデルの循環みたいなことが 起こるのかなと思ったんだけど
もうちょっと言うと 暗黙値として表出するだね 暗黙値に繋がるんじゃなくて
編集とされて自分がやってみて 暗黙値に駆使してそれが暗黙値として表出されるっていう
そういうことだよね そうだね そのプロセスだとそういうことになるのか
そこに何だろうやっぱり新体制っていうかさ そうそうそう
各べからざるというかね それも野中さんもそういう概念自体は出してたってことだっけ
野中さんは実際にその入れた知識のインプットを 自分がプラクティス実践する中で暗黙値として成り立っていく
だからそこに実践するっていうのは社会 世界との体のインタラクションだから
当然新体制が入ってるけど 新体制をそこで事さらに言ってるわけではなかった 最初は
後から言い始めるけどね そこの解像度もやっぱりいろんな人が
世知モデルに接することに上がってるというか 特にカズンだってそこであれだもんね 解像度上げてより
この新体の部分っていうのが 具体化されていったっていうかね あるよね
結構みんなそこの誤解があって 結局そこで自分の体をそうして実践しなければ
次の値のサイクルが回らないんだよね 暗黙値になってそれを分かち合った形式値だから
確かに 誰かの形式値のインプットで終わっちゃったら世知モデルじゃない
そりゃそうだよね
なるほどね
その実践っていうのもみんな実践してるつもりになるというか こうそんなにやってるよとかね
仕事も頑張ってるよみたいな これ実践じゃないの?みたいになった時に
なかなかそういうふうな循環起きない人と起きる人の違いっていうのはどういうところに
世知モデルでいくと なかなかさっき言ったソーシャライゼーションが肝だよって言ってて
一人のインプットの行動じゃなくてソーシャライズだから 社会の集団の中でそれが磨かれていく
そうかそうか そう だから複数人が必要で組織が必要だよって
その中での関係性の中で
ある種評価であったりとかお互いの相互理解とかそういう何かしら そこが一種の指標になるというか
対話塾みたいなのができたから対話塾でやってるうちに まこりんとカズさんがどっちがうまいこうだってなってって
でもこれ違うんじゃない?っていうこの事態が個人の暗黙地から集団の暗黙地に移行していく
でもこれ喋るとさらに形式に移行していくっていう
なるほど うまくできてるんだね
でこれが最初に野沢さんが途中から言い始めたのが 結局どの方向に向かうのかによって行為は変わるじゃない
それが会社っていうのは共通禅っていう社会の共通禅に目指して
じゃあ対話もね より良く世界をしていこうって動いていく中で試行錯誤するっていうこの方向性がある中で
ぐるぐる回っていくことが大事だよ
共通禅っていう概念も特に背景なく思いとして出した感じなのかね
後から出てきてるね あの後から結局そのぐるぐる回したらどの方向に回すの?っていう人が出てきて
でそのベクトルとしての中心理が出てきてる
そこは結構過去のユーダイモニアとかログスポットセイトスとか いろんな過去のものを使いながら彼は言い始めてるね
あー そうかそうか
まずにとっての共通禅みたいな何か向かっていく その要は循環を繰り返す中でのあれだよね
向かっていく先だよね それはどんなふうにイメージしてる?
もともとはなかった 別にそれがインタラクションを起こして変異を起こすことだけだから
それに良し悪しはない対話
ただそれが最近はウェルビングがあるからウェルビングってウェルっていう方向に向かうっていう
なるほどね そっかそっか 接続していったんだね静岡
そっか それは自分は今和装置いてるけど
対話自体は無色透明と思ってるから 極端な話ね
ただ人はよりよく生きたいっていう ベネスじゃないけど願いがあると思ってるから
それがきっと原動力になってるんじゃないかなーって気がする
人の中に備わってる何かしらの前世みたいなものを
これもおそらくだけど4章最後のあたりで
可能な限りであるっていう概念化しておいた方がいいなと
今深掘りしなくてもいいかもしれないけどやっぱり
要は何のためにみんな頑張るんだろうみたいな話
そうやっていくと自分は
身体としての方向を向かう方向は美に近いと思う
美 美しい方向
理性とか概念で話していくと善に近いと思う
真善美ってあるけど美に対して 美っていうのはもうちょっと言葉にするとどういう感じ
命が生き生きする方向に体が動くと思うんだよね
命としてのエネルギーが最大化する方に体は動いていくはずで
概念とか知性は共通する良いものを見つけようとする感じがする
より社会性を帯びている要素だろうね
概念はね
生物としての動物とか身体は良いものかどうかって関係ないと思うんだよね
ただ自分のエネルギーを最大化させていくっていうことだと思う
それを美として捉えるってことだね
いわゆる美術的なものとかアートっていうよりはもう少し原型にあるもの
アートをやる人たちが持っている 対象にしているものみたいな感じ
そうそうそこに美しさを感じるって意味で美を使った意味
命を
これはそうだよね
カズモデルとしてちゃんと言っちゃいなよみたいな感じ
だから真善美っていうよりもエネルギーなんだよね
そうだね
聞いていくとそういう感じが今してきたな
このエネルギーっていうのがちゃんと受け止められる人と
全然わかんない人と
ちょっと全然
もうちょっとある種ふわっと浮いちゃうような方向に
いろいろあるからもう少し言語化して今みたいに
説明もできるというより
ああそれが美なんだっていうのが
伝わる気がするかもしれない
だからエネルギーをモデルにしているのがさっきの場のリーダーシップで
リーダーシップっていうのはそのエネルギーを最大化させるってことだよっていう
なるほど
だからなんかみんなをリードする引っ張るんじゃなくて
私のエネルギーが高まることによってみんなのエネルギーも高まっていくみんなもね
チームとしてのエネルギーの素量が上がっていくっていうことがリーダーシップ
それがリードザ・セルフ自分をリードする
リードザ・ピープル人をリードしながら高めていく
リードザ・ソサイアティ社会を率きながら高めていくエネルギーを
高まったエネルギーをマネジメントするっていうのは回路を作る
ちゃんと流す回路を作る
エネルギーが高まってて発散しちゃうから
それがちゃんと社会に循環するように作ることをマネジメントって言うんだよっていう
いやー面白い
ちょっと あの
ある種さ 仏教とかで言われてたようなさ
宗教の中で目指してたような
その状態を本当に社会実装として
もちろん宗教主観にとって
やろうとして
もうなんかそういうふうに社会がより展開してきたような感じがする
マインドフルネスみたいな潮流が多分そこに影響してるんだと思うけど
本来は隔離させてさ
社会ではそんなことは理想的だからできないみたいにさ
思われた時代もあったのかなぁと思うし
今はそれを本当にリアルになんか
現場の最前線の人たちがテーマにし始めてるのかな
本当それを思ってて
でもそれをたりき本画みたいに言っちゃうと分かんないから
演技とか言っちゃって分かんないから
リーダーシップとマネジメントって言ってる
今の社会でちゃんと通用する言葉に置き換えて
っていうところであれだよね
そういうエッセンスも先人たちのエッセンスとして
ちゃんと何かしら入ってるはずだろうけど
言葉の編み替えもちゃんとしてやってるって感じで
それが今自分が仏教校に来たから余計に感じる
そうだもんね
そうかそうか
テキストで政宏先生の話とかも入ってたから
だから出てきたかもしれない
まさにそれが自分にもどんどん染み込んできてて
なるほどね
浄土新習
浄土新習的なのかどっちかっていうと
そうか面白いね
ちょっとそこらへんは一回置いといて
置いといて
そうそうそう
それでさ
場のリーダーシップっていう概念っていうか言葉は
どこから出てきたというか
中淳と話してる中で自分が言った
言った
言ってこの場のリーダーシップっていう概念を
リーダーシップの主人公たる人を場に移すっていう論文を書こうって言って
リーダーシップ学会で発表してみた
もうしたんだね
なるほどじゃあもうある種リーダーシップっていうか
リーダーシップ
大きいワードだねすごく
カズ&中淳が言い出しましたっていうのは全然
もう実際言ってるしね
そうだよね
そっかそれに近い概念があったのかな
番号マネジメントはあった
伊丹さんっていう計画者が
場を起点としたマネジメントってのを出してて
でもさっき言ったようにそれは自分はちょっと回路の話だから
その回路を流れるエネルギーを高めないと場は生きないよって自分は思ってる
確かに
ちょっとそれエネルギーっていうのがさ
エネルギーって言葉全然僕はいいと思ってて使っていいと思うんだけど
エネルギーの質がさ
やっぱなんていうのかな
従来型の資本主義的なエネルギーとはちょっと違う意味合いも含めて言ってるような気もするというか
ある種闘争モードになって頑張って回していくみたいなとはちょっと違うやっぱり
時代拝見もあるし
どんなエネルギーなのかなみたいなところが
もともと自分はエネルギーっていう前に波っていう表現をしてて
うちから湧いてくる波が対話を通じて
さらにコヒレンを起こして強めあって
それはいわゆる電流とかでも同じだけどアンペアが増大するでしょ
エネルギーが高まるっていう意味で
物理的なものも援養しながら
そうそうそう
そうだよね
ビットウォームのコヒレンとかあの辺もやっぱりなんだろう
背景としては重なってくるわけだよね
そう
やっぱりその内側から自然に湧いてくる
本人の内発的
リクルーターで言ったらウィル、意思
これが主体って思いが湧いてきて
せざるを得ないワクワクするワクワク湧いてくる
そっか
全然学術的な話じゃないんだけどさ
かやまにまさごさんっていう人がいてさ
インディアフルーツを吹いてる方なんだけどさ
素敵な先輩なんだけど
彼の概念としては
コントロールシステムからシンクロシステムって言い方をよくする
これまでの力の使い方はコントロールをどうしても全体にしていて
それがリーダーシップの話でもそれに近いんだけど
もちろん多分そういうやり方ではないシステムみたいなもの
彼は自分の生き方でしか言ってないんだけど
実装するようなことを実際数はどこかでやってる
意識してやってるのかなっていう風に
ちょっと質が変わるというか
そこもちゃんと伝えた方がいいような感じもした
リーダーシップマネジメント組織戦略がどうしても産業革命以降じゃない
産業革命の主役って工業じゃん
工業情報化の社会だから
有機体じゃなくて無機物の管理なんだよね
それはそれで別に生きてると思うんだけど
その無機物自体が生まれてくるのも有機物の世界からじゃない
こっちには波打ってる自然のエネルギーの世界があって
このことをみんなどう扱うかを言ってるんだろうなと思ってる
確かにものすごくリキッドな物理の
ニュートン物理学じゃないけどさ
そこから量子論みたいなのが出てきたみたいなの
全部当然リンクもしてるし
生きてく中での実態やっぱり量子的な要素の方が
より実感ともつながりやすいというか
うん
悩んでる人にとってはそっちの情報のほうが
必要な場合もあるかもしれないしね
うん
あー
なるほどなるほど
ちょっとあのさ
今日はあと1時間でもうそろそろだけど
うん
あの一つ聞きたいのが
えーっと
あの
あの
あの
の
一つ聞きたいのが
えーっと
インタービイングっていう言い方を
よく
してたのは
この要は
ビイングでもないし
まあウェルビイングって言葉もあるけどみたいなところの
こ この辺の話にも
接続できるものなのか
うんうん
そうそう
7回目
さっきさ
うん
番の話って
相互の主観でできてるから
あー
相互なんだよね
インターなんだよね
うん
インターサブジェクティビティーでしょ
インター
相互主観だから その主観が生まれてるのはBだから
インタービイングから生まれてくる インターサブジェクティビティっていう
ああそっかそういうちづけになってね なるほどね
いや いわゆるさ ビイングっていうのは個人の内静的な感覚としてはあると思うんだけど
やっぱりなんていうか やっぱり社会の中って人と生きてくってところでは
ビイングだけではありえない
ほらそこでほら ドゥイングどうする? みたいな話になるけどさ
関係性そのものがもうドゥイングじゃん みたいに聞いてて思ったからさ
その概念もちゃんと出すと 少し何だろう
内的な気づきや そういうものがちゃんと社会に接続しやすくなるというか
なるほどね
何だろうな ちょっとその辺をうまく
その前の対話で出てきた話だからさ
今の放ったやつを繋げられたらいいなと思って
なんかその Bっていうのは個人を限定した場合のBだから
ウィーにするとインタービイングしかありえないというか
主語ね
インタービイングって言葉を使ってるのって数ぐらいでしょ
そんなに誰かいるんだよ
ウェルビングを研究してる界隈では結構メインとかメジャーになってる
そうなんだ じゃあ概念として出てる感じがある
もう普通に出てる
普通に出てるのか そっかそっか
でもウェルビングっていうのはある種なんだろうな
でもまた文脈違うのかな
文脈として出てるのはウェルビングじゃなくてインタービイングだよねって言い方をしていて
何かっていうと個人でウェルなんて目指せないから
インタービイングとしかありえないんじゃないって言ってできてる
この間のテキストで言うと
としちゃんがよく社会的ウェルビングみたいな言い方をしてるのが
ある種インタービイングみたいな位置づけというか
間にこそある我々はっていう
関係性が私を規定してるし私が関係性を規定してる
場の話に近いよね
うんうんそうね
あー分かった
もうちょっと言うと自分が最近さらに提唱したいのは
PがあってDoするけどDoの先にBecomeがある
何かっていうと日本語で言ったらおかげだけど
あるじゃん
ある
するじゃん
あるする
となるのよ
あー
で、なるって自らと自らの合わいなのね
あーはいはいはい
で、まさに場と関係性って私が関係性場を作るけど
関係性がまた私を作るじゃん
うんうん
だから私がする中で向こうから自らされてくるから
してるようでいてされてるからなってくるんだよね
うん
なんだろう自力でも他力でもねみたいな話
そうそう
うーん
だからするあるってことは大事なんだけど
その時はなるから
うん
それはなるためには場とか関係性に委ねるっていう行為をしないとなっていかない
うーんそうだよね
いつまでもするのパラダイムに行っちゃうから
うーん
するのモードになりすぎるか
なるの方にある種引きこもっちゃうかみたいな
そうそうそうそうそう
どうせそうなるでしょってなっちゃう
あー
じゃなくて健全にビカミングするなっていくっていう
場合の中でやっていく
あー
そのなるってすごく素敵だよねなんかその
普通の達成するぞーみたいなモードの
なんかなるみたいなのはどっちかするを盛り上げた結果みたいになりやすいから
うーん
なんか疲れちゃうじゃないですか
そうそうそう
それをさこの前感じでそうだなと思ったのは誰かの話で
できるっていうのが出てくるっていうことから来てる
うーん
出てくるってことは
自分でも出るけど来るもあるっていう
できるっていうのは基本なるでしかないんだっていう
うーん
私がしてるわけじゃないっていう
うーん
言葉って面白いよねなんかもうある程度出来上がってるんだよね
ね
ははははは
今更それをやってるみたいな
そうそうそう
うーん
ちょっと変えてやってるだけだもんね
面白いなー
あとついでに淡いっていう概念よく出てくるけど
その辺はいつぐらいから使うようになったというかこう意識するようになったっていう
淡いは早い
淡いし初めてすぐだから
あっじゃあもう割と
10年以上使ってるね
どの辺からその辺は繋がった言葉だったの?
でも多分普通に本の中でなんか淡いって言葉を見て
間っていう物理的な表現よりも
滲むその淡いの世界の方がヒントくるなーと思った
滲む感じとかね
うんあと和のいいっていうそうそう和語の感じ
あー
その頃からインタビュイング的なというか割と原型はもう既にあって
だんだんそれがこうね解像度が張ってブラッシュアップされてきたみたいな
もうこんなに言葉になっちゃった
もう淡いじゃないみたいな
逆に
うん
ヤモだね
うん
またがヤモになってくる
ね
でも最近は対話って柔らかくなったんだよね本当に
あー
対話でもあるけど場でもあるし
確かに
うん
切り取られちゃうもんね対話っていうとね
なんか意識の中で
対話しなきゃみたいな
対話っていうことによってキャッチにつかんでくるってのは面白いけど
そうだね
何でもいいかなって感じになってきてる
いやほぼほぼとかまぁかつも何回も言ってるけど
場ができるかどうかがまず
なんていうのもう
そこだね
対話の9割ぐらいみたいなね
うん
うん
対話のなんだっけなんとかの9割みたいな本出せば
うん出るかもしれないけど
場が9割
場が9割
うん
そうか
その対話も多分ね
マコリンでいう2.0までだといいんだけど3.0は
リーダーシップとマネジメントを意識しないと
うん
あの偶然性が高まっちゃう
うん
なんか本当にそう思う
なんか自然栽培からもうちょっとそれを計画して
そうそうそうそう
ちゃんと作物にするみたいになると
うん
壁がありそう
そこはやっぱりなんか2部では少しプログラマメカニズムというか
原理原則
うんうん
伝えられるといいよなと思うけどね
確かに
分かりました